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北陸新幹線と吊り掛け電車!

先週末の北陸新幹線開通のバカ騒ぎ(N★Kを含むTVの無節操なはしゃぎ方)にうんざりしてるCedarです。
image.jpg(1)なのにナゼか北陸(富山&金沢)の画像です~Cedarのことですから、新幹線なんて影も形もないお古い時代=吊り掛けの快音(怪音)響かせていた電車たちを集めてみました。
あさでんs5205.jpghokurikuturikake1.JPG
富山港線トリミング01R.jpg
(またもやChitetsuさんと企画かぶり~どう見ても後追い!)

hokurikuturikake3.JPG
北陸新幹線開業記念
富山&金沢の吊り掛け電車たち。
って、なんじゃそりゃ?

まず、地鉄のサバーバン5000形から

昭和48年3月の鉄旅の1日。前の日は笹津の旅館に泊まり(立派な和風旅館に客は私1人、かつては鉱山関係者でにぎわったとか)、国鉄高山線と接続する地鉄笹津駅へ。

(2・3)
笹津 コラージュR.jpg

神通川が富山平野に出てくる場所にある町で、温泉なんかもあったのですね。

笹津駅に到着する電車、5000形は郊外線も路面区間にも乗り入れ可能な設計で、連結も出来るという、日本には珍しいサバーバン形の電車でした〜残念ながらすでに路面区間は走らず、排障器も撤去されていました。s48笹津01R.jpg(4)s48笹津02R.jpg
(5)意外にも笹津線は貨物もやっていました~国鉄から受け継いだ貨物列車が発車待ち。電気機関車は凸形なのに正面に扉があるというユニークな形でした。サバーバンと貨物列車の行き交う風景には痺れました。
この後は南富山まで笹津線に乗リましたが、写真はまったく無しです(何していたのやら・・・)


(6)富山市内線富山駅前の写真が2枚あるきり、そのうちの1枚。笹津線の電車は、以前はここまで路面に乗入れていました。 電車が折り返している渡り線、射水線の電車も使っていたのはChitetsuさんの写真の通りですね。  s48富山01R.jpg 市内線には都電8000を平べったくしたような7000形しかいませんでした。まじめに写真を撮ってないのはそのためでしょうか?


 

続いて、もうひとつのサバーバン射水線です。

(7)始発駅・新富山は神通川の堤防の下。市内からは川向こうの不便な場所でしたが、市内線が接続しています。ちょうど岐阜の名鉄忠節駅のような場所ですね。s48新富山R.jpg 新富山の電車到着風景、笹津線と同じ5000形の2連です。一番右の線路は市内線との連絡線で、かつてはこちらも市内直通運転をしていました。 Cedarの訪問時は市内直通はやってませんでしたが、後に富山駅前まで復活したのはChitetsuさんがキヤッチされてます。昼間も2連で運転されていましたが、朝夕は4連(!)までありました。路面形電車の4連は日本ではここだけでした。

(8・9)昼間のダイヤでの交換駅となっていた四方(よかた)には、車庫もあり、私としては珍しく見学して撮影しました。s48四方07R.jpg
同じ5000形でも、笹津線が自連だったのにこちらは密連でした。こちらのほうがサバーバンらしくて好きです。

デハ5000のディティールもご覧ください。路面区間乗り入れをやめていたのでフェンダーが無く、いささかしまりの無いお顔になっていました。48四方09R.jpg四方コラージュR.jpg (10~12)路面乗降用ステップ、小形密着連結器、ウィングバネの台車など、市内・郊外両用として設計されていました。


射水線の前進、越中電気軌道の引継ぎ車が除雪用になっていました。これはかっこよかった!

デハ7511というからには75馬力のモーターつきだったのでしょうか?スノープロウの代わりにカウキャッチャーをつけたら、アメリカの電車そのもののユニークなデザイン、5000軍団よりもこちらに痺れました~(笑)s48四方02R.jpg
(13) 小柄な車体に深い丸屋根、短いオーバーハング~他に類の無いデザインですね。


