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昭和60年7月、名鉄廃止線区の記臆(その1、美濃町線と岐阜市内線) [昔鉄スナップ]

今回は岐阜の名鉄、26年前の画像です。

岐阜の名鉄600V線(美濃町・揖斐・岐阜市内線)が消えたのは平成15年。 早いもので、もう8年の月日が流れました・・・・  市内と郊外の直通運転や複電圧車の活躍など、私も何度も通ったユニークな線区。岐阜コラージュR.jpg まだまだ元気だった昭和60年7月撮影の紙焼き画像が出てきましたので、お目にかけます。

まずは美濃町線から~

(1)新岐阜の美濃町線直通車専用ホーム。当時は市内線~各務ヶ原線連絡線の名残リが、市内線の留置線になっていました。新岐阜01R.jpg 複電圧車モ880の止まっている線路は1500V、奥の市内線は600Vです。線路もこの頃はすでに切れていますね。

<美濃町線・日野橋>

岐阜の町外れ、という感じのここは、徹明町から来る市内系統と新岐阜⇔新関系統(この頃は末端部の関⇔美濃間は区間運転になっていました)の接続停留所でした。

(2・3)続行運転で到着する新関行きモ880日野橋止まりのモ870。かたや複電圧、かたや札幌市電の移籍車、どちらもファンには人気のあった電車ですね。日野橋03R.jpg日野橋04R.jpg クルマの多い国道の片隅に、狭い停留所があった日野橋は、乗り継ぎや列車交換が行われ、整理に当たる係員が配置されていました。

私のもっとも好きなモ510は揖斐線急行用に出世(?)して、美濃町線を出て行きましたが。その代わりに登場したのがこのモ600。鉄道線新岐阜直通のための複電圧仕様+連結運転可能+クロスシート装備のユニークな電車で、美濃町線の急行として颯爽とデビューしたのでした。日野橋拡大02R.jpg (4)高床式のステップでの乗降はちょっと大変?でもヨーロッパのサバーバンのような細面の顔つき、私は大好きです。

(5)日野橋01R.jpg 新旧の複電圧車の交換、スイスかドイツの地方都市の電車のようです。どちらの形式も線区のニーズを研究して作られていて、昨今の<走るんです>のマスプロ電車とは一味違う魅力がありました。

いいなあ美濃町線!と今でも思うのです。

 

<市内線・岐阜駅前>

次は岐阜市内線の起点、岐阜駅前です。8年前の全線廃止の時は、新岐阜までしか電車は運行しておらず、安全地帯に通じる地下道だけが残っていました。この区間の休止(廃止?)はいつのことだったのでしょうか?

(6)この頃は長良線もまだ健在で、金沢から来た長良線用モ550と、少し大形のオリジナル車(長良線には入線できなかった)が仲良く走っておりました。駅前の繊維問屋街もビルが少なく、アジアの都会のような町並みが広がっていました。岐阜駅前03R.jpg

(7)忠節⇔岐阜駅前系統のモ570。見てのとおり都電6000にそっくり、近くにもっと素敵なお手本(名古屋・京都・神戸)が沢山あるのに、わざわざこの形を真似するのか不思議でした。岐阜駅前02R.jpg バスの窓の形が懐かしいですね。こういう路線バスは東京には見られませんでした。

(8・9)路面電車の古い画像を見る楽しみに、車体広告があります(・・と思うのは私だけ?)地方銘菓・本線の割引切符はまあ普通ですが、電車に精肉店の広告って珍しいですね。電車の背後の看板も繊維の街岐阜らしいです。美容室は男性客(ポパイ)もOKなのでしょうか?岐阜駅前04R.jpg岐阜駅前05R.jpg 精肉店も珍しいですが、堂々とラブホ(?)の広告ももっと珍しいですね。

さすが大人の街岐阜です。(理由は分る方は分りますよね=ちょうどこの電車の向こう側、右奥一帯あたりか?)


