昭和の夏鉄グラフィティ [昔鉄スナップ]
先日、スーパーで懐かしいモノを発見して早速購入~夫婦で懐かしがっていたら、同じマンションの若夫婦に、『給食でよく出ましたよ~』と言われました・・時代の差がここにも~
それはさておき、今日はこの冷凍みかんをきっかけに、Cedarの夏の思い出鉄写真を並べてみました~
(昭和36年・小田原)
まずは今から半世紀前(!)の小田原駅の夏風景。
冷凍みかんの発祥地はここ小田原なのだそうです~
東海道線電車の車内からの撮影です。
新幹線の高架の片鱗すらなく、ヤードには小柄な2軸貨車の列が・・
このころ小学生だったCedarは、祖父母や従兄弟たちと毎年伊東の海に1週間ほど行っていました。
湘南電車での往復に、冷凍みかんは必ず登場しましたね~祖父は『アレは結構高けぇんだ』といいながら子供等のリクエストに応えてくれました。当時はネットに入れられて5~6個入っていたと思いますが値段はよく知りません。
復刻品(?)のビニールに赤い網目模様がプリントされてるのはそのイメージなんでしょうね・・・
鉄ガキの楽しみは小田急と箱根登山鉄道の電車でした。懐かしい小田急ロマンスカー塗装の登山電車2連、窓が開け放さされた暑い車内にはお客さんがいっぱいです。
大人たちはやっと遊ぶ余裕ができ、ガキはそれに乗っかって大人に迷惑掛けていた~そんな時代でした。
小田急もでっかいネオンでロマンスカー宣伝に大童でした。四角い電気機関車ED1030と茶色のデハ1600も懐かしいですね。
(昭和38年夏・両国)
時は東京オリンピック直前、我が家の海水浴も伊豆から房総にシフトしました~いかなる理由かは分りませんが・・・
で、当時の房総方面のターミナル、両国駅でのショットです。まるで中国かベトナムの列車みたいに混みあったDC準急で約2時間。内房の岩井・保田あたりが目的地でしたね
座れたから余裕の笑みはわが弟~向かい合わせの席の家族は子供1人は立ちんぼです~今時のこらえ性の無いガキ(=失礼!お子様)なら、文句言いまくって大変でしょうねえ。
当時国鉄は2等級制でしたが、千葉方面には狭い座席+背ずりは垂直の板張りという3等車が現役でした~鋼体化客車の走りオハ60。夏になるとSLに牽かれて準急で走ってしまう事もありました。
同年夏の別の日、さすが表街道の東海道線では3等客車はすでに休車でした。
(昭和38年・大磯)
この時はOISOロングビーチに行ったのだと思います。後の芸能人水泳大会(騎馬戦で女の子のビキニの上が外されるのがウリでした)の中継会場でしたが、当時はそんな不埒な番組は勿論まだありませんでした。
このころはCedarが自分で撮影したものは少なく、ガキの海水浴に同行した父が撮った写真が殆どです、そもそも海になど興味ない(=そもそも泳げない!)父ですから、海の写真よりこういう駅頭の写真がぽつぽつ残っていて、コレが今となっては面白いです。
(昭和40年・保田)
夏になるとSL臨時が大増発された房総線、SLのための給水タンクに水を運ぶミムや、鋸山をバックに保田駅に進入するC57の画像が残っています~
Cedarとしては電車でないので当時イマイチ関心が湧かなかった、ような記憶が・・・単線、非電化、腕木信号の鉄道に相応しいのんびりした漁村の夏、その空気感の記憶は懐かしいですね。
昭和も40年代になり、中学~高校時代は、家族との海水浴の思い出がらみの鉄写真から、旅の目的が『鉄写真そのもの』になってきました。
母方の親戚のある名古屋周辺には何度か出かけました~なんたって宿泊費が・・・。
(昭和42年・名鉄上芥見)
こんな景色を行くこんな電車が見られるので、足繁く通ったのでした。
岐阜の名鉄がいちばん楽しい時期でしたね。
(昭和42年・徹明町)
そして、今も思い出に残っているのは、昭和43年夏の東北電車めぐり・・・。
(福島)
あの夏、自分がこんな景色の中にいられたこと~本当に素晴らしいと思います。
(花巻)
(仙台)
その一方で、高校生になると鉄ガキCedarも色気つくのは当たり前、音楽やオ●ナ、に走っていた時期でもありました(=鉄はモテナイ、と痛感したのもあります)。
それでも湘南の友人宅に遊びにいったついでにちょこっと鉄したりして・・・・・
(昭和44年・江ノ電峰が崎=信)
(昭和44年・片瀬江ノ島)
青と黄色の小田急。2600系NHE車がデビューしたての頃でした。
