小津映画に見る東京サバービア(その1) [映画・音楽]
今日はまた古い映画の画像です。なんとサイレント映画ですから・・(1)
小津安二郎監督が1932年(昭和7年)に作ったサバービア(都市近郊)ホームコメディ。震災後急増した郊外暮らしのサラリーマン生活を、子供の眼から風刺しています。
主人公一家の家は、郊外電車の線路際~池上電鉄の単行電車が走ります。
物語は郊外に引越し中の一家のトラックが泥濘にハマって往生してるシーンから始まります。(2)
犬小屋や観葉植物など~当時の都市サラリーマン一家らしい荷物を積んで引越してきた先は…。道路も舗装されてなく、まさしく郊外そのものだった東京府荏原郡蒲田町=今の大田区蒲田辺り。
当時、松竹は蒲田に撮影所があったのは『蒲田行進曲』などで描かれたとおりです~池上電鉄登場はご近所のよしみですかね(東宝映画に小田急が登場するのと同じ)?
以下、例によって電車のシーンだけをキャプチャーしましたが、いやはや単行電車がなんとも頻繁にバックをちょこちょこ横切ります。今だったら『こりゃタイアップかいな?』と突っ込まれそう…
最初の鉄シーンは引越し翌日、朝日を浴びる物干し場でエキスパンダー(知らないですね?!)をするお父さんのバックにはカテナリーが。(5)
一家の主人役は斎藤達雄さん~戦後も長く活躍し、CedarもTVで知っている
程でした=ダンディなおじいさんって印象でしたが、当時はズバリ2枚目でしたね。
池上電鉄の電車が相次いで登場します。(6)
ダブルルーフ木造省電の払下(↑)中形車デハ20形。
続いて池上電鉄オリジナル(↓)最初の半鋼製車デハ100形です。(7)
ペンキ塗りの柵や犬小屋など、街中暮しから郊外へと居を移しても都会風なモダニズムに拘った家の向うを走り抜ける電車、デハ100ですら新製後4年ですから吊り掛けモーター音にも古さは感じなかったことでしょう。
(8)地元のワルガキと転校生が入り混じる朝の線路際。こういうシーンもたくさんあり、その度に電車が登場するのがたまらない~。
ここで朝日に車体を輝かせているのは当時バリバリの新車、目黒蒲田電鉄モハ510のようです。
1932年の池上電鉄は目黒蒲田電鉄の包囲網に取り込まれ、2年後には合併されてしまうのですが、池上電鉄の線路をモハ510が合併前に走ったのでしょうか?
ここでひとつの仮説が頭をよぎりました。
映画ではひとつの路線に見えますが、家の前を走る線路は池上電鉄、その他の線路脇シーンは目黒蒲田電鉄の線路、って可能性はかなり高いのでは⁇
(9)
蒲田撮影所のご近所で効率よく撮影するために、家のシーンは(↑)池上電鉄の線路脇にセットを組み、それ以外のシーンはロケハンした結果目蒲電鉄沿線で、って言う事かも?これは映画ではよくあることですが。
ちなみに下の電車も目黒蒲田電鉄モハ200形(増備車300形かも?)~大井町線用に造られた川造形と呼ばれる全鋼製車でした。(10)
このカーブは何回か登場し、そのたびに走る電車がなかなか魅力的に捉えられています。
この映画は主人公の自宅、学校、上司の自宅、勤務先、が主な舞台ですが、次の踏切も印象的に登場します。
(11)ここまでは親子3人~この踏切を渡ると父は会社、子供たちは学校に行きます 。(12)
親子それぞれにとって、家と社会(会社・学校)との結界となっているのがこの踏切、踏切がこういう扱いで登場する映画は他にもありました。
踏切から走り去って行くのは池上電鉄デハ200か?はたまた東京横浜電鉄モハ500形か?。前記の仮説が当りだと、東横(目蒲)電鉄かなぁ?
例によって読者諸賢のご教授お待ちしております。
学校に入っていく子供たちの後ろにも電車が~
映画ではしばしば鉄道車両は『動く背景』として使われますが、父親が学校の担任から子供たちのズル休みを知らされるこのシーンでは、運転台のひさしとパンタが印象的なモハ510のお顔と~
(14)(15)
川造形がその役目を果たしています。
下のカットは電車ファンなら涙ものですね!モハ510とモハ200のすれ違い、510の川造・三菱形パンタもはっきりと見えてます。こんなシーンが池上電鉄とは、やっぱり思えないなあ。
510は東急になってもデハ3450としてご長寿を保ったのは、皆様ご存知のことと思います。
(17)(18)東急の代表的電車として、映画の当時の姿に復元されているのは、戦後の代表5000形の惨状に比べてラッキーです。
前面窓下のドアーエンジン装備車の表記にご注目=映画の中の電車に白く見えてるのはコレだったのですね。
映画に戻ります~再び踏切のシーンです。毎朝親子三人で通り、会社と学校に別れていく踏切&電車のカットのリフレインは、後でご紹介する自宅の庭先のシーンとともに、この映画の印象的なシークエンスだと思います。(17)(18)
子供たちが結界だと感じてる、というのは上の台詞で解ります。
微妙に傾いた架線柱や線路脇の干し物?がイイですね!今度走り去って行くのは200形でも目黒蒲田電鉄のほう=川造形です。
こちらは荷電となり池上線を走るところや、熊本電鉄での姿をCedarは撮影できました。
(20・21)
こうして見ると、昔の電車はホントに長生きでしたね。
価格半分、寿命半分なんて発想は無く、ひたすら丈夫に造られていたのでしょう。
小津が作ったサイレントムービー『生まれてはみたけれど』
こんな調子で、池上電鉄(&目黒蒲田電鉄)電車がほぼ出ずっぱり、って感じの映画なのです。
オールドTQファンは必見です。
うわー!
