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快速気動車、千葉行きのこと。 [1枚の写真から]

最近、野暮な用件で御茶ノ水駅をよく利用します。
神田川と電車、東京を代表する鉄道風景も周辺再開発や駅改良工事で変貌しつつあります。
御茶ノ水11-1.jpg(1)
上の風景も今は撮影することはできませんしね。
ある日、夜8時過ぎに千葉行きの電車を待っていて、思い出したことが・・・・
45年ほども前、1970年前後に走っていた、ある列車のお話です。
Cedarが高校生のころ、両親が千葉県八千代市に土地を買い家を建てました。
学生の身分としたらウィークデイは都内、週末はそちらと使いわける、という生意気なことをしていました。で、金曜夜の移動によく使ったのがこんな列車だったのでした。
文京区民だったCedarには嬉しいことに、御茶ノ水始発の『快速気動車』千葉行き、というのがあったのです。
kaisoku2.JPG(2)新宿発着の房総線急行のうち、夜の千葉気動車区への回送列車をホームライナー的に客扱いしていたのでした。
新宿から客扱いしなかったのは、中央快速線区間だけ利用されないため〜?よくわかりませんが…。
御茶ノ水発は午後8時代に2本設定されていました。jikokuhyou.JPG(3)
文京区の外れにあった我が家から八千代の家までは、田端から国電で日暮里乗り換え京成がメインルートでしたが、時にはバスで御茶ノ水に出て、気動車のクロスシートに座り、船橋まで30分の汽車旅気分を味わったものでした。
当時の京成の夕方ダイヤだと押上〜都営直通がメインで、日暮里からの優等列車が停車駅が多すぎて鈍足な通勤急行(↓)だけだったのも、この列車を選ぶ理由でした。
kaisoku7.JPG(4=青砥青電4連も使われ、停車しない駅の方が少ないくらいでした。

〜というようなことを思い出して写真探したのですが、この頃はいろんな方面(それは何かは言えません・・)に関心がバラけた時期で、鉄写真を殆ど撮っておらず、こんな紙焼き(それもベタ焼き!)がたった1枚残っていたきりでした~我が家のスキャナーではここまで拡大が精一杯です。
kaisoku1.JPG(5)車両はボロでもヘッドマークは立派な千葉鉄らしく、この列車もキチンとしたのを掲げていました。
『千葉行』という表記が面白いですが、急行気動車と違い<千葉から先には行かないよ>
という念押しですかね。

御茶ノ水1.JPG(6)
当時はカナリア色とオレンジ色の101系天下だった御茶ノ水駅、都会の電車駅そのもののホームにいきなり気動車が停まるのは、なかなか違和感ありました(急行は御茶ノ水通過でした)。

そんなCedarを乗せた快速気動車は、御茶ノ水からいきなりエンジン目一杯ふかして25‰をゆっくり登り、すぐ秋葉原に停車、ここでほぼ満席状態となりその先は両国、船橋と停車したと思います。
快速線開業後は一躍拠点駅となった錦糸町は通過でした。
錦糸町.jpg(7)
昭和42年、複々線工事開始前の錦糸町駅ホームから両国方を見ています。電車も73系と101系が入り乱れて走り、地平にあった貨物駅の周囲には、平べったい下町の街並みが広がっていました。
当時の総武線は高架複々線工事中で、市川の中線以外退避設備もなく、そもそも回送ダイヤの客扱いですから、スピードは全く出ませんでした。記事書くので当時の時刻表を調べたら、千葉まで約50分〜それでも帰宅客がたくさんいる途中駅を、急行形のクロスシートに座って通過するのはちょいとした優越感でした。
おまけに編成中には元キロ25の格下げ車キハ26-400番台が組み込まれていて〜急行の指定席車だったのかも知れませんね。
知ってる人は回転クロスの掛心地を目指し、常連らしいサラリーマンはビールとツマミを持ち込んでました。
〜肝心のキハ26-400の写真は?
撮った記憶がありませーん、仕方ないので、よく似た窓配置の車両?の写真でご勘弁を!
日本のじゃなく、台湾に走っていたローカル線用気動車です。狭窓が並ぶサイドも転換クロスの車内もよく似てました・・・ね。kaisoku4.JPG
kaisoku8.JPG(8・9=台鉄宜蘭線・瑞芳
室内もシートピッチは同じでなかなか快適でした。転換クロスと回転クロス、ビニールとモケットの差はありましたが・・・