次々と積極的な改良にトライし、この後もユニークな電車が続々デビューして、そのたびにわたしに足を運ばせ、頑張った岐阜の600V線

8年たった今も、消えてしまったのが残念でなりません。

次回も、このときに訪ねた名鉄の某線(場所は別ですが、その線も今はありません)をお届けします。


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hanamura

広島では見ないタイプです。しかも、皆が赤い(赤かった)のですね!
浜松の「遠鉄」に、無性に乗りたくなっています!(赤いぞ!)
by hanamura (2011-07-08 01:27) 

UZ

富山だけでなく長崎、熊本、鹿児島での活躍を見るたびに、なぜ岐阜は廃止に踏み切ったのか残念でなりません。
モータリゼーションの波が原因でしょうが、同じ中部圏でも豊橋は健在ですし、バリアフリー化が叫ばれている昨今、もう少し大事にしてほしかったです。
by UZ (2011-07-08 03:05) 

maipenrai

 美観を損ねるとファンに嫌われていた(?)車体広告に昔から注目されていたとは、さすがCedar さん。その先見性には驚きます。バンコクBTSや香港トラムの全面広告の楽しさはご承知のとおり。ラッピング電車にみんながカメラを向けるようになったいま、「車体広告に見る電車史」みたいなくくりの本があったら面白いだろうな…買っちゃうなぁ…。
by maipenrai (2011-07-08 07:46) 

nd502

当時の岐阜600V線区は非冷房100%でして、夏は平行する
冷房付き路線バスに浮気をしました・・(笑)
by nd502 (2011-07-08 19:26) 

Tosi

たしかにドイツ語圏の中規模の都市の電車を連想させる車両ですね。フランスではすでに1930年代ごろから自動車業界のロビー活動により路面電車の廃止が始まってしまい、1987年のグルノーブルなどを皮切りとする近年の路面電車再導入まで何十年もの断絶がある場合がほとんどですが、ドイツ語圏などの都市ではいろいろな意味で連続性があることが路面電車の魅力を高めているのではないでしょうか。岐阜のような規模の都市に路面電車という公共交通システムは非常に適しているはずなのに、このような連続性が絶たれてしまったのは非常に残念です。今回のエントリーでは(1)のお写真にとくに惹かれます。異なる時代に属する諸要素が一見したところ説明不可能な形で混在しているのが、やはり少しシュルレアリスム的だと思います。
by Tosi (2011-07-08 20:08) 

利きゅう

美濃町線は、美濃-新関間が廃止になる直前に行きました。当時、モ870はリニューアルされZパンタから菱型パンタ化されていました。
モ880、モ600両方に乗車しましたが古いとは言え転換クロスシートは良かったですね。

名鉄は岐阜地区の600V線区全廃後、トンとご無沙汰でしたがもう2年前になりますか・・・ほかの用事で名古屋に行ったときに久しぶりに乗りました。趣味的な面白さという点では魅力が半減してしまいましたね。
何か、首都圏の私鉄の流れに追随するかのような流れを感じました。
by 利きゅう (2011-07-08 21:52) 

のり

冒頭の写真、あの引込線は私も覚えております。
私自身も、この線区の廃止が残念でなりません。新車も投入し、積極経営に乗り出した矢先の廃止でした。どこかに活路を見出すことができなかったのでしょうか。本当に残念です。
再訪が叶わぬ今、昔の写真で想い出を振り返るのみですね。
by のり (2011-07-08 22:49) 

Cedar

■hanamura様
岐阜の電車は広島よりずっとこじんまりしていますね。昔はグリーンとクリームの可愛い色だったのですが、合理化で赤(字)色になってしまいました。
■UZ様
岐阜の場合、行政(警察+市)が電車に冷たかったのが原因ではないでしょうか?最後まで停留所の安全地帯すら無しでした(作らせなかった)。
■路面電車の車体広告に目覚めたのは香港でした~あの無機的な車体は広告もデザインの一部なんだ、と思ったもので。
次に印象に残ったのはリスボン、到着初日、電車の中でPICKPACK(=スリですね)にあい、開き直って道端のカフェに座って安ワインを飲みながら電車の広告を眺めていたこともありました。
そのときのことは→
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-04-28
■nd502様
私もこのとき、移動に冷房車のバスを使いました(汗!)。
■Tosi様
フランスでも電車いじめのロビー活動があったのですか。ミシュラン+シトロエンとかですか?
カリフォルニアの同様のお話は、タイヤメーカー+石油会社+自動車メーカー連合軍が電鉄会社の株を買い占めて強引に廃業に追い込んだというもので「石油メジャーの犯罪」という本になり、映画「ロジャーラビット」の下敷きにもなっていますね。
■利きゅう様
岐阜の電車はホントに好きで、毎年通っていました、モ510、モ600はお気に入りでした。本線に目を転じても、クロスシート車の多さや、旧型車でも高速運転するところなど、関東関西の私鉄とはまったく違うところが魅力でした。
おっしゃるように最近は個性が半減していますね。ロングシートのステンレス車は、乗っていてちっとも名鉄らしくありません。
■のり様
岐阜の電車をめぐる名鉄の動きは、部外者にはなんとも不思議です。美濃町線の部分低床車は登場5年で路線廃止でしたから・・・
福井に行った岐阜の電車たちの将来が安泰だといいのですが。
by Cedar (2011-07-09 07:36) 

