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昭和60年7月、名鉄廃止線区の記臆(その2、八百津支線訪問) [昔鉄スナップ]

 1回お休みしましたが、昭和60年の7月の名鉄です。

前々回の美濃町線・岐阜市内線の後、名鉄の最末端区間のひとつ、八百津支線を訪れました。

いつもなら、大好きなモ510に会いに揖斐線方面に向かうのですが、このときはある理由でこちらへ・・・新岐阜から各務ヶ原線で犬山を経由して、八百津線の分岐駅である広見線明智まで、乗り継ぎ2回でたっぷり1時間半くらいかかりました(遠い!)。新岐阜02R.jpg (1)新岐阜の各務ヶ原線ホームは美濃町線のホームと並んでいます。当時はパノラマカーから吊り掛け車まで新旧入り乱れて走っていたのは、名鉄の魅力でしたね。戦前の優秀車3600もまだ健在でした。

名鉄5500明智R.jpg(2)新広見から明智までは今はなき5500にお世話になりました。関東私鉄ならばロマンスカー扱いされる冷房転換クロス車が、単線のローカル線で普通に走っている~これも名鉄ならではです。

さて、何でこんな末端区間まで足を伸ばしたか?

やがて、その答え=お目当ての車両が姿を見せました。前年(昭和59年)に投入された、LEカー=近代形レールバスのキハ10です。当時から経営的に厳しかった八百津線の合理化のため、大手電鉄にあえて投入された気動車です。ついにそこまでやるか!と話題になった車両でした。

名鉄キハ10明智R.jpg (3)明智駅に進入してくるキハ10は2連でした。レールバス、ってくらいだから単行専用だろうと思ったら連結運転可能だったのはさすがです。前サボの示すごとく、八百津支線だけでなく電化区間のまま残った御嵩方面にも使われていました。右にまっすぐ伸びているのが、広見線御嵩方面です。



キハ10形に関するwikipediaの記事を引用しますと 

1984年(昭和59年)、八百津線において富士重工業製レールバスの試作車『LE-CarII』(同線で試験運転実施)をベースに、電化設備撤去と同時※に3両がまず製造投入された。レールバスは過去にも日本国有鉄道(国鉄)・南部縦貫鉄道などで採用されていたが、八百津線で導入されたそれは現在の第三セクター鉄道などで使用されている車両に通ずる物であり、それが全国に先駆けて投入された路線であったため、八百津線は「近代型レールバスの発祥地」とも呼ばれている。


ということで電車から気動車への合理化>という施策に興味を引かれて、行ってみたわけです。

2両だったのは分割され、1両は御嶽行きとなり、もう1両が八百津線を往復するようです。明智01R.jpg (4)広見線3600の犬山行きの接続を受けて発車です。

八百津コラージュ2R.jpg (5・6)明智駅を出てカーブしていくところで架線がいったん切れていました。電化→非電化ってウソじゃなかった!と確認。でもこの頃は、架線柱も架線も撤去されておらず、古びた鉄柱が累々と続いていたのが不思議でした。

「名古屋から観光特急なんかも走ったこともあるから、電化復活を考えているのか」と思いましたが結局それは無かった・・・

本線(といっても広見線も末端のローカル線ですが・・)から分岐して約20分、終点八百津に到着しました。途中の区間は、上画像のようにちょっとした山越えなどもありますが、八百津終点はのどかな平地が広がっていました。

(7・8)八百津駅の情景です。駅前には接続の名鉄バスが停まっています。明智駅にも見られた独特の形の架線ビームと架線は、ここにも残っていました。八百津03R.jpg八百津01R.jpg 地元の子供も、新しいけど様子が違うデンシャ(普通の人にとっては、ECもDCも、みんなデンシャです)に興味深々でした。

(9)運転台まわりを撮ってみました。この部分に限らず、バスの部品が各所に使われているのは当然のことですね。八百津02R.jpg 

というわけで、LEカーとの対面を終え独特の乗り心地~2軸単車+エアサスというのは初めてでした~を楽しみつつ明智に戻ったのでした。

当時の名鉄は鉄道網の維持のための様々な施策を展開していましたが、電化線にDC=それもレールバス投入は、積極策とはいえない感じがして、乗りながらも将来に一抹の不安を感じたものです。その後レールバス(とその改良後継車)が三河線の末端区間にも導入されたものの、これらの区間は全て廃止されたのはご存知の通りです・・・・

