東武蒸気の図面集を紹介 [アート・本]
今日は最近発売された蒸気機関車図面集のご紹介です。会社の同僚の友人の会社から(ヤヤコシイ書き方ですね・・)出版された、なかなか綺麗な図面集であります。(1)
架線から電気とって走らないモノに興味が薄いCedarですが、東武のSLにはちょっとした思い出があります。今回はその思い出と絡ませつつ、ストレートな書名のこの本をご紹介したいと思います。
時は昭和41年6月26日、長らく貨物列車に使われた蒸気さよなら運転が館林~葛生間で行われ、Cedarは父親・弟と一緒に、はるばる館林まで遠征したのでした。
ちなみに、この日はビートルズの武道館公演のちょうど1週間前でした(関係無いですけど・・)。
当時父親が所属していた「鉄道友の会」から案内が届き、行ってみることになったのだと記憶しています。当日は貨物列車の運転のほか、旅客列車の運転も行われたのでした。
(2)こちらが旅客列車を牽いた34号。(3)
34号の図面はこちらです。キチンとかかれた図の縮尺は1/64~Sゲージのサイズですかね?写真では見難いですが製造年やメーカー名、東武での番号や使用された期間等が書かれています。この34号は現在大田区の萩中公園というところに保存されている、ということもこの本で知りました。
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34号のメーカーズプレートです~なんせ蒸気は全く分からないのですが、べイヤー・ピーコックっていう会社名はさすがに聞いた事あります。いまやサッカーで日本人にもおなじみのマンチェスター生まれなんですねえ~古典機と言われてますが1914年は大正初期ですから、このとき御歳わずか52歳!今の私より若かったのですね(汗)
(5)こちらは貨物列車仕業だった40号です。37号とともにいわゆる4-4-0(よんよんれい)の軸配置ですが、スタイルはだいぶん違っていますね。
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図面はこちら~よく雑誌で見た明治の英国製急行用SLの典型的なデザインですね。そのくらいは私でも解りますよ・・・こちらのメーカーはシャープ&スチュワートですって・。
この本の図面はオリジナルの姿ではなく、東武時代(~および、廃車後に保存された姿)を実測したり写真から描き起こしているようです。上の40号の図面にもアームレストが描かれていますね。
再び昭和42年の館林機関区に戻ります。40号と同じようなデザイン?~と私には見えます~の37号が休車になっている傍らにあったターンテーブルでは、34号によるファンサービスのアトラクションがありました。
(7・8)
(9)34号機を乗せての、転回実演のサービスでした。カメラの放列の中、懸命に手動で回転させていた職員の方、ご苦労様でした。
(10~12)その後34号は館林駅に移動、ホームの出発信号が腕木式なのが驚きです、ベージュとオレンジの8000系も懐かしいですが、こんな昔にもうデビューしていたのですね。
電車に比べると明治の機関車が小柄なのがよく分かります。
ホーム上にも多くの人が待ち受けています。ホーム上屋や詰所の造りも懐かしい。こういう光景をみると、東武はやはり電鉄ではなく<汽車>のイメージですね。
改めて写真を見ると、当時としては力の入ったイベントだったのが分かります、サービス満点、場内の整理も(今ほどファンのマナーが悪くなかったとはいえ・・・)さぞかし大変だったのではないかと思います。
こんな様子の館林駅をあとに、4両の客車を牽いた惜別列車は佐野線の葛生に向かって発車しました。途中の某駅で、ファンサービスの停車です。
(14~16)停車している機関車のキャブに足をかけている人、覗き込む人・・・機関士さんも最後だからか、よく我慢していただきました。
(17)電気機関車にとって代るのは時代の流れでしょうが、こんな小柄なSLが長く重用されたのは今となっては不思議です。
(18)
電車・電機・蒸気の3ショット、ここでこのときのネガは終わっています・・
・・本の紹介なのか自分の思い出話なのかよく分からなくなってしまいました。
本のPRになっていませんねえ~誠に申し訳ありません・・・・本の紹介を続けます。
掲載された図面は厚手の上質紙に綺麗に印刷され、レイアウトも端正でいかにも「図面資料集」らしいデザインです。~図面をキチンと複写して掲載するのは盗用などの問題がありそうなので敢えて(!)スナップ的に撮ってあります。実際の図面はここにご覧に入れた画像より、ずっと綺麗ですからご心配なく。
(19~21)
精密な自作模型が雑誌に発表されて有名になった<なりひらのねるそん>こと63号の一族の図面(上)や、別会社だった支線区で使われていた小形の機関車たちの図面も掲載されています~(下はさよなら列車の走った佐野線の前身佐野鉄道のコッペル、ナローではないのですね!。
東武最小と並んで、最大の機関車も図面化されています。
作図者&著者の石島さんは鉄道(模型)好きの父親の影響で、「日本の車両スタイルブック」などの図面に魅せられたのがこの図面集出版の動機だそうです。
価格もお手ごろですので、皆様もぜひ一冊いかがでしょうか?
