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『月曜日のユカ』と1964年のヨコハマ風景 [映画・音楽]

お彼岸休みに、もう一度観たかった映画を、DVDでやっと観ました。
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(1・2)1964年公開の日活映画『月曜日のユカ』っていう作品。
こんなシーンが印象的でしたが、映画そのものは鉄分は全くありませんので、予めお断りしておきます。
(3)舞台は港ヨコハマ。当時は高いビルが少ないですね。
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下部に流れるスーパー文字がこの映画の『気分』を表しています。


さしたるストーリーが無い、と言えるこの映画、加賀まりこ演じるユカという主人公×横浜の街をお洒落に切り取っているシーンを並べます。ま、実際そこが見どころな映画ですから…
加賀まりこの嘘みたいな可愛さ、港町らしさが残っていた横浜の街並み、モノクロのデザインされた画像〜などなど。
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まずはタイトルロールがポップガーリーなお洒落さと可愛いさ満点です。
黛敏郎のテーマソングもおしゃれです。06.JPG08.JPG09.JPG10.JPG12.JPG
(5〜9)
監督の中平康さん(と、作品)のスタイルは、フランス映画(※1)や香港映画(※2)に影響与えてるんです。
(※1)100227.jpg51FHYR09NYL.jpg(※2)
どちらも斬新な映像スタイルで、話題になった作品、『欲望の翼』はCedar的香港映画ベスト1です。 



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ヨコハマ・ナイトクラブはアキラ、チャンユー映画を含め日活得意のシチュエーションです。香港ノワールにもこういうシーンはよく出てきました。

と、この調子で延々と映画のキャプチャを並べても、鉄ブログにゃ全く相応しくない・・・
映画公開時期の横浜鉄風景をカットバックしてみます。
ちなみにCedarはこの頃小学生の鉄ガキでした。

(11)横浜の都心、歓楽街にも近い尾上町での市電です。39.JPG
市電の最終形式だった1600形、大阪市電3001や阪堺501風の顔つきも、都電とは違う雰囲気を感じましたね。


ユカとボーイフレンド(ねじねじ爺が若い!)が商店街で戯れてますが、どこでもありそうな街並みは実はあの元町です。
 
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(12)

1964年の元町なんて、こんなモノ?Cedarも父に連れられ何度か行きましたがガキだったので雰囲気までは・・・・・?
元町トンネル.jpg(13)市電の元町電停、’70年代でも全くオサレさ無しでした。

ユカがパパ=パトロンに囲われている家も、なんだかお洒落っぽく撮られてます。
(14)パパのクルマは何でしたっけ?ヒルマン? 32.JPG33.JPG(15)

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窓外に街の灯りが見えるので、野毛山か浅間台辺りでしょうか?それともやっぱり山手?
山手といってもガイジンさんの住んでるところばかりとは限りません。元町からトンネル抜けた麦田というところはこんな地味な場所でした。
Cedar母方の親戚が住んでいたここは、お洒落なヨコハマでない街並みですが、この山の上にも、ユカほど美人じゃないが派手なお姉さん住んでたかも?
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1964年には単車も現役でした。こんなのが、本町や元町あたりを首をふりふり走ってたんです。
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この年に開通した根岸線は麦田は素通り。市電車庫はガキ時分のCedarお気に入りでした。
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(19)映画みたいにはおしゃれでない横浜~でもなかなか雰囲気ありましたね・・


(20)朝帰りするユカと市電の線路、フェンス沿いの道は本牧近くかな?15.JPG


アメリカそのものの景色を横切る市電の姿は、ヨコハマならではです。
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(21)フェンスの向こうのアメリカに絡んだ日本人が多かったのも、’70年代までですね。


ママ(=かあちゃん)とパパ(=パトロン)のキャスティングは絶妙でした。この2人もやっぱりアメリカ絡みで生きていたらしい。
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かっては良からぬ商売してたらしいユカの母親が住んでる街、崖下に張り付いたような詫びしい家並みもまた、当時の横浜の典型的な風景でしたね。17.JPG23.JPG
(23・24)ある月曜日、ユカ親子が颯爽とタクシーで出掛けて、しょんぼり帰ってきました。
ここも本牧あたりでしょうか