(ついでに言えば、電化区間のディーゼル化は、玉野市営や羽後交通雄勝線、栗原電鉄の例もありますが、いずれも永続きしませんでした。近江鉄道のようにLEカー併用から電車に戻した例も・・・)

(10)戦後の優秀車3900系(=当時の名鉄には、ホントにいい電車がたくさんいましたねえ~)とLEカーのツーショット新広見(現、新可児)にはLEカー専用検修設備が新設されていました。ここまでは営業運転もしていたようですね。新広見01R.jpg このツーショットで気がつきましたが、電車の形式はモ・クなのに、気動車はキハでした。~「キ」だと除雪車みたいだからでしょうか?

八百津線は、揖斐線の黒野以遠や谷汲線と同時に2001(平成1)年廃止、LEカーとその後継車たちは流れ流れて今や南国ミャンマーで走っているそうです。

以上、2回にわたって、名鉄の消えた線区の昭和60年の画像を見ていただきました。

新可児~御嵩間も、廃止の噂があるようなのが気にかかります・・


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猫ムササビ

 バスボディメーカーの大手、富士重工が鉄道車輌を作った–で記憶に残るキハ10をcedar氏が追っかけていたとは知りませんでした。電化区間のディーゼル化を「なんていうことを!」と苦々しく思っての行動だったんですね。生粋の電車ファンのほとばしる熱情を感じさせていただきました。
by 猫ムササビ (2011-07-12 00:50) 

manamana

ローカル線をばさばさ切り捨てる直前は、
今にして思えば、レールバスや、岐阜市内線の新車など、
最後の輝きでした。
旧型電車もまだまだ活躍していましたね。
by manamana (2011-07-12 06:30) 

教祖

6000系が好きで良く乗りに行ってます。
新幹線で行く場合、新羽島から竹鼻線で入るパターンと、名古屋から入るパターンと半々ですかね・・・

名鉄は90年代前半までは旧型車が随分残ってましたね。
その頃までは支線は短尺レール天国だったんですが、一気に交換されてしまいました。

いつからか駅施設が少しずつ新しくなり、軌道も重軌道化、インバータ車両の導入、近年では中部国際空港開港を機に製造された2000、2200系や瀬戸線4000系、本線系の3300系など急速にレベルが関西の私鉄に近づいてきたように思います。

私的には旧型車も残り、6000系の増備が終わった80年代中盤の名鉄が一番魅力があったのですが。
by 教祖 (2011-07-12 13:51) 

なにわ

支線に入った電車が折り返して本線の急行運用に入っていくのが名鉄の魅力でした。
この5500も折り返して犬山で増結して常滑や内海へ行くのかもしれません。

レールバス、結局10年ぐらいしか使えなかったのではないでしょうか。乗り心地と混雑時の問題は最後まで解消できませんでした。
富士重工の鉄道車両というのは客車中心に結構あったのですよ。24系25型とかね。
by なにわ (2011-07-12 18:19) 

Cedar

■猫ムササビ様
そんな情熱ってなもんではなく、前から名鉄の支線にいってみようと思ったら、DC化されたところがあるというので行ってみたわけです。
でもこの頃は名鉄がいちばんバラエティに富んでいた頃ですね。
■manamana様
この頃の名鉄は面白かったです。名古屋を中心にネットワークの隅々まで直通列車が走り、吊り掛けカルダン入り乱れ、HLにAL、なまずにイモムシ、パノラマDX、しばらくしたら東急のお古までやってきました。
■教祖様
6000系はこの頃勢力を増しつつありました。通勤形でもクロスシートは名鉄ならではと思いましたが今はロングシートが増えましたね。お面のバリエーションも面白いですね。
今の名鉄は確かに車両レベルは上がったのでしょうが、オリジナリティが薄れていますね。
■なにわ様
広域運用とクロスシートの多さが名鉄らしくて興味深かったです。
キハ10は大形ボギー車にとって代わられ、栗原電鉄の非電化化に使われたのでしたかしら?
by Cedar (2011-07-12 21:45) 

