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続・ピクアーカイブ京急号に寄せて(川崎60's) [昔鉄写真]

京急アーカイブスにどっぷりのCedar、小学生の頃初詣が川崎大師だったので、1960年代初めの京急がたまらなく懐かしいです。003BF62C-E527-4DCD-A502-BD758A644E3B.jpeg(1)表紙からして、まさにそのころ、地平時代の川崎ですから!旧駅舎や架線鉄柱が懐かしいっす!

掲載された写真から、いろいろ思い出が広がって〜。C560BC24-6C3C-4186-B2C9-FCE6BBACCEDD.jpeg(2)このタイトルにも痺れちゃって、この記事もこんな気分でいきます。

本に掲載されてる写真も、なぜか京浜川崎が目につきます(思い込み)。7BE72D30-CBB9-43B4-A192-3F5A375E1BC8.jpeg(3)6709D173-F2D7-4A04-B63E-7BDDFDEF33AE.jpeg(4)こちらは同じ場所を大師線車内から撮ったものです。品川寄りに車庫があり、本線用の230+140編成が休んでました。

鉄ガキCedarは初詣で京急に乗れるのが楽しみで、当時買ってもらったばかりのフジペットを持って、京浜川崎や品川で撮ってました。畏れ多くもそんな写真と本に掲載された写真と並べて当時をしのびます。クオリティの違いには目をつぶって見てください。まずは京浜川崎駅の電車たち、252C9113-3A20-493A-93A1-8011C3AA00A3.jpeg(5)当時の最新鋭貫通1000形ですね。

こちらは高松吉太郎大先輩のホーム写真。F31A32CC-00EE-44B5-BD01-2B886C358872.jpeg(6)本線ホームの乗客越しに大師線電車を捕えたアングルが素晴らしい。F27743E8-351B-484B-B45F-A80DF6465E51.jpeg(7)Cedar写真は非貫通1000形なのがウリ(爆)右の大師線ホームの230には「急行」のサボ、当時正月の名物列車、品川〜川崎大師直通「だるま急行」です。D3425FC8-F9AE-41E7-B2C9-CE6C3D24ADF7.jpeg(8・9)掲載写真もCedarのも、品川での撮影。B176AFFC-F84D-475E-BCBE-737EB23DFCB2.jpegだるまの前サボ付けた230が中間に140を挟んで、ゴミゴミした地平区間をかっ飛ぶのは、Cedarが京急好きになった大きな理由です。なぜ産業道路行きなのか?というのが長年の謎でしたが、最近ある方に聞いたところでは、川崎大師には折り返し設備がなく、産業道路↓で折り返してたから、らしいです。AAF8EB42-1010-4111-B393-07D15859717E.jpeg(10)

140と言えば、正月とは別の機会に230とのMTで走る姿を川崎大師駅で撮影してます。4A1A56D9-F12A-491B-BA6E-8E144A5694E2.jpeg(11・12)4704DF74-1D8E-4C73-8FCC-C2CB776F534B.jpegポールで仕切られただけの運転台、運転士は立っています。BCFAD152-089A-4D4E-B45D-8AD357EA72FD.jpeg(13)雑誌には運転台の様子がバッチリ。そうそう、こんなだったなぁ!

お次は横浜寄りの市電並行区間の掲載写真からの思い出〜

857959EB-4868-44A4-8CF6-34C62E343426.jpeg(14)

Cedar写真は、700形特急の後ろに見えてるデパート「さいか屋」の上から撮った川崎駅前風景と

DA036184-54E6-404B-B617-0623B4236CBB.jpeg(15)国鉄川崎駅前を横断してたここが地平なのは、当時からのネックで、程なく高架化工事が始まったんじゃないかと思います。

京浜川崎駅前にあった市電のりば、左奥にさいか屋が見えてます。13F7C1B6-DE29-447C-9641-0815A63B7E9B.jpeg(16)すぐ目の前の大師線と繋げて循環線にするという夢は叶わぬまま、ひっそりと消えていきましたね。

