琴電昭和42年(その2・仏生山と今橋の電車たち) [昔鉄スナップ]
前回に続く昭和42年、親子3人旅でのことでん画像。タイトルの仏生山と今橋は車庫所在地です。
まずはこの1枚から~(1)車庫・工場があった琴平線の要衝、仏生山です、板張りのホームや詰め所、本線と車庫線で架線のつり方が違ったり、なんともいい感じの構内ですね。 右側にチラッと見えているのは琴平線オリジナル車1000形です、更にその奥に停まっているのは総武鉄道(現東武野田線)から来た電車のようですね。
(2)発車していくのは、元富士身延鉄道から国鉄を経て琴電にやってきた古強者、一時期は<りつりん>号のヘッドマークをつけていたこともあり、この頃もクロスシートだったような記憶があります。
(3)奥にいる電車目当てに無理やり拡大してみました。形式は確か710だったでしょうか、お隣を走る東武スタイルの影響を受けた田舎っぽいデザインの電車でした。
(4)モノクロで端っこに写っていた1000形はきちんとカラーで撮っていました。こちらは鄙には稀(!)といってもいい素敵なデザインです。楕円形のナンバープレートが良いですね~形式とNo.がずれている、普通なら1004となるのが、110.120.130という付番だそうで。
~といっても全部がこうでないところが琴電らしく面白いです。
(5)折り返し線に停まっていたのは、なんとも面白い~というか凄い編成でした。先頭の610は宮城電鉄(現JR東日本仙石線)からやってきた木造車の鋼体化ですが、なんと屋根はWルーフのまま!前回ご紹介した京急120の鋼体化10・90形と同じく極限までリサイクルに徹した更新車でした。涙ぐましい節約精神はまだまだ使える車両を惜しげもなくスクラップにしてしまう昨今の関東の大手私鉄よ見習え!と言いたくなります。
(6)610の後ろに繋がっていたのは近鉄南大阪線から琴電にやってきた旧大阪鉄道デロ→琴電20形が2両でしたが、この22号だけ大鉄時代のステンドグラスの痕跡が残っていました。
なんとも嬉しいこんな車両がたくさんいた琴電~まさに電車博物館!でしたね。
そういえばここに出てくる転入電車たち、すべて元は1067mmゲージというのも不思議です。近鉄からの電車も1067mmゲージの南大阪線からですし・・・
ここからはところ変わって、志度線の瓦町から1つ目の今橋の車庫の中にいた古典車たちです。600Vで元軌道線らしい線路規格の志度線は大形車が入れず、その後の元京急230(琴電30形)や現在では名古屋地下鉄の中古車など、一貫して小柄な電車の活躍舞台でした。
ここにいる電車たちも、軌道線が出自の電鉄からの転入車(の改造車)で、車体もさることながら、台車好きの父が目を輝かせる古典台車がいっぱいでした。
(7・8)京急の木造車が複雑な経緯で琴電にやってきた60・70形が休車状態で残っていました。台車好きの父の撮影だと車体は二の次三の次~なのでこんな写真しかありません。京急ではデ41→クハ120に使われたテーラー台車を履いていました。こちらの73号はひょっとしてしばらく前まで現役?という感じでした。今この写真を見ると、電車の周りのもろもろ~いい感じに古びた車庫、ギヤの付いた車輪などに目が行ってしまいます~左奥の建物は変電所だったように記憶しています。
うちの父が大喜びしたのがこの台車。
(9・10)もともとは路面電車によくある軸バネ式の台車を、高速運転のためにイコライザーつきに改造した、というもので、兵庫電気軌道→山陽電鉄からやってきたものです。何でも軸箱を油で潤滑する方法がパテント、なんだそうです。~撮影しながら解説してくれたのも父でした。
(11)この台車の主はこんな電車でした。山陽電鉄から瀬戸内海を渡って琴電にやって来た80形です。のっぺりとした顔にダブルルーフ、オデコに左右並んだテールライトが、精一杯高速電車らしさを醸しているのがいじらしい感じです。
そして古典台車の極めつけはコレ!
京急(というか京濱電鉄)最初のボギー車1形に使われた珍品台車ペックハムがデカ1という電動貨車に使われていました。明治のインタアーバン用らしく、外吊のモーターが1つの台車に2個=4個モーターにして高速性能を確保しようとしたのですね。(12)全身が写っていないですが、この電車は平べったいオープンの荷台の中央に運転室がある=凸電やトフのような形です。並んで入場しているのは前回ご紹介した10形=オデコの雨樋のカーブに面影を残す、元京急120です。
ここでも琴電と京急の縁の深さが再確認されてしまいますねえ。
そのうち今のステンレス1000も高松入りするのかな~などと埒も無いことを思いつつ、昭和42年の高松からこの辺で~
60,70は改造車の種車としてだけ、80は存在さえ知りませんでした。
140は110と正面衝突して廃車になった車ですね。
by なにわ (2012-06-07 23:34)
琴電は古い電車好きにはたまらない鉄道ですね(乗客には堪らないでしょうが…)。
富士身延の電車、懐かしいです。
私が行った頃は朝の一往復しか走っておらずなんだかんだで3日掛けてようやくモノにできた時の嬉しさが忘れられません。
琴電の使えるものはトコトン使うけどみんな綺麗に整備されている姿勢にはどっかの使い捨て会社に見習って欲しいものです。
by Chitetsu (2012-06-08 16:15)
昔の「琴電」と言えば、そうです!!「元近鉄の車両」です!!
