ヴィ「ネガ」~救済報告(昭和45年3月5日・6日) [昔の今日のスナップ]
大学0年生の春休みの九州鉄旅行ネガスキャン報告は続きます。
47年前の昨日5日(1↑)と今日6日(2↓)のお写真を~
5日の朝を迎えたのは、なんと唐津城内地区の老舗(なんだろうなあ)割烹旅館でした。
(画像はイメージです)
東京発を含め夜行3連泊の貧乏旅がなんでまた、そんなところに・・・
もちろんコネでんがな!コネ!!
どういうコネだったかは、コネの持ち主がコメくれるでしょうから割愛します。
しかし旅の垢まみれのガキ4名が転がり込んで、老舗旅館もさぞ迷惑だったでしょうねえ。
イワキ鯨川君から教えてもらったスケジュール
3.5 唐津 筑豊本線/新飯塚~鯰田
ってことで、始まりは唐津線唐津駅から~
今は筑肥線の電車も乗り入れる高架駅も、当時はこんな佇まいでした。(3)
(4)
下は10年位前に九州出張時撮影のほぼ同じアングル~背後にも家が増えましたねえ。
やってくるのもこんな列車~
鋳鉄製の跨線橋足がいい感じ・・・なんてその時は気がついてない。
(5)(6)
機関車は大正生まれの9600=国鉄SLで最後まで残ったのはこの形式だったんですよね。
唐津線列車で佐賀に向かいましたが、改めて唐津近郊の摩訶不思議な線路配置が印象に残りました。筑肥線との接続駅山本あたりの両線が複線のように並走や、忽然と現れる立体交差など・・・
この日だけ、妙にネガが少ないんです
(7)
佐賀駅のショット(↑)の後は~いきなり筑豊本線なんですから・・
鉄旅にカメラを持たない宮崎俊三氏に感化された?=そのころはCedarは宮脇さんを知りませんでした。
私鉄旅のときと同様に国鉄は撮らないと決めた?=ならばこの旅に参加すんじゃねえ!
そういえば「しばしムード派に徹します」などどアホなことを口走ったかも・・?
で、その筑豊本線、新飯塚駅の外れです。
なんだかまとまりの無い画ですねえ。やる気の無さすら感じます。
(8・9)
このオカマさんがC55だってのは動輪がスポークなんでわかる、ってこともこの旅で知りましたね。
こちらのほうがマシかも・・・
鉄写真は後追いは×らしいですが、今も昔も全然OKのCedarですが何か・・
(10)
もっと好きなのはこれです、筑豊炭田のシンボルボタ山も写ってますね。
(11)九州を主な舞台にした映画「ラドン」の冒頭、ラドンの餌の巨大ヤゴがボタ山に登るシーンを思い出しました。
ラドンももちろん、そのころ人気急上昇中だった「青春の門」の舞台として、筑豊という場所が気になっていました。
(12・13)
ああ、この方の画集も好きだった・・・主題の鉄写真が少ないので、ちょっと場つなぎでスミマセン。
だったらそういう雰囲気感じる写真撮れや!
ごもっともでございますぅウウウウ。
なんとこの日のネガはここまででした!!
ひょっとしたら、午後からOB→筑鉄か北九州線に行ったのかも?
あくる3月6日の記憶は一転結構鮮明です。
北九州から日豊夜行で早朝に宮崎着、目指したのは駅の横にあった宮崎機関区でした。
(14)
機関区への道が宮崎名物「椎茸めし」の会社脇を入っていくので、椎茸を煮る匂いが道に強烈に漂ってました。
(15=画像は最近のもの。ちなみにそのころ椎茸苦手だった!=今は大好きです)
どんな写真撮ったかは忘れていても、この匂いは忘れませんでした。
以下は機関区でのショット、ドシロートのヘタな解説は抜きでご覧くださいまし。
(16~19)普通は右のC56フルショット撮りますよねえ~
なのについつい「機関区風景写真」に走ってしまうCedarでした。
(20~22)
機関区から駅への通路、アーチがいいなあ。
椎茸のにおい漂う宮崎から移動したのは田野でした。
駅からしばし歩いたここ(↓)では正しい鉄写真を撮ったぞ!
(23・24)
~と、自分で思ってますが駄目ですか?
(25~27)ね、正しいでしょ?
(28)単線の地方幹線とはいえ、結構な密度で列車が来ましたね。
当時の九州のクイーン、キハ82の「にちりん」
(29)滞在中に何度か見かけましたが、にちりんはいつも空いていました。
~そこで誰言うとも無く出たキャッチコピーは・・・
「にちりん乗ってしちりん焚こう」
(30)よ、よくわからないですねえ。
この日出てきたのは田野犬ってのもありましたが、オリジンはもはや忘れました。
そんな馬鹿鉄Cedarも、寝台特急「富士」のお通り はきちんと撮りました。
(31)切り通しの向こうから独特のノイズともにDF50登場!
