小津映画に見る東京サバービア(その2) [映画・音楽]
小津安二郎監督、昭和7(1932)年のサイレントムービー『生まれてはみたものの』から蒲田界隈の鉄風景を拾っています。
池上オリジナルの鋼製車は東急デハ3250になったものの、制御器がデッカーで目蒲東横系と異なっていたので、早々と地方私鉄に売られてしまいました。(9)
まずは、庭の向こうに池上電鉄が走る主人公宅の鉄シーン~。
様々なカットをランダムにご覧ください。バックの電車にも当然ご注目ですよ。(3)
物干し竿の向こうを行くのはダブルルーフの木造車デハ20形、旧鉄道院電車の払い下げを受けたもので、これが池上電鉄初の16m電車でした。
様々なカットをランダムにご覧ください。バックの電車にも当然ご注目ですよ。(3)
物干し竿の向こうを行くのはダブルルーフの木造車デハ20形、旧鉄道院電車の払い下げを受けたもので、これが池上電鉄初の16m電車でした。
こうやってみていくと、ここで『動く大道具』として登場するのは池上電鉄の電車だけのようです、線路脇のシーンで繰り返し出てくるモハ510やモハ200などの目黒蒲田電鉄勢はこの家の前には現れていないのです・・・・
池上オリジナルの鋼製車は東急デハ3250になったものの、制御器がデッカーで目蒲東横系と異なっていたので、早々と地方私鉄に売られてしまいました。(9)
静岡(↑)や京福福井(↓)で活躍していた姿はCedarも撮影できていました。(10)
一方の院電払い下げの方は後に剛体化され、東急デハ3300形となって長く池上線に根付いていましたね。 その姿も撮影しています。(11)(12)
3つのパンタを上げて、加速は東急吊り掛け車随一だったとか。
映画に戻ると、今から82年も前の東京サバービアライフ(?)が続きます 、こちらは当時の街並み風景
実はワンカットだけ、Cedarの子供時分の写真混ぜてみました(さて、どれでしょう?)。昭和36年と昭和7年の東京のガキの姿と街並み~あんまり変わってないような・・・日本が東京が変わったのは昭和も40年代になってからですから~
この食事風景なんか、Cedarの昔そのままです。
(18~20)転校生の悩みは、今も昔も人間関係~環境や人に馴染めないのは普遍と言えますね。
対する旧住民の子供たち、こちらのガキ大将はドラえもんの『ジャイアン』みたいですね。藤子不二雄さんのマンガに出てくる世界は戦後の昭和ですが、この頃とまるで変わらない。
こんなガキ軍団が遊び場にしてた場所のひとつが省線蒲田電車区~この映画では2回に分けて登場します。
映画の冒頭、引っ越してきたばかりの兄弟が地元の悪ガキたちと早速ひと悶着起こすシーン、嬉しいことにその場所は蒲田電車区横の原っぱです。(22)
ズラリと並ぶのは鋼製ダブルルーフ車のように見えます・・モハ30でしたか。(23)(24)
おっと、こちらは2丁パンタの木造荷電のようですね・・運転台にひさしは、お隣電車目蒲モハ510の影響でしょうか。
ズラリと並ぶのは鋼製ダブルルーフ車のように見えます・・モハ30でしたか。(23)(24)
おっと、こちらは2丁パンタの木造荷電のようですね・・運転台にひさしは、お隣電車目蒲モハ510の影響でしょうか。
2回目のシーンは謎の引き込み線をバックにしたシーンです、この時は都会からの転校生もすっかり仲間になっているのが子供ならでは・・・(26)
急カーブで曲がっていく架線柱、どこかの工場引き込み線なのでしょうか? (27)(28)
急カーブで曲がっていく架線柱、どこかの工場引き込み線なのでしょうか? (27)(28)
それにしても電車区の右端から伸びた線路はいったい何処へ?・・・どなたかご教授いただきたく・・
(32~34)
結界の向こうの大人同士の付き合いは、子供のとは違う複雑なものだと、なんとなく理解する…。
2014-04-04 08:10
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コメント(21)
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いつも楽しみに拝見しております
この映画は以前にケーブルテレビで見て、居住地に近いことから非常に興味を持っておりました
さすがに当時は生まれておりませんが、昭和の東京近郊生活をとても懐かしく思い出す一方、いつも脳裏をよぎるのは「あの頃の汲み取りトイレは臭くて使いにくかったなあ」ということなんです
国鉄全盛期の写真を見ても「あの頃はトイレ垂れ流しだし、撮影も恐怖だよね・・」とついつい思ってしまいます
さて、これからたくさんのご意見が来ると思いますが、蒲田電車区から出ていた引き込み線は、多摩川沿いにあった火力発電所へのもののようです
古い航空地図などではっきり見て取れます
by PQ (2014-04-04 09:22)
Cedarさま
良い風景ですね!!
