琴電昭和42年(その1=京急木造車の面影) [昔鉄スナップ]
私が初めて四国の地を踏んだのは、昭和42年のことで。父と弟と3人で関西私鉄めぐりをしたときでした。京急ファン、古典台車ファンだった父は日程の中に「ことでん」詣でも組み込みました。
関東からは遠く離れた琴電と京急はなぜか縁が深いのです。同じ1435㎜軌間は関西にはたくさんあるのになんとも不思議です。
大阪南港(例の英語教師殺人犯が捕まったところですね~関係ないか?)から高松まで一晩の汽船移動という今では考えられないルートでの四国入りでした。早朝に高松港に着き、近所の旅館で朝風呂+朝食(こういうサービスがあったのも時代ですね)のあとは、琴電の始発駅高松築港駅へ・・・
(1)いきなり出迎えてくれたのが、当時の京急ファンには有名だったこの電車~大正生まれの木造車京浜デ41→クハ120を譲り受け車体更新した90形。同形の電動車は10形を名乗っていました。
当時は琴平線が1500v志度線・長尾線が600v 、元京急120は志度線の主力として活躍していました。電車がいる線は600v、右の線は1500vの単線並列というわけですね~今は複線として使われているのはいうまでもありません。
父親が上廻りの撮影もそこそこにカメラを向けたのがこちら、京浜電鉄時代からのオリジナル台車、ACFテーラーです。ブリルMCBやボールドウィンほどメジャーではないアメリカ製の台車です。
このあとは志度線に乗って移動、何しろ今と違ってお立ち台通信などあるわけも無く、また景色に固執しないCedarシニア(父)ですから、屋島駅(だと思うのですが記憶あいまいです)で10形をカラー撮影していました。この時代の琴電は今の保存車の色が標準だったのですね。
(3)車体全体はこんなです。クラシックのような近代的なような中途半端な感じです。
琴電の当時の更新のやり方は、「使えるところはとことん使う」という感じで、この電車でも屋根をそっくりそのまま使っていますのでオデコの雨どいのカーブがオリジナルのままで残っています~もともと広くなった部分には方向幕がありました。側面窓廻りの感じも木造車の雰囲気が残っています。
(4)京浜間を2連でポールを振りたてて走っていた頃の面影が残っていたのか、父はいたく感激してましたが、ガキ2人はシレーとしてたのはもちろんです。露出アンダーでよく見えませんが電動車の台車はテーラーではなく弓形イコライザーのボールドウィンタイプのようです。京急から来たときにすでにクハだったわけですから、電動台車は他社から流用でしょうね。(2)の写真のテーラーは制御車の90形にのみ使われていたようです。
当然オリジナルの姿もご覧に入れるつもりでしたが、さすがに京急120の画像は我が家には無く、あるのはこの旅の後で、琴電10を気に入った某鉄ガキが模型化を企てたものの、結局京急クハ120に変じた模型画像・・・・
(5)しかし模型もひどいが写真もひどい~(笑恥)
これではオリジナルのイメージがつかめませんので、われらの大先輩の撮られたクハ120の画像を掲載しました(吉村光男著「京浜急行 昭和の記憶」から転載)。琴電で受け継がれたオデコのカーブが印象的です、テーラー台車もはっきりと写っていますね。
当時の琴電には、他にも色々面白い電車が走ったり残ったりしていましたが、それはまた後ほど・・。
今回はこんなところで失礼します。
琴電高松築港の高架化事業は結局中止、
http://www.pref.kagawa.lg.jp/toshikei/kotodenrenritu/
JR高松駅は今や「さぬき(高松)うどん」駅なのだそうで。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120329/trd12032918280010-n1.htm
高松駅周辺も随分変わりましたねぇ。
by gop (2012-05-26 20:42)
10形90形は運転台の狭さから運転士さんには不評だったそうですね。
また、レトロ電車乗りに行きたいなーとお写真を拝見していて思いました。
明日27日は京急ファミリーフェスタです。京浜デ41は残っていませんが湘南デ1とともに京浜デ51を見ることが出来る貴重な機会ですよ。
by 利きゅう (2012-05-26 23:39)
素敵な写真、ありがとうございます。
そういえば、琴電と京急は縁があるようですね。
昭和40年代前半ですと、四国へ渡るのに、瀬戸内航路を利用される方も多く、かなり一般的な方法だったようです。
by のり (2012-05-27 09:50)
■gop様
ことでんを巡る環境は相変わらず厳しいんですね。
うどん県キャンペーンは貢献するのかしら。
■利きゅう様
実際に乗った時も、運転台の窮屈さは印象にのこりました。背中部分が嵌りこむようなポールで仕切られ、立って運転していました。
■のり様
瀬戸大橋線が出来た今は瀬戸内航路はどうなっているのでしょう。
南海の和歌山~小松島航路とかもありましたね。
★プント様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-05-27 10:45)
★yutakami様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-05-27 10:50)
高松航路は今も神戸からジャンボフェリーが運航していて低価格に加え夜行便もあることから18切符と組み合わせて利用する人も多いようですよ。
昭和42年、高松航路となると南港ではなく弁天埠頭から出発されたのでは?