はるばる東京からやってきた8両の20系を牽く姿には、電車やCedarもちょっと痺れました。
(32)
こういう列車が全く走らない(走らせない)鉄道ってどうなの?って・・・これは画像見ての思いです。
国鉄(JR各社)ってやはり国内くまなくネットワークが繋がって、人やモノが移動できるのが価値だったのに~ってのは今や少数意見かな?
(33・34)
なんて正しいSL鉄写真やってるうちに日が傾いて・・・
その日は吉都線・小林で泊まりました。
すっかり正しい鉄写真撮りと化したCedar
乗換駅の都城でもしっかり撮ってました。
(35)
ということで、撮れ高アンバランスな2日間でした。
ではまた。
私が初めて九州に行ったのが昭和43年。ほぼ一周して長崎まで足を延ばしましたが、蒸機はほとんどまともに撮っていません。当時、日豊本線と長崎本線には夜行でハネ付きの普通列車があり、どちらも乗りました。
DF50は客車6両くらいでも勾配にかかると、枕木の本数を数えられるくらいの速度でした。
by モハメイドペーパー (2017-03-06 15:52)
11番の写真も新飯塚なのでしょうか?
だとしたら激変ですね。
by シグ鉄 (2017-03-06 17:47)
直方を中心に筑豊を回ったのは、1967年でした。D60、D50、96、等
重量機関車がセキ車を何十両も牽いていたのが思いだされます。
by ぬか屋 (2017-03-06 18:30)
コネ主の私からその顛末を・・・。ちょっと長いですがいいですか。
今はもうありませんが、地元の風呂屋の二階に出来たサテンで知り合った女の子の実家が、その高級割烹旅館だったんですね。九州へ旅すると言ったら、安く泊めてあげるよという訳で、本当に泊まっちゃったんです。確か一泊二食で1500円。飯が終わって広い座敷でゴロゴロしていたら、おかみさん(つまり女の子のお母上)が訪ねて来て、娘は東京でどうなんでしょ、みたいなことを聞かれて、はぁ、そうですね、と適当に相槌打っていた記憶があります。旅館の名前も忘れてしまいましたけれど、その節はお世話になりました。
「田野犬」は撮影場所への道すがら、妙に犬が多かったんでそんな話になったとですよ。確か・・・。
「富士」の正面顔、私のベタにはないぞ。電車屋のくせにちゃっんと撮っていたんですな。あっぱれ!
都城の一枚、いいね。キハの入れ替えを戦後型のC58がやっていたんですな。
by イワキ鯨川 (2017-03-06 18:59)
拝見できてウレシイのですが、コメントは難しい(世代)です。ただただ、口をアングリ開けて、ヨダレを垂らしております。
で、どうでも良いコメントです。「唐津城内地区の老舗割烹旅館」というフレーズは、『ユーリ!!! on ICE』というTVアニメを、こよなく愛する府腐女子が反応します。男子フィギュアスケートが主題なのですがぁ・・・、副題というか下地というか、その方面でヒットした作品で、その、いわゆる聖地巡礼(通俗)なのです。
by hanamura (2017-03-06 19:08)
機関区の写真の煙からは石炭の匂いが充満している様子が伝わってきます。乗り換えで利用した山本駅は当時は線路も多くホームなどに開通時のテイストが残っていたようでした。国鉄末期にはDC特急「おおよど」がありましたが空いていたでしょう。20系の端部の2枚窓とドーム屋根は印象的でしたね。20系が繋がれた西鹿児島発門司港行の夜行急行「かいもん」に乗車したことがありました。
by 京葉帝都 (2017-03-06 19:57)
■モハメイドペーパー様
九州の普通夜行は鹿児島、日豊、長崎・佐世保のほか、鹿児島・肥薩・吉都経由都城往復ってのもあったようで、貧乏鉄の定宿でしたね。ハネには乗ったことはありませんが。
DF50、性能はおいといて模型、実物ともに今でも根強い人気がありますね。
■シグ鉄様
11は新飯塚構内です。今はどんな感じなのかなあ~。
■ぬか屋様
我々の3年前なら、石炭列車も盛況だったでしょう。
九州の運炭列車は2軸車の長編成が印象的でしたが、積み下ろし設備の制約だとか・・
■イワキ鯨川様
顛末話ありがとさんです。風呂屋の2階のサテンってのが時代ですね。
あの旅館に一泊1500円はスゴイや。もうやってないのかな~
田野では正しい鉄活動したってのがスキャン画像見てわかりましたね。
小林の例の旅館の話は次回のイントロにする予定です。
■hanamura様
齢のせいか口あんぐりしても、涎がだんだん少なくなってきています。
唐津もそっち方面の聖地なんですね。
■京葉帝都様
宮崎機関区は煙と椎茸の匂いが充満していました(爆)。
このころの20系は地方幹線で見ると、都からやって来た千両役者という別格感に溢れていました。
★Reirei様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2017-03-06 20:40)