Cedar

★シュウチャン様
★manamana様
nice!ありがとうございます



by Cedar (2011-07-12 21:46) 

利きゅう

私も1994年、当時高校1年生でしたが当時まだ残っていた岐阜地区の600V線区の電車に乗ってみたくて父親に頼んで連れて行ってもらいました。
揖斐線、岐阜市内線乗車の後、各務原線経由で犬山橋をパノラマカーで渡って犬山へ、そして広見線を明智まで乗車し、明智で八百津線のキハ10も見たのですが、乗車はしませんでした・・・。返す返すも惜しいことをしました。
キハ10は三河線の山線区間で乗車しましたが、この時が2軸車初体験でかなり揺れたのは今でも覚えています。
by 利きゅう (2011-07-12 23:56) 

Cedar

■利きゅう様
貴兄なら岐阜はお気に召したでしょうね~。
広見線は途中にトンネルなどもあって、名鉄の中でも面白い線で、この当時は3400(イモムシ)や850(なまず)が走ると思えば5500や休日にはパノラマカーまでが入線したりしていました。
キハ10は結局使いこなせず~というよりローカル線経営に熱意が無くなったので消えていったのでしょうね。
by Cedar (2011-07-13 00:27) 

nd502

私も八百津線でキハ10に乗り、二軸車の乗り心地を堪能しま
した。
連結貫通仕様になっているところが微笑ましかったですね。
キハという呼称は8000系新造時に一等車のキロ8100の存在が
あったからかもしれません。
by nd502 (2011-07-13 00:27) 

Cedar

★nd502様
★しまりす様
★schnitzer様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-07-13 00:28) 

Cedar

■nd502様
キハ10の貫通路は乗客のためというより非常口だった?でもあの顔を初めてみたときは(写真3の時です)思わずニヤリでした。
~なるほど!8000は国鉄乗り入れでグリーン車もありましたよね、それで気動車はキハになったのか~納得です。
by Cedar (2011-07-13 00:35) 

む〜さん

昭和60年・・・・まだ現役だったなあ、私!もう25年も昔の話になっているんすね。
懐かしい名鉄の電車たち、見せてくださって有難う御座居ました。キハもついに見ることも無く消えて行ってしまいました。
最後の画像で思い出すのは3850です。あれは高校2年だったかな、昭和29年の春、初めて乗った名鉄、その電車が3850でした。大窓の対向式座席、吊り掛けの高速運転、感動しました。豊橋~国府でした。(何故か写真なし)
by む〜さん (2011-07-13 05:21) 

nexus6

これまたブサカワイイお顔のレールバスがいたんですねぇ
S60年 サラリイマン一年生となり、生活パターンが一転。 趣味の世界に手を出す様なキモチの余裕が無くなったり、そうかと思えば鉄以外の事柄に興味が沸いたりして、鉄分空白の時期でした...
今になってそれらの反動が来ている様です (^^)ゞ
by nexus6 (2011-07-13 07:35) 

京葉帝都

この形式のレールバスは天井が低くて名鉄独特のタイプでした。吉良吉田から碧南までレールバス2連の列車に乗車したことがありました。車社会なのでワンマンカーに乗り馴れていない乗客もいました。またくりでんの若柳駅にも留置されていました。新可児〜御嵩は沿線には住宅地もそこそこあるのに追い詰められているとは。



by 京葉帝都 (2011-07-13 11:06) 

maipenrai

 ああ、やっぱり車高はだいぶ低かったんですね。(8)の写真の少女たちと比べて、えらい天井の低いクルマだなぁ、と思いました。レールバスといえば大昔、「初代」木原線で使われていたキハ01が、解体される現場を目撃したことがあります(@馬橋)。やっぱり屋根に頭がつっかえそうな車体だったと記憶しています。
 ところでミャンマーの鉄道は陸橋のクリアランスが低くて、日本から行ったキハ58なんかは幕板の高さを詰めてシャコタン化して使っているようですね。
by maipenrai (2011-07-13 20:40) 