同じ旅の別日、残雪の黒部立山と地鉄本線の吊り掛け電車です。

戦後の規格形デハ14750、147馬力モーター装備だから147○○なんですね。扉間は転換クロスシートで、写真のMT編成のほか、時々カルダン車と併結して走っていました。48宇奈月03R.jpg
(14↑=宇奈月温泉・15↓=寺田
寺田04R.jpg
寺田07R.jpg寺田09R.jpg
(16・17)この頃に大量に入線したのは元名鉄3800の一党でした。名鉄独特の前面強化と高運転台化したものも多く混じっていました。ブルーに白帯に塗り替えられたもの(18)もありました。今も昔も富山地鉄は相模鉄道と並んで、塗装がめまぐるしく変わります。こちらはカルダン併結は無くかったようですね。寺田06R.jpg  
形式はデハ14710、カップルはクハ10。電動車のインフレナンバーの由来はモーター出力(147馬力ということ)なのが地鉄式です。

この当時はマルーンの戦前製旧形車も健在でした、これは名鉄モ800に似た感じですね。資料によれば前面がわずかに傾斜してるんだとか…。言われてみればそう見える?寺田10 R.jpg寺田11R.jpg
(19・20) 

こちらは稲荷町、富山市内の一角で、本線と立山線(今は上滝線)の分岐駅で検車区もあり、なかなか複雑な線路配置でした~ここいらはあるまーきさんのブログでお馴染みですネ・・・
(21)本線にはまだ貨物列車も走っていて、今も残っているモダンな凸電が先頭に立っていました。稲荷町02R.jpg

本線と立山線の間にはさまざまな電車が留置されていました。この頃は、吊り掛けカルダン入り乱れて、塗装も色々したが、まだ自社発注車が多かったので、なんとなく一貫性は感じましたね。稲荷町05R.jpg稲荷町06R.jpg
(22・23) 

(24)留置線の傍らにあったホームから出る立山線の各停は稲荷町始発でした。稲荷町01R.jpg  こういう何でも無い顔>が堪らなく懐かしいと思ってしまう今日このごろなのであります。

 


富山には北陸吊り掛け電車中唯一の『国電』もありました。

(25)今は富山ライトレールとなった富山港線。がらんとした岩瀬浜の終点風景です。富山港線01R.jpg

昭和48年当時は、スカイブルーに塗られた73系が交流電化区間の真っ只中に生き残っていました。臨港線の趣もある沿線は貨物輸送も行われていました。下の写真にもタキが写っていますね。富山港線02R.jpg
(26)

私鉄買収線区という歴史的経緯から、直流電車が走っていた富山港線。もともとは<ふがん鉄道>という私鉄でした=富山と岩瀬浜だから富岩鉄道。その後富山地鉄→国鉄に買収という複雑な歴史を持っています。

しかしここほど、いろいろな車両が走った路線は他に無いですね。  私鉄時代の小形車→雑多な旧形国電→交直両用急行形→気動車、 そしてライトレールの超低床車!

(27・28)
富山港線04R.jpg富山港線03R.jpg

昭和48年の印象に残ったこの場所は、40年後には、富山ライトレールの撮影名所でした。

ライトレールの名所R.jpg(29)

ライトレールの写真は、金沢在住の知人から提供してもらいました。こんな写真を送られると、ほくほく線の超快速に乗って春の富山に行ってみたくなりますね・・・

続いて、富山から吊り掛け新幹線でひとっ飛び!終点の金沢です。hokurikuturikake2.JPG

image.jpg

五木寛之の小説に『内灘夫人』という作品がありますが、文学より電車のCedar は内灘と言えば北鉄浅野川線です。

こちらは平成22年の地下駅の改札口。<内灘ゆき電車のりば>と、大書されています。金沢改札.jpg
(30)自動改札でない地下駅には些か違和感・・昔は何でもなかったモノ~改札口~が今や絶滅危惧種なんてことは多いです。

昭和42年と昭和52年の北鉄浅野川線

今から46年前の昭和42年北鉄金沢駅ホームです。今の地下駅とほぼ同じ場所らしいですが、電車は国鉄ガソリンカー払い下げ~改造のTcも使われていました。北鉄金沢.jpg
(31) 

上の電車が内灘に向かって発車していきます。始発駅とは思えない裏町っぽい風景がマニアにはたまりません。

北鉄金沢02.jpg 
(32)出発信号の横の古風な板塀や、電車の向こうの建物(鉄道関係のものでしょうか?)がいい味を出しています。家並みを掻き分けるように、左奥にへろへろと延びるのは、国鉄金沢駅との貨物連絡線とのことです。

