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昭和48年夏、関西スナップその2・オレンジ色の旧形国電 [昔鉄写真]

  昔、こういうキャッチフレーズがありました。

  オレンジ色の憎いやつ        夕刊フジ、でしたね。

片町線48-02.jpg(1=片町) 

関西の旧形国電には、101系の登場に追従して、オレンジ色に塗り替えられていたものがありました。東京では見られないオレンジの旧国は、私鉄の亡者たる私といえど、何度かカメラに収めておりました。


 

最初は今や地下で大阪を横断し、宝塚・神戸にも直通している片町線(現、学研都市線=よくわからないネーミングです)の旧国たちです。

(2=片町?)片町線48-01.jpg

(3・4=河内磐舟付近)片町線48-03.jpg片町線48-04.jpg 京阪交野線と交差、単線と通勤形旧国の組み合わせはかつての南武線や横浜線を思い出しました。


片町線とともに、オレンジ旧国が走っていたのは阪和線。始発駅天王寺での<憎いやつら

片町線が4扉で統一されていたのに対し、こちらは3扉・4扉混結で、バラエティ豊かでした。

(5)旧国の魅力は様々な改造による変化ですね。運行窓の大きさやHゴムの表情、運転室用の丸形ベンチレーターなど、1両ずつ違う顔をしていました。天王寺48-01.jpg

(6)天王寺48-06.jpg 旧阪和電鉄時代からの、アメリカンスタイルの架線柱が残る構内は、私鉄ターミナルの雰囲気がなんとなく残っていました。

(7)天王寺48-05.jpg このクモハ73はモハ72の運転台取り付け改造車ですね。列車ホームの気動車急行も懐かしい・・・

(8)天王寺48-02.jpg オレンジ色ではありませんが、かつて快速に使われた70系も、<スカ色ではない>独自の塗装で健在でした。S43関西018.jpg (参考)こんな色でした、昭和43年、東和歌山(現和歌山)にて。

(9・10)区間快速の先頭はクモハ60(?)でしょうか?ウインクしたようなHゴム運転台が奇妙な魅力です。アメリカの地下鉄に通じる味(?)を感じるのは、多分私だけでしょうね(笑)。運転台以外の窓が、盛大に開けられているのも好対照です。天王寺48-03.jpg天王寺48-04.jpg

それにしてもこのホームは立派です。阪急梅田や南海難波の向こうを張った、阪和電鉄の意気込みが伝わります。その昔は乗車・降車が分離されていたようで、関西私鉄のターミナルらしい構造だったようです。



最後は番外、オレンジの本家101系です。撮影場所は関西本線の始発駅、湊町(現JR難波=このネーミングも嫌ですね)湊町48-01.jpg 関西線の奈良(木津)までの電化開業前の試運転列車と思われます。

それはともかく、貨車の列・ハ35や、キハニ16の混結編成(下の写真)。今や懐かしいですね。湊町48-02.jpg

関西私鉄好きの、関西旧国写真・・・・ちょっとした脱線で、今日は失礼いたします。

 

 


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コメント 10

manamana

同じ系列でも、いろんな形態の電車が交ざっていて、
そのごった煮的なところがいいですね。
こうした中で101系を見ると、
近代的で颯爽と見えますね。
by manamana (2010-09-11 06:09) 

nexus6

オレンジ色の旧国も撮りたかったなぁ~  三段窓車も写っている。
旧国や10系・20系気動車の魅力は、この様にごちゃごちゃの編成が組めたところですね。 花形特急電車よりも、こういった統一感のない編成にそそられたのでありました。
by nexus6 (2010-09-11 10:26) 

京葉帝都

クモハ60のように正面にRがかかり貫通扉が付いているタイプの関西旧国電はなかなか優美です。
現在の521系などにも受け継がれれているのではないでしょうか。片町線に初めて長尾から乗車した時はまだ単線で40分間隔で旧国電やC11牽引の貨物列車がのんびりと走っていました。一部の車両は車内のドア部分の中央にはポールが立っていました。
by 京葉帝都 (2010-09-11 11:08) 

む〜さん

この頃は一番鉄道趣味の薄かった時代だったようで殆ど写真がありません。子供も小さく連れて歩けません。
いろいろ見せてくださって有難う御座います。
(9)(10)の天井の高いホームの屋根、電車・・・・素敵な写真です!
by む〜さん (2010-09-11 12:05) 

Cedar

■manamana様
旧国は様々な形式がゴチャゴチャ繫がっていることでした。最近は私鉄・JR問わずこういう面白さはなくなってしまいましたね。
■nexus6様
関西にはオレンジ、大糸線はブルー、仙石線はグリーン、福塩線はダークブルー、京急みたいな赤と黄色の新潟色ってのもありました。関西以外は殆ど撮って無いのです。何しろ私鉄電車一辺倒だったもので・・
■京葉帝都様
関西の旧国は、当時は私鉄に押されまくっていた国鉄の象徴でしたね、現在の新快速の圧勝ぶりからは想像できない感じでした。片町線もこのときに長尾まで乗りましたが、接続する気動車がたった1両だったのにビックリしました。
■阪和線の天王寺駅は私鉄のニオイがいっぱいで魅力的でした。環状線・関西線を乗り越えてターミナルに到着する感じは私鉄そのものでした。む~さん様のブログで乗降ホーム分離時代のお写真を拝見した事があります。
by Cedar (2010-09-12 00:00) 

Cedar

★尚爺様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-09-12 00:01) 

Cedar

★twingo583様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-09-12 01:12) 

のり

関西で「旧国」といえば、阪和線と片町線でした。しかし、今大阪でもっとも昔と変ってしまった線はおそらく学研都市線(片町線)ではないでしょうか。
かつて旧国が走っていたという雰囲気はもう感じられないと思います。
それに比べ、阪和線はいまだに冷遇されているという間が拭いきれません。でも、架線支柱をはじめ、旧阪和電鉄時代のものが、いまだあちこちに見られます。天王寺駅もその一つです。確か現在も乗降分離タイプだと思います。
標識板をよくご覧下さい。区間快速(黄緑色に赤のV字だったはずです)の行先、和歌山ではなく「和可山」です。遠くからでも識別可能にするためだと伺ったことがあります。
by のり (2010-09-12 21:30) 

Cedar

■のり様
片町線はほんとに劇的に進化した線区ですね。この時は放出(はなてん)で下車してT模型店に行ったりしましたが、沿線の町もひなびた感じでした。
阪和線は、運行形態にも駅や線路にも私鉄の薫りがいっぱいで、片町線より、こちらに惹かれました。
今の阪和線は古い歴史を持つ南海に並行してるせいか、南紀への特急「くろしお」や「はるか」がメインな感じは否めません、通勤電車や快速はぱっとしませんね。
by Cedar (2010-09-12 23:19) 

松澤

片町線(学研都市線)と福知山線(宝塚線)は97年3月の東西線開業で劇的に変化しましたね。
東京の東西線沿線も1969年3月に東西線が開業してから沿線風景が激変しましたが(江戸川区~船橋市)。

阪和線は2011年と2016年に新型電車225系が大量投入され、11年3月から昼間運用が天王寺~鳳に限定された103・205系は16年12月から昼間は全く走らなくなりました。

関西本線のJR難波~奈良は今や大和路線と呼んだ方がわかりやすくなり、大阪府や奈良県王寺地区で関西本線は赤羽線みたいな死語になりました
by 松澤 (2017-02-22 10:12) 

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