 
本家の室内写真もこの時は自分では撮ってないのです。どこが鉄道ファンだよ!と突っ込まないでください・・
kaisoku5.JPG(10=場所不詳
これは友人がどこかのローカル線で使われてるのを撮ったもの、なぜ誰も乗ってないかは聞き忘れました。この写真と同じように回転クロスシートはボックス席にされてましたが、千葉のは固定はされてなかった記憶があります。

Cedarも鉄学生の端くれとしては、ゆったり車内の元キロを狙いました、最初のころは特に混んでなかったですが、だんだんと元キロの乗車口だけ列が長くなってきたのはビックリでした。

快速千葉行きは、総武快速線開業の昭和47年まで走っていたようですが、元キロ車の連結は最初の2年くらいで無くなってしまい、Cedarが大学生になったころはグリーン車が連結され、しっかりグリーン料金を取られるようになりました。

そうなると魅力半減したと感じた天邪鬼Cedarは、おりしも開業した地下鉄東西線快速の横揺れしながらの走りっぷりに入れ込みそちらにシフトしてみたりしました。
kaisoku6.JPG(11=西船橋
でも、これはごく一部の津田沼行き以外は、西船橋・船橋と2回乗り換えが必要だし、そもそも八千代に行くには結局は京成に乗らなきゃ駄目だったんですが・・・・。国電船橋と京成船橋の間の雑然&猥雑な街も懐かしい。

そうこうするうち、昭和47年には東京地下駅からの快速線が華々しく開業し、国電区間のみを走る気動車快速、という特異な存在も消えていきました。
田舎っぽい郊外という雰囲気だった総武線の沿線が、大都会の一部になっていくプロセスのワンシーンだったのでしょうか?
クロスシートから見下ろす秋葉原の夜景や、まだメタンガスが匂っていた隅田川をエンジン音高らかに渡るシーンは今でも憶えています。
ろくな写真がないのにだらだらと思い出話で、大変失礼しました。







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nice! 16

コメント 27

Cedar

★あるまーき様
★hanamura様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-06-30 11:01) 

KEY坊

私も .. ふと、車窓からの風景に思い出を重ねる時がありますです。
あの頃はご時勢に勢いが有りましたね。今の再開発は空手形の繁栄
にも映って、歳の所為か街の変貌に置き去りにされてく気がします。
そうそう、アキバへ神田川鉄橋を渡らんとする川岸のビリヤード場、
学生時代の気になる子と遊んだのも懐かしく .. (笑)
by KEY坊 (2014-06-30 11:46) 

Cedar

◾️KEY坊様
車窓の変化より、残っているモノに目が行くのは歳のせいでしょうか?
あのビリヤードも残ってますよね。アレはビリヤード台のメーカーだと思っていました。

★Reirei様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-06-30 12:49) 

なにわ

そりゃあ、回転クロスは固定できませんわ。本チャンでは急行料金取ってるのですから。
房総一周電化で消えたそうです。165系は回送していたようです。
ただ、後年、183系が新宿へ入るようになり、折り返し回送をホームライナーとして使っていたのを秋葉原でバブルの頃に見たことがあります。

by なにわ (2014-06-30 18:04) 

Cedar

◾️なにわ様
国鉄がホームライナーで商売っ気出す前の運行でしたね。
千葉県の鉄道が雑駁な活気に溢れてたのは、この頃まででした。
電車好きなCedarが見ても、電化して魅力が薄れたのは不思議ですね。
by Cedar (2014-06-30 19:15) 

Cedar

★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-06-30 19:16) 

suzuran6

○○○Dの列車番号が御茶ノ水あたりで走っていたとは・・・
ビックリです。
でもその頃suzuran6は近所を走る初代キハ45などを見ていたんですものね・・・貨物は当然蒸気・・・
まさか、こんなに何処へ行ってもおんなじぎんいろのヤツばかりになるなんて・・・

話は変わって、鱧しゃぶなんていかがですか・・・
by suzuran6 (2014-06-30 21:57) 

hanamura

う~ん!キハ26-400・・・。う~ん!う~ん!
朝、チラ見した時は、あんまり理解できなくて、夜になって悔しくなっています。あああ!お茶の水発のキハ・・・乗ってみたかったなぁ。
by hanamura (2014-06-30 23:10) 

