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1992年3月6日、台湾省台南市 [昔の今日のスナップ]

20世紀の終わり頃、台湾に足繁く通っていたものだ。

92台湾13.JPG(1)
当時の台湾~昭和高度成長期の日本を思わせる勢いと、中国文化の伝統的暮らしの綾織りに加えて、日本植民地時代の面影までがない交ぜになって、そろそろバブルに疲れた日本人にはなんとも楽しく、癒される場所だった。
台南駅.jpg(2)
鉄道にもそんな懐かしさと楽しさが溢れていて、時間が出来ると列車に乗ってあちこち彷徨っていた。


(3・4)21年前の今日Cedarが訪れたのは、南回帰線を越えて南下した熱帯の古都台南
台南ホーム端.jpg92台湾09.JPG
「台湾のなかでもっとも台湾らしい町」といわれていた、その玄関口は台南車站(駅)
椰子の植えられた駅前ロータリーを横切るスクーターが、台湾らしさ満点で嬉しくなった。

駅舎に面した第一月台(1番ホーム)は故宮脇俊三氏の名著「台湾鉄路千公里」に「その昔の京都駅1番線を思わせる~」と書かれたとおりの広いホーム、スハ44に似た長距離用客車を連ねた列車が入ってくると、幹線の主要駅らしい風格が漂う。92台湾08.JPG(5)

92台湾07.JPG台湾宮脇本.jpg(6・7)

駅を出て街を彷徨う。
(8~10)古都といえど、成長真っ只中の活気は台湾そのものの賑やかさ。92台湾14.JPG
台南街01.jpg
92台湾17.JPG

台南の街並みはなんとも魅力的だった、 看板のデザインや大きさこそ中国的などぎつさだが、それを掲げた街並みは私が生まれ育った時代の東京のようだ、と感じるのは、やはりここが日本の植民地だったからだろうか。

92台湾16.JPG(11)
台南は、戦後国民党とともに大陸からやってきた人(外省人)の多い北部に比べて、戦前から台湾に住む台湾人(内省人)が多いのも、台北とは違う雰囲気を感じた理由かもしれない。

この小路など、東京の佃あたりの裏路地的雰囲気を感じる~台南路地.jpg(12)

こちらは「サカリバ」と呼ばれる昔の繁華街の一角、他にも「ウンチャン」「テイシャバ」など日本では使われなくなった言葉が、当時の台湾には生き残っていた。サカリバ2.jpg(13)
美味しい麺の屋台で、日本語ぺらぺらのオバサン(欧芭桑)は「サカリバの巴の字は昔は婆だったのよ~」と言って笑った。
台南屋台.jpg(14)

92台湾15.JPG(15)
蒋介石の銅像、古い形のキャブオーバーバス、そして当時の台湾の活力のシンボル=バイクスクーター
世紀末の台湾をシンボライズする組み合わせ>というのは大げさだろうか?

かつては主要な駅前には必ずあった蒋介石像、当時は「台湾ナショナリズム」の台頭で撤去されつつあったが、今は再び評価が高まって、復活したものもあるとか・・複雑な統治の歴史を秘めた台湾ならではの話である。

92台湾01.JPG(16)
街を歩いて戻ってきた台南車站、日本の駅頭からは消えてしまったこういう光景も懐かしさでいっぱいに感じた。
朝に列車で着いたとき見かけたのより、更に古い客車が入るホームは、まさに昭和の国鉄の駅そのものの雰囲気~その中で、今は残っていないであろう繁字体の駅名票に「中華世界」を感じたものだった。
92台湾04.JPG(17)

今は高鉄(=新幹線)も開通し、台湾の交通も、文化も、暮らしも随分随分変わったと聞くものの、久々に台湾らしいあの匂いと音に出会いたい~、と時々思ったりする。台南廟.jpg台南街.jpg
(18・19)

今から21年前の今日、台湾・台南のお話はこれまでに。

 


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コメント 19

サットン

私の周りにも最近の日本の鉄道に飽き足らず台湾で乗り鉄してる
連中がいます。そして彼等に共通しているのが宮脇さんの「台湾鉄路
・・・」に刺激を受けている点です。もうすっかり様変わりしているようですが。
客車鈍行も無くなるとか、無くなったとか。
by サットン (2013-03-06 10:58) 

nexus6

待ってましたぁ~ Cedar先生の台湾ネタ
小生は'87年、東京で入梅宣言した日に彼の地へ渡り、台中で3ヶ月間の出張経験をしたのでありました。 
当時の同僚に、台湾でも「運ちゃん」は通じるよ と教えられ、正にその通りだったのがオドロキでした。
by nexus6 (2013-03-06 17:56) 

Cedar

■サットン様
「台湾鉄路千公」に描かれた台湾は私の頃ともだいぶ違っていました。台北駅は既に地下だったし、花東線もナローではありませんでした。
宮脇さんが乗ったナロー特急「光華号」気動車が花東線の普通用に使われていて、それに乗って面影を偲んだのも懐かしい思い出です。

客車鈍行も花東線にしか残っていないのでは?