高校時代はマトモに勉強もせず、遊びほうけていたCedarが大学生になったのは万博の年~
(昭和45年・十三)
人生最大のモラトリアム期(!)の4年間は夏になると遠くに近くに旅行でしたが、必ずしも鉄メインでなかったですね~そんな夏鉄グラフィティは以下に・・・・
昭和46年の山陰旅行
~非鉄友人との2人旅でしたが、道中では東海道線緩行のクハ55を三宮で撮ったり~
(今のCedarにはバックの阪急三宮駅が懐かしいですが・・・)
伯備線のD51+DD54の客レに乗ったりしてますね~
東京近郊の電車はさすがマメに撮っています~
夏といえば江ノ電。今のように大混雑はせず、まだまだのんびりしていました。(昭和47年・江ノ電 長谷)
この時はたしか女友達と一緒だったかも~『なんでモノクロフルムなの~!』と罵倒された記憶が蘇りました(汗)。
同じく夏に稼ぎまくっていた京急、快特(カイトク)ならぬ海特(ウミトク)が大増発されて、非冷房の吊り掛け車も大げさなヘッドマークを掲げて走ったものです。
(昭和47年・横浜)こういう運行も、今ではすっかり消滅したですね。
(昭和47年・青砥)
今も昔も関東私鉄不人気No1の京成がCedarの地元鉄でした~改良工事中の青砥駅で撮った日暮里行き急行、当時は上野駅も改良工事中で全列車日暮里折り返しだったのでした。
(昭和47年・近鉄 伊賀線)
春休みに行くことが多かった(=関西の夏はなにしろ暑い!)関西私鉄めぐり、この年だけは夏に行ったのです。万博のあとも残っていた古強者もそろそろ引退の時期を迎えていました
(昭和47年・京阪 河内森付近)
インタアーバンらしさが残っていた京阪は関西に行くと必ず乗るか撮るかしてました~当時関西に多かったケチケチ更新車=使えるものはとことん使って改良したもの=のひとつ500形、まだ緑も深く単線だった交野線での撮影でした。
(昭和48年・一畑 宍道湖畔)
この夏は、学校の鉄クラブの合宿や日帰り旅での撮影が主になっています。いかに呑気なCedarとはいえ、先のことを少しは考えていたのでしょう~?
(昭和48年・銚子電鉄 犬吠)
(昭和48年・外川)
夏のけだるさ、なんていうのも、そろそろ意識したりした頃・・・
この年が学生時代最後の夏でした。
以上~Cedarが鉄ガキから鉄道青年になっていった頃の『夏鉄グラフィティ』。
今日はこんなところで・・・・・・暑さに負けず、冷凍みかん食べて、頑張って鉄しましょうね。
冷凍みかんの発祥地は小田原ですか、知らなかったです。
今年こそ遠出しようと思っているのですが、どうなりますか。
ヤフオクで18きっぷの2回分とか出てないか見てますが、入札者が多く、無理そうですね。
江ノ電は見に行ってこようと思っています、田園都市線から小田急、江ノ電への「お得切符」が出たもので、それを使おうと思っていますが。
そろそろ都電、またお願いします。
楽しみにしてますので・・・・・・・
by ニャンゲルハンス (2013-07-26 10:51)
京急400形の海水浴特急、ヘッドマークがいいですねぇ。吊り掛け車の高速運転、想像しただけでワクワクしました。
自分が物心ついた頃は、夏休み期間中は夏季ダイヤになり、快速特急が三浦海岸、三崎口へ10分ヘッド・京浜蒲田臨停で増発運転されていました。
by ドラもん (2013-07-26 10:55)
吊り掛け車は高速域に入ると重低音がかすれたような乾いた音に変わり、それはそれで良い音がしますね。
自分の世代では既に本格的に楽しむのは手遅れで、引退直前の瀬戸電6750系でその片鱗をかろうじて味わっただけでした。
by 影武者 (2013-07-26 11:23)
今日は懐かしの写真が大安売り(失礼)ですね。冷凍みかんとゆで卵は昔の汽車旅には欠かせないものでした。両方とも今は姿を消していますね。それと大手メーカーでないカップのバニラアイスクリームがとってもおいしかった思い出があります。あのアイスクリーム、もう一度食べてみたいです。
by EF510-230 (2013-07-26 11:30)
先週18切符で宇都宮~静岡を往復しました。冷凍ミカンは買った覚えがないです。自宅で冷凍庫に入れたかというと、それも覚えがないです。こんど家族4人で食べてみたいです!
by hanamura (2013-07-26 12:41)
冷凍みかん、激しく懐かしいです!
