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なぜか戴き画像=羽後交通廃止の年(昭和48年) [昔鉄スナップ]

スキャナーは復活したものの、人並みに年末モードで忙しく、今度はネガ探しの時間が無い。

~というわけで鉄仲間Uさまの戴き画像でご機嫌伺いです。

今は無き、と言うかはるか昔に消えた或る鉄道~(私はここには行かず終いでした。)羽後交通いただき01拡大R.jpg    一つ目小僧風の連結面にバッファーの痕跡孔、TR10よりも古めかしいイコライザー付き台車など、なんとも古典味溢れるこの客車はいったい何でしょうか?

雪の構内に佇むのは奥羽本線の湯沢から出ていたローカル私鉄、羽後交通雄勝線の車両、トップカットは下の画像の部分拡大です。撮影の日付けを正確には聞いていませんが廃止直前(それとも廃止直後でしたか?=Uさんコメントでフォローよろしく!)の撮影です。羽後交通いただき01R.jpg

昭和3年に開通以来、湯沢⇔西馬音内(にしもない)間を結んでいた雄勝線は、もともとは電化線でCedar好みの小さなポールカーが走っていましたが、経費節減で電車→ディーゼル化された挙句に廃止という、お決まりのパターンを辿ったのでした。

古くは玉野市営、記憶に新しいところで名鉄三河線や八百津支線。存続の努力むなしく消えた栗原電鉄なども同じような顛末で消えていきましたねえ・・・

末期だけでなく、開通以来経営は終始苦しく、電気代が払えず電気が止められた事もあったらしいです。


 

それはさておき、たった2枚しかないお宝戴き画像を、例によってあちこち拡大でじっくりと見ていきます。

まずは一つ目が印象的な木造ボギー客車の全景です。もともとは国鉄の払い下げでしょうが、さぞかし複雑な経歴の持ち主なのでしょう~羽後交通いただき拡大客車02R.JPG              

・・・・と思ったら明治末期の製造以来国鉄所属で、その後昭和20年代末に当線に転入して来たようです。電化していた頃の写真を見ると、木造ダブルルーフの2軸電車が、自分よりはるかに大きいこの客車を引いて雪の中を行く、涙モノの風景が見られたようです。

羽後交通いただき拡大客車03R.JPG社紋や形式、その上に付けられた行き先札=拡大してみましたが残念ながら読めません、・・(どうもホハフ2のようです。)

こちらはもう1枚のオリジナル画像です。廃止挨拶の横断幕つきのディーゼルカー、昭和2~30年代の地方私鉄によくあったキハ05モドキの一種です。湘南形を無理やり取り入れるのも当時の最新モードでした。羽後交通いただき02R.jpg               同じ羽後交通の横庄線用(こちらは非電化)に新造され、同線廃止に伴う雄勝線のディーゼル化とともに転入し、そしてその一生をまさに終えようとしている・・・という姿です。横庄線廃止=雄勝線ディーゼル化は昭和46年ですから、だった2年の非電化運転だったのですね。

戦前のガソリンカー、キハ40000に始まる側面スタイルや台車はそのままですが、張上げ屋根と湘南スタイルのお面で精一杯新鮮にみせようというのも常套手段でしたね。DC拡大.JPG口の悪いファンからは「田舎湘南」などとからかわれたものでした。渋いというか泥臭い感じの塗装からも、そんなコトバを思い起こします。

更に反対側の前面を拡大してよく見ると、流線形の湘南スタイルなのに何かが取り付けらています・・羽後交通いただき02拡大R.JPGなんと軽便や田舎私鉄のガソリンカーなどに良く見られた荷台のようです~折角のスタイルが台無し~といいたいところですが、地方私鉄マニアにとっては「これこそが痺れる!」んですね=これぞ田舎湘南の面目躍如です!

「どうせなら、こっちの顔も撮っておいて欲しかった」などとは言いません・・・(自分でもこういうことはよくあるので、エラそーな事は言えた義理ではない)。

ついでながら、車内に人影が見えるのも気になります。ドアが開け放されていますが、ホームがない場所に停まっているようですから、発車待ちではなさそう(?)に見えるんですが(Uさま、いかがでしょうか?って昭和48年の事なんて記憶曖昧ですよね)

明治の木造客車+田舎湘南DC、ひょっとしてこの編成でさよなら運転したのかも?