横浜市の南部、本牧・磯子あたりは市電のドル箱エリアだったのですが、映画公開の年、根岸線の開通で交通体系が一気に変わったのでした。44.JPG
(25)杉田行き市電1400形、都電700を大形化したようなデザインでユニークでしたね。

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(26)開通当時の磯子駅はブドウ色の旧国の天下でした。
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映画に戻ります。
『月曜日のユカ親子』の行き先は、横浜のランドマークのひとつ、ホテルニューグランド
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(28〜30)

窓外の山下公園には、あの忌まわしい貨物線がもう出来てたんですね。
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(32)
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わざわざ景色を破壊した挙句さっさと廃線全く無駄な投資でした。

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(33)
横浜といえば船、赤い靴の女の子でなくても、異人さんや外国船に憧れるのでしょうか?

(34・35)
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こういうカットもフランス映画っぽい。
船の上で何があったのか?は説明しません・・・

さらに港でダンス!ってのも殆どヌーベルバーグ。
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何が起こったのか?よりどんなカットで見せてくれるか?を楽しむ映画、なんですねぇ。

Cedarの街鉄写真もすこ〜し影響受けました?なんて…。


ラストは何故か1人で臨港線〜この言葉さえ懐かしい!〜の傍を街に戻っていきます。
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(38・39)
って
鉄分補給にはなりませんが、映像センス補給になりそうな映画ではありました。
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(40)加賀まりこさん、やっぱりかっこいい!


無理やり鉄分補給で、長くなっちゃいました。
ではまた。




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コメント 25

ジャン・リュック・わんわん

スゲー大ネタ!
朝からこーふんしました!

(40)まるっきり勝手にしやがれやんけー!
マジでこっちがオリジナル?ヌーベルバーグにこっちが影響を与えた!?

(38)
うっわあああああああああああああああああ嗚呼嗚呼~
つい数年前、糞うんこ公園にされちゃったココやないけえええええええええええ~~
http://inu1dog11.blog86.fc2.com/blog-entry-500.html

写真ってヘタでもやっぱり撮っておくもんですねええ~!

(34)(35)
すばらしい!

(32)
いや、悪名高きコレ、なんですけど
この列車がココをこっち側から、ようするに海からニューグランドバックに走ったら
フェリーニの世界みたいです!
女の都のカーニバル!
もういちどあの糞高架線を(核爆)!

(11)
今気づいた!
この大阪市電窓、
建築様式で言う「シカゴ窓」ですわ!
「シカゴ窓」を電車に取り込んだ秀作!うーん。電車のデザイン、昔は奥が深かった!

(1~9)
あまりにすばらしい。

すばらしいネタをありがとうございます。
横浜丼、再発見!
by ジャン・リュック・わんわん (2014-09-26 06:47) 

のり

Cedar様の手にかかりますと、鉄シーン満載の映画に思えます。

昭和39年といいますと、世間には木造電車がまだ一部に残存していた頃ですね。古典車両と新性能電車とが一緒に走っていた夢のような時代です。
もし、タイムマシンがあったら、昭和30年代に行ってみたい…(2番目には昭和5年頃…)と思っているほどです。
by のり (2014-09-26 06:52) 

Chitetsu

素晴らしい光景の連続、楽しく拝見しました。
個人的にはこの間(と言っても既に3年前でしたっけ)上映されたコクリコ坂からの風景とラップしてしまいました。
あちらも市電の単車らしきものが出て来てましたね。
by Chitetsu (2014-09-26 07:13) 

Cedar

◼︎ジャン・リュック・ワンワン様
こーふんしていただきましてヨカッたです。
映画の主人公ユカと同じく『男が喜んでくれる』のがいちばんです。
中平映画はゴダールやシャブロルなんかに影響与えたようです。
あ、このDVDは二子のTSUTAYAにありまっせ。
◼︎のり様
昭和39年は戦前から続く都市の暮らしと、今に続く大量消費生活がオーバーラップしていた最後の時代でしたね。
自分はガキでしたが、当時若者だったらさぞかし面白かったでしょうね。

by Cedar (2014-09-26 07:21) 

Cedar

■Chitetsu様
なんだか、あの時代の景色が魅力的に見えます。
戦前そのものでもなく、今のように無機的でもない街並みがいいですね。
あ、電車もですが・・
コクリコ坂は昭和38年の設定でした、実際にはその頃だと根岸の海は埋め立てられてましたが・・
この映画についても記事にしています。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-09-14
お暇ならご覧下さい~って今は軽便祭でてんてこ舞い?

★あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-09-26 09:22) 

KEY坊

おーっ、素晴らしぃいい〜♩
加賀まりこのパンツは大きいしガーターベルトを見れるなんて、電車を超えた時代風景タップリです !!
企画の水の江滝子は松竹ダンシング出身で映画関係や録音スタジオやってましたから分ってらっしゃる。
KEY坊は有楽町の日劇ミュージックに突撃してたし(爆笑)
by KEY坊 (2014-09-26 10:08) 

Cedar

◼︎KEY坊様
電車、街並み、女のパンツ、みんな時代を現してますね。
ターキーさんは我々にとっては『ジェスチャー』のオバさんでしかないですが、チャンユーを育てたり、日活のプロデューサーとして活躍しましたね。

★sonic様
★あるまーき様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-09-26 11:20) 

サットン

横浜に超高層ビルが建ち始めたのはホント最近のことですよね。
私が引っ越した1988年頃はインターコンチネンタル程度だったかと思います。ニューグランドも横手にタワーが建ちましたね。ここのスターライトグリルは素晴しいレストランでしたが、今は宴会場に転用されてしまったとか。
by サットン (2014-09-26 11:40) 

hanamura

かっこいい映画ですね~。
私が分かるのはホテルニューグランドだけです。
・・・というか、今も同じですね。
by hanamura (2014-09-26 12:22) 

Cedar

◼︎サットン様
Cedarの世代だとニューグランドは敷居が高くて、並びのシルクホテルか、中華街の中にあったホリデイインあたりでいろいろと…。
スターライトグリルが宴会場になっちゃったのは寂しいなぁ。

by Cedar (2014-09-26 12:26) 

Cedar

◼︎hanamura様
ですよね〜、映画公開は東京オリンピックの年ですから半世紀も前になります。今や貫禄ババア加賀まりこさんもまだ10代?

by Cedar (2014-09-26 12:49) 

KEY坊

スッカリ、加賀まりこに気を取られてしまって .. 追伸です。
(28)〜(39)の画像、絵コンテを描いてたでしょうが、監督はその背景の中で被写体に演技させてそのコマで演出してますよね。今は被写体の描写を追い求め過ぎて観てる方は疲れる時があります。
SLを追い求める仲間言われました、もっと被写体に近寄れと .. 。父のカメラでオンボロ京成を追いかけてたし。
by KEY坊 (2014-09-26 18:52) 

Cedar

◼︎KEY坊様
追伸ありがとうございます。中平映画のフレーミング、カメラアングルには実は理由があるのですが、結果としてスタイリッシュに見えますね。あとは例えば女子トイレのドアを延々写して、そこにオフでセリフが被るとか〜フランスや香港の映画でパクられてます。
被写体のアップばかりでは退屈ですね。
by Cedar (2014-09-26 19:46) 

Cedar

★モボ様
★nd502様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-09-26 19:55) 

伊豆之国

横浜の市電の記憶の言うと、小学生の頃、三浦にあった臨海学園の行き帰りのバスの中から見た景色ぐらいでした。それでも、東京と同じ名前の「浜松町」とか、「浦舟町」「浅間下」といった電停名があったことは覚えていますが、車両の記憶ははっきりしません。市電の通っていたルートも、山下公園・マリンタワー・中華街といった、児童が喜ぶような観光地を通っていなかったせいもあってか、乗る機会も無いまま、都電よりも先に早々と消えていったのでした。今の横浜の町からも、市電の走っていた光景は思い浮かべることもまずないようです。
山下公園の入り口にあった高架の貨物線は、いつも不思議な光景に感じていたことを今もはっきり記憶に残っています。ニューグランドには、実弟の挙式のときにお世話になっています。
by 伊豆之国 (2014-09-26 21:49) 

