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昭和48年夏、神戸をめぐる私鉄・その1 [昔の今日のスナップ]

今回は、37年前の今日、昭和48年8月14日撮影の神戸電鉄の画像をごらん戴きます。学生時代は関西私鉄めぐりに精出していましたが、ここに行ったのはこのときが初めてでした。 

(1)神鉄01R.jpg  神戸電鉄は、関東人から見るとまことにユニークな電車でした。~というか、関西の電車の中でも異色の電車といえるのでしょうね?

何しろ大都市に登山電車のような急勾配(50‰!)ですから。湊川の駅のはずれから50‰が始まるあたり、箱根湯本を出ると80‰をよじ登る箱根登山鉄道さながらです。あちらは観光路線、こちらは通勤電車ですから、そのユニークさは際立っていました。 

当時の旧塗装のベージュオレンジに塗られた小柄な電車が、山によじ登る住宅地の間を走るさまに興味を覚えたものです。デキの悪いカラー写真で塗装をご覧ください。神鉄カラー02R.jpg(2)個人的には、今の塗装より品と華やかさがあって好きですね・・

神鉄05R.jpg (3)周囲の宅地化が進むなか、曲がりくねった連続勾配区間を行きかう電車は2扉の小形車、同じような車体でもカルダン・釣り掛け両方があり、山を下る電車の電制音が住宅地に響きます。丸山付近の勾配を下っていく 新開地行き

かつての有馬温泉へのリゾート電車も通勤路線に変貌著しい頃で、しばらく前まで残っていた田舎電車風の旧形車も、すべて両開き扉の通勤形に更新されていました。

(4・5)神鉄丸山48-01.jpg神鉄06R.jpg 電車の顔付も独特でした。川崎形というのか、控えめな表情は、山陽や南海にも共通する感じですね。ヘッドライトケースのカタチや隅柱の太さも独特な神鉄フェイス、2段になった方向幕もユニークでした。関東の私鉄には、ありそうで無いデザインですね、・・・強いて言えば昔の小田急顔~HE2400辺りに似ているかも?

神鉄08R.jpg(6・7)神鉄丸山48-02.jpg 私の好みとしては、関西らしい1435mmゲージならもっと良かった。~もっとも三田線や粟生線は国鉄との貨物のやりとりも多かったようなので、これは仕方ないですね。


(8・9)印象的だったのはこの駅、鵯越(ひよどりごえ)です。<ひよどりごえの逆落とし>~という故事さながらの崖に、びっしりと住宅が張り付いた谷底にトンネルと駅。写真に写る山は緑なのとは対照的でした。

神鉄04R.jpgひよどりR.jpg 右手崖の上に<ゆ>の文字が・・・住宅地の銭湯か、はたまた温泉か? 凄いところにありますね。

今見ると、模型のセクションのようで、なかなかいい感じです。

(10)神鉄03R.jpg 現在の駅は、このカーブの場所に移っているようです。


(11)裏六甲の谷間を上下すると、観光地ムードの有馬温泉駅へ。ここでもトンネルの上から撮ってみました。当時は古い駅ビルが残っておりました

有馬温泉48-01.jpg この後、芦有バスというのに乗って、六甲山を下りました・・途中結構眺めは良かった記憶がありますが、写真は皆無・・・・

あれから早くも40年の月日が流れて、神戸電鉄周辺の環境も変わりました。新線開通や新車投入とは裏腹に、業績低迷がささやかれるなど、のどかな中に発展途上の勢いを感じた当時との落差が気になります。

次回も、このときの神戸での画像をごらん戴きます。


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やまびこ3

小ぶりな電車ですが、先頭車両に大きなパンタグラフを振り上げた姿が力強いですね。
by やまびこ3 (2011-08-14 17:45) 

Cedar

■やまびこ3様
そうですね。車体幅が狭い割に大柄なパンタを乗せていました。
by Cedar (2011-08-14 21:03) 

manamana

東京の電車みたいに平地からだんだん山に行くのではなく、
いきなり急な山に入ったのでびっくりした記憶があります。
by manamana (2011-08-14 21:20) 

なにわ

もともと経営はあんまりよくなく、1950年代に阪急の傘下に入ってから新車が入るようになりました。
なんといっても戦後の中心が東へ移動して、新開地の衰退と三宮の興隆、北神急行で途中から新神戸、三宮へ移動できるのですから。

7年前、谷上で上下とも一線発着しているのを見てびっくりしました。乗り換えなしに北神急行に乗り換えられるようにしていたのです。
by なにわ (2011-08-14 22:53) 

