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OSカーってアメリカン? [昔鉄スナップ]

最近ショックな出来事、それはEPSONプリンターのネガスキャンが不調=というよりズバリ不能(!)になってしまったことでして・・・紙焼きやペーパースキャンは出来るのですが・・OSカー03.JPG(1)

仕方ないのでネタ探しに古い紙焼きを漁っていましたら、出てきたのが昭和48年撮影のこの写真。言わずと知れた有名車両ですね。Cedarもこのときが初対面でしたから、勇んで撮影しました(~の割には見事な露出オーバー)。

地方私鉄に過ぎなかった長野電鉄にセンセーショナルに登場した20m4扉車、その名もOfficemen&Students Car~OSカーの2編成目です。

製造は今から46年前の昭和41年11月。(って言うのが今回取り上げた理由であります~う~ん苦しい!ネタ切れがばればれですね~)

撮影場所は、湯田中方面への山之内線と今は無き木島線の分岐駅信州中野駅です。大学の鉄研の新入生歓迎旅行の折でした。

日本で始めて全面FRPで作ったお面。立体的デザインは、まさに「鄙には稀」な顔つきでした。OSカー01.JPG (2)

その<鄙稀>なお面を見て、当時からアメリカかぶれのCedarが真っ先に思い出したのは・・・

(3・4)CTA2000R.JPGCTA=R.JPG              この顔でした・・・CTA(シカゴ交通局)の2000形という電車です。OSカーと同じく(というよりこちらが元祖か?)グラスファイバー製のお面がよく似たイメージでしょう?1960年、名門プルマン社の製造~当時としてはなかなか先進的なデザインです。

cta2420c.jpg(5)こちらは2000の後の系列2200形~大人しい顔つきのこっちの方が更に似てますかね?

信州の山里で電車を見て、シカゴの電車を思う・・いやはやなんとも天邪鬼な鉄小僧Cedarでしたね~こういうところは鉄爺になった今もちっとも変わりません。

(6)アメリカンだぁ、と感じた部分はもうひとつ。OSカー06.JPG              上下2段の方向幕のデザインでした。

(7・8)本場のインタアーバンには、上下2段方向幕が時折見られたものでした。IRR.JPGCAE=R.JPG           

列車種別と行き先を別々に表示する方式は、日本ではあまり多くないですね。

しんてつ.JPG(9)              私の知る限り、ご覧の神鉄とお隣の山陽電鉄だけかな?と。

オデコの2段式方向幕って日本では最初で最後だったのでは・・?そんなことひとつでも、この電車のユニークさと、新造した会社の意気込みが伝わってきますね。OSカー04.JPG(10)

その一方で、意気込み満点に登場した都会的な電車と、ウッディなローカルムードの信州中野駅の佇まいのギャップは、如何ともし難い感じでした。

もちろん長野近郊の複線区間で見れば、そう感じなかったのかも知れませんが、方向幕でお分かりのようにもっともローカルムードの強かった木島線にOSカー、ってのは運用の都合だとはいえ不思議な感じでした。

たたでさえ、当時の電車ファンの間では<あんなローカル私鉄になぜ純然たる通勤形なの?>と相当な話題になったのでした。

OSカー05.JPG(11)最近のJRなら当たり前の風景ですが、昭和48年にはこのローカルムードと都会派電車のシンボル(!)と言える4つの両開き扉はやはり違和感がありましたね。

(12)なんたってこういう電車と一緒に走ってたんですから・・・・長野電鉄73旧型01R.jpg

<OS>の切り抜き文字が輝く意欲作も、輸送量の減少・ワンマン化・冷房化といった時の流れに順応できず、以外に早く廃車の運命を辿ったのは皆さんご承知の通りですね。OSカー02.JPG(13)

・・・・でも今日の結論、あの時代にこの電車をデビューさせるとは・・

長野電鉄は「やっぱりエラかった!」

(それにしても、ネガスキャンをどうしたらいいのか??~ネタに困って11月は始まりました)


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利きゅう

懐かしい!!OSカー0系
今でも通用するデザインだと私は思うのですが・・・

90年代前半、中学・高校の夏休みに毎年長野へ家族旅行に行って1日だけ別行動で長電を乗りまわっていたので0系にも乗りました。
当時も木島線の運用はありましたよ。

非冷房なので全部の窓を開けて、豪快に揺れながら、そして吊皮が網棚に当たって「ガチャコン、ガチャコン」と音を立てながら走っていたのを思い出しました。
by 利きゅう (2012-11-07 00:44) 

Cedar

■利きゅう様
ほんとに、『早過ぎた悲劇のヒロイン』って感じです。
私には、最近の昆虫顔やアニメマスク顏よりも電車らしくて好きです。でもデザインは繰り返しですから、またこういう顔の新車が登場するかも知れません。
木島線の走行シーンも有りますから、スキャナーが直ればご覧にいれられるのですが・・・。

by Cedar (2012-11-07 07:44) 

Cedar

★hanamura様
★あるまーき様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-11-07 07:53) 

サットン

OSカーに顔が似てるな、と思うのが京阪5000系です。
食パン形の輪郭に庇の突き出た屋根部分。場所は違えど上下2段の行先・種別表示。
兄弟みたいに見えてきます。
by サットン (2012-11-07 10:46) 

nexus6

OSカーからCTAへ という流れがサイコーです!!
そのOSさん、須坂駅で雨ざらしながらも結構キレイに保存されていた様な。 これからも大切に保存して欲しいのであります。
by nexus6 (2012-11-07 11:01) 