板塀大好きです。それとデッキチェアというよりは、ディレクターズチェアに近いかもです。
Colemanなどのオートキャンプ用品では、その名で括られていたような。
最近では、車両よりもストラクチャや昭和な建物にキャメラを
向けつつあります。
実は、そっちの方も大好きで少しづつライフワークにしつつあります。
また、夜談会でご教示くださいまし!!
by 狂電関人@仕事開始 (2014-04-04 09:48)
東急3450の50周年の記事のあるファン81年6月号を引っ張りだしてみました。
45度回した正方形の方向板は目黒~蒲田の通し運転のものでした。
やはり、家以外は目蒲線沿線でロケをしたようです。
東神奈川は手狭ということもあり、京浜線の主力電車区は蒲田でした。
おそらく、モハ30を集中投入したのではないでしょうか。モハ31が中央山手に新製配置されてますので。
中間が35や36で揃った編成は案外少なく、木造車が結構あったでしょうが。特に二等車、大正の湘南電車43200のうち、二等車は改造されずサロ18となって大勢力を誇っていましたから。
その次の蒲田電車区は「砂の器」ですか。
そうそう、矢口の発電所専用線、Tadさんのリンク先にもありますよ。
by なにわ (2014-04-04 18:19)
■PQ様
コメントありがとうございます。
東京の下水は昭和40年末くらいまでお粗末でしたね、世田谷あたりはポットントイレがたくさんありました。あの刺激臭を知ってる人も大分減ったでしょう。
引き込み線情報もありがとうございました、映画にも架線柱のむこうに高圧線の鉄柱が写っていますね。
■狂電関人様
板塀もすっかり見なくなりました。古い日本映画の楽しみは動く大道具=電車のほか、装飾&小道具のたぐいです。
★あおたけ様
★hanamura様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-04 18:21)
■なにわ様
様々な情報ありがとうございます。
京浜線には戦前サロがあったのですね、戦後の進駐軍専用セクションを2等扱いしたものがあったのは知っていましたが・・・
by Cedar (2014-04-04 18:25)
小津さんの映画には、本当に電車がたくさん登場しますね。
日常の風景として、電車が欠かせなかったのでしょうね。
ご本人も、鉄道好きだったのかもしれません。カメラマンさんが鉄道ファンだったという話もあるそうです。
でも、どこかで見覚えのあるようなこんな街並みの風景、いつの間にか全く見かけなくなってしまいましたね。
by のり (2014-04-04 20:02)
■のり様
小津さんは電車が好きというより人々の生活を描く句読点として電車を使うのが好きだったようです。前にご紹介した台灣の映画監督候孝賢さんも同じようなことを言ってました、時間と場所の移動を短い秒数で描けますし~映画関係者=撮影部には特に鉄道好きが多いの事実ですしね。
Cedarにとって昔の映画鑑賞=昔の生活空間へ時間旅行です。
by Cedar (2014-04-04 20:26)
★シュウチャン様
★あるまーき様
★中古カメラ買取り様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-04 21:48)
ソニーがウォークマンを売り出した後ですから1980年頃ですけど,六本木の裏道をヴァキュームカーが臭気を漂わせて走っていましたから,まだアレの御厄介になっているお宅が港区でもあったってことですね。世田谷区では1990年代でも走っていたのを見てます。
手押しポンプの井戸,懐かしいですね。ガキの頃(昭和30年代の千代田区)には隣の家の脇にありましたし,隣町では21世紀になった頃でも,もう使われてはいなかったかもしれませんが,道端に残ってましたよ。
ちゃぶ台におひつ,当たり前でしたね。火鉢で餅を焼いたりしてたって話は,先週末の小学校の仲間との飲み会でも話題になってましたが,ニクロム線の電熱器とともに郷愁の彼方だ…。
写真に出でてきたゴミ箱がオリンピックを境にポリバケツに取って代わられたし,“夢の超特急”が出てきたあの頃が東京を一変させましたナァ。
相変わらずのジジイの繰言ですワ。
by Tad (2014-04-05 02:09)
■Tad様
思わず強く頷く繰り言の数々、ありがとうございます。
下水事情は、Cedarが初めて世田谷に住んだ部屋は浄化槽式=バキュームカーのお世話になったし、10年前まで住んでた戸建借家の庭先には映画にも出てきた井戸ポンプがありました。
東京の街が変わった=変えられたのは戦争ではなく、東京オリンピックとバブルだったとは小林信彦さんも言ってますね。
ゴミ箱も戦前の木製がコンクリートに変わっただけだったんでしょう~因みにあの写真は母方の祖父母が住んでた柴又の家、オリンピック前々年です。
いかんイカン、まさしく繰り言になっちゃった。
by Cedar (2014-04-05 06:19)
★nd502様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-05 06:21)
★takechan様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-05 14:47)
cedarさま
ご無沙汰しております。クイズの答ですが、15番では?