東武のピーコックはテンダー機なので
大型な印象がありますが
実際は、小柄なんですね!
貴重なショットですね。
ん〜、走ってるところを見てみたい!!
by FTドルフィン (2013-03-03 08:09)
ピーコックは業平橋に出入りしていたのですから、スカイツリーに保存展示すべきでした。東武博物館の耐震補強工事の際、館長さんが社長に博物館のスカイツリーへの移転を陳情されたそうですが、却下されてしまいました。スカイツリーならば本線から引込み線を作り、保存車両の本線運転も出来たはずなのに残念です。
by EF510-230 (2013-03-03 09:17)
東武は、大手私鉄ではかなり後期までSLがあったようですね。貨物輸送も充実しており、魅力満載の鉄道のようです。西では「南海」と言えましょうが、貨物輸送は比較的後期まで存在したものの(南海型と呼ばれたほどの凸型電機がユニークでした)、SLはとっくになくなっていましたね。
この種の書籍は、かなり高額になるのが常なのですが、なかなか素敵なお値段のようですね。
by のり (2013-03-03 09:49)
先日、書泉グランデでこの図面集を見ました。
美しい図面を眺めるだけで楽しめますね。
書泉グランデで買いたくなった本の一つでした。
次回行った時はきっと買うでしょう。
by katsu (2013-03-03 10:37)
Cedarさま
おっ、いよいよハコセンの先輩がカマセンデビューですか!?(笑)
うーん良いですね、東武に居たクラシコたち。
業務連絡です。
今月はノミスジが沢山あり定例会は是非次の給料日以降でやりませう!
by 狂電関人 (2013-03-03 14:51)
■FTドルフィン様
東武のSLは、ガキ時分から常磐線や京成の車中から見かけて、同じ貨物列車なのに国鉄のSLより格段に小さいなぁ、と思ってました。
明治の列車は小柄だったのですね。
■EF510-230様
東武博物館がスカイツリー下に行くのは無理ならせめて、業平ゆかりのSLを買い戻して展示を、なんてのは鉄好きの戯言ですね。
■のり様
大手私鉄の貨物御三家は東武、名鉄、南海ですね。どこも貨物はほぼ全滅なのは残念です。かの図面集はお手頃価格はお買い得!
■katsu様
聖地(!)書泉グランデで、たくさん売れたらいいですね。
東武のSLのバリエーションの豊富さは、流石ですね。
★あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-03 15:44)
■狂電関人様
還暦過ぎてオカマ道に迷い込んだ訳ではないです(笑)。
同僚の友人の会社が出版元なのです。
でも贔屓抜きで良い資料集ですよ。
業務連絡了解しました。
by Cedar (2013-03-03 16:10)
興奮しました!やっぱ東武スゴイ!鼻血トロンチョ(失礼)
もしや?子供の頃、栗橋で見たSL?は・・・違うかな?
