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天然色の夏、その3(福島交通飯坂東線、昭和42年8月) [昔鉄写真]

昭和の夏に撮影した電車たちの色彩と光をご覧戴くシリーズ、3回目は福島交通飯坂東線(軌道線)です。

s42福島011R.JPG(1)今では存在していたこと自体が夢のような電車風景(!)が展開した昭和42年8月のカラー写真をご覧いただきます。         (以前見ていただいた画像も混じっていますのであしからず)

s42福島02R.JPG(2)            例えばこの風景~あぜ道に毛の生えたような未舗装の道路を、西部劇の荒馬よろしく砂塵を巻き上げ馬面電車が疾走します。今この道はどうなっているか分かりませんが、もしこのままの幅ならば、電車が走っていたことすら信じられないかもですね。

Cedarが福島交通に行ったのは1回だけ。都会の鉄ガキには(2)のような景色もさりながら、やはり人々暮らしに近い電車風景~なんて格好つけてますが、下のような「ギリギリ」シーンが昔から好きでした~や由緒ありげな古い町を行く姿も印象に残りました。

s42福島08R.JPG(3)s42福島07R.JPG(4)            この落ち着いた町並みが今残っていたら、立派な観光資源になっているでしょうが、現在は日本中どこでもあるような画一化した町並みに姿を変えているのでしょうね・・・・

ですから今さら場所を特定しても、がっかりするほど劇的に変わっているに違いないので、ひたすら昭和42年の沿線のムードをお楽しみください・・

Cedar親子が福島交通に惹かれたのは、ファン雑誌に載った1枚の印象的な写真=白壁の農家の軒先に下がった干し柿の横を電車が走り抜けていく風景=の所為でした。

(5)ズバリの場所は結局はっきり分かりませんでしたが、静かな集落を抜けていく電車の撮影を存分に楽しみました。s42福島04R.JPGs42福島06R.JPG(6)夏の昼下がり、歩く人影も殆どない砂利道を時折電車が走り抜けて行きます~農村といっても屋敷林のような木立に囲まれた家々は、どれも広く立派だったのが印象的でした。

(7)当線唯一の都会派(!?)電車のお通りです。とはいえ垢抜けない塗装と貨車を牽くための朝顔形カプラーで福島らしさいっぱいでした。s42福島01R.JPGs4242.JPG(8)

当時のこととて道端に自動販売機などあるはずも無く、上の画像に写っているようなよろずやさん※でラムネやプラッシーといった飲み物を買って喉の渇きを癒したものです。このお店が今もあるとしたら、立派に改築されて大手コンビニチェーンの看板を掲げているのでしょう。

火の見やぐら・よろずやさん~集落の中心(?)かもしれない場所には当然電車にも停留所がありました。画像の奥、道の左側の小屋(?)の前にリヤカーが停まっているところが電停=小屋に見えるのは電車待合所でした。リヤカーの荷物はここから電車(或いは電車の後ろにぶら下がった貨車)で運んでいたのですね。

※ま、今で言うコンビニのような、生活雑貨から食品まで揃えた<村の便利ステーション>でした。

(9)貨車です。こんなのが電車に牽かれて走っていたのです。急カーブに備えた長い連結棒も凄いですね。後ろに写ってる<福島電鉄>と大書したオート三輪にも痺れます。福島ほばら貨車.jpg

(10)この線を走る電車のデザインは数種あったようですが、中でもこの間延びした顔つきが一番好きでした~日本的でもあり、スイスやイタリアのローカル電車のような(?)雰囲気もある?s42福島010R.JPGs42福島05R.JPG(11)           そんな風に思うのは、背景の町並みの静かで落ちついた佇まいが、ヨーロッパの少集落のように見えるからかも知れません。

 

集落と集落の間は(2)で見ていただいたように、まっすぐな田舎道に路肩軌道が延びていました。s42福島09R.JPG(12)

一連の写真でお分かりと思いますが、この日は薄曇りでした。しかし夏の東北の蒸し暑さは半端でなく、砂塵の向こうに消えていく電車の後姿が朦朧と霞んで見えました。

とはいえ、甲高いモーター音に混じって、時折ガリっという砂利を噛む音を立て、結構なスピードで去っていく電車に会えた福島の夏は、軽薄な都会の鉄ガキに深~い印象を刻んだのでした。