この映画、何度も見てるハズなんですが、こうして電車の解説入りで見るとよろこびもひとしおです♪
ちょうど、
「箱の載せて酔っ払った目で見るとそれなり」なモハ1000が完成したところなんでさらに余計に!
でもやっぱり、こんなの見たらキャメラだけではなく小津自身も電車大好きに見えますね~~
ありがとうございました!
by 五島慶犬 (2014-04-01 09:19)
■五島慶犬様
速攻コメとは珍しい~モハ1000効果でしょうか?
この映画ではホント5分に一度は電車が写りますね。
小津さんは電車が好きというより、場面転換の句読点として電車や線路を使うのが好きだったようです。
この映画では、電車の間合いでスタートしたカットが多かったでしょうね。
by Cedar (2014-04-01 09:58)
★CASCO事業部様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-01 14:05)
なかなかすごいですね。
そういえば、秋刀魚の味にも、池上線が登場しましたね。
おっしゃるとおり、電車を使って上手に味付けされますね。
by のり (2014-04-01 16:27)
■のり様
小津映画といえば横須賀線の他には、池上線が登場頻度高いですね。
『お早う』にも池上線の架線鉄柱が印象的に登場しました。
この作品でこれほど電車が出てくる理由=アクションやチャンバラでないテーマで無声映画だから、バックに動きが無いと退屈な画面になってしまうと考えた、という話をどこかで読んだような・・・
たしかに『東京物語』みたいな演出は、無声映画では無理ですよね。
★nd502様
★hanamura様
★あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-01 20:24)
★あるまーき様
★UZ様
★denta60様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-02 07:08)
Cedarさま
パチパチパチパチパチ!
いつもながら映画鉄ネタおもろいです!!
そういえば、白いペンキ塗りの柵有りましたネ。
電関人の網膜の印画紙に最も古く残る画像かもです。
そのころには、西鉄大牟田線の春日原駅から国鉄鹿児島本線の
列車が見えてました。
まだモ200が大牟田線運用時代で乗るといつも端っこの丸いところに行って
非常ブレーキのハンドルを握りしめていた記憶が有ります。
急行ですっ飛んで春日原を通過する連接車500形。
そして、その頃の鹿児島本線では日曜の朝親父に手を引かれて
母校の小学校裏の定番へ行き、ゴールデンタイムショーである
1レさくら、3レはやぶさ、5レみずほを見送ります。
全て20系で牽引機はC59やC60(鳥栖機)でした。
うろ覚えですが、確か青プレートを見ていて次位がパンタ付きの
カニ22でしたから1レさくらを牽くC591号機かと。
以上、電関人の網膜劇場からでした(爆)
by 狂電関人@昼休み (2014-04-02 12:58)
■狂電関人@昼休み様
拍手ありがとうございます。
網膜劇場から(爆) ~いいコピーですね!
今度盗用しちゃうかも~
子供の頃の記憶にある線路端から見た電車・汽車=その呪縛から逃れられない大人子供が鉄になるんですね。
by Cedar (2014-04-02 13:46)
一つところで撮影しているわけではないので、自宅は池上電鉄の沿線、踏切は目蒲電鉄の沿線で撮影したと見たほうがいいでしょう。
というか、蒲田駅近くなのかもしれません。
最初のほうで、子どもたちが遊び場に使っているところで蒲田電車区が出てきたような気がするのですが。
これを見たのが山田洋次の映画企画なので。あの人もこういうの好きだから。
by なにわ (2014-04-02 21:15)
■なにわ様
やはり思った通りですかね。映画では切り貼りは日常ですから。踏切の場所に関しては徹底的に考察されたサイトもあります。
蒲田電車区は次回取り上げますよ。
by Cedar (2014-04-02 22:15)
昭和7年の作品ってとこがミソですね。例の大東京市35区(今の23区とほぼ同じエリア)になったのがこの年で,蒲田は東京府荏原郡蒲田町から東京市蒲田区になった時。蒲田が東京郊外から市内になって,この映画の主人公のように移り住む人がかなり増えた時期だったんでしょうね。
当時の地図を見るといろいろと面白いことが見えてきます。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/1815018.html
池上電鉄と目黒蒲田電鉄の蒲田駅が,今のように省線と直角に位置していなくて並んでいて,どちらの鉄道も一旦多摩川側に出てからカーヴしているのや,蒲田電車区も判ります。松竹蒲田撮影所も記載されてますから,ホントに近くでロケしていたのが伺えますね。蒲田区の人口が98,122人だったとも…。
蒲田電車区の線形はこっち(↓)の地図の方がキチンと記されてますが,撮影所の記載はないので,両方を見比べる方がよろしいかも知れません。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/1814912.html
京濱の蒲田駅の次の駅が出村(でむら),雑色との間に1駅あったのも判ります。
相も変りませず本来のネタ,映画とは無関係な話で失礼しました。
by Tad (2014-04-03 03:46)
■Tad様
地図URLありがとうございます。
目蒲線池上線の線路の変遷は知ってましたが、この地図をヒントにロケ場所探しができそうです。
蒲田電車区の奥に伸びる謎の引き込み線は映画にも出てきます。次回取り上げるつもりでした。
京濱電鐵の出村は新幹線スタイルの通過線があったとか、さすが京濱!
by Cedar (2014-04-03 10:01)
■Tad様
追伸、蒲田の当時の地名、矢口村ではなく荏原郡蒲田町だったのですね。記事は訂正しました、ありがとうございます。
by Cedar (2014-04-03 12:01)
★SpeedBird様
★suzuran6様
★シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-04-06 12:21)