タイトル.JPGタイトル2.JPG廃止看板.JPG               

いつもお話しているようにCedarは電車派(=都会派とは言いません)でしたので、非電化地方私鉄の撮影には出かけてないのです。

ですが乗っている国鉄列車が見知らぬ駅に着くと、貨物側線の向こうに小さなホームが見え、車齢に不釣合いに派手な塗装の気動車が1両~時には客車や貨車をぶら下げて、のんびり客待ちする姿を車窓からぼんやり眺める・・・こういうのは大好きでしたね。

そんな地方私鉄の接続風景は、昔はごく普通に見られましたが、今はほぼ全滅といっていいですね。たまにJRの車窓からそんな風景を見ると、相手は元国鉄だった第3セクター線だったりします・・・・

Uさまのように、こういう何気ないスナップを撮ってないのは、しみじみ後悔するのですが・・・いまさらどうしようもありません。ネット時代の有難さ~戴きネタで精々楽しむませてもらうといたしましょう。

というわけで、Uさま、引き続きネタのご提供、よろしく~

(U様へ、お伝えしたように年末のバタバタはネガスキャンの時間ばかりか、U様、狂電関人様との鉄分会=飲み会までドタキャンを余儀なくされました~残念!)

 

 


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はーさん

羽後交通雄勝線には1963年(昭和38)年5月に訪れております。
  http://6.fan-site.net/~haasan55/ugokoutuu.htm
この時はまだ電車で古典客車を牽いて走っておりました。
また、西馬音内まででなく、梺(ふもと)まで行っておりました。
このころのファンのお目当ては明治の4輪客車でした。この車は今、明治村に居ります。
by はーさん (2012-12-19 14:44) 

Cedar

■はーさん様
廃止10年前の雄勝線、堪能させていただきました。それなりに賑わってる感じに見えますが、時代の変化が加速する直前だったのですね。
こういうローカルトロリーには、私は殆ど間に合いませんでした。
ホハフ2は廃止までほとんど変化無しだったことが分かります。

★ひもブレーキ様
★hanamura様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-12-19 15:15) 

nexus6

S48年 洟垂れ小僧も少しづつ背伸びする様になってきて、鉄道雑誌なんぞを読み始めた頃であります。
時代的には、巨人軍9連覇、「学生街の喫茶店」、「赤とんぼの唄」... そして、金大中さんがど~のこ~の (あの事件はコドモには難しかったです) の頃ですね
でも、かつてこんなステキな車両を有した鉄道があって、それがこの年に無くなった ってぇのは知りませんでした....
by nexus6 (2012-12-20 01:06) 

hanamura

雪景色いいですね。私は週末雪国旅行の予定
例の「自称:飲み鉄」というヤツです。
by hanamura (2012-12-20 07:21) 

Cedar

■nexurs6様
昭和48年の出来事、ありがとうございます。
オリンピックから万博と、成長まっしぐらの日本にちょっと疲れが見えてきた頃でしょうか。地方の弱小私鉄の廃止もこの頃まででほぼ完了しましたね。
■hanamura様
雪、鉄、酒。いいですね!
レポートお願いします!

★フジトモ様
★やまびこ3様
★nd502様
★湘南ライナー9号様
★あるまーき様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2012-12-20 11:11) 

のり

こんなローカル鉄道、本当にたくさん消えてゆきましたね。もっともっとたくさん訪問しておきたかったと残念でなりません。
by のり (2012-12-20 22:30) 

伊豆之国

JRの駅のホームから、旧国鉄絡みでない非電化のローカル私鉄と出逢う風景、本当に稀少価値になりましたねぇ…。栗原と鹿島が消え、いまや小湊・関鉄・ひたちなか・津軽・紀州・島原…辺りぐらいしか残っていないのでしょうか。
「西馬音内」と書いて「にしもない」と読む、北海道にあるような響きを持つ難読地名。私は小学何年の頃だったか「新日本紀行」か何かで、ポール電車も紹介した「羽後・西馬音内」という番組で知った記憶があります。
by 伊豆之国 (2012-12-20 23:13) 

Cedar

■のり様
私があちこち撮影に出かけ始めた昭和40年前半、地方私鉄廃止が加速した頃でした。鉄道雑誌の記事に「さよなら⭕⭕鉄道」が目立ちました。
■伊豆之国様
「新日本紀行」のその回はなにかの折に見たことがあります。あのテーマ曲とともに、雪の中のポール電車が登場してました。

★あおたけ様
★いっぷく様
★oomori様
★yakitorimitbier様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-12-22 07:15) 

Cedar

★ぷっぷく様
★COLE様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-12-22 07:17) 

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