万葉線<贋>今昔写真(その3) [今昔鉄写真]
起点の高岡方面から、自前写真の昭和と友人から戴き写真の平成で、万葉線今昔画像を見て戴きましたが、今日は最終回~<贋>と開き直って3回も続けてしまいました。(1)たまには自前写真から始めないとかっこ悪いので~昭和60年の中新湊駅です。当時の構内は貨物側線(?)の名残などあって、路面電車というより地方私鉄の雰囲気満点。
この線の元々の性格(富山~新湊を結ぶインタアーバンと、高岡~新湊のサバーバンが合体したもの)を現した佇まいです。
(2)昭和60年のダイヤは昼間高岡発は15分おき、ここ中新湊で半数が折り返しでした。(現在は越の潟まで全線15分間隔になっています。)ここは新湊市(=現射水市)の中心に近く、当時は古い町並みの中に鉄道線風の駅があってなかなかいい感じでした~とか言って、駅舎や街の写真は撮ってない!<ものぐさ2号>たる所以です。
(3)こちらは平成の中新湊、アイトラムが高岡から到着します。ホームの造作は私の訪問の頃とそんなに変わりない感じですが、さすがに周囲の雰囲気は変わっているようですね。日本中どこでも同じようなマンションが建っています・・・・住人が通勤通学に電車利用してくれれば良いですが・・・
(4)再び昭和の中新湊で発車待ちの7050形を見て思ったこと、~同じような車体の造り(?)だろうに何でこちらは長生きなの?(maipenrai様も記されていますが、末期の都電8000はホントにぼろぼろよれよれでしたから・・・)
前サボでお分かりのように、この頃から「万葉線」は愛称として使われていました~それが正式な会社名に昇格したわけですね。
中新湊から町並みを抜けて越の潟方に行くと、こちらも撮影名所の鉄橋があります。
(5)海が近い港町らしい風情と電車の組み合わせ~(6)こうして改めて見ると万葉線の沿線はなかなか変化に富んでいます~時間があれば改めてじっくり訪れたい路線のひとつです。
そして終点越の潟=このブログの読者の皆様ならとっくにご存知でしょうが、かつてはここから富山市内まで線路が繋がり、富山の中心から新湊経由で高岡までの都市間電車(インタアーバン)が走っていたのでした。
掘り込み式で造られた富山新港で線路は分断され、昭和写真で後ろに見えているフェリー連絡、という何とも切ないことになってしまいました。富山寄り(地鉄射水線)は廃止され、そして橋も架かってしまったようなので、フェリー+電車のこの風景もいつまで続くことやら?~と心配になります。(7)(8)電車は替われど駅の上屋も昔のまま。鉄道自前の駅舎は消えて、アイトラムの奥に見えるのはフェリー乗り場の建物のようです。
最後にオマケ、その昔は現万葉線に直通運転していた富山地鉄射水線の姿をどうぞ。
(9=四方)(10=新富山)この5000形が富山市内の併用軌道から郊外へ(電車の右の石垣の線路が市内線との連絡線)、そして今の万葉線を走って高岡駅前へ=おお!まさしくインタアーバンそのものの運行がされていた・・・LRTだ、路面電車見直しだと言うはるか以前に、なんと進歩的だったことでしょうか!
高度成長期には、電車よりも港湾や高速道路の整備に力点が置かれて、その結果多くの鉄道があおりを食って縮小→廃止されていきました。富山新港で分断された後の射水線も昭和55年に廃止…(ちなみに新湊市は、現在は射水市になっているのも、皮肉ですね。)
現万葉線も、赤字のため加越能鉄道は廃止を打ち出したのを、第3セクター万葉線株式会社として存続させたのはご存知の通りです。
(11)ともあれ今も頑張る万葉線、いつになったらアイトラムに実際に会えるのでしょうか?と些か退屈なCedarであります。
なぜか「右側通行」が不思議だった中新湊駅。ワンマン運転で、扱う扉を進行方向左に統一するためなんでしょうか? 新富山駅の写真、ほんとに素晴らしいです。Cedarさんの立たれている位置は、神通川の土手? だとすると、いまの電停より、だいぶ川に寄った位置だったのですね。
by maipenrai (2012-07-04 17:12)
■maipenrai様
富山は過去も現在も、電車好きには面白い場所ですね。昔のピク誌の地鉄の紹介記事に、作っては壊す県民性のために、電車の歴史も複雑怪奇である~みたいな表現がありましたが、そんな感じがします。
それが最近は良いカタチで表れたのが、ライトレールや万葉線なんでしょうか?