実は、この車両のお写真を待っていたのです(他の車両も良かったですよ)。
Cedar様のお父様は、同じ「鉄道好き」でも「台車好き」だったのですね。
親子揃って「鉄道好きだった」とは、羨ましい限りです!
by 京阪快急3000 (2012-06-08 17:36)
■なにわ様
昭和42年は、戦後すぐの転入組がギリギリ残っていた頃でした。
この後あちこちの廃止線から様々な電車が入って、またまたバラェテイが増えましたね。
■Chitetsu様
琴電の車両は今も昔も綺麗ですね。
バブルな不動産投資に目が眩み志度線の分離などという愚行に走ったのは返す返すも残念でした。
■京阪快急3000様
近鉄の車両は他社転出は少ないですね。自社のローカル線で寿命を終えることが多いからでしょうか?
★maipenrai様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-08 20:12)
やっぱり良いなぁ~琴電♪
仏生山は工場が拡張される前ですね。
去年、デカ1も実物を見ることが出来ましたが今は更新されてペックハムの台車ではありません。
この時代のカラー写真を拝見すると、今のレトロ電車の塗装のクリームよりマルーンがかったクリームと云った感じでしょうか。
次に京急から琴電に譲渡車があるとしたら1500形でしょうか・・・
by 利きゅう (2012-06-08 20:56)
■利きゅう様
デカ1、まだ現役なんですね。流石琴電~で、下回りはカルダン化されてる~なんて事はないのでしょうか?
確かに当時の塗装はクリームが赤っぽい感じだったような気がします。
京急から次に行くのは1500ですか、2連で走れないと運用上難しいので3Mの800は無理ですものね。
by Cedar (2012-06-08 22:16)
Cedarさま
旧性能王国=琴電さながらです。香川は母の故郷で小四(昭和46年)に
1回行っており琴電を見ているはずなんですが記憶がありません。
その後、何度も行きたい気持ちがありながら大学以降は帰って遠い存在に
なってしまいました。
こうやって諸先輩方の写真で存分に楽しませていただいております。
by 狂電関人 (2012-06-09 09:18)
■狂電関人様
私に香川に親戚があったら、休みの度に押しかけたでしょうね(笑)。
昭和46年ならば、この写真とは違った百鬼夜行ぶりが楽しめたはずです。
★岸田法眼様
★suzuran6様
★プント様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-09 14:12)
琴電はファンにとっては魅力いっぱいのところですね。
オリジナルなクラシックな1000、3000、5000形、いろいろなところから来た車が混然として走っておりました。こちらも、昭和42年に訪れました。
高松琴平電鉄琴平線(1965年)
http://6.fan-site.net/~haasan55/KotodenKoto.htm
高松琴平電鉄志度線長尾線(1965年)
http://6.fan-site.net/~haasan55/KotodenSido.htm
弊ホームページに載せておりますが、まだ、12000形は急行「りつりん号」として走っておりました。また、志度線には阪神881形が30形として走っておりました。このナンバーを後に京急230形に譲ったのですね。
by はーさん (2012-06-09 14:40)
■はーさん様
HPのお写真は思わず垂涎でした。
おかげで記憶の補強ができました、ありがとうございます。
この時長尾線で30形(初代)に乗りました。この電車がぞろぞろ繋がってカーブをぶっ飛ばす姿に思い馳せたものでした。
★シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-09 23:19)
いかにも琴電らしいお写真を楽しませてもらいました。
私が撮ったのはCedarさんの2年後の昭和44年で、
土佐電から玉野市営電鉄に向かう途中の通りすがりでした。
人並みに栗林公園に寄って観光に時間をかけてしまい、
素晴らしい電車を存分撮るチャンスを失ってしまいました。
中途半端はダメですね。
by katsu (2012-06-10 10:33)
■Katsu様
中途半端といえば私の専売特許?なんですけど(笑)・・・
この画像を見てもお分かりの通り、この頃は撮影はほんのスナップで(父の台車を除いて)乗り歩きがメインでしたのでお手軽写真が多く、お恥ずかしい限りです。
★UZ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-10 23:14)
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-11 10:20)
★素人写真様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-11 23:59)
私も昭和42年8月に琴電を訪れています。
志度線は昇圧後で81などの600V車が
今橋の側線に並べられていました。73も
同じ位置にいて車輪の先にテーラー台車が
多数あったと思います。その頃「ピク誌」で
吉雄さんの「台車のすべて」が連載されていて
何度も読み返していました。
by 常夜燈 (2012-06-12 08:18)
■常夜灯様
コメントありがとうございます。
昭和42年には志度線は昇圧されていたのですね。なのになぜ瓦町と築港の間が単線並列だったのでしょう?
『台車のすべて』は父のバイブルだったですね。
★素人写真様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-13 17:43)
★ひでほ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-13 23:07)
旧大鉄の電車、この時期には琴電で健在だったのですね。飾り窓のついたこの電車、写真でしか見たことはありませんが、素晴らしい電車だったのでしょうね。旧型天国の琴電、さぞや素晴らしかったことでしょう。
by のり (2012-06-14 23:31)
■のり様
琴電は関東からの移籍組が多いなか、旧大鉄のこの電車は目立ちました。私の好きなインタアーバン風の明かり窓が素敵でした。
琴電は古い電車を綺麗にメンテしていたのが印象的でした。
by Cedar (2012-06-15 23:15)
★あおたけ様
★yutakami様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-15 23:19)
■COLE様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-16 09:35)