この写真の子供だけジーンズを履いてます。
by hideta-o (2014-04-05 17:51)
■hideta-o様
大変ご無沙汰しておりました!
クイズの答えピンポーン!です。
ジーンズを履いたガキは手前でございます(恥)。
★SpeedBird様
★suzuran6様
★ひでほ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-06 00:45)
★arail206様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-06 12:23)
「結界踏切」、というより鉄道線路の「こちら側」と「あちら側」とでがらりと雰囲気が変わってしまうという場所、あちこちにあるのではないかと思うのですが、私がし半世紀以上も前の昭和末期に読んでいた泉麻人氏の本に、西武池袋線が山手線を越えてから椎名町までの間では、北側の池袋界隈と南側の目白界隈で全く雰囲気が変わる、とあり、「池袋で怪しい連中に追いかけられても、西武線の踏切を渡って目白側に逃げ込むことができればこっちのもの」といったような話が載っていました。この記事とは関係ない余談になりますが、池袋と椎名町の間には戦前「上がり屋敷」とかいう駅があって、池袋線沿線の女学校に通っていた私の母が、目白駅で降りるとその「上がり屋敷」駅まではすぐ近くなので、池袋駅の混雑を避けられる「抜け道」になっていた、とよく話してくれたことがありました。
踏切というと、踏切番が手動で遮断機を上げ下げする昔ながらの有人踏切も、例の竹ノ塚の件が「ダメ押し」になって、名鉄神宮前のものも立体化工事で消えた今では、貨物線の一部などにわずかに残るくらいでしょうか。「踏切の絶滅危惧種」といえば、9番の写真に写っている、スピーカーでなくて「鐘」の鳴る警報機。子供の頃はこの音がとても怖かった思い出がありますが、一昔前まではかなり残っていた名鉄からも姿を消した今ではかなり貴重な存在にっているようで、この「鐘の音」を録音するためにわざわざ駆けつける「オタク」も結構いるようです。今も頻繁に聞ける場所では、江ノ電の江ノ島駅東側の路面に出るところや、嵐電の西院駅が有名と言いますが…。
by 伊豆之国 (2014-04-06 14:59)
■伊豆之国様
線路、川、崖、など~、いろんな区界が歴然と街の雰囲気を画していたのは昔は普通でしたね。踏切、橋、坂道が異界同士をつなぐ結界となっていたわけです。それってなかなか胸ときめく場所でもありました。
今は町が、暮らしが平均化・画一化され、そういうことも大分無くなりました。盛り場が猥雑なパワーを失う一方、住宅地と商業地の境も曖昧になってきました。
★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-06 16:13)
蒲田駅は今年で開業110周年を迎えます。その間には、このような作品にも登場したりしていたのですね~♪
by とーる (2014-04-06 17:26)
■とーる様
蒲田には松竹撮影所がありましたので、古い映画に登場頻度は高いです。蒲田行進曲、梅ちゃん先生~まだまだありますよ。
★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-06 19:04)
小津作品は「小津調」と称される独特の映像世界を表現していて、個人的に好きです。
by UZ (2014-04-07 00:57)
■UZ様
小津映画は静的なカットをオーバーラップとかズームを使わずに繋いで、句読点とか段落で入る街や鉄道のショットが効果的でした。
サイレント時代にはこの演出方法は確立されませんでしたね。
この映画でやたらに電車がバックを横切るのは、画面にリズムをつける効果を狙ったようです。
by Cedar (2014-04-07 09:14)