線路配置図
北鉄金沢配置.jpg この頃はまだ駅前に市内線があったのかどうか?キチンと調べずに描いてしまいました~すみません。


北鉄金沢02拡大.jpg(33)よく見ると、貨物線の奥に怪しげな車輌が見えています~早速拡大 →→北鉄名物の電車改造の電気機関車です、短い車体に路面電車用のボギー台車を履いたスタイル、ボギーなのに形式がEBだったり(モーターが2個しか付いてないから)する、ゲテモノ車輌でした。

※追加画像。実物の写真が無いので、モデル8の模型の画像でご容赦!

image.jpg

(メーカーHPより)

振り返ると、もう1本の線路にはこんな電車が、雨どいの上まで伸びた貫通幌枠や、Rの大きなHゴムの窓枠が北鉄スタイル※ですね。この駅舎は国鉄金沢駅の駅前広場に面していましたが、屋外看板は裏側ばかり見えているのも面白い。こちらの乗客には広告しないのでしょうか?北鉄金沢03jpg.jpg
(34)

次は上写真の10年後の昭和52年、内灘近くの栗が崎の情景です。

起点の北鉄金沢は昭和42年の父の撮影時と殆ど変わっていませんでしたが。国鉄との貨物授受はすでになくなっていたようです。写真撮ってないのが悔やまれます

今でもこの鉄橋は速度制限があるようですが、当時も限速度は20Km。鉄橋のたもとの粟ヶ崎駅を発車した電車は、そろそろと鉄橋を渡っていきました。あさでんs5202.jpg
(35)当時の木造駅舎は、漁村の駅らしく、潮風に晒された味わいのある建物でした。ホームの石畳もいい感じだったのですが。

河口に近い大野川の水面ギリギリの鉄橋を下から狙ってみました。私にしては真面目にアングルハントしたようですね。船の通過のためか微妙に太鼓橋になっているのがわかります。あさでんs5204.jpg
(36)この3500形は当時の主力でした、加南線で使われていましたが、廃止後移籍してきました。

訪問したときの浅野川線は、そこそこ利用者もあり、とりあえず廃止の話は無かったのですが、まさか起点が地下化されようとは思いませんでした。あさでんs5203.jpg 
(37)現在はこの鉄橋を井の頭線の譲渡車が行き来しているのは、皆様ご存知のとおりです。


そしてこちらはもうひとつの北鉄線、当時は石川総線と呼ばれていました。

(38)昭和52年の始発駅野町
s52野町01.jpg
市内電車が来ていた当時は線路もつながっていて右のホームの線路と反対側がその名残だそうです。些か辺鄙な場所でしたが今はどうなのでしょうね?
image.jpg
(39)こちらは2002年の野町駅です。

s52野町02.jpg(40)
このとき初対面の北鉄電車は『フリーランスの模型みたい』という印象でした。オレンジとクリームの塗装も、Hゴムを多用した車体更新の具合も、1両ごとに異なる手作り感とともに、田舎電車の薫りがいっぱい、中でも左の3711は印象深かった電車です。目いっぱい背伸びした貫通扉と深い屋根のアンバランス、3枚バラバラの大きさ・高さの正面窓などなんともいいですね。

3711の白山下行きに乗って出発!しばらくはごみごみした街中を走ると国鉄と接続する新西金沢の側線に除雪用の機関車が留置されていました。

s52EL02.jpgs5201.jpg
(41・42)2両の機関車はデザインは全く違います、南海のものに似た凸電と、相模鉄道や東武日光軌道線のに似た箱型機関車、個人的には電車みたいに雨どいを巻いた野暮なスタイルの箱型が気に入りました。この電機の台車はあとで調べたら、戦前の電気式気動車に使われていたものだそうです。撮影してる時はただのDT10モドキと思っていました。

石川総線s5205 01.JPG(43)3711のこの顔・・・アンバランスの魅力を見出すか、ブス電と斬って捨てるか?天邪鬼Cedar大好きです。、なんだか外国の旧形電車の雰囲気もあります。すっかり気に入って帰京後模型を作りかけたほどです。

 

ちなみに全体はこんな姿でした。
m_s52E9B6B4E69DA53711[1].jpg(44)

3711が異端児だとしたら、典型的北鉄スタイルは以下に・・・

 こじんまりとした張り上げ屋根の車体、Hゴム化された顔、この塗装も地方私鉄の典型的イメージですね~友人が自分の心象鉄道の電車として北鉄タイプの模型をせっせと作っていましたねえ。

