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モノクロームな台北ストーリー(松山站、南港界隈) [外国鉄写真(昔)]

先日見て戴いた台湾・台南の思い出の記事をきっかけに、1992~5年あたりの台湾の画像探しを始めてしまった。

taiwan011RR.jpg(1)
今日は台北市内のモノクロスナップで、20世紀末の台湾の雰囲気を偲んでみる。

今は地下に入ってしまったが、当時の台鉄縦貫線は台北駅の前後以外は地上を走っていた。台北から基隆に向かって次の駅、鉄道工場があった松山(ソンシャン)車站の近くに友人が住んでいたので、台北に行く度に訪ね、時には宿賃節約(=出張費の節約!)もしたものだった。

'90年代の台北は、経済成長に伴う都市改造の真っ最中だった。縦貫線の地下化や、危険なバラック街の再開発、更には捷運と呼ばれる地下鉄網の整備が進行する一方で、従来からのゆったりとした都市の生活も残っている魅力的な街だった。

(2・3)
taiwan018RR.jpgtaiwan014R.jpg
松山站は東京で例えれば品川のような運転上の要衝、台中、台南、高雄方面に向かう優等列車の多くがここを起点とし、ホーム4本の橋上駅となっていたものの、周辺には目立った繁華街やオフィス街があるわけでもなかった。

(4)ここは松山車站の台北寄りにあった踏切、初めてこのシチュエーションを見たときには「これぞ台湾!」と感じたものだった。
taiwan02R.jpg
アメリカンスタイルのELに牽かれて南へ向かう復興号(フーシンハオ=旧国鉄で言えば準急が通過していく。二人乗りのバイク、自転車のおじさん(台湾語でもオジサン)の藁帽子の形にも台湾を感じる。

「小心両方来車」とか、踏切標識に付けられた「停看聴」~日本なら「止まれ見よ!」だ…
同じ漢字の国だなあ~と思わず頬が緩む。


 

taiwan013R.jpg(5・6)台北01.JPG
松山站周辺は台北の街外れの例に漏れず、1階は様々な商店になったアパートの間に廟や市場が点在する街並みが広がっていた、街路はどこも盛大な路上駐車・・・
~台北の街並みには整然と雑然、呑気さと慌しさが同居していた。

(7・8)
taiwan01R.jpg台北03.JPG
このエリアは松山航空站(空港)が近い。当時は国内線専用の空港だったので、小柄な旅客機が街並の上に飛び立つ姿を、中国的なデザインの廟の屋根と一緒に撮ってみたりした。

こういうところでぼんやりしていると、出張中であることを忘れて、この街に暮らしてる気分になってしまいそうになる~台北の路地にはそんな魅力があった。

台北02.JPG(9)

taiwan010R.jpg(10)
ある朝のシーン、友人のアパート近くの路地。出張費節約のためには朝食も屋台で~クルマに挟まれながら台湾の定番朝食=豆乳と揚げパンの組合わせを食べていたら通り雨が降ってきた・・


友人のアパートは線路からも近く、部屋の窓からは両側をアパートの壁で挟まれた小路の奥に、行き交う列車の姿が見えた。

(11・12)日本では見られないアメリカンスタイルのELやDLが、日本のとそっくりの貨車や群青色に白帯の旧形客車を牽いていく姿は、異国的なようでいて日本的な鉄道風景だった。taiwan016RR.jpgtaiwan017RR.jpg

しかし、この写真は列車内からの撮影。なぜなら友人の部屋は台湾のアパートの例に漏れず、窓に嵌った泥棒除けの鉄格子が邪魔で撮影不能!台北アパート.jpg(13)

ならば屋上から撮影したい~と相談すると、屋上は最上階の住人が柱と屋根をつけて占拠する=ワンフロア増やすのが常なのだそうで・・・これも今も変わらない台湾事情のようだ。

(この記事の画像にも「屋上屋」の姿は確認できるはず。)

(13~15)松山と次駅南港(ナンガン)との間には車両基地が広がっていた。当時は電車は少数派で、屯する様々な塗装の客車や機関車を見ていると、同じ1067mmゲージのせいか、そのまま昭和日本のヤード風景~東京なら尾久という雰囲気だった。南港01.JPG南港03.JPG南港02.JPG

