2002年・ある日、ある終着駅(その1) [海外出張+空き時間鉄]
・・・・正解は・・・・
(3)政情不安が続くタイ・バンコクのファランポーン駅です。新聞記事の地図のように、商業地区が反政府組織に占拠されているバンコク中心街の端に位置しています。
見ていただく画像はまだ平和だった(?)2002年、仕事で行った合間での撮影です。
(4)ホームの一部もドームに覆われています。ヨーロッパの終着駅とみまがう光景ですね。
違うのは線路の幅(タイ国鉄はメーターゲージです)と、熱く湿った空気、そして様々なものが混じった<アジアのにおい>です・・・。
(5)ドーム部分には主に長距離列車が発着していました。チェンマイからの夜行特急列車が到着します。左に停車しているのは、マレーシア・バタワース始発の国際連絡特急列車です。
(6)タイの長距離列車は懐かしい客車が主体、15~6両の長編成です。ステンレス車+新旧塗装の鋼製車が凸凹に繋がっているのが嬉しいですね。手前から2両目の車体の反りが凄い!
人経費の安かったタイではホームに作業員と思しき人がやたらに多い(↓↑)のが印象的でした。でも何をする人なのかはよく分からない(笑)・・
(7)(5)に写っているDLがここにも。タイ国鉄最強最大の機関車だそうです。軸配置C-C、全長は20mを超えているとか。一見2車体に見えますね、
(8)長距離列車は夜行主体のタイでは、午前中が到着列車のゴールデンタイム。当時の最新型DLに引かれた東北部の街ノーンカイからの列車。ラオス国境の街から一晩かけてやってきました。
私が行った数年前に、機関車が車止めを突き破ってドーム下のコンコースに突っ込むという、アクション映画まがいの事故もあったとか・・・
(9)かつて、飛行機や長距離バスに対抗して国鉄が投入した英国製のDC特急「スプリンター」です。いかにもイギリス風のスタイルなので、この駅がヨーロッパに見えてしまいますね。(写真に空気やにおいは写らない=笑)
残念なことに、客車列車より大幅に時間は縮めたものの、車内設備が長距離夜行用に不向きで、あえなく敗退。現在は中距離列車に使われています。
なにしろタイの長距離バスの車内の豪華さはハンパじゃないですから・・・・きれいなお姉さんまで乗ってますしね。
(10)それでも中距離用にスプリンターの後継車がデビューしていました。こちらは韓国DAEWOO製。デザインは英国製に比べると平凡ですね。日本風といいましょうか?
(11)(12)ドームの無い部分のホームは中距離、短距離用が主体です。午前~昼間はこちらが賑わっております
(11)昼間の列車を増発すれば確実に利用者はあるのに・・・と思えるのですが、踏切が市内の交通渋滞の原因とされていて増発などとんでもない、というムードだそうです。
(12)日本では消滅してしまった長距離鈍行が当時は健在でした。その発着ホームの情景。発時刻の掲示にご注目を、なんとものんびりとホームを占拠していますね。右の列車には発車3時間前から乗客の姿が・・
と、いうわけで、2002年ある日のバンコク・ファランポーン駅の情景でした(続く)
のんびりとしたあの街で、政治の騒ぎ・・・うそのように思えてしまいます。タイも変わりつつある、という事でしょうか?