撮影は昭和52年5月、今は亡き加賀一の宮駅です。

加賀一宮5205 01.JPG(45)
電車の手前には貨物ホームと倉庫~線路ははがされて随分経っていそうですし、カーブポイントで分かれた対向ホームは背後の木立に呑み込まれそうですね。

電車が縮小されて自然に還っていく・・・そんな気にさせる駅風景ではあります~事実、そうなったわけです。

加賀一宮駅に行く前には、手取川を見下ろす丘に登って、鶴来の市街地を背景にゆっくりと動いていく電車を撮影~当時はこのあたりは石川線と能美線の並行区間でした。写っている電車は加賀一宮発の野町行きです・・・このころはマメに撮影していたものだと、我ながら感心してしまうものぐさCedarなのであります。

手取川s5205 01.JPG
(46)鶴来の駅を出ると線路は右に急カーブして、新寺井に行く能美線は手取川を鉄橋で渡り、金名線は鶴来の町の外縁をなぞるように左に曲がって加賀一宮・白山下方面に向かいます。加賀一の宮との間に中鶴来という駅がありましたっけ。

この後で、手取川橋梁を渡る電車もキャッチしてました。

ローカル線には不釣合いな立派なトラスに、ちっぽけな電車がやってきました。元名鉄700形をあちこち改造して北鉄風になった3700形です。
金名線同様にこのころは朝夕のみの運行、この鶴来行きで午前の電車はオシマイです。そんな閑散線区でしたから、この撮影の3年後、昭和55年に廃止されました。

手取川s5205 03.JPG(47)金名線が名古屋まで行っていたら、名鉄の電車が日常的に乗り入れたのかも?などと埒の無いことを考えつつ、ゆっくりとやってくる元名鉄車をカメラに収めました。

こちらはその金名線の終点、白山下の構内です。がらんとした構内には、電車と接続する北鉄バスも見えます=塗装が名鉄バスに似ていて、一瞬名古屋からのバス?とは流石に思いませんでした(笑)。ここから名古屋は遥かに遠い山の向こうですから…。

(48)側線1本に片側だけのホーム。路面電車のような架線にか細いレール。それでも昔は貨物もあり、登山客で賑わったこともあるようです。白山下5205 02.JPG白山下5205 01.JPG(49)
停車している電車は、典型的な北鉄タイプ。ステップつきのドア周りが地方私鉄らしいムードを醸し出していますね。Hゴムの正面窓にシールドビームの2個ライトも、今となっては良い味出してるなあ~と感じます。

その後金名線は、途中の鉄橋の橋脚が水害でダメージを受けたことをきっかけに一部区間が営業休止、一度は復活したものの、結局は昭和59年に休止したまま消えて行きました

東急や井の頭線のステンレス車が導入されるはるか以前のことでした。

Cedarの知っている富山と金沢の吊り掛け電車風景~新幹線開通記念(?)に改めてお届けしました。

北陸新幹線にも吊り掛け電車を!〜

image.jpg
(50)吊り掛けだって早く走れます。1961年製のイタリアのコレ、試験では278km出したとか?

ではまた。


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富山地金犬

うわあ!
こちらも一大スペクタクル!
すばらしいお電車、すばらしいお風景、すばらしいお写真の連続に気が狂いそうです!
いまコレが撮れるなら今すぐ北陸植民地新幹線に飛び乗りたい!
ありがとうございます、ありがとうございます
by 富山地金犬 (2015-03-17 06:33) 

Cedar

◼︎富山地金犬様
スペクタクルってか、どこまでもお祭には背を向けてる
わけでして…。
馬鹿テレビはまだ騒いでますね。
by Cedar (2015-03-17 07:29) 

Cedar

★AKI様
★あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2015-03-17 09:31) 

狂電関人

Cedarさま

ご無沙汰してます。
電車の怪しいスタイルもさることながら、ついつい機関車に目が行ってしまう
電関人です(笑)
正面センター扉の凸型機、こいつの実機を見たかったんですがねー!
交友社の電気機関車展望で見ただけです。。。
by 狂電関人 (2015-03-17 12:38) 