のり

名鉄の旧型車、懐かしく拝見させていただきました。
昭和55年、私は仕事の都合にて一宮に住んでおりました。
ほぼ毎週日曜日に名鉄三昧の生活でした。パノラマカーを中心に乗り回しておりましたが、旧型電車も大変魅力的でした。
八百津・御嵩や三河線も乗りました。帰阪後、これらの線区は体質改善でレールバスに変わり、それもいつの間にか姿を消してゆきました。懐かしい想い出です。
by のり (2011-07-13 21:04) 

Cedar

■む~さん様
名鉄って、昔は線路は貧弱なのに高速運転してましたね。昭和40年代でも30kgレールが沢山残っていて、その線路をパノラマカーが疾走していました。東京の私鉄とはまったく違っていてびっくりしたものです。
■nexus6様
実は私も昭和60年代になると、鉄道だけのために旅に出ることはなくなりました。貴兄と同じで様々な環境の変化が~最大の変化は結婚ですね・・・
アラカンともなって鉄分が増大しているというわけですな。
■京葉帝都様
名鉄の気動車はキハ10のほか、キハ30というボギー車に三河線の海線(現在廃止)で一度だけ乗りました。これらの車両はすべて消え去ったばかりか、線路までも消えてしまいました。
長引く不況、少子化・・・ローカル線の環境はますますきびしいですね。
■maipenrai様
レールバスは結局乗り心地の悪さが嫌われる原因でしょう、あの車高の低さは混雑時には息が詰まりそうです。
ミャンマーの、DD51を半分にちょん切りシャコタン化したDL~すごいですね。いまちょうど<世界の車窓から>でミャンマーをやってますね。行ってみたい国のひとつであります。
■のり様
貴兄の名鉄のお写真も何度か拝見しました。昭和55年から60年は名鉄の車種がいちばん豊富だった頃ですね。
by Cedar (2011-07-13 23:36) 

Cedar

★あおたけ様
★UZ様
★denta60様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-07-13 23:38) 

hmd

Cedarさん、こんばんは。お久しぶりです。
梅雨も開け、蒸し暑い日が続きますね。
名鉄のキハ10、自分は見ることが出来なかったので、現役の頃の生写真を見るのは初めてです (^_^) 富士重工製のレールバス好きですので、とても興味深いです。
余談ですが、今春に近江鉄道の日野駅に訪問致しました。
かつてのDC用車庫と給油機だけが、寂しく残っておりました。
p.s. 当方ブログも今年5月に移転致しました。
by hmd (2011-07-14 00:39) 

Cedar

■hmd様
こちらそご無沙汰です。
レールバスは結局のところ、鉄道の活性化といいながら最後を看取る役割を持たされてしまっていますね。
これからはバスとの両用とか、ハイブリッドなものとして生き残るかも知れませんね。
最後になりますが、今後もよろしく御願いいたします。
by Cedar (2011-07-14 11:48) 

Junior

名鉄って私鉄の中で一番廃止路線が多い鉄道じゃないですかね?
戦後だけで廃止路線は20位あるのでは?
路線図がないと、原住民以外はどこを走ってた路線なのかサッパリわかりませんねぇ。
by Junior (2011-07-14 12:47) 

Cedar

■Junior様
あっはは、確かにそうですね。短い盲腸線も入れたら、廃止区間はかなりの数になりそうです。
で、八百津支線の場所ですが、犬山から東北方向に伸びる広見線の奥に位置した支線です、正式線名に支線とつくほどの末端線区でした。
検修庫のあった新広見は国鉄太多線との接続駅です~とこんなもんでいいでしょうか(笑)?
by Cedar (2011-07-14 21:48) 

Cedar

★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2011-07-16 10:26) 

ヒラタツ

名鉄八百津線のレールバス懐かしいですね。広見線沿線民なんでお馴染みですがキハ10の鉄橋通過音が「ドドン・ドドン」でなく「ドン・ドン」…今も忘れられませんよww
岐阜まで通ってた学生時代800/3300/3400/3800/3850/7300系などAL車がまだ残ってて低く唸るモーター音を堪能してましたww今思うと贅沢かな。
2001年に廃線の噂を聞きビデオカメラを回しましたが既にキハ30になってましたよ…ただ路盤が弱いままで結構揺れましたね。キハ10だったらもっと凄かったかな!?とも思うくらい。
過去の記憶を蘇らせた当BLOGに感謝です。ではでは。
by ヒラタツ (2021-12-06 09:15) 

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