のり

この時刻表、遠い昔に見た記憶があります。「へぇ、御茶ノ水から出る列車があるんやなぁ…」、などと興味深く眺めていたような…。
電化されて魅力が薄れたのは、他の線区と同じ車両が投入されて、画一化されてしまい、個性がほとんどなくなってしまったせいではないかと推察しています。
個人的にですが、特に終末期の国鉄には、何の魅力も感じなくなっていました。私の鉄道趣味から、国鉄がごっそりと消え去ったのは、その頃です。
by のり (2014-07-01 06:56) 

Cedar

◾️suzuran6様
総武、房総線は電化前の方が活気があった気がします。
快速気動車もそのひとつでしたね。
◾️hanamura様
ズバリの写真がなく、解りにくい記事ですみませんでした。
ホームライナー的な列車でしたが、御茶ノ水始発ってのがユニークでした。


★nd502様
★hideta-o様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-07-01 07:01) 

Chitetsu

こんな列車があったのですね。
その頃の国鉄にしては気が利いていましたね。
若干内容が違いますが、予讃線を走る客車列車でもスハ44は他の車両より俄然混んでた気がします。
by Chitetsu (2014-07-01 07:03) 

Cedar

◾️のり様
千葉の鉄道の電化は安易な特急増発や、ローカル列車のロングシート化のサービスダウンなど、Cedarから見るといい事無しな感じでした。当時の国鉄はどこも同じでしたね。
by Cedar (2014-07-01 07:07) 

Cedar

◾️Chitetsu様
そう、なんだか気が利いた運行でしたね。
快速線が出来てたしかに便利になったけど、こんな列車が走ってた頃の千葉が懐かしいです。
by Cedar (2014-07-01 07:53) 

Cedar

◾️suzuran6様
追伸。鱧しゃぶ!結構ですね。
by Cedar (2014-07-01 07:55) 

Cedar

★あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-07-01 16:42) 

伊豆之国

千葉から先がまだ電化されていなかった頃の房総半島には、子供の頃の懐かしい思い出を蘇らせてくれるのでした。SLの煙に苦しめられた南房総への初旅、急行券が取れず冷房もない外吊りドアのディーゼルに立ちっぱなしで汗だくになった外房への海水浴、まだ「シーワールド」など影も形も無かった頃の鴨川と、鯛の浦、今は無き行川アイランド…。南側が先に電化され、特急が初めて走るようになったとき、時刻表を見て「な~んだ、急行と全然変わって無いじゃんかよ~」と期待はずれにがっくり…。内房線の木更津以南など、「隔駅停車」「千鳥停車」状態がディーゼル急行とほとんど変わっていないのを見て、「これじゃ特急料金ぼったくりだぁ~」と、「酷鉄」のあくどい根性に腹立つ乗り…。京葉線経由になって東京駅が恐ろしく遠くなり、そしてアクアラインが開通してからは、あの183系の「リクライニングもどき」から車両が変わっても、もはや南房総方面へはアクアライン経由の高速バスに太刀打ちできない状況になっているのではないでしょうか。
ディーゼル優等車の電化路線での「間合い運用」というと、以前名鉄で「北アルプス」の車両を自社線内の特急として運行していたことがあったと記憶しています。
房総半島が「気動車王国」だった頃の面影は、今では辛うじて小湊鉄道に残されているくらいでしょうか。かつて時刻表でも定番だった「房総の夏ダイヤ」がいつの間にか消えて、もう何年経ったのでしょうか…。
by 伊豆之国 (2014-07-01 23:47) 

Cedar

◾️伊豆之国様
房総の思い出、詳細にありがとうございます。
電化後の『格上げ特急』へのガッカリ感は同じでしたね。単なるボッタクリとしか思いませんでした。今走ってるプラレールみたいな安っぽい特急も嫌いだし。

by Cedar (2014-07-02 06:42) 