富山Chitetsu

堪能致しました!
お腹一杯になりました。
吊り掛け電車時代の北陸私鉄はどれをとっても魅力的でしたね。
自分は笹津線に行かなかったのが悔やまれます。
こんなサバーバーンが今も残っていたら、新幹線に大枚叩いても行きたいものです。
出来れば吊り掛け新幹線で!
by 富山Chitetsu (2015-03-17 14:12) 

Cedar

◼︎狂電関人様
笹津線凸電はユニークでした。私鉄の貨物も秩父、三岐のセメント位になってしまいました。
◼︎富山Chitetsu様
お腹一杯で下痢などしていませんか?
消化不良なネタですから!
地鉄5000形は後に野上でも撮影しましたが、やはりオリジナルがかっこいいです。
台湾の自強号の吊り掛けサウンドが聴きたくなりました。

★sonic様
★シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2015-03-17 18:38) 

かわうそ

 Cedar様
 すばらしい写真の数々、ありがとうございました。
 地鉄、富山港線、北陸鉄道、すごくなつかしいです。
 北鉄の電機もかつて、電動貨車まがいの有象無象がたくさんいましたが、いまやED20ただ1両のみで、寂しいものですね。
北陸鉄道の写真を見ていつも、「浅野川線と石川線を地下でつなげたらどうか?」と思うのですが、だめでしょうかね?
 北鉄金沢から兼六園のあたりを通って野町ででてくるとか。
新幹線も地元の活性化につながるんでしょうけど、これをやると内灘駅方面と鶴木駅方面から金沢市内に直接アクセスできてよいんではないかと。
まぁ、妄想ですが。
 
by かわうそ (2015-03-17 20:55) 

のり

素晴らしい写真の数々、ありがとうございます。
北陸の電車はじつに個性的ですね。
訪問しておきたかったです。

手取川…、という名を聞いてお酒が思い浮かぶのは私だけでしょうか…。
by のり (2015-03-17 21:39) 

Cedar

◼︎かわうそ様
このころの北陸の電車は、大手私鉄並の優秀車から有象無象のゲテモノまで楽しい限りでした。
北鉄2線を繋ぐ新線はイイですね!新幹線開通でポートラムが直通する富山に負けじと〜やるなら今でしょ!
◼︎のり様
北陸は、関西、名古屋、九州と並んで私鉄好きCedarのオキニエリアでした。
手取川〜Cedarもよく呑みますよ!

★やまびこ3様
★ライト様
★ぷっぷく様
★モボ様
nice!ありがとうございます
★nd502様
by Cedar (2015-03-17 22:31) 

伊豆之国

富山地方鉄道の鉄道線に乗ったのは、平成元年の春の連休が最初で最後。初日は魚津から宇奈月温泉へ。そのときに乗った車両は、釣り掛けの147x0型(下2桁の形式は失念)。翌日は黒部峡谷鉄道で終点の欅平まで往復して、再び宇奈月温泉から立山へ、アルペンルートで弥陀ヶ原で2泊目。最終日は室堂、黒四と回って大町に出るコース、既に大都会から消えていた「トロリーバス」なる乗り物に乗ったのもこのときが最初で最後でした。市内線のほうはそれから12年後、富山駅から「反魂丹」の店を見学し、子供の頃は我が家にもよく来ていた、懐かしい「富山の売薬」をいくつか買ってきたのでした。
射水線が悲惨な末路をたどったのは、よく知られているように港湾工事で港の入り口になった箇所が切断され、フェリーで渡るようになったことが大きな原因とされていますが、そのほかにも起点の「新富山」駅の位置が不便であったこと、沿線の中心都市であった新湊が、元々距離的にも近い高岡とのつながりが大きく、富山との結びつきが少なかったことも大きかったようにも思えます。「万葉線」になった高岡側のほうは、必死の生き残り策が奏功しているようですが、路線分断がなくても、射水線はせいぜい数年延命しただけ、という結果になったような気もします。その「新富山」の名は、市内線の電停名として残っていたのですが、北陸新幹線開業の日に「富山トヨペット本社前」という、まるでバス停のような名前に改称されました。
富山市内線に乗った前日に北陸鉄道の石川線に乗ったことは、以前にも書きましたが、既に雑多な旧式車両は姿を消し、元闘Qの7000系一色になっていたので、懐かしい電車に出逢った感慨はあったものの、車両そのものの魅力は消えうせていたのでした。今では終点になっている鶴来駅から西へ向かっていた能美線が北陸線に突き当たる寺井駅があった根上町(現在は同じ沿線の辰口町、寺井駅がなかった寺井町と合併して「能美市」)は、かのゴジラ松井の故郷ですが、その能美市出身で、能美線が消えた8年後に生まれたという競歩の鈴木雄介選手が、地元で行われた大会で驚異的な世界新記録を樹立した、というニュースには、まさにびっくり仰天でした。
by 伊豆之国 (2015-03-17 23:47) 