by hanamura (2013-03-03 16:59)
■hanamura様
> 子供の頃、栗橋で見たSL?は・・・
~それは間違いなくこの本に出てくる一族ですね。
東武のSLはあちこちに静態保存されてるようです~それもこの本で知りました。
★あるまーき様
★フジトモ様
★とーる様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-03 17:40)
★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-03 20:28)
この図面集はぜひ買いたいと思っています。でも、このブログで見る限りボイラーや台枠の形状などが描かれていないようですね。私としてはぜひ欲しいところです。34号機は好きな機関車で萩中公園には何回も見に行きました。
by ひもブレーキ (2013-03-03 21:29)
■ひもブレーキ様
SLに深く関わられていらっしゃると、単なる外観図面では物足りないでしょうね。34号の保存されている公園は京急空港線近くですね。
★nexus6様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-03 22:18)
★いっぷく様
★eniguma様
★gorosan5670様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-03-04 17:12)
蒸気機関車と並んでいる電気機関車も今はもういないですね・・・
祖母が佐野出身で、生前よく蒸気列車時代の東武で業平橋(当時の浅草)まで行き、東京市電に乗りついで東京に向かった話、
またスタンドバイミーよろしく線路沿いを歩いていて追いたてられた、なんてことも聞きました。
by 利きゅう (2013-03-05 09:08)
ご無沙汰しております。
47年前のこの日が、Cedarさんとの人生最初のニアミスだったんですね。私もこのとき、館林-葛生をうろちょろしとりました。
ソネブロさんのアカウントをなくしてしまうというチョンボのせいで、昨秋来自分のブログも更新できなくなってしまいました。niceも打てないんで申し訳ないんですが、nice×10級の懐かしさです。
目下、余所のアカウントを取得してブログ再構築中につき、再オープンの暁にはよろしくおねがいします。
by maipenrai (2013-03-05 14:23)
■利きゅう様
お祖母様のお話の頃は、コッペルが活躍してた時代でしょうか?
当時佐野から業平橋は時間も相当掛かったでしょうね。
■maipenrai様
大変ご無沙汰しておりましたぁ~!
いやはや47年前にニアミスとは、浅からぬ縁ですね。
ブログ復活、お待ちしております。
by Cedar (2013-03-05 22:47)
「ネルソン」や「ピーテン」の姿は、紅玉も写真の中でしか見た事がありませんので……う、羨ましい!!
もう晩年で、エヤータンクを両脇に抱え、空気制動装置の配管がぐにぐに……な姿ですが、これも、生粋の古典機fanには怒られるかも知れませんが、「実用機として長年、第一線で働く為にアップツゥデイトされ続けた」結果と思えば、小さな明治の蒸機と言えども、凄みすら感じます。
日本に帰化した英国紳士が、田舎侍の姿で晩年まで矍鑠として……とでも言いましょうか(苦笑)。
それにしても、古典機の大群に混じって、東武の近代蒸機は、国鉄同系のC11形が1両きり……で、これが最大機。
同じ様な例に、国鉄払下げの米国製古典テンダー機を集め(主力は8100形だった)、近代機はC12形1両、と云う、定山渓鉄道がありましたか。
そう言えば長年、“架線下SL”が活躍したところは、同じですねぇ。
東武は何回か、国鉄から9600形を借り入れた事があった筈ですが、流石に定着はしませんでした。やっぱり、キュゥろくは重過ぎたのか、もう電化されているのに、今更、用途の限られる大型蒸機を保有する気も無かったものか。足が遅すぎて電車の合間のダイヤに乗せられなかったとも考えられますが……。
by 紅玉国光 (2013-03-20 18:37)
■紅玉国光様
東武の蒸気は北千住界隈で見かけるたびに、ブドウ色の旧形電車と共に他の私鉄とは違う「ミニ国鉄」のイメージを感じさせられました。
そのイメージは今もなんとなく残っていますね。
by Cedar (2013-03-20 21:04)