神田高架下徘徊 [街景色・人・モノ]
大正8年、甲武鉄道のターミナルだった万世橋から神田の街を抜けて、東京駅に繋いだ高架線。
(2・3)アーチの意匠などは、明治42年開通の有楽町付近(※)と同じく、ベルリン市内の高架線をモデルにしたといい、当時、東京の都市景観を造る大工事だった。
(※参考写真)高松吉太郎著「日本の電車」より
(2・3)アーチの意匠などは、明治42年開通の有楽町付近(※)と同じく、ベルリン市内の高架線をモデルにしたといい、当時、東京の都市景観を造る大工事だった。
(※参考写真)高松吉太郎著「日本の電車」より
(4・5)(6)開通当初から電化区間だったここは、架線柱と煉瓦のマッチングが電車屋Cedarを引きつける。(7)煉瓦壁に沿って地面から建つ架線鉄柱。昔のものではないだろうが、東京らしい鉄風景だと思う。
(8・9)建設当時からの幹線道路を跨ぐガード下。クラシックな鉄骨脚、曲線混じりの構成美にも惹かれる。
(10・11)
(8・9)建設当時からの幹線道路を跨ぐガード下。クラシックな鉄骨脚、曲線混じりの構成美にも惹かれる。
(10・11)
長くこの近くに(駅は燐駅だったが)勤務していて、アフターアワーにはたびたび徘徊したものだ。
(12)いつも利用していた地下鉄銀座線からの通路もキレイになったが、昭和6年開通時の天井の低さは昔のまま〜。
(13・14)
その頃ガード下に広がっていた飲食+αなラビリンス(!)は、ここでもどんどん消えているようで、もっともらしい建築探偵気分はどこへやら、ついつい思い出探しになってしまう。
(15)このあたり、ガード下奥にあったおでん屋とか、スタンドバーとか、怪しいゲーセンとか・・・(手前の看板は関係ありません)
(12)いつも利用していた地下鉄銀座線からの通路もキレイになったが、昭和6年開通時の天井の低さは昔のまま〜。
(13・14)
その頃ガード下に広がっていた飲食+αなラビリンス(!)は、ここでもどんどん消えているようで、もっともらしい建築探偵気分はどこへやら、ついつい思い出探しになってしまう。
(15)このあたり、ガード下奥にあったおでん屋とか、スタンドバーとか、怪しいゲーセンとか・・・(手前の看板は関係ありません)
(15・16)ここの右側にあった、ピンク映画館とか。みんな消えて久しい・・・・
(17)新幹線と上野東京ラインの2重高架下は。ずいぶん違う雰囲気になっていた。
(18)辛うじて残ったのはこの一角だが、チェーン店に変わってる店もチラホラ。「ガード下の風情」もいまやデベロッパーの金儲けの種になってるらしい。
(19)
(17)新幹線と上野東京ラインの2重高架下は。ずいぶん違う雰囲気になっていた。
(18)辛うじて残ったのはこの一角だが、チェーン店に変わってる店もチラホラ。「ガード下の風情」もいまやデベロッパーの金儲けの種になってるらしい。
(19)
そんなことを考えているうち、次の約束の時間がやってきたのだった。
(20)(21)オリンピックに沸き返り、街壊しが加速してる日本の首都のど真ん中に、明治・大正の遺構が延々と横たわり、現役のインフラとして機能している〜それもまた、東京に相応しい風景だと思うのだが。
(22)
(22)
ではまた。
2018-12-06 00:17
nice!(24)
コメント(19)
日本橋事業所時代利用していました。人が少ないと思ったら土曜夕方だからですね。おっしゃるとおり新幹線ができて様変わり。かわってないようでかわっています。
by ひでほ (2018-12-06 07:38)
◼︎ひでほ様
新幹線に続いて、お得意(爆)の耐震工事にかこつけて、個人営業を追い出し、後に息のかかった業者系を入れるという、お馴染みの手口が繰り広げられていますね。
★鉄腕原子様
★@ミック様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-12-06 07:50)
参考写真、いったいどこを撮ったものか長考に沈みました。
川は神田川、日本橋川ではありえない位置、山手線際に外堀が残っていた時代ということでしょうか。
by シグ鉄 (2018-12-06 10:04)
参考写真の川は数寄屋橋の下を流れていた川で、今の高速道路になっている所ではないかな。子供の頃、東京駅の八重洲口を出たら橋があったような記憶があります。
ガード下の映画館、確かアカデミー劇場だったはず。学生の頃何度か入ったことがあります。
by モハメイドペーパー (2018-12-06 10:29)
◼︎シグ鉄様
無駄な時間使わせてすみません。
モハメイド師の推察通りです。今の日比谷シャンテ辺りから新橋方向を見ています。画面左外が数寄屋橋。
まだ東京駅開業前、山手線が呉服橋〜上野間運転の頃だそうです。
◼︎モハメイドペーパー様
はい、神田アカデミーです。入口がカーテンのミニミニシアター。
飯田橋につい最近まであったくらら劇場、鍛冶橋座、新橋文化と、ピンク映画が各駅にありましたね。
by Cedar (2018-12-06 10:50)
煉瓦の高架橋と鋼材の構造物の組み合わせは何度見ても良いですね。
お仕事ではこの高架橋を作ったりしました。
ベルリン行った時はそれが範になったと知らずに、よく似ているとおもって眺めていました。
by Chitetsu (2018-12-06 12:15)
もしや、オオカミ少年プロジェクト、ついに・・・?