福島・昭和42年、天然色の8月の風景はこの辺で・・・最後になりましたが立秋は過ぎたとはいえ、暑さに体調を崩さないよう、皆様お気をつけて・・・・。

 

 

 


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コメント 36

あるまーき

こういう路肩軌道、非常に魅せられるものがあります。
大好きなのですが、自分が生まれたのは、このお写真の10年以上後、かろうじて名鉄美濃町線で、少しだけその雰囲気を感じ取るのがやっとだった世代なので、羨ましくて仕方ありません。
貴重なお写真、ありがとうございました。
by あるまーき (2012-08-08 14:12) 

KQ

いままで見た福島交通の記録の中で、一番魅力的な写真を拝見でき感激です
私の年代は「1970年前後」に一人で(あるいは同年代の友人と)の撮影旅行を親に許可される年齢に達していたかどうかが、貴重な体験をしているかどうかの境目になるような気がします
1970年に中学に入った私は、翌年夏にやっと福島までの東北本線電関撮影旅行を許されたのですが、その3カ月前には福島交通は廃止されていたのでした
東京から一泊や車中泊で行けた地方私鉄はだいたい1969-71年になくなってしまったような気がします
by KQ (2012-08-08 15:29) 

U

普通に生活道路に線路がある、物陰から電車が飛び出してくる、というのが当たり前だった時代ですね。
当たり前のように電車の前を歩く近所の人たち。心なしか電車の方が遠慮気味。逆に誰もいない直線は砂煙を上げて疾走。
もちろん停車場もユニバーサルなんてなくて、地面からそのままよっこいしょ、と電車のステップに飛び乗ったのですね。
都電とはまた違った趣きが何とも和みます。
by U (2012-08-08 17:22) 

Cedar

■あるまーき様
福島の路肩軌道は、道幅の狭さに驚かされました。
もともとは花巻と同じナローだったらしいです。
正に奥の細道だったのですね。
■KQ様
仰る通り、1970年を前後にして、日本の鉄風景は劇的に変わりましたね。近代化=画一化でユニークな鉄道はかなり消えてしまいました。
■U様
生活と電車の距離感が限りなく近い。超低床車じゃないけど違う意味でバリアフリーそのものです。町並みの美しさも今の日本から消えたものでしょうか?
ところで狂電関人さんがビール飲みませんか、ってブログでお誘いあり。

by Cedar (2012-08-08 19:14) 

U

アンサーです。確かに、生活と電車の距離が近いのはバリアフリー、ユニバーサルと言えるかもしれませんね。かたちだけユニバーサルにしても皆が利用しなければ意味ないですし、この時代の鉄道は、実態としても皆の足だったのでしょう。
街並の美しさ、まだまだ日本のローカルにはきっとあります。でも、風景としての電車がない・・・。
狂電関人さんのお誘い、喜んで!でもエコノミーコースで(笑)!
by U (2012-08-08 20:03) 

狂電関人

Cedarさま

此方のウマヅラも良い表情ですね。

ダートの併用軌道をみてみたかったなぁ。


by 狂電関人 (2012-08-08 21:58) 

maipenrai

夏が来れば~♪ 福島交通の素晴らしい総天然色写真、今まで隠しててズルい!(笑)
 電車音痴の私が、唯一ついていける路線です(笑)。路肩軌道の写真、梁川線か掛田線でしょうか。あの頃は長岡分岐点を越えると、どこも未舗装の道を軌道が走っていましたね。父の運転するクルマで、湯野線の電車とすれ違ったことがあります。振り向きざま撮った手元にある写真は、クルマの巻き上げる砂埃と、凸凹道の振動でブレブレ…。
by maipenrai (2012-08-08 22:23) 

のり

これは本当に素晴らしい写真ですね。こんな素敵なローカル電車、乗ってみたかったなぁ。名鉄美濃町線の一部区間もこれに近い感じがありましたね。
by のり (2012-08-08 22:40) 

Cedar

■狂電関人様
ダートの併用軌道が、田んぼの中を一直線に伸びている光景は印象的でした。
ところでU君もOKのようなので麦酒を近々、世間の盆休みの最中でも私はOKですが。。。
■maipenrai様
福島交通にお詳しいとは嬉しい。
>今まで隠しててズルい!(笑)
そんなこと無いですよ~以前にもブログに乗せてます。
路肩軌道は長岡分岐点と保原の間です。>振り向きざま撮った手元にある写真は、クルマの巻き上げる砂埃と、凸凹道の振動でブレブレ…。
→その写真、ぜひUpしてください
■のり様
私も間に合ってよかった!と思っています。 美濃町線の上芥見の辺りも良かったなあ!