このころは近代化直前で、戦前の京浜電車の面影が残っていました。

そのひとつ、京浜蒲田の穴森線へのクロスも大好きでしたね。E866869C-E611-407C-B63D-7B75D029F95A.jpeg(17)D238FA9C-FFED-4D64-8767-DF02AD346835.jpeg(18)こちらは雑誌の写真。

とかとか〜

京急60'sの思い出ぼろぼろこぼれましたー。

3AF1FC66-F483-4127-89C7-91772C5D6092.jpegではまた。

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モハメイドペーパー

 写真の場所や車両、すべて記憶がありますが写真は撮っていません。先頭に出ているクハ140形は穴守線で乗りました。フジペットは確かシャッタースピードが1/125秒だから、走りものは辛いですね。
by モハメイドペーパー (2019-10-23 09:45) 

渡り線

(3)の画像の中の中央部に移っている本線同士を繋いでいる線路の現在は、現在の六郷橋梁上に有る、超有名な渡線になりました。下り線から別れている大師線連絡線は坂の上り下り線に進化しました。
by 渡り線 (2019-10-23 10:38) 

Cedar

▪︎モハメイドペーパー様
クハ140のブリル台車の乗り心地が好きでした。だるま急行の高速走行もふわふわと快適で、わざわざ140を選んだこともあります。普段は230のかぶりつきシートでしたが。

by Cedar (2019-10-23 10:45) 

Cedar

▪︎渡り線様
川崎が高架化されたあとも、だるま急行はしばらく運行されましたね。高架化された翌年の正月、坂の連絡線をだるま急行で通過して大興奮したのを覚えています。
by Cedar (2019-10-23 10:52) 

京葉帝都

京急はいかにも当時からキビキビした走りだったのが伝わってきます。旧型車の個性が光っていますね。(10)は地方私鉄の風情。
子どもの頃の初詣は、電車でハシゴだったので、よく覚えています。
(八幡町(+ケーブル)、伏見稲荷、三・四・七条)
by 京葉帝都 (2019-10-23 12:48) 

Cedar

▪︎京葉帝都様
この本に取り上げられた50〜60という時代が京急が一番面白かったですね。吊り掛けカルダン入り乱れての爆走には嵌りました。地下鉄直通で個性が薄らぎましたね。
by Cedar (2019-10-23 16:32) 

ひでほ

中学生のとき、大師線の230型はよくいきました。毎週品川から本線でおわかれ運転があったような。あとガキのころ川崎大師、毎年お参りにいきました。むしろ東急東横線の3K型のほうが鮮明です。田園都市線や目蒲線とかと違い東横線3K系は輝いていました。じじいになったものです。
by ひでほ (2019-10-23 22:00) 

Cedar

▪︎ひでほ様
じじいが鉄ガキだったころに出逢った電車は鮮明ですね。
そのころは東横線は地理的に全く縁が無く、乗った記憶も無しです。

★nice!いただいた皆様
ありがとうございます
by Cedar (2019-10-23 22:34) 

Chitetsu

ここで登場するお写真は、自分的に未知な世界のものばかりで、こんな時代の京急の姿、ブリル台車の電車の中から見てみたかったです。
川崎も蒲田も全く別物になってしまっていますね、他の私鉄も同じでしょうが。
by Chitetsu (2019-10-24 09:49) 

シグ鉄

11の写真。
3線から狭軌線が味の素に突っ込んで行くところ、懐かしいですね。
by シグ鉄 (2019-10-24 10:03) 

Cedar

▪︎Chitetsu様
小学生の鉄ガキが、230のかぶりつきシートや140のふわふわブリル台車で、100km近いスピードでごみごみギリギリの都内区間を行くのが、今に至る京急好きの原点だと思います。インタアーバン好きになったのも、京急好きからのスピンオフ?

▪︎シグ鉄様
立派な架線鉄柱の下に3線区間があったりして、初詣に行くのはこの線路眺めるのが目的、大師駅から本堂までの参道の大混雑は大嫌いで、東門前駅から行ったこともあります。

by Cedar (2019-10-24 12:18) 

Cedar

★taharas様
沢山のnice!ありがとうございます
by Cedar (2019-10-26 21:37) 

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