Cedar

■サットン様
たしかに!ドライな顔つきに庇、OSカーと京阪5000は似ていますね。方向幕も京阪初でしかも2段式でした。確かに兄弟のようですが兄は短命でしたね・・
■nexus6様
いつもの強引な流れをほめていただき恐縮です。
あの電車は当時ホントにびっくりデシタ、確か鉄道ジャーナル創刊号の表紙になっていて、どこの大手私鉄の電車だ?と思ったものです。

★モボ 様
★ひもブレーキ 様
★Reirei様
★シュウチャン様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-11-07 19:09) 

のり

長野電鉄のOSカー、大都市圏に走っていても可笑しくない電車でしたね。実際に見る機会はありませんでしたが、雑誌で見たのをはっきりと記憶しております。前面のFRPも印象に残っていますね。都市圏の鉄道に登場していたなら、きっと量産されていたでしょう。鉄道史に残すべき車両だと思いますがいかがでしょう。
by のり (2012-11-07 21:22) 

Cedar

■のり様
>鉄道史に残すべき車両だと思いますが~
仰る通りだと思います。デザイン、コンセプト、どれも時代の先を行っていましたね=地方都市が元気だったということもあります。
長野電鉄も屋代線廃止でついに1本線のみですから、なんとも寂しいですね。
by Cedar (2012-11-07 21:43) 

nd502

気がつけばオリジナルの車両がほとんどなくなってしまいましたね。
by nd502 (2012-11-07 21:46) 

Cedar

■nd502様
長電に限らず、地方私鉄の自社発注車はほぼ全滅状態です。長電はロマンスカーやNexなど、大胆な買い物が多いですが~。

★やまびこ3様
★フジトモ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-11-07 23:05) 

EF510-230

OSカーの増備として登場したOS10形もワンマン化に対応できなかったためか廃車になってしまいました。まだまだ十分使えるのにもったいないことです。今も須坂駅構内に残されていますが、どうするのでしょうか?
by EF510-230 (2012-11-08 08:59) 

はーさん

この5,6日、長野電鉄で、信州中野、湯田中に所用で行きましたが、須坂駅の中線にあったOSカー、11+61は車庫の休車の電車を置いてあるところに移動していました。ペンキも剥げ、みすぼらしい姿になっておりました。小布施駅の「ながでん電車のひろば」には2000形D編成「りんご色」が収まっておりました。今までここに居た600形、旧1000形などは何処にいったのか?車掌に聞きましたが、旧屋代線に行ったということ以外は知らない!とのことでした。友人が屋代線のどこかの駅にきれいに修復された姿で居たのを見たとのこと!2000形A編成とともに保存する博物館を作り、保存するといううわさを聞いたことがありますが、本当でしょうか?
尚、長野電鉄は富山地鉄本線と共に、100km/hで特急を運転していたこともあり、単なるローカル私鉄ではなく地方私鉄の雄であると思います。
昭和32年に登場した2000形が良くしられていますが、東急青蛙2500形導入までは全て自社発注車でした。長野近辺の通勤輸送の需要もあり
その混雑緩和のためにOSカーを作ったようです。最近、東急8500形のような4扉20m車、3連を入れたのも通勤輸送対策でした。しかし、最近、乗客が減っており、厳しいようですが、それでも長野~信州中野の普通電車は昼間でも全て6500形で運行しておりました。旧日比谷線3000の3500形は朝、ラッシュ時にだけ走る予備車的な存在になってしまったようです。
by はーさん (2012-11-08 17:15) 

Cedar

■EF510-230様
利用者減少のなか、車両の保存まで手が回らない、というところでしょうか。
■はーさん様
上のようなコメントのあと、貴コメントに博物館のお話しが~
。かって須坂にも展示施設が有りましたがより本格的な物が出来るのでしょうか?
by Cedar (2012-11-08 19:06) 

なにわ

OSカーは20m車ってのが、運用を追われた理由なんでしょうね。
2000系も赤がえる2500系も元営団3000系も、みな18m車でしたから。

在来車は屋代線のどこかの駅の跡に、ごそっと持っていったと、数カ月前に聞いたことがありますが。
先月、小諸に行ったときは、屋代の駅は昔のままだったですが。

え、何しろ長野に2泊しながら長野電鉄に見向きもせず、新津の資料館に言ってたぐらいの国鉄電車屋ですから。

by なにわ (2012-11-09 17:40) 

Cedar

■なにわ様
>OSカーは20m車ってのが、運用を追われた理由
そうですね、やはり早すぎたってことですね。いまや東急8500が主力ですから。
新津資料館というのがあるのですね、そんなことも知らないJR音痴であります。
by Cedar (2012-11-09 20:15) 

狂電関人

Cedarさま

こうして拝見すると、本当に長電は一地方鉄道というよりは偉大な
私鉄ですね。
木島線、屋代線と支線を持っていて・・・。
私の場合は、2000系の晩年に足繁く通いましたがもっと早くOSカーの
現役時代を見てみたかったです。
by 狂電関人 (2012-11-09 21:43) 

Cedar

■狂電関人様
かつての長電は、国鉄急行の乗り入れやレベルの高い自社発注車など、富山地鉄と並ぶセミ大手私鉄というイメージでした。私は全部で3回しか撮影には行ってませんが、沿線の明るいイメージが印象に残っています。
by Cedar (2012-11-10 06:09) 

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