当家の夏の恒例行事は岡山県の父の実家への帰省でした。急行みまさかの車内で食べたことを思い出します。シャリシャリした食感が甦って来ます。
復刻品の袋の柄、キューピーマヨネーズにも見えますね。
by サットン (2013-07-26 18:34)
■ニャンゲルハンス様
夏の思い出つくりにお出かけ・・いいですね。
>田園都市線から小田急、江ノ電への「お得切符」が出た~
そうなんですよね!アレは使えます!でも休日の江ノ電は超がつく混雑だとか?
■ドラもん様
蒲田付近に住んでいらっしゃったのですよね?京急の夏は、昔はにぎやかでしたね、座席指定特急や電車の中で水着ショーまでやるのもあったとか?~カイトク・ウミトク~普通の特急も・・海特に230が使われたこともあったらしいですが,残念ながらその写真を撮り損ねています。
■影武者様
吊り掛け電車も今や日本では絶滅危惧種!?路面電車くらいしか残っていません。
台湾の電車特急自強号は120kmの吊り掛け音が楽しめます。~遠いですけど・・・
■EF510-230様
>懐かしの写真が大安売り~元々安い写真しか無いので(笑)・・
冷凍みかんは大阪近郊のJR駅で売られてるらしいです。
大手メーカーでないアイスって、記憶がありますが、バニラなんて洒落たものじゃあなかった・・
■hanamura様
冷凍みかんは家で作るのには、冷凍庫で凍らせてから表面に水をつけて氷の膜を作るのがコツだそうで・・・
■サットン様
復刻品もなかなかの食感でした。
でも駅弁と同じで、やはり窓を開けた向かい合わせのクロスシートで食べないと・・・・
★あるまーき様
★suzuran6様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-07-26 20:00)
ノーシル・ノーヘッダーの平妻クハ55、で、奇数向きとは珍しい55325じゃありませんか。
それはさておき、脳内に中村雅俊が流れてくるのであります。江ノ島あたりが原因でしょうか。
by なにわ (2013-07-26 20:52)
とても素敵な写真ばかりですね。ありがとうございます。
都会電車、田舎電車…さまざまな風景を楽しませていただきました。名鉄美濃町線は、最期までこの雰囲気が残っていましたね。「道端を走る!」、そんな言葉がピッタリくるような、まるで遠い昔の電車のような雰囲気でした。
by のり (2013-07-26 20:58)
■なにわ様
旧国の番号は奇数偶数向きやら、さっぱりわかりません。
中村正俊のドラマは江ノ電、井の頭線、玉電(世田谷線)などが登場してました。
江ノ電は千葉県知事主演の剣道部モノにも登場しましたね。
■のり様
拙い写真で10代の夏を綴ってみました。自分のティーンエイジは鉄道が急速に進歩した時期だったな〜と、改めて思います。オリンピックから万博までの時期と重なります。
★フジトモ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-07-26 23:05)
冷凍みかん、懐かしいですねぇ~。
幼少時代、親父に連れられて何度も乗った「湘南電車の二等車」での、その親父の田舎・西伊豆への旅路。必ずといってよいほど、おねだりして買った、その冷凍みかんの冷たく甘酸っぱい香りは、冷房もなく窓を開けっ放しの真夏の汽車旅では、まさに格好の旅のお伴だったのでした。
そういえば、その頃の伊豆方面への旅の土産の定番だったのに、いつの間にか全く見かけなくなってしまったのが「柚子餅」。形や大きさも「吉備団子」に似たお菓子ですが、黄緑色でほのかな独特の香りと酸っぱさ、今はどこに行ったのでしょうか? 7-8年ほど前、浅草の仲見世で売っていたのを発見したときは、思わず涙がこぼれたのですが…。
銚子電鉄に初めて乗ったのは、まさにその写真の頃。果たしてこんな電車、こんな線路で大丈夫なのか、と心もとなく思っていたのでした。江ノ電の「玉電」車両、初めは赤とオレンジだったかの塗り分けだったと記憶しています。宮の坂に保存している601号、玉電時代に復元されていないのが返す返すも残念です。京急の海水浴特急は、おそらく南房総からの帰り、金谷~久里浜のフェリーから乗り換えたの時に乗ったのではないかと記憶しています。確か「野比」だったか、「ホームが短いので停車しません」とアナウンスがあった記憶があります。
by 伊豆之国 (2013-07-26 23:49)
京急の海水浴特急は快特よりも停車駅が増えて
京浜蒲田に停まったので乗るのが楽しみでした
でも冷房車でクロスシートの旧600形を待っていたのに
きたのが400形でがっかりした記憶があります。
今なら吊り掛け車も楽しいでしょうけど。
by いっぷく (2013-07-27 06:44)
■伊豆之国様
ヘタレな写真で様々な記憶を呼び起こしていただけようで・・
『柚子餅』・・・・なんか、記憶にあるような・・・
■いっぷく様
海特はそれlこそ総動員の運用でした、私は乗ってないですが230まで使われたことがあったそうです。 ファンは喜ぶでしょうが、普通のお客さんはがっかりするでしょうね。
今や海水浴臨時電車って殆ど走らないのも、時代の流れでしょうか。
by Cedar (2013-07-27 07:38)
冷凍みかん,懐かしいです。
子供の頃の海水浴で毎回天王寺の駅で客車に乗る前に買ってもらったのを思い出します。
先日、その懐かしい冷凍みかんがいすみ鉄道の大原駅で売っていたのを見て,子供に思い出話をしました。
by Chitetsu (2013-07-27 08:09)
■Chitetsu様
天王寺駅から客レってのがこちらの両国とは違うムードです。いすみ鉄道、冷凍みかんもきっちり押さえてますね、さすがであります。
by Cedar (2013-07-27 10:01)
★シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-07-27 20:14)
初めて冷凍みかんを食べた時の衝撃といったら、もう...