ぐっときちゃった
by どM (2018-12-06 12:19)
◼︎Chitetsu様
煉瓦造の鉄道施設もどんどん消えてますが、これはさすがに無くならないでしょうね。廃線になることはないだろうしー。
◼︎どM様
深い謎コメ、ありがとうございます
★myossy様
★xmla_xsl様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-12-06 12:33)
★やまびこ3様
★sonic様
★ワンモア様
★hanamura様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-12-06 19:40)
ご無沙汰です!
あの辺りの手すりも古いものだったと聞いて見に行った覚えがあります。手前味噌ながら...https://mameusagi.blog.so-net.ne.jp/2015-12-20
by まめうさ (2018-12-06 21:27)
■まめうさ様
ご紹介いただいた高架の手すり、お作りになった形はCedarも好きでした、最初に意識したのは渋谷の銀座線と、秋葉原~浅草橋間にあの形がありましたね。残念ながら今は見られないかも?
★(。・_・。)2k様
★nd502様
★フジトモ様
★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-12-06 22:16)
神田は本社が近くなので会議後の拷問・・・・・いやいや、反省会に毎度お邪魔してます。
神戸在住時は21:23ののぞみに乗ると言うのが口実で逃げ出せましたが、高松=泊まり(=実家帰り)なのでこのあたりにしょっちゅう連行されてます 涙。
有楽町も神田もレンガのアーチがきれいなんですけどね。そういうの残す文化にならないですかねぇ。
by undo (2018-12-06 23:24)
■undo様
神田はやはりサラリーマンの街ですね~反省会のメッカ?
どこかでニアミスしてたりして(爆)!
煉瓦アーチも耐震補強&ガード下リニューアル(という口実でJREの利権独占)で様変わりしていますね~文化より金儲け。
★keizzo様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-12-06 23:32)
★soramoyou様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-12-07 08:08)
この界隈の映画館には気が付きませんでしたが、神田は男性の街のイメージがあります。
煉瓦アーチと鉄骨橋脚は、この駅で降りた時には観察しています。
新橋~万世橋西側の高架線は、構造は同じでも場所によってデザインの違いがあるのも興味深いです。万世橋方には、アーチ間の上部に、
メダリオン(medallion)と呼ばれる円形の意匠が嵌め込まれています。
映画「小さな恋のメロディ」のラストシーンでは、鉄道廃墟の背景にロンドンの煉瓦高架線がありました。
by 京葉帝都 (2018-12-07 11:45)
■京葉帝都様
都心を貫く煉瓦高架線、明治42年から大正8年まで延長を繰り返してるのがデザインの違いの理由だと思います。有楽町方面のアーチには橋脚部に小アーチみたいな凝った造りが見られるし、メダリオンも見られますね。
★はじドラ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-12-07 12:14)
★ぷっぷく様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-12-08 01:06)
相変わらず雑多な雰囲気を出してますね。
何処となく梅田の食道街を想起させてますね。
by UZ (2018-12-09 02:29)
◼︎UZ様
梅田食道街のような楽しい場所は、東京にはほぼ絶滅しましたね。
神田も昔はあんな場所があったのですが〜
by Cedar (2018-12-09 10:39)