★あおたけ様
★シュウチャン様
★Reirei様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-07-04 18:54)
■追伸
射水線の新富山はたしかに堤防のすぐそばでした。川を渡ると郊外線の始発駅、ってロケーションは岐阜の忠節を思い出します。市内線から郊外線の直通は富山が先輩でした。市内線は単線で橋を渡ってましたね。
by Cedar (2012-07-04 19:00)
射水線、最後は廃止直前に行きました。四方には車庫がありましたね。
http://987.blog.so-net.ne.jp/2006-09-18
昭和55年の正月二日、めちゃくちゃ寒かったのだけ覚えてます。
by gop (2012-07-04 20:37)
う~ん宮島は有名な観光地駅でも、都市というレベルでは、カテゴリー外なのですね。広電では、当連載の過去&現在が、普通にすれ違う風景が見られて、うれしかったです。
by hanamura (2012-07-04 20:46)
射水線のお写真、きわめて貴重ですね。
新富山大橋が完成したばかりでなく、新富山周辺の変化は激しく、
今年の2月に近くに行った際に痕跡を探しましたが、全く何も見つけることができませんでした。射水線の線路跡は長らく地鉄バス専用道として使用されていましたが、「専用道経由」も今春で廃止、時間は確実に過ぎていくということを感じました。
by あるまーき (2012-07-05 01:44)
■gop様
四方の車庫は、私も訪問しました。
朝の4連は路面形では珍しいものでしたね。
■hanamura様
広電は戦前製からグリーンムーバーまて、バラエティが楽しめますぬ。両車すれ違いは、今昔そのものです。
■あるまーき様
射水線の跡がバス道路になっていたのは知っていましたが、廃止なんですね。たった一度しか訪問出来なかったのは、返す返すも残念です。
by Cedar (2012-07-05 11:11)
長閑な田圃の中を小さな電車が走る光景は北陸地方で多く見られました。射水線は時間が止まっていた感がありました。新富山駅は売店が営業したりして始発駅の機能は充分ありました。市内線連絡電車はそこそこ混んでいました。築堤のアプローチのし方が近鉄八木駅の京伊特急連絡線のようでした。
by 京葉帝都 (2012-07-05 11:18)
■京葉帝都様
新富山の駅舎は結構立派でした。
改札からテント屋根が掛かった階段を降りると、広いホームでそこに路面形の電車が客待ちしてるのは、いい感じでした。
by Cedar (2012-07-05 13:40)
2年前にポートラム~バス~県営フェリー~万葉線と乗り継いで旅をしたのを思い出します。万葉線の変化に富んだ車窓は本当に楽しかったなあ。古めかしいインフラと真っ赤なLRTのミスマッチも面白いですね。
by サットン (2012-07-05 15:03)
■サットン様
訪問記事は以前楽しく拝見しました。確かに電車は変わりましたが、駅や施設は私が訪問した頃と変化無い感じですね。
〈贋〉今昔なんでこの目で確かめてないですが~(汗)。
by Cedar (2012-07-05 17:53)
射水線の5000、5010が富山の中心、西町まで直通運転していた時は
直接制御で、連結運転をする時はそれぞれに運転手が乗っており、新富山から市内線区間は1両づつ切り離し、続行運転をしていました。多分、昭和42年ごろ、市内線乗り入れが打ち切られ、5000、5010は間接制御化され、2両連結運転になりました。
http://6.fan-site.net/~haasan55/ToyamaTitetsuSasazu1972.htm
笹津線を取り上げた弊HPのページには笹津線、市内乗り入れは昭和42年に廃止になったとありますが、おぼろげな記憶では、射水線の方が市内乗り入れ中止、間接制御化がすこし、早かったと思います。
また、射水線はオリジナルとしては、新富山から出ていた高床式鉄道線電車が走っておりましたが、5000、5010形導入で、富山市内線、高岡市内線に乗り入れ、インターアーバンのようになりました。
by はーさん (2012-07-06 11:12)
■はーさん様
詳細なご指摘、ありがとうございます。
直接制御車を1両ずつ切離して市内線直通は、岐阜の初めと同じですね。
名鉄は後ろはサハ扱いでしたが、富山では1両ずつ運転士が乗って協調運転~北陸には良く見られたようです。
by Cedar (2012-07-06 16:20)
★ぼんぼちぼちぼち様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2012-07-06 21:35)
■suzuran6様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-07-07 08:47)
富山と高岡をアイトラム・ポートラム・セントラムなんかが行き来していれば、何ともすごい光景になったことでしょうね。
素敵な写真、ありがとうございます。
by のり (2012-07-07 10:00)
■のり様
歴史に<もしも>は無い、といいますが、今の富山の様子を見たらもしも?と思うのは仕方ないですね。
ドイツみたいにJRと私鉄をLRTで直通!なんてことさえ考えます(ポートラム=元JRですし)。
by Cedar (2012-07-07 13:16)
★denta60様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-07-07 22:37)
射水線、笹津線の市内乗り入れについて、もう少し、お話しましょう。
デ5000、デ5010は37kWモータを2台しか持っておらず、郊外線を走るのには非力で、運転時間がかかってしまいました。これを直接制御する完全な市内電車仕様でした。これは地鉄の車両関係の方も失敗だったと言っていました。少なくとも37kW、4個モータなどでより強力であれば、射水線、笹津線も郊外に出れば、より、飛ばせたと思います。また、市内線の連結運転は、射水線は丸の内交差点、笹津線は南富山付近などに急曲線が存在したから、出来なかったのですが、はじめから間接制御で、連結運転を考えておれば、連結棒を入れたりして何とか?知恵を絞れたことでしょう?逆に総括運転、2両運転化で、乗り入れ中止になってしまいました。射水線は富山新港で分断され、廃止になりましたが、速度が遅く、バスに勝てなくなっていまったことが笹津線と同じく主原因だと思います。やはり、郊外線では70km/hぐらい出せなければ駄目だったでしょう。
by はーさん (2012-07-08 15:29)
■はーさん様
再度の補足、まことにありがとうございます。
要は中途半端な電車だったのですね。射水線も笹津線も確かに鈍足でした。
連結の問題にしても、首振りの仕様さえ考えればクリア出来たし、他社にもたくさん事例はあったはずなのに。
個人的に、路面形の連結運転が好きなもので~市内直通運転はグットアイデアだったのに、なんとも残念でしたね。
by Cedar (2012-07-08 18:33)
JA高岡と申します。いつもブログを拝見させていただいております。
早速ではございますが、当組合で作成している広報誌に、こちらのブログに掲載されている写真を使用させていただけないでしょうか。
万葉線<贋>今昔写真の中から数枚を掲載させていただくことは出来ませんでしょうか?お手数ながら、下記のメールアドレスまでご連絡下さいますよう宜しくお願い申し上げます。
kouhou@ja-takaoka.or.jp JA高岡 組織広報課
by JA高岡 組織広報課 (2012-08-21 10:19)