Cedar

★gardenwalker様
★やまびこ3様
★ma2ma2様
★sonic様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-07-02 06:46) 

hideta-o

 大阪で気動車というと、大阪駅の福知山線か天王寺駅の関西線、紀勢線でしたね。
 私は大阪の南部の人間なので、大阪駅より天王寺駅の方がなじみがあり、遠足で関西線のキハ35系に乗ったことや、修学旅行でキハ58系の臨時列車に乗ったことを思い出します。
 修学旅行といえば、大阪の小学校の修学旅行は、ふつうは近鉄の「あおぞら号」に乗って伊勢方面なんですが、私の年だけなぜか白浜でした。このことについて先日、母親から聞いたところによりますと、学校の手違いで、伊勢で宿を確保できなかったのが原因らしいです。
 なんのこっちゃ、と思わず突っ込んでしまいました。
by hideta-o (2014-07-02 08:55) 

Cedar

◾️hideta-o様
気動車は東京だと上野、新宿、そして両国!
千葉の夏は日本中からかき集めた気動車がぞろぞろ繋がって大増発しても大混雑でした。
東京のガキにとっては千葉の列車は臨海学校ですね。




by Cedar (2014-07-02 09:57) 

京葉帝都

首都圏で乗車券•定期券だけで急行型DCに乗れたのは、当時としては破格のサービスだったのではないでしょうか。まさにプチ旅行でしたね。複々線化前の混雑する総武線をサポートし、特別料金を徴収する手間を省いて合理的に運用されていたのかと思います。
北陸本線では急ぎでやむなく急行「しらゆき」や特急「ひだ」を利用したことがありました。乗車券以上の出費は痛かったです。

by 京葉帝都 (2014-07-02 13:18) 

Cedar

◾️京葉帝都様
そうですね。ライナー券なんてものも要らなければ、車両締切なんてセコイこともなく、DC急行の旅気分が味わえました。
一度だけですが、船橋で降りず千葉まで乗ってみたこともありました。

by Cedar (2014-07-02 14:54) 

Cedar

★CASCO事業部様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-07-02 18:40) 

maipenrai

ご無沙汰しております。
 よく写真を撮ってらっしゃいましたね~。「快速千葉行」のヘッドマーク、実物を見ているはずなんですが、あぁこの形だったんだ、って初めて知りました。
 たぶんこの列車には5~6回乗ってます。自宅のある市川は止まらないのはわかっているのに、船橋まで連れて行かれるのは承知で何度も乗ってしまったのは、やっぱりちょっとした「旅」気分を味わいたかったからなんでしょうね。
 もちろん、この乗り越し逆戻りは「不正乗車」。見つかったら「すいませ~ん、市川に止まらないのは知らなかったもので」と申し開きしようと「理論武装」してのふるまいでしたが…見咎められたことはありませんでしたw。
 28系DCに乗るときの個人的な「指定席」、中間に入ったキハの助手席に陣取り、乗務員窓を開け放って「いつもの総武線」を走る気分はサイコーでした。
by maipenrai (2014-07-07 21:02) 

Cedar

◾️maipenrai様
ご無沙汰しております!お元気でしたか?
助手席つていえばキハ26はポールで仕切ってるだけの解放的なつくりでしたね。あそこに座ったこともありました。

by Cedar (2014-07-12 11:33) 

風旅記

こんにちは。
御茶ノ水発の気動車列車、その存在を初めて伺いましたし、想像しただけでワクワクしてしまうような列車です。楽しく拝見しました。
御茶ノ水駅では改良工事が本格化していますが、基本的な構造は今まで見慣れていますし、そこにお写真のような気動車が停まっていたかと思うと、不思議な感覚です。
秋葉原に向けての上り勾配のカーブ、浅草橋に向けての高架の下り坂、隅田川の鉄橋、様々な角度から見てみたかった列車です。
まだ、西千葉に気動車の拠点があった時代でしょうか。
房総半島の路線が電化され、総武本線の複々線化と東京地下駅が完成し、千葉方面の鉄道が均質化していったのかもしれません。
今は、209系が走る静かな鉄道の風景になっていますが、往時を想像するのも楽しいものです。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
by 風旅記 (2015-11-24 16:11) 

Cedar

■風旅記様
古い記事にコメントありがとうございます。
この列車は西千葉への回送を客扱いしていたものです。
複々線化はともかく、千葉以遠は電化前の方が接客設備は良かったですね。今までのクロスシートからいきなり4扉のゲタ電ですから。
by Cedar (2015-11-25 01:32) 

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