アレは夏の伊豆に向かう157系「あまぎ」満席の車中だったかしら
フツ~のみかんがこんなに美味しく化けるのか! とオドロキの昭和40年代初頭でありました。
by nexus6 (2013-07-27 21:05)
そういえば、赤い網に入った冷凍みかんありましたね。
自分は冷たいのが苦手で食べなかったかな。
各地の夏鉄、あちこち行かれていたのですね。
by しおつ (2013-07-27 21:44)
福島の電車が懐かしいです。
冷凍ミカンは上野から福島の田舎に連れていかれるとき急行電車の中でいつも食べました。小田原が発祥の地とは私も知りませんでした。
(たしか上野駅ではまだ売っていたような・・・・)
すし詰めの房総急行も懐かしいです。
by やまびこ3 (2013-07-27 22:08)
■nexus6様
夏の伊豆行きが157系「あまぎ」とは・・世代の差がびしびしと~(笑)
でも冷凍みかんはそういうシチュエーションで食べるのがいちばんです。
■ しおつ様
>各地の夏鉄、あちこち行かれていたのですね。
なにしろモテナイ鉄少年ですから、ほかにやることが無かった(笑)!
社会人になってから夏の富士急にも行きましたよ。河口湖からバスで交付に抜けて身延線→伊豆急とめぐりました。
■やまびこ3様
冷凍みかん、やはり夏の列車の鉄板だったのですね~
上野でまだ売ってるなら今度是非・・
★ぷっぷく様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-07-28 01:44)
★Reirei様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-07-28 11:08)
すごい写真のオンパレード!!
コンビニで売ってる
ガツンとみかんってアイスが
冷凍みかんぽっくって
美味しいですよ!
by FTドルフィン (2013-07-28 13:11)
冷凍みかん。北陸のいなかへ行くときによく母親に買ってもらっていました。少しやわらかくなったときがとてもおいしかったです。
また、万博、私は小学生でした。万博の文字を見て、万博会場で迷子になって焦りまくったことを思い出しちゃいました。
by arail206 (2013-07-28 13:13)
■FTドルフィン様
冷凍みかんは美味しいけどお高い。
ガツンとみかん、あとで買ってきます。
■arail206様
万博は大学の先輩がバイトやってて、何度か行きました。
いま写真を見ると、麦わら帽子に開襟シャツのお父さんが目立ちます。
やっぱり昭和だなぁ、って感じです。
by Cedar (2013-07-28 13:40)
いかにも夏らしい写真に暑さに浸りました。お盆の帰省の友だった冷凍みかんの冷たさや食感がなつかしいです。海水浴に列車で行ったシーンは案外記憶に残っています。氷見線のC11牽引の客車列車、天王寺から満席の「きのくに」、外房線の113系のG車など。大阪万博の頃は新旧の車両が混在していてバリエーション豊かな時代でした。
by 京葉帝都 (2013-07-28 14:40)
■京葉帝都様
海水浴と列車の記憶は皆さんお持ちですね。子供の頃、青春時代、親となって家族連れ~今は海水浴臨時列車もすっかり減ってしまいました。
万博の前後は鉄道の近代化が一気に進みましたね。
★ひでほ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-07-28 18:13)
昔は、キオスクで冷凍みかんを購入して列車に乗りこむのが定番だったのを思い出します^^
現在の様にコンビニなど気軽に立ち寄れる商店がなかった時代です…
by とーる (2013-07-28 21:08)
■とーる様
夏、列車の旅に冷凍みかんは付き物でしたね。今は駅ナカ駅ソト、自販機と便利になりすぎですって気もします。
by Cedar (2013-07-28 22:28)
★ねじまき鳥様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-07-29 01:05)
★oomori様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-07-30 17:34)