2005年3月12日 ソウル駆け鉄 [海外出張+空き時間鉄]
2005年の3月、初めて韓国ソウルへ出張したときの思い出です。
海外出張+空き時間鉄
5年前の本日、3月12日は、午前中で仕事がキャンセルになり暇が出来ました!→駆け鉄だあ、とホテルを飛び出し、近くの堂山駅から地下鉄2号線に乗りました。
この日のコースは(●●は画像がある場所です)
堂山→(地下鉄2号線)→新道林→(KORAIL京仁電鉄線)→ソウル駅~(徒歩)~南大門・南大門市場
明洞→(地下鉄4号線)→東大門→(地下鉄1号線)→回基→清涼里→(KORAIL京元電鉄線)→龍山
と慌しく、駆け鉄そのものでしたが、巨大都市ソウルと、網の目のような鉄道網の片鱗を味わいました。
まずは堂山駅のホームで電車とご対面、ソウルの環状線地下鉄2号線は堂山駅のそばで漢江を渡ります。
当時の電車は2種類、嵐電(?)のような顔と、小田急9000のような顔の2種類が走っておりました。上の写真でお判りのように右側通行です。
2号線とKORAILの接続駅の新道林で、列車線を行くセマウル号ほかを撮影。何故かKTXは撮ってないのです。
地下鉄1号線へ直通する京仁電鉄線に乗ってソウル駅で下車し、新しくなった駅舎や旧駅舎を見学。
そのまま街歩きをしつつ、南大門方面へ、この美しい姿が消えてしまったとは・・・
庶民のエネルギー溢れる南大門市場をうろつき、食堂でランチ。どんなに時間が無くても街歩きは欠かしません。出前は頭の上に乗せて(↑)たり、ぼうせきを売って(↓)たりと、やはり面白いです。
そのあとは、渋谷みたいな明洞から、地下鉄を乗り継ぎ、東のターミナル清涼里に向かいました。ひとまず地下鉄1号線からKORAILに直通ひと駅目の回基で下車。
当時最新型だった、通称「トングリ」=韓国語で丸型、日本にありそうで無い顔つきです→東急7000に似ているような気もします・・。回基駅にて。
そして、ソウルの新宿(中央線の始発駅です)清涼里駅です、EL、DL、貨物列車、客車列車と、ソウル駅よりこちらの方が面白い様な気がしました。構内の作りもどこか懐かしくていいです。
フレンチスタイルのゲンコツ電機、アメリカンな大型DL、欧州標準のハイテク電機、次々出会うとやはり興奮。地下鉄や京釜線と違って、構内の架線もヨーロッパ式ですね。
このあとは、ここから龍山行きの京元電鉄線で戻り、仲間と合流しました。仕事仲間の韓国人が「どこに行った?」と聞くので、「清涼里」と言ったら、ニヤニヤされました。詳細は省きますが、そういうところが駅のそばにあるらしいです。
5年前の本日=2005年3月12日のお話でした。
1983年3月、海外初出張NY=PCCに会いたくて(その2) [海外出張+空き時間鉄]
海外出張+空き時間鉄
実は全然知らなかったのですが、黒人暴動もあった治安の悪い街だったのでした。Penn Station地下のトロリーの乗り場は薄暗く、満足に写真も撮れません。
とにかく憧れのPCCに乗ってみたものの、地下区間から地上に出ても線路の周りは金網に囲まれ、荒んだ感じの住宅地が車窓を過ぎていきます。結局終点のFrankrin Ave.に着いてしまいました。
(1)電車はバスや通勤鉄道と同じNew Jersey Transitの運営で一般にはCity Subwayと呼ばれていました。地下線と専用軌道だけで、期待していた併用軌道は無しでした。
・・・・ま、あったとしても、この沿線での撮影はとても無理でしたね。
(2)とは言え、初めてのPCCカーです。大分古びてはいましたが、やはり胸がときめきましたね。やっと会えた!という感じでした。
(3)日本でもモドキはたくさん出たものの、本物のディティールをまじまじと見るのは初めてです。静かな乗り心地と加速はさすがで、これが1940年代の設計というのは、改めて驚きでした。
(4)そんなことをしているうちに、電車は急カーブを曲がって元来た方へ走り去っていきました。お判りのようにここはループ線になっており、PCCのドアも片方にしかありません。架線とポールがアメリカントロリーらしくて、ちょっぴり嬉しくなりました。
(5)駅前にポツンと停車するバスの方向幕にはHAPPY HOLIDAYの文字が・・・周囲には人影も無く、あまりハッピーな雰囲気ではありませんね。
(6)まもなく次の電車が到着です。運転間隔は結構頻繁ですがお客は少ないのは<ハッピー>ホリデイだからでしょうか。
この電車に乗って、すぐさま引き返しました。フィルムの時間でお判りのように滞在時間15分!
なのに途中の地下駅で下車し、Newarkの街中でフィルムを買ったのですが、繁華街は賑わっておりました。歩いている人が全て黒人だったのは少しビックリしましたけれど・・・別に危ないことは無かったですね。
以上で初の海外出張&胸ドキドキ(?)のPCCカーとの初対面の巻を終わりといたします。
(追記)この電車は現在は起点終点両方が延長され、車輌もLRVの新車となっているようです。
1983年3月、海外初出張NY=PCCに会いたくて(その1) [海外出張+空き時間鉄]
3月9日は私にとって記念すべき日です。1983年のこの日が、初めての海外出張でNew Yorkに到着した日でした!