UZ

神鉄の車両は比較的新しいものに変わっています。しかしながらJRの地方交通線よりも運賃が高く、並行するバスに乗客が流れています。
更に粟生線はモータリゼーションの進展により存続問題で揺れてます。今年度で結論を出すとの事です。ここまで来たら廃止も止むなしかもしれませんね。

by UZ (2011-08-14 23:23) 

利きゅう

私も次回のブログで鵯越で撮影した写真をアップしようと考えておりました。
鵯越駅前からトンネルの上の通りへ上がる道が急だったのを思い出しました。
神戸電鉄、公園都市線以外は乗車しましたが湊川を出てすぐ住宅街の中を走りながらも急勾配の山岳路線になるのは圧巻です。

鈴蘭台の先も開発されて住宅街の中を走りますがアップダウンがすごいですね。今は無き菊水山駅や旧線時代の頃に乗ってみたかったです。
by 利きゅう (2011-08-15 01:24) 

教祖

バリ地元です!
現在公都線、三田線、有馬線を利用して湊川まで通勤してます。
三田市に住んで10年、神鉄沿線に来て31年になりますが、
苦難→発展→また苦難といった感じで推移しています。

昭和48年でしたら4連化、3000系冷房車のデビゥと、もっとも変化のあった年ですよ。
鵯越駅の位置が今からだと信じられない場所にあったんですね。

昭和55年当時は三田線・粟生線は基本30分ヘッド、冷房車はわずか6編成という状況で五社駅以北では客数がガクンと減っていました。

現在では三田駅はR福知山線の複線電化により大阪も通勤圏となり、朝夕は上下線ともに神鉄三田線は乗客が多いです。
ただ、未だに単線区間があるため、15分ヘッドが限界のようで、朝夕続行運転する岡場駅以南では1時間最大7本の列車があるものの、岡場以北横山以南では15分ヘッドのままです。

ただ昭和46年頃までに他社からの譲受車(元相鉄車)を廃車して以来、一貫して自社発注のオリジナル車で統一されている点は特筆に値します。
というより少し小さい規格の問題で他社の車両が入線できないだけなんですねどね・・・(今では幅2700×長さ17750ミリの車両が入線可能です)
by 教祖 (2011-08-15 01:51) 

nd502

私もこの年に有馬温泉へ行った際に初めて目にしました。
実際に乗るのは20年以上経過した後でして、出張で三田市へ
行った際のことでした。塗色は変わっていましたが小ぶりな
電車は健在でした。
by nd502 (2011-08-15 08:01) 

きんぎょ/中澤

もう何十年も神鉄線に乗っていないですね。北神線も公園都市線も乗ってないなぁ・・・私鉄電車線は全線走破が基本なんですが(^^;
初めて乗ったのは確か昭35年8月で、丁度最初の新性能車300がEDに牽かれて三田方面から鈴蘭台へ来るのを目撃したことを思い出しました。有馬温泉ゆきの折り返しはまだデ1が健在でした・・・
by きんぎょ/中澤 (2011-08-15 09:48) 

のり

神戸電鉄に乗ったのは、もう30年以上も前のお話です。
新開地から鈴蘭台までのわずかな距離でしたが、湊川を出たとたんにものすごい路線形状になるのに驚いた記憶がございます。
「きくすいやま~!」と放送があった直後、ドアは開いた瞬間に閉まりました。当時は、「けったいな駅やなぁ」と思いましたが、あとでいろいろ調べてみますと、凄い駅でした。
ウルトラマンみたいな3000系が当時新鋭で、まるで阪急みたいな車内が印象に残っております。
by のり (2011-08-15 09:55) 

Cedar

■manamana様
あの線路条件はびっくりです。あの線路に急行・準急など入り乱れて走ってるのは関東には絶対に無かった!
■なにわ様
関西の路線整備はイマイチよく分かりません。行政主導でない、キャピタリズム的展開は戦前のアメリカのようです。大枚はたいて開通させた北神急行は経営破たん、神鉄も共倒れ状態は厳しいですね。谷上などアレだけ金かけて4線の立派なホーム作ったのに。
■UZ様
粟生線はそんなところまでいってるのですか!一時は本線よりも活性化していたように見えましたが。
■利きゅう様
湊川~鈴蘭台間は面白いですね。その先も普通に50‰があちこちあるのが凄い。一見普通の通勤電車、実は登山電車というのはここだけですね。
■教祖様
神鉄は立地条件や施設の制約など、いろいろ近代化には障害も多そうです。加えて競合路線や道路整備が進み、厳しい状況のようです。車両は一貫して個性的なのが魅力です。
■nd502様
神鉄は関西に住んでいないと乗るチャンスが少ないですね。私もどこを走るのかよく分かりませんでした。
■きんぎょ/中澤様
300形は私が行ったときには3扉ロングシート化されていましたね。デ1って北陸の電車のような古めかしいスタイルが好きでしたが、姿を消した後でした。
■のり様
菊水山って各停でも通過する電車があったような駅でしたね。今なら大都市に近い秘境駅として売り出せたかも知れません。
神鉄は阪急の系列会社ですから、車内の造作も似ているのでしょう。

by Cedar (2011-08-15 13:37) 

