函館ビリケン電車の記憶(昭和46年) [昔鉄スナップ]
なぜか戴き画像=羽後交通廃止の年(昭和48年) [昔鉄スナップ]
広電ギリギリ横丁(平成10年?) [昔鉄スナップ]
OSカーってアメリカン? [昔鉄スナップ]
天然色の夏、その5 (丸窓電車の仲間たち) [昔鉄スナップ]
納涼戴き画像(1968年小田急) [昔鉄スナップ]
天然色の夏、その1(名鉄揖斐谷汲線、昭和43年夏) [昔鉄スナップ]
いやはや毎日ほんとに暑いですね~、
しかし学生さん・生徒さんたちににとっては夏休み真っ盛りのこの季節。かく言う私とて、学生時代は暑さにめげず電車を求めて歩き回っていたものです。そんな頃の私の夏写真の中から、昭和の色彩と光を感じてもらおうと、カラー写真を集めてみました。
(1)まずは昭和43年8月の名鉄揖斐・谷汲線です。大正生まれの古典車を改装した市内直通急行が走り始め、ファンの人気が急上昇した頃で、鮮やかな車体色が夏の日差しに輝いていたのが今も印象に残っています。
なにぶん古いネガなので変色・褪色・汚れが目立ちますが、暑さに免じて(?)ご容赦の程・・・~実はフィルムの色褪せより自分の記憶の方が心配なんです・・・(笑)
昭和39年夏、或る休日 [昔鉄スナップ]
琴電昭和42年(その2・仏生山と今橋の電車たち) [昔鉄スナップ]
琴電昭和42年(その1=京急木造車の面影) [昔鉄スナップ]
私が初めて四国の地を踏んだのは、昭和42年のことで。父と弟と3人で関西私鉄めぐりをしたときでした。京急ファン、古典台車ファンだった父は日程の中に「ことでん」詣でも組み込みました。
関東からは遠く離れた琴電と京急はなぜか縁が深いのです。同じ1435㎜軌間は関西にはたくさんあるのになんとも不思議です。
大阪南港(例の英語教師殺人犯が捕まったところですね~関係ないか?)から高松まで一晩の汽船移動という今では考えられないルートでの四国入りでした。早朝に高松港に着き、近所の旅館で朝風呂+朝食(こういうサービスがあったのも時代ですね)のあとは、琴電の始発駅高松築港駅へ・・・
(1)いきなり出迎えてくれたのが、当時の京急ファンには有名だったこの電車~大正生まれの木造車京浜デ41→クハ120を譲り受け車体更新した90形。同形の電動車は10形を名乗っていました。