Cedar

◼︎伊豆之国様
新幹線開業が地元にとってどんな明暗をもたらすのかは、メディアが馬鹿騒ぎしてないで考察すべきですね。
いただいたコメントのリプライになってない!?
by Cedar (2015-03-17 23:58) 

Cedar

★hanamura様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2015-03-18 08:55) 

ひでほ

懐かしい写真のアップありがとうございます。
小生も富山港線旧国撮影のついでに地鉄とかいろいろ行きました。
7511?は赤い車体で、けっこう晩年まで南富山で見かけました。
小生もしびれました。
by ひでほ (2015-03-18 09:25) 

Cedar

◼︎ひでほ様
富山エリアは市電から高速電車、その中間?までバリエーション豊かでしたね。



by Cedar (2015-03-18 13:38) 

Cedar

★skekhtehuac様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2015-03-18 13:41) 

京葉帝都

富山県・石川県の私鉄が踏ん張っていた時代の写真を見ると各線に乗車した当時の記憶が甦ってきました。
富山地鉄の貨物列車は時期からして五百石からやってきたのではないかと思われます。
富山港線沿線の運河は戦前には内陸部にも張り巡らせる計画がありました。蓮町〜犬島新町で渡る住友運河もその名残です。ST金属がやってくる予定でしたが実現せず、社宅予定地が現在は住宅地となり住◯町という地名が残っています。これら運河を跨ぐ鉄橋が可動化していれば、現在なら大変な観光資源になっていたでしょう。
越ノ潟を富山湾に繋いで大型船が入れるようにして工場を誘致するやり方は高度経済成長時代だからやってしまったのでしょう。射水線が分断された部分を船で電車を航送させる発想はなかったのか、と言いたいです。

by 京葉帝都 (2015-03-18 16:10) 

Cedar

■京葉帝都様
富山・石川の私鉄というのはなかなか波乱万丈の歴史を持っていますね。離合集散、富山などは官民入り乱れてのめまぐるしい変遷もお国柄のなせる技だそうで・・・
今はそれが富山ライトレールという新しい形に結実したのはめでたいですが・・
射水線や笹津線も進歩的な部分が生かされなかったのは残念です。
by Cedar (2015-03-18 21:42) 

Cedar

★ネオ・アッキー様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2015-03-20 01:27) 

あるまーき

これは何とも...。
自分は射水線・笹津線には間に合わなかった世代ですので、この記事はとても興奮しながら拝見いたしました。貴重なお写真の数々...、でも、地鉄沿線はいまもあまり変わっていないともわかりました。
車両は変わっても、稲荷町駅の様子は変わらないですね。
市内電車の富山駅前電停のお写真がありますが、背後のビルも赤い清涼飲料水の広告板も、変わっていないな、という印象です。
でも、その「富山駅前」も「電鉄富山エスタ前」に、さらには、あの射水線の起点だった「新富山」電停も「富山トヨペット本社前」に改称されてしまいました。だんだん、変わっていくことに少し寂しさも感じています。
ああ、できるものなら、昭和の頃の地鉄電車を撮りに行きたいです。
by あるまーき (2015-03-21 02:36) 

Cedar

◼︎あるまーき様
地鉄のオーソリティに楽しんでいただいてなによりです。
新幹線開業は必ずしも諸手挙げて喜べないですなが、富山駅前の電停の新線はなかなか素晴らしいですね。

by Cedar (2015-03-21 07:30) 

サットン

白山下ってこんな駅だったんですね!
私も’82年に訪れましたが、前夜が夜行立山でしたので睡眠不足で
意識朦朧、駅の印象が飛んでおりました。
いいもの見せていただきました♪
by サットン (2015-03-21 10:17) 

Cedar

◼︎サットン様
コメントありがとうございます。
訪問当時も朝夕しか運行されてない状態で、駅周辺は物音すらしませんでした。
意識は朦朧ではありませんでしたが、耄碌してきて記憶は曖昧です。
by Cedar (2015-03-21 13:22) 

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