★hanamura様
★nexus6様
★モボ様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-08-09 00:17) 

プント

未舗装の道路に電車が走る、今では見られないシーンを
実際にご覧になられたことがとても羨ましく思います~
by プント (2012-08-09 00:39) 

EF510-230

私も同じ時に福島駅前でこの電車を見ただけですが、沿線がこんなに凄いところだと知っていれば乗ったのに残念。勉強不足でした。
by EF510-230 (2012-08-09 06:11) 

常夜燈

私も鉄ピク誌に載った「白壁の農家の軒先に下がった干し柿の横を
電車が走り抜けていく風景」を見て出掛けました。その家は見つかり
ませんでしたが沿線は期待を裏切らない風景でした。
一方の目的だったニモは残念ながらダルマになっていました。
by 常夜燈 (2012-08-09 08:30) 

Cedar

■プント様
いえいえ、ちょっと永く生きてるってだけです。
■EF510ー230様
福島の軌道は規模も大きく、バラエティ豊かな沿線風景でした。
一度きりの訪問で終わったのは残念でした。
■常夜燈様
あの記事はインパクトありましたね。あの記事を見て何人のファンが福島詣でに向かったのでしょうか?
ニモのダルマは見たような見てないような、記憶曖昧です。

★denta60様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-08-09 10:46) 

なにわ

デコ幕の1106,1108がお気に入りですか。

ダートコース?この電車が走ってた脇に今も福島競馬場はありますが。
でも、この沿線、本当は居住可能なんでしょうか。
by なにわ (2012-08-09 18:56) 

利きゅう

・・・ふう、はぁ・・・再び溜息しか出ません!
花巻と違いサブロクなのに車体の細さや連結器の朝顔形カプラーが軽便電車と錯覚させます。
貨車なんて台車の方が幅がありますものね!
by 利きゅう (2012-08-10 00:23) 

Cedar

■なにわ様
デコ幕の間延び具合が、ヨーロピアンに見えて好もしいのです。サイドとのアンバランスはアメリカンでもあるって具合です。
■利きゅう様
もともとは蒸気軽便だったのを、電化の時に改軌したようで、貨車はナロー時代の車体そのまま使ってるんじゃないでしょうか?
栗原電鉄の凸ELと同じですね。

★ひもブレーキ様
★シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-08-10 08:39) 

Cedar

またまたSo-netご乱心!プロフィールアイコンが読者の方(プント様の画像からhamamuraの画像へ、そろそろまた変わるのかな?)のものに勝手にすり替わっています。更新しても戻らず!

なんだなんだ!いいかげんにしろ!
by Cedar (2012-08-10 17:35) 

COLE

味わい深い街並み、いいですねえ
by COLE (2012-08-11 10:02) 

Cedar

■COLE様
こういう町並み=生活の文化ですね=を残すことが出来ない日本の近代化って、如何なものか?と思います。
★サットン様
★arail206様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-08-11 14:39) 

Cedar

★あおたけ様
★湘南ライナー様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2012-08-11 17:12) 

Cedar

★nd502様
★iga様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-08-12 08:06) 

nd502

未舗装の併用軌道といい、よろずやといい涙ものです。
by nd502 (2012-08-12 08:07) 

Cedar

■nd502様
路面電車は暮らしの近くを走るので、時代の変化が顕著に写ります。
今や未舗装の道自体が珍しいし、よろず屋という言葉は死語でしょう。
by Cedar (2012-08-12 10:26) 

Cedar

★ひでほ様
★とーる様
★Reirei様
nice!ありがとうございます



by Cedar (2012-08-12 18:27) 

やまびこ3

小学校入学前に福島に住んでいましたのでかすかに覚えている
福島交通の電車が懐かしいです。こんなにいろいろな形の電車がはしていたとは気が付きませんでした。ありがとうございました。
by やまびこ3 (2012-08-14 09:24) 