初めての海外出張+空き時間鉄
2週間程の仕事の合間に、少しでも鉄道を見ようと思っていましたが、英語も満足でなく、当時のNYの治安の悪さもあって、はじめはおっかなびっくり、ちょこっと地下鉄に乗るくらいでした。
(1)泊まっていたホテルの近くの地下鉄57丁目駅で見た空港連絡列車JFKエキスプレス、NY版エアポート快特といったところでしょうか?エキストラチャージを取るので名物の落書きは無かったですね。
(2)何しろ当時は、こんな感じが普通ですから~室内灯が消えて真っ暗な車輌はあるし、ホームも小便臭いしで・・「ヤ、ヤバイ」っていう雰囲気でした。ちなみに悲惨な状態のこの電車、かのペンシルヴァニア鉄道GG-1や煙草のピースの箱のデザイナー、レイモンド・ローウィーのデザインですが、コレでは可哀想です。
(3)落書きを消すための「白塗り」その上から落書きが・・
ちょうど滞在中に連休がありまして、仕事も休み。
少しはNYにも慣れた(???)所でやはり電車!と、思い立ったのがNYからいちばん近くを走るPCCカーを訪ねることでした。
トロリーファンとしましては、アメリカに来たからにはPCC詣で、です。
目的地Newarkはハドソン川の向こうのNJ州にあるので、PATHトレインに乗り、向かいました。
(4)PATHトレインの拠点駅であるNJ州のJournal Squareで乗り換えついでに少し撮影。岩がむき出しの切り通しの中にある駅です。ここの電車は昔よく雑誌等で見ていたので初めて会った気がしませんでした。アメリカが電車でも先端を行っていた時代の製品ですね。(5)ペンシルヴァニア鉄道の線路を利用しているらしく。第三軌条と架線が入り乱れているところもあって興味深かったです。。
(6)アメリカまで行っても、こういうのは見逃せません。後ろに写っている牽引車は旅客用のお下がりであるのも、日本と同じですね。
(7)駅に接して検車区もありました。そんな場所なのでもう少し撮影しようと思いましたが、治安の良くない感じなので、そそくさと移動することにしました。
いよいよ、憧れのPCCとの初対面を果たすため、Newarkへ・・・今日は此処までといたします。
2010-02-21 2007年の上海「無軌電車(ウーグイ・ディエンチャー)」 [海外出張+空き時間鉄]
世界的な不況のなか、一人元気な中国、なかでも今年の万博開催で盛り上がる上海には、仕事で何度か行きました。
新シリーズ、題して
海外出張+空き時間鉄
今回のネタは、3年前に見たり乗ったりした、上海の「無軌電車(ウーグイ・ディエンチャー)」です。トロリーバスのことであるのは、ご想像の通りであります。
日本ではほぼ全滅したトロリーバスですが、中国では幾つかの街で健在です。ただし上海では普通のバスに代替される傾向らしいです、その一方で充電式のトロリーバスが新たに開業した、というNEWSもありますね。
何はともあれ、3年前の上海の街と無軌電車です・・・今年は万博だし、街並みも変わってるんだろうなあ。
(画像1)まずは有名な外灘(ワイタン)の景色です、ホテルが徒歩10分のところだったので朝の散歩のついでに・・・・今はもっともっとビルが増えてると思います。
(画像2)朝霧に包まれて外灘に向かって歩いていくと・・・
(画像3)この道にもトロリーバスが走っていました。画面右側の架線にご注目です。(どうせなら車輌を撮るべきですね・・・スイマセン。)
(画像4)上海には、戦前から路面電車とともにトロリーバスが走っていたようで、現在のネットワークも戦前からの中心エリアに限られているようです。ご存知のように、外国の窓口だった上海には、レトロな西洋建築が多く残っていて、他の中国の町とは少し趣が違います。そんな町とトロリーバスは何故かよく似合っていました。以下、スライドショー的に
(画像5)戦前からのメインストリート福州路のアールデコ様式高層ビルと無軌電車
(画像6)アールデコ様式の元劇場と無軌電車。左側のレンガつくりの建物は元倉庫で。撮影時は高級ブランドショップが入ったショッピングモールでした。
(画像7)旧フランス租界エリアはマロニエ並木が整備され、お洒落な感じですが、街はどんどん再開発が進んでいます。そんなところにも・・
(画像8)アメリカの都会で良く見かけるシアターアールデコ建築、このCathay Theatre(国泰電影院)は現役でした。この右手の並木道にも無軌電車が走っています。
上海でも、静かで乗リ心地の良い無軌電車は、市民の人気も高いようです。
しかし街の広がりが急速すぎて、道路さえ有れば走れる普通のバスに較べ、架線などのインフラ整備に手間と金がかかるし、地下鉄もどんどん建設しているし・・・というわけで将来は余り明るくないようでした。
皆様も上海に行かれる事があったら、是非、独特の乗り心地や、街に響く「ぴゅーん」という架線の鳴る音、などを体験していただけたらと思います。
では今回はこれで、再見!