機関庫の風景、良いですね〜。
特にアーチ形門柱、痺れます。
東京からはるばるやって来る列車を見ると、線路が繋がっていることを実感して感動しますね。
by Chitetsu (2017-03-06 20:46)
機関区の風景いいですね〜。私の写真は機関車アップばっかりなので広さが感じられません。おそらくDF50も無視したかと・・・嗚呼
後追い、なんで×なんでしょうね
by 青春M (2017-03-06 21:25)
そうでしたそうでした
必ず、機関区に行ったものです。
最初の記憶って
高1の夏、小樽築港だったと思います。
C62がいた。
by 八犬伝 (2017-03-06 21:47)
椎茸私はいまもNG、老舗旅館とは、さすが、私は育ちわるくて夜行寝とか駅寝、2K以下の土木作業員旅館、ユースホステルでした。
by ひでほ (2017-03-06 22:46)
■Chitetsu様
機関区も国鉄一家の家だったんですね、当時は。
今のほにゃらら車両センターとはまったく違う・・・。
■青春M様
ありがとうございます、どこで何を撮ってもついつい「景色」にしちゃうのは昔からの癖だということがよくわかりますね。
後追い~人生も写真も好きです・・・。
■八犬伝様
小樽築港かあ~行ってないけど聖地でしたね。
今はどこもなんとかフェスタの時しか入れない・・・
■ひでほ様
いえいえ、記事とコメにあるようにコネディスカウント料金でしたから。
夜行が基本ですよ。普通は商人宿。
★ぷっぷく様
★あるまーき様
★arail206様
★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2017-03-06 23:26)
こんばんは〜素敵な写真が満載で、
じっくりと堪能させていただきました(^^)
by ワンモア (2017-03-07 00:31)
■ワンモア様
コメントありがとうございます。
もうしばらくリアルタイムでお付き合いください。
★とーる様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2017-03-07 09:31)
★たかおじー様
★nd502様
★AKI様
★myossy様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2017-03-08 07:13)
築堤を走る列車って絵になりますね。
広々として気持ちいいなあ。
機関区は石炭のニオイが伝わってくるようです。
懐かしいニオイです。
by ナツパパ (2017-03-08 09:45)
■ナツパパ様
築堤の広々さは、アナログ時代のせいで余計なものが線路わきに無いからですかね。この時代の線路の美しさは今では見られません。
機関区の匂いはもちろん・・
by Cedar (2017-03-08 15:17)
現在の唐津駅には3両編成の103系だけでなく303系や白基調の305系も乗り入れてます。ICOKAやSUICA等のICカードも利用できます。
時代の流れを感じますね。
by UZ (2017-03-08 21:09)
Cedarさま
田野の大築堤、良いですねぇ~。
ここは相当歩くってんで辞めて、餅原辺りにした電関人でした。
もはや、被写体はDC82系とDF50ぐらいでしたが・・・。
もう少し早く生まれていれば、宮崎のライパシには逢えたのでしょうけど。
by 狂電関人 (2017-03-08 21:22)
■UZ様
10年ほど前に唐津に行ったときにその変化に感無量でした。逆に言えば福岡の近郊鉄道としての筑肥線の近代化が遅すぎたのですね。
■狂電関人様
若かったからこそ行けたのですね、ライトパシも良かったけどCedarも富士を牽くDF50に痺れたのは記事のとおりです。
by Cedar (2017-03-08 21:35)
安い旅館といえば、43年前に加悦へ友人とバイトで行った時に飛び込みで泊まった旅館が1泊2食で2300円!
その上テーブル一杯に並べられた新鮮な魚介類に驚き満腹になりました。
もうないやろうと、ネットで見ると仕出屋さんでいまだ健在でした。
by 福フチ (2017-03-08 22:07)
■福フチ様
コメントありがとうございます。
地方旅の楽しさは、思いがけない宿に泊まることですね。次回のイントロもそういう話です。
★hideta‐o様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2017-03-08 23:18)
★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2017-03-09 08:33)
★シュウチャン様
★しおつ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2017-03-13 20:08)