Cedar

■やまびこ3様
幼い頃の記憶にこの電車があるとは羨ましいです。
私は一期一会で終わってしまい、今でも残念な電車のひとつです。
近代化前のヨーロピアン田舎電車に共通する雰囲気を感じていたりします。
by Cedar (2012-08-14 12:37) 

anjou

はじめまして、写真を拝見しました。
お願いがあり書き込みました。
私には中学生の子供がいます。夏休みの自由研究で、昔の写真で現在を探すという自由研究をやりたいとおもっています。
申し訳ありませんがHPの写真をお借りしたく書き込みしました。
よろしくお願いします。


by anjou (2012-08-18 11:14) 

COCO

初めまして。私は福島市在住で、この福島交通飯坂東線が廃止になったのは小学校5年生の時でした。
伊達に祖父母の家があり、訪問の際には両親はバス、私は一人で大好きな電車に乗ることが多かったのです。長岡分岐点で下車し、保原方面の線路に沿って右折し、(3)の道を歩き、(10)のサンヨーの看板のある家へ。実はこれが祖父母の家なのです!息が止まりそうでした。
今は家もなく、周囲はすっかり様子が変わりましたが、この辺りから国道4号をオーバークロスして伊達橋へ至る軌道敷の様子は十分に面影が残っています。
小学生ゆえ、写真撮影など考えもしなかったため、今になって写真を拝見し、懐かしんでおります。ありがとうございました。
by COCO (2012-08-18 22:50) 

Cedar

■ COCO様
>(10)のサンヨーの看板のある家へ。実はこれが祖父母の家なのです!息が止まりそうでした。
→こちらこそ、びっくりです!長岡分岐点から国道4号のオーバークロスの辺りは撮影で線路沿いを歩いた記憶が残っています。お爺様お婆様のお宅の前は神社でしたね~境内からも鳥居越しに電車を撮りました。
コメント戴きましてありがとうございました。
若干写真の重複はありますが、他にもブログの記事があります、お時間あるとき覗いていただきますよう~
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-09-02
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-09-03-1
(他にも4つほど載せています)
by Cedar (2012-08-19 21:32) 

triguraf

ああ~、こんなに鮮明な飯坂東線のカラー写真が拝めるなんて・・・。

しかも、コメントを読ませていただいてるうちに、私も(10)のお写真の場所がわかります・・・。
こんなにも町とは変わってしまうものなんですね。

それにしても(2)の写真、勇ましいっ!
悲鳴のようなモーター音が私にも聞こえる気が・・・・。
by triguraf (2012-09-07 22:52) 

Cedar

■triguraf 様
ご訪問とコメント、ありがとうございます。
楽しんでいただけましたか?
今撮影した場所を訪ねても、どこがどこやら判らないでしょうね?
(2)の場所での電車は本当にワイルドだぜ~な感じでした。馬面電車というよりじゃじゃ馬電車?
by Cedar (2012-09-08 01:16) 

ももんがあ

はっぴいえんどの「夏なんです」そのもののような風景ですね。
郷愁を誘います。
飯坂東線に乗ったことがあるのは、親に連れられ最後の花電車の時だった記憶があります。

by ももんがあ (2014-01-25 18:24) 

Cedar

■ももんがあ様
ご訪問とコメ、ありがとうございます。
>はっぴいえんどの「夏なんです」そのもののような風景
そうなんです、東北の夏はあの曲にぴったりでした!
飯坂東線廃止の頃は地元にお住まいだったのでしょうか?

天然色の夏~ってタイトルもはっぴいえんどを気取ってるんです。

こちらもご覧下さい
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2012-08-29
by Cedar (2014-01-26 00:03) 

ぷい

私は昭和42年9月生まれでして、自分の人生を振り返るような懐かしい気持ちで拝見させていただきました。高校通学に列車を利用していたのですが、当時の国鉄飯田線は旧型国電の墓場のような状態でして、今となっては貴重な”吊り掛け式モーター”の音を聴きながら通学したものです。鉄道の変革は時代を映し出す、生き証人のようなものだと感じております。
by ぷい (2016-07-15 09:09) 

Cedar

■ぷい様
古記事にコメントありがとうございます。
飯田線は昭和40年代末に訪問しました。
拙ブログに記事があります。
by Cedar (2016-07-15 12:59) 

フミ君

S22年生まれの僕でも川崎ではこんなのどかな路面電車は見た事ありませんでした。
福島には中学2年の夏に知人の家、喜多方に上野より準急にのり会津若松乗り換えで8時間位掛けて言った思い出が有ります、
喜多方・・・・のどかな町でした、背あぶり山?などの思い出が脳裏に有ります。
by フミ君 (2021-07-17 14:51) 

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