★hanamura様
★あるまーき様
★あおたけ様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2013-03-06 17:58) 

ナツパパ

二年前台北に行きました。
中国本土に比べ、とても居心地がよかったです。
また行きたいなあ。
今度は台南にも...記事からはずいぶん変わってしまったのでしょうね。
by ナツパパ (2013-03-06 17:59) 

Cedar

■nexus6様
87年の台中で3ヶ月、出張で行っても精々1週間だったCedarにはなんとも羨ましいです。
台中の駅舎もなかなかクラシックでいいですよね。
台中の思い出としては、高雄からバスで台中に夜中に着いて道に迷ってしまい、たまたま見つけた安宿に転がり込んだら、隣の部屋のよがり声で寝られなかったことでしょうか?

★ナツパパ様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2013-03-06 18:11) 

Cedar

■ナツパパ様
台湾の人は大陸人に比べて、漢人とは思えない柔らかさがありますね。
南にいくと余計にそう感じました。

私もしばらく行っていませんが、変わっていると思います。
by Cedar (2013-03-06 18:16) 

Cedar

★ねじまき鳥様
★フジトモ様
★eniguma様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-06 21:59) 

Cedar

★いっぷく様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-07 06:45) 

やまびこ3

花東線も電化されるとか。
台湾や韓国は在来線にもしっかり投資を怠らないところが、どこかの国とは大違いです。
by やまびこ3 (2013-03-07 06:53) 

Cedar

■やまびこ3様
花東線の沿線は山地同胞と呼ばれる台湾原住の人が多く住んでいて、台湾鉄路中で最もローカル線な感じでしたが~電化とはビックリですね。
by Cedar (2013-03-07 19:48) 

Chitetsu

台湾はアメリカと同様未踏の地ですが、この台南駅の風景、正に日本の鉄道風景そのものをちょっとタイムスリップさせた感じだったんですね〜。
宮脇さんの一連の著作は私も愛読しています。
個人的にはインド紀行が一番のお気に入りです。
by Chitetsu (2013-03-08 07:18) 

Cedar

■Chitetsu様
当時の台鉄は、駅や施設は日本の面影が濃かったですが、気動車は日本、電車は南アとイタリア、機関車はアメリカとイギリス、客車貨車は日本と国産と、微妙なポリティカルポジションさながらの状態でした。客車にはインド製までありました。
そんな所も魅力的でした。

by Cedar (2013-03-08 12:42) 

狂電関人@昼休み

Cedarさま

台湾良いとーこいちどーはぁおいでぇはぁどっこいしょ~♪
っていっても私は1度だけインセンティブによる媒体社のツアーで台北周辺にのみ。
食べ物が何でも美味しかった記憶があります。
阿里山とか行ってみたいです!!
by 狂電関人@昼休み (2013-03-08 12:52) 

Cedar

■狂電関人様
台湾はひと時男性天国などと言われて、よからぬ事を企むオジサン団体が暴れてましたね(某日本橋の会社にも、そんな人が)。
私はファミ⭕の仕事で行って、日本の昭和40年代のような街と鉄道風景に嵌りました。阿里山には行ってませんが、嘉義駅で列車は見かけました。
by Cedar (2013-03-08 17:08) 

Cedar

★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-08 17:16) 

Cedar

★yakitorimitbier様
★Mack様
niceありがとうございます
by Cedar (2013-03-09 07:44) 

紅玉国光

後面窓の形からすると、キャブオーバーバスは古い日野でしょうか?
フロントエンジンのトラックシャーシー(レンジャー級か)に、リベット打ちモノコック構造のバスボデーを架装したものと推量致します。
上段窓がHゴム固定の立席客用窓(スタンディー・ウインドウ)、俗に言うバス窓(10系気動車等に使われていたアレです)も懐かしい。
今は彼の国も、リベットレス・スケルトン構造の新型リヤーエンジンバスに席巻されてしまったとか……。それどころか、日本製を押しのけてK国製やD国製が幅を利かせているらしいです……。
by 紅玉国光 (2013-03-20 18:18) 

Cedar

■紅玉国光様
当時の台湾は鉄道もさりながらバスが面白かったです。写真のキャブオーバーからダブルデッカーまで揃ってましたし、地方都市のバス駅の佇まいは魅力的でした。
by Cedar (2013-03-20 20:55) 

老頭子在上海

初めまして。
1989年に仕事で初めて台湾に出張し、その不思議な懐かしさに魅せられ、とうとう仕事も変えて1996年から2006年まで台北に住んでいました。
1989年当時はまだ旧台北駅舎と中華路の地上線は健在で、今の新駅舎を建設中でした。
台湾に移り住んでからは毎週のように長距離バスを駆使して、南部の製糖鉄道の軌道跡や駅舎跡、時としてアポなしで製糖工場にまで押しかけ、貴重な資料をいただいて来た事もありました。
2006年から上海に居を構え、北京への出張はもっぱら高鉄利用です。
ちなみにこのテーマとは全く関係ありませんが、九十九里鉄道の車輌が置かれていた当時のときがね片貝幼稚園の卒業生でもあります。
最近は当時の九十九里観光バスのユニークな塗装を懐古していますが、全く見つかりません。
銀色のいわしが飛び跳ねるあの思い出の観光バスの写真を探している
今日この頃です。
by 老頭子在上海 (2013-07-01 01:43) 

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