Cedar


★パルの大冒険様
★紺屋様
★nexus6様
★denta60様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-07-09 07:38) 

Tosi

フランスでは大手自動車会社が国営であった時期があるように、自動車産業に肩入れする産業政策や都市・交通政策が強力に推し進められたのですね。ウィキペディアの仏語版によると、フランスとスイス・ロマンドで路面電車が廃止されることがなかった(一路線のみに削減されるなどしても一応連続性が保てた)のはリール、サン=テティエンヌ、マルセイユ、ジュネーヴそれにヌーシャテルの五都市だけだったそうです。路面電車再評価のきっかけはやはり1970年代の石油ショックだったようですが、再導入が実際に実現するようになるまではかなりの紆余曲折と時間が必要だったのですね。スイスでは同じ国の独語圏と仏語圏で路面電車の運命が分かれたのですね。それにしても岐阜では、ウィキペディア日本語版によると存続活動団体や岡山電気軌道からの具体的な提案など、存続の可能性はあったようなのに、二十一世紀になってからせっかくの路面電車網を廃止するとは、なんという時代錯誤的決定だったのでしょうか。今日の岐阜で比較的古い車両と連接低床車が静かに行き交い、歴史を刻んだ施設もある程度残して上手に利用しながら路面電車網が有機的に機能し続けていたらどんなにすばらしかったでしょう。
by Tosi (2011-07-09 11:42) 

あおたけ

札幌から移籍せいてきたモ870が好きでした。
岐阜市内線・美濃町線などで乗車は何度かしたことが
あったものの、撮影した覚えがほとんど無くて、
廃止間際に慌てて上芥見などへ870を撮影に行ったのを
思い出しました。
by あおたけ (2011-07-09 17:53) 

Cedar

■Tosi様
行政の姿勢+名鉄の経営意欲喪失ということでしょうか?廃止時に行きましたが、中部国際空港輸送に大童な名鉄にとって、ローカル線はお荷物以外の何者でもなかったようです。
■あおたけ様
上芥見はいいムードでしたね。私は逆に、晩年の写真はほとんどありません。
by Cedar (2011-07-09 19:10) 

Cedar

★gorosan5670様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-07-09 19:11) 

Cedar

★FTドルフィン様
★schnitzer様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-07-10 10:13) 

京葉帝都

廃止前に新関から新岐阜まで乗車しました。(5)の写真のように道路の脇の単線の線路を走るシーンを思い出しました。路面電車のレールが身近にあり昭和30年代の風景のようでした。路面電車や末端ローカル線の廃止は、「枝を切ったら幹も枯れる」事態が懸念されると思います。幹線を走る空港特急のネットワークは便利です。空港〜神宮前〜豊橋と乗車した時は、夕方でしたので特に本線はビジネス客、通勤客、買い物客でかなりの乗車率でした。
by 京葉帝都 (2011-07-10 22:11) 

Cedar

■京葉帝都様
名鉄のローカル区間はこのあと、岐阜地区以外にも消える区間が続出しました。クルマ社会の名古屋ですからローカル線存続はかなり難しいとは思いますが、残念なことです。
面的ネットワークから拠点間輸送+通勤へ、名鉄も他地区の私鉄と同じになってきていますね。
by Cedar (2011-07-10 23:54) 

なにわ

狭い道路、行政の無関心、中心部の空洞化、居住地の郊外移転、と言われている理由は多々ありますが、名古屋本線がJRにシェアで押されて、ローカルの面倒を見切れなくなったんでしょうね。

スネルの件は嘘っぱちであります。
LAの電車が消えていったのは、住宅地が郊外に移動して、電車を使えなくなったのが理由です。

GMといえば、長年ディーゼル機関車の大手メーカーですから、自分で自分の首を締めることはしませんよ。

堅い話ばかりでは何なので、電車の広告、昔のカラーブックスで別大電車の写真を見たら「石鹸島」の広告がありましたよ。
by なにわ (2011-07-12 18:12) 

Cedar

■なにわ様
名鉄の抱える問題は、大規模な路線を抱える電鉄に共通の問題ですね。JRはもともと線形がよくインフラも余裕があるので、本気で私鉄に対抗したなら勝負は見えています。
「石鹸島」って何でしょう?しらべてみます。

by Cedar (2011-07-12 21:51) 

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