(16)再び松山站。当時はこんな列車も地下の台北車站に出入りしていた。開け放たれた窓とその下の右書き&手書きの行先表示、大きな台鉄マークが良い味わい…。
taiwan04R.jpg松山03.JPG(17)
台湾最大のターミナルのすぐ隣駅なのに、のんびりムードが漂っていた松山站とその周辺だが、現在は松山站を含め南港まで地下化され、車両基地も移転したとか・・taiwan07RR.jpg(18)松山02.JPG(19)

香港や大陸の街のように<激烈変化>ではないにせよ、懐かしいこの街のムードも随分変わったことだろう。

20世紀末、モノクロームな台北の記憶はこのへんで・・・


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コメント 12

FTドルフィン

ホームのリヤカー
線路脇の電気ボックス
入換信号機
小物達も、日本と雰囲気が似てるんですね
by FTドルフィン (2013-03-09 07:10) 

まーくん

私が始めて台北に行ったのは93年5月でしたがちょうど国鉄が地下に埋まったばっかりでした..
by まーくん (2013-03-09 08:31) 

nexus6

'80年代後半の彼の地は、まだ一応は戒厳令下にあって、鉄道とかの写真撮影が禁止でしたね。
私と入れ違いに出張した鉄同僚が、そんな禁止を顧みず駅撮りして、警官だか駅員さんだかに追いかけられた なんて逸話もございましたっけ。
ちなみに、捕まらず逃げ切れたそうです.. (^^)
by nexus6 (2013-03-09 09:51) 

Cedar

■FTドルフィン様
台湾の鉄道は日本統治時代の日本のシステムがそのまま継承されています、信号システムなどもそうですね。
戦後の大改良においては日本と中国が国交回復したこともあって、電化小路は(架線の様子でお分かりのように)イギリス、複線化時のCTCシステムもドイツ(だったか?)が落札しています。
高鉄も線路はフランス、車両は日本ですよね。
■まーくん様
この写真もほぼ同じ頃だったと思います。松山駅の手前まで地下に潜った直後でした。
初めて台北に行ったときは台北~松山間、南は萬華からは地平でした。そのときの写真は~
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-06-06-3
■ nexus6様
私が行った頃は全く問題なかったですね~むしろ韓国のほうが厳しかった。
沿線の鉄橋やトンネルの際にあったコンクリートの監視小屋も使われていませんでしたし・・・

★モボ様
★あるまーき様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2013-03-09 10:48) 

line

懐かしい写真ですね。私も同じ頃に台湾に行ってました。
当時、地下の台北駅の煤煙と黄害にビックリ。その印象があまりに強烈で、今でも思い出します。
しかし、折角地下化したのに台北と松山間に新駅を造らないんでしょうかね。市街地であれ程長い駅間も勿体無い気もします。
by line (2013-03-09 16:16) 

Cedar

■line様
台北駅から花蓮行きの自強号が出発するときの盛大な煤煙にびっくりした記憶が私にもあります。
台北と松山の間には2箇所くらいホーム状のモノがありますが、非常用の出入り口のようです。すぐ南に並行して捷運(地下鉄)が走っているので不要ということでしょうか?

★あおたけ様
★undo様
★hanamura様
nice!ありがとうございます




by Cedar (2013-03-09 17:53) 

Cedar

★素人写真様
★フジトモ様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2013-03-09 23:16) 

Cedar

★arail206様
★ハマコウ様
★ゆうみ様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2013-03-10 17:51) 

Cedar

★さらまわし様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-11 00:04) 

Cedar

★いっぷく様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-11 05:13) 

狂電関人

Cedarさま

モノクロームの台湾。
ムードが伝わってきます。
湿潤な空気と猥雑な喧騒。
かえって色が無い方が見るもののイマジネーションを
掻き立ててくれます。

楽しませていただきました。

謝謝
by 狂電関人 (2013-03-11 20:56) 

Cedar

■狂電関人様
台北の匂いと空気感はモノクロームがなぜか似合う気がしまして・・・

極彩色をモノクロームで~当時割と好きでした。

★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-11 22:46) 

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