Cedar

★SORI様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2011-08-15 13:38) 

サットン

神鉄ってこの間まで輸送力増強に必死になっていたと思ったら一転して存廃協議の対象に。六甲をトンネルで軽く越えていくバスにはかなわないようで。線路と同じく経営も山あり、谷ありのようですね。
地下からいきなり山越えに挑む姿は京津線よりもワイルドな魅力があるんですが。


by サットン (2011-08-15 14:40) 

む〜さん

街中の3’6”の登山電車・・・一度も乗ったことが無く、一度は乗らなければと思っています。・・・・・が、まさか、存亡の危機とは知りませんでした。
by む〜さん (2011-08-15 18:06) 

Cedar

■サットン様
経営も線路と同じとは、おかしくて哀しい・・・・
確かに、<幸せの村>というところまで行ったとき乗った、六甲山のトンネルを行くバスは快適でした。
なんとか頑張ってほしいものです。
by Cedar (2011-08-15 18:08) 

Cedar

■む~さん様
一気に全線廃止は無いでしょうが、粟生線の末端部分などは厳しいようですね。なにはともあれユニークな電車であることは間違い無しです。
by Cedar (2011-08-15 18:11) 

井上明輝

初めまして。
facebookで「戸畑をぐっと盛り上げる会」を主宰しています、井上と申します。
Cedarさんのブログの以前のエントリーに、北九州市の戸畑区の古い写真が多数掲載されていたのを拝見しました。
大変厚かましく申し訳ないのですが、戸畑区の古い写真を収集しておりまして、拝借させていただけないかと思うのですがご許可いただけないでしょうか。
よろしくお願いします。


by 井上明輝 (2011-08-15 21:02) 

Cedar

★しまりす様
★nexus6様
nice!ありがとうございます
★Extar12様
ご訪問&nice!ありがとうございます。こんなオタクブログですがよろしくお願いいたします。


by Cedar (2011-08-15 23:01) 

Cedar

■井上明輝 様
ご訪問ありがとうございます。写真の使用に関しては詳細をFBのメッセージにご連絡させていただきます。しばらくお待ちください。

by Cedar (2011-08-16 14:26) 

Cedar

★gorosan5670様
nice!ありがとうございます。


by Cedar (2011-08-16 14:27) 

Cedar

★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2011-08-16 23:53) 

阪北2B

はじめまして、いつも楽しく拝見させていただいております。ハイカラ神戸にありながら、驚異的田舎電車の神鉄も、志し高い趣味人から見れば、本モンの宝箱でした。懐かしいエピソードを2つ。40年ほど前、鈴蘭台で当駅始発の200型各停のかぶりつき席で発車を待っていますと、待どもMが来ない。でも、誰もが平気。そうなのです。Mは、ドアが閉まった後、3分からヒドイ時には5分後に悠然とやってきて、発車。で、どこで調整するのか、それが菊水山の閉まったドアが、数秒で閉じる現象となっていたのです。
で、もう一つ。C見習さんが新開地で、車内放送、「この電車は、普通三田行、あっ、ちゃうわ、あお(粟生)行きやった」、そこへ、指導が、えらいだみ声で、「ボケ、マイクはいっとってや」。でも、客席は平然。この放送を聞いて戸惑う人は旅の人。最近は、立派になっているかと思います。今も昔も大事な宝物、神鉄頑張れ!応援しています。Cederさん、ありがとうございました。
by 阪北2B (2011-08-19 00:12) 

Cedar

■阪北2B様
ご訪問&コメントありがとうございます。
神鉄の面白すぎるエピソード最高ですね!おっしゃるように神鉄は他の関西私鉄に比べて、地方の大規模私鉄=富山地鉄や長野電鉄のような田舎っぽい感じがありました、ハイカラ神戸にこういう電車があるのが不思議な気がしたものです。
最後になりましたが、これからもよろしくお願いいたします。
by Cedar (2011-08-19 00:44) 

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