鞍馬山のデオ・昭和52年(その1、デオ200) [昔鉄写真]
何時も素晴らしい模型や実物写真を発表されるChitetsuさんのブログhttp://tsurikakedensha.blogspot.com/ しばらく前に叡電の山区間での写真がUPされたときに『ポール時代に似たような場所で撮ったはず』と思ってネガを探してましたが、やっとこさ見つかりました。
(1=二の瀬)
撮影は昭和52年の正月~市内から山を登ってくると温度は急激に下がり、沿線にはうっすらと雪が残っていました。(雪景色が見たかったと仰るChitetsuさんへプレゼント!?)
この時は山区間には叡電の代表たるデナは走っておらず、勾配に備えて電制つきのデオの天下でした(デオ=大形のオだったのはご存知ですね、ちなみにデナは中形=ナカ形)、当時デオには2形式ありましたが、まずは古いほうのデオ200形。いずれもどこかで見たようなアングルですが、ポール時代の姿だということで、まずはご覧下さいまし。
(2=二の瀬~貴船口)
叡山線は岩倉あたりから急速に山が迫り、勾配も50‰が登場して、登山電車の趣も感じられるようになります。こういう電車がポール集電で残っていたのは、関東鉄にはなんとも喜ばしいけど不可解でした。
(3)
昭和26年生まれのデオ200は、どことなく京王2600辺りの雰囲気を感じる3扉の18m車で、京阪に乗り入れることも想定した設備&車体寸法になっていたとか?
鴨東線が出来てもコレは実現しなかったのは残念でした。
(4・5)当時も鉄板スポットだった貴船口のホームから~
鉄橋の上にせり出したようなホームは柵も細く低く、結構スリリングな場所でした。
行く手の線路に白く雪が残っていましたが、谷を吹き抜けてくる風の冷たさはよく憶えています。
昭和42年の同じ場所=こちらは麗しのデナがばっちり写っています、やはり手すりが低くて怖い!
(6)
ところでポールカーは後追いのほうが絵になる、と思うのはCedarだけですかね?
終点鞍馬の風景です。『これ以上先は行けまへんえ~』という谷あいに小ぶりなポールカーが発着するのは風雅な味がありました。鞍馬山の入り口らしい寺社風駅舎がいいですね。(7)
雪や氷で滑らないようにホームの端に筵が敷いてあるやさしい心使い・・・(8)
車窓さんの鳴らす発車ベルが山間にこだまします。~都に向かって山を下りていく電車はポール操作のため寒いのに中央窓が開いたまま。車掌さんいろいろとご苦労様です・・・
帰りには駅間の撮影もチャレンジ!SLファンなら当たり前なんでしょうが、電車やは『電車は生活感を入れ込んだほうがいいですから』とか何とか理屈をつけて、線路際や駅近くでお茶を濁す傾向がありますね(=オマエだけ?スイマセン!)
それにしても、市内から30分ほどで山線そのものの景色が撮れるとは・・盆地の都市京都ならではですね。Chitetsuさんの記事にも登場した二の瀬~貴船口間の大カーブです。
(9・10)
(11)そんな景色にほだされて(?)『何とかと煙は高いところに上る』の例え(=Chitetsuさんの記事には、もっとハッキリ書いてありましたが・・)の通りに俯瞰までやっちゃいました。
(12)
てなわけで、Chitetsuさん記事の遅い遅いアンサー記事・・・
次回も薄雪の鞍馬山中から~今度はカルダン車デオ300の姿をご覧下さい。
懐かしいですねぇ。素晴らしいです。
京都市電が廃止された翌日、訪問して鞍馬を訪れています。しかし、まことに残念ながら、そのネガが行方不明です。鞍馬から岩倉までを写しながら歩いたので、想い出深いのですが、写真が見当たらないのがとても残念です。
by のり (2013-10-14 07:25)
Cedarさま
残雪の二ノ瀬は趣があっていいですね。
電関人もこの二ノ瀬、貴船口界隈が大好きでした。
ポール時代にはぎりぎり滑り込めましたがもう少し撮っておきたかったですし、
嵐電のポール時代に間に合わなかったのが心残りです。
by 狂電関人 (2013-10-14 11:58)
■のり様
嵐電と並び京都らしい電車、という感じがした叡電ですが、最近は??