なにわ

プロデューサーがターキーで脚本が倉本聰、原作は晩年、ラジオ日本を食い物にしてたミッキー安川さんなんでしょうか(今は同じ枠を息子さんがされてるそうですが)。
妙に小粋ですけど、これを神戸で撮ればどうだったのやら。
(今、マイナスイメージひどいですから、あのへんは地下鉄にもかかわらず、市バスが生き残ってるあたりなので)
伊豆の国さんが通られたのは国道16号線ですね。国道ってことで、先に(と言っても2年ほどですけれど)市電が廃止になってるんです。
by なにわ (2014-09-26 23:46) 

semitaro

Cedarさんの鉄ブログ、鉄道をテーマに縦横無尽な語り口が素晴らしく、ちょくちょく拝見しています。
ところで今回、久しぶりに横浜が舞台ということで、映画公開時中学生だった横浜(西区戸部)生まれの私は(30歳くらいまで住んでいた)懐かしく拝見しました。
ただ、写真(13)は元町電停から麦田トンネルを撮っていますので、通りと直角に立地していた商店街が写っていませんね。高校生になってこの市電で(中区間門まで)通学したのでよく覚えています。今とは比較にはなりませんがそれなりにオサレな街だったことは、お伝えしたいと思います。
by semitaro (2014-09-27 02:15) 

Cedar

◼︎伊豆之国様
市電があった頃、東京と横浜は今よりずっと心理的距離感がありましたね。Cedarのように親戚でもいないと、東京人が市電に乗る機会も無いでしょう。単車に乗るのが楽しくて、桜木町でわざわざボギー車をやり過ごしたり、麦田トンネルに入ると一気に涼しかったことなど。都電と違う楽しみがありました。
◼︎なにわ様
これはやはり、神戸ではなく横浜の映画ですね。ちんぴらとお姉ちゃんのフィーリングは関西風じやない。
安川実ってミッキー安川だったんですか。知らなんだぁ!
◼︎semitaro様
コメントありがとうございます。当時の横浜は東京から行くと街並みの違いを感じました。元町は確かに当時から独特な雰囲気はありました、ガキにはその意味が分からなかったんでした。

★chocobo様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2014-09-27 07:58) 

京葉帝都

主演女優の可愛くて奔放な振る舞いはストーリーに後腐れ無くハマっていたのではないでしょうか。
初めて横浜へ行った時は、山下公園から見た高架の貨物線は気になって
いました。今の横浜の中心部は一部に歴史的な建造物はあるものの、高層ビルや車が目立ち、港町らしさを見つけるのは難しくなりました。


by 京葉帝都 (2014-09-27 13:51) 

Cedar

◼︎京葉帝都様
こんな絵空事ストーリーが無理なく描けるのも、当時の港街横浜ならではなのかも?今やミナト横浜は単なる慣用句ですね、田園都市線や相鉄の奥まで横浜ですから…。

★yogawa隼様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2014-09-27 16:09) 

Cedar

★シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-09-27 20:29) 

FTドルフィン

50年前ですよね
・・・僕の産まれた年ですw

おされだなぁ〜
それに比べて今は・・・

by FTドルフィン (2014-09-28 11:18) 

Cedar

◼︎FTドルフィン様
映画がおしゃれだった頃ですね。
こういうのって今でも通用するところあり、だと思うんですが…。
by Cedar (2014-09-29 05:27) 

Cedar

★gardenwalker様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-10-02 07:41) 

横浜在住

23、24は本牧ではなく石川町の中村川にかかる亀の橋を吉浜町側から見た光景です。
川の向こうに見えている「かめや」という看板は鰻屋さんで、現在でも営業しています。
今時店先でおじさんが炭火でウナギを焼いています。
画面の後ろに見えている小高い岡は現在の山手イタリア山庭園ですね。
by 横浜在住 (2020-10-23 13:21) 

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