by サットン (2012-05-27 11:40)
1979年に解体中の写真を見ると、もっとボロっちいんですけど、この段階ではえらくしっかり見えますね。
戸袋窓をHゴム化するとか、手を入れてる割に、ドア位置を入れ替えてないんですよね。
左側1枚目のドアは実質運転台ということでしょうか。
ま、Cedarさん父子にはインターアーバン感覚でお気に入りでしょうけれど。
天保山か弁天埠頭か、この当時だと、前者は朝潮橋、後者は玉船橋と、少し離れたところまで、市電が残っていたのですが、それが全く出てこないとなると、さあ、DOTCH?
(古いね、どっちの料理ショーかよ)
by なにわ@仕事中 (2012-05-27 12:30)
■サットン様
■なにわ様
大阪からの船がどこから出たか?
お2方に突っ込まれると相変わらずあやふやです。
薄れつつある記憶には、夜の南海なんば駅を見て、近くで寿司やらなにやら買い込んで、埠頭まではバスで行ったような~
スミマセンギブアップです。
by Cedar (2012-05-27 17:16)
Cedarさま
うーーむ、渋すぎる。
この、お寺の本堂のような屋根ラインを持つコヤツの実車が見てみたかった!
タイムマシンが実在するなら、間違えなく撮りに行く一台ですね!!
あっ、でも真っ先に行くのは西鉄でしょうね(爆)500形撮りてーー。
by 狂電関人 (2012-05-27 21:25)
家内の実家は徳島県なんですが、距離的には高松のほうが近い…。かれこれ30年近く通っています、が…79年に解体…というと、最初から琴電に目覚めていたとしても…う~ん、ギリギリ間に合っていませんね。
by maipenrai (2012-05-27 21:51)
京浜デ51はどこにも流れていかなかったんすか?
・・・行ってたら、絶対に話題になってますよね、ここで・・・
琴電の茶色とクリーム色の塗装、クラシカルな電車にピッタリですね。
しかし、比較的近い関西の電車じゃなく、何故京浜の中古車が多いんだろ?
他に京王のとかもありましたっけ? また、名古屋地下鉄とか、名鉄とか、東濃とか、山形だったかな?(やはり和モノの実物は疎いです・・・)
確か、山陽の中古車も流れてたはずですけど、関西系はコレだけかいな?
by Junior (2012-05-28 02:20)
■狂電関人様
この頃の琴電はカルダン車は無く、正に博物館的な面白さでした。
タイムマシン~欲しいなあ。
■maipenrai様
高徳線に沿って志度までの区間はのちに京急230が走っていました。琴電と京急の不思議な関係~理由を知りたくなります。
■Junior様
関西からは阪神がごっそり行ってまっせぇ!
ジェットカー、かの『喫茶店』881
山陽からは木造車が行ってます。
関西私鉄は他社転出が阪神と南海以外少ないですね。
やはり、江戸っ子は『持ってけ、泥棒!』って感じで気前良い?
★nexus6様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-05-28 09:32)
あ、そうでしたね。阪神・・・そうですよ、毎日使ってた電車なのにねぇ・・・・
関西系中古車が全国的に少ないのは標準軌間のが多くて台車毎買ってくれないからでしょうねぇ。
それと、自分のところでトコトン使っちゃってるし。
by Junior (2012-05-28 13:57)
■Junior様
関西の私鉄は物持ちが良いですね。関東も見習ってほしい、と常々思っているのですが。
あと、東の電鉄はお上主導で動く(ワンマン化、ホームドア、規格統一~etc)のに対して関西は各社わが道行ってますもんね。阪神と近鉄の相直の形は関東では有り得ないです。
★ug-tak様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-05-28 23:24)
★シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-05-29 00:53)
★あおたけ様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2012-05-30 20:17)
★ひでほ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-06-14 07:51)