電車だけでなく京都の街全てが変わっ他のでしょうね。
■狂電関人様
京津線、嵐電、叡電の順にポールが消えて行ったのには理由があるんでしょうか?京福2社を見れば、当然叡電が先にパンタ化されるものと思っていました。
★undo様
★あるまーき様
★nexus6
★あおたけ様
★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-10-14 16:23)
デオ200が京阪乗り入れを想定していたんですか。ポールで乗り入れたら面白かったでしょうに。叡電も今はつまらない車両ばかりで足が遠のいています。その点、嵐電の方がどことなくポール時代のムードが残っていていいですね。
by EF510-230 (2013-10-14 19:22)
■EF510-230様
デオ200にもパンタ台は着いてましたね。
叡電ほと車両が魅力無くなった電車も珍しいですね。今と昔は
月とスッポンですね。
嵐電も妙な塗装止めてくれないと。
★フジトモ様
niceありがとうございます
by Cedar (2013-10-14 19:37)
こんにちは、ポールに間に合わなかった(単に情報不足?)Chitetsuです。
雪のプレゼント、ありがとうございます^o^。
やはり叡電はポールに緑とクリームツートンですね!
これが来るなら高い所登っちゃいますよね。
ポールは車掌さん大変そうですね。
実際はポルトガルと明治村しか見ていませんが。
by Chitetsu (2013-10-15 15:06)
■Chitetsu様
こちらこそネタ元をご提供戴きありがとうございます。
ポールの扱いはやはり分岐などでは大変だったようですね。ポールも先端がスライダーだと外れにくいようです。叡山線は京津線のパンタ化で不要になったスライダーを使って交換したとか。嵐電は最後までホイールでした。
リスボンでは分岐でポールが外れるのを何度か経験しました。
★シュウチャン様
★たじまーる様
★FTドルフィン様
by Cedar (2013-10-15 22:08)
昭和52年当時の叡山電車の風景は、こんな感じだったのですね。
素晴らしいですね。
感動しました。
実は昨年の夏、この記事の(2)および(3)の場所で、現在の叡電の看板車両「きらら」を撮影したのを思い出しました。
by 京阪快急3000 (2013-10-16 07:03)
■京阪快急3000様
最近の叡山線にはご無沙汰してますが、これから紅葉の季節などは賑わうのでしょうね。せっかく感動していただいたのに、写真のNo.がめちゃくちゃでした。
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-10-16 11:18)
「叡電」に初めて乗ったのは、阪神淡路大震災から2ヵ月後、まだ新幹線が新大阪~姫路間で復旧していなかった平成7年3月の京都旅行。京阪出町柳で乗り換えて終点の鞍馬まで乗り通し、鞍馬寺にお参りしています。その鞍馬山の境内には「ミニケーブルカー」があり、私も乗ったのですが、このミニケーブル、実はれっきとした認可を受けた鉄道なのだそうです。帰りは参道を歩いて山を下り、鞍馬駅まで戻っています。毎年「時代祭り」と同じ10月22日の夜に行われる「鞍馬の火祭り」は、その参道の途中にある「由岐神社」の例大祭で、その日は見物客が殺到するため単線で2両編成の電車では増発しても限界があるので到底捌き切れず、「超満員札止め」になるとか。
by 伊豆之国 (2013-10-17 20:20)
■伊豆之国様
鞍馬の火祭りは昔から叡電の稼ぎ時ですね。ポール時代はデナの2連が2本ポールを上げて走る写真が雑誌に出ていました。
by Cedar (2013-10-17 20:43)