昭和41年6月26日・東武鉄道館林 [昔の今日のスナップ]
(1)東武の蒸気機関車が貨物列車牽引から引退するので、惜別記念の旅客列車と貨物列車が走ったのです。電車専科でやってきた父親と、それにくっついていた電車好きの私が、何故か(!)出かけた時のご報告です。
(2)館林駅に着くと機関区の一帯が開放されて、ご覧のような賑わいです。人垣の中にヘッドマークをつけた2両の蒸気がスタンバイ中です。
(3)こちらが旅客列車を牽いた34号。 (4)こちらは貨物列車仕業だった40号です。ともにいわゆる4-4-0(よんよんれい)の軸配置ですが、スタイルは違っていますね。
(5)34号のメーカーズプレートです~なんせ蒸気は全く分からないのですが、ピーコックっていう会社名はさすがに聞いた事あります。古典機と言われてますが1914年は大正初期ですから、このとき御歳わずか52歳!今の私より若かったのですね(汗)
(6~7) 機関区の片隅にはターンテーブルがあり、傍らには既に休車中の37号が鎮座しています。人が集まっているわけは・・・
(8~9)34号機を乗せての、転回実演のサービスでした。カメラの放列の中、懸命に手動で回転させていた職員の方、ご苦労様でした。
(10~11)その後34号は館林駅に移動、ホーム上にも多くの人が待ち受けています。ホーム上屋や詰所の造りも懐かしい。こういう光景をみると、東武はやはり<汽車>のイメージが強いですね。 ホームの出発信号が腕木式なのが驚きです、ベージュとオレンジの8000系も懐かしいですが、8000系ってこの頃もうデビューしていたのですね。
改めて写真を見ると、当時としては力の入ったイベントだったのが分かります、サービス満点、場内の整理も(今ほどファンのマナーが悪くなかったとはいえ・・・)さぞかし大変だったのではないかと思います。
こんな様子の館林駅をあとに、4両の客車を牽いた惜別列車は佐野線の葛生に向かって発車しました。
(12)発車前の車内の様子です。結構な人が乗り込んで大盛況です・・・客車にしては、奥につり革が見えていますね・・・中吊広告も妙に数が多い・・・・
実は客車になったのは旧型電車だったのでした。純粋(?)ファンには不評だったらしいこの組み合わせ=写真が少ないのはそのせいだったらしい=でしたが、電車屋の私たち親子にはさして気にならず、のんびりと車窓を楽しんだのでした。
客車(電車)4両を牽いたベイヤーピーコックは、とある途中駅で停車。しばしの時間にファン達は撮影に大童。それにしても、今では考えられないのどかな撮影風景ですね。
編成は機+Tc+Mc+Tc+Mc、電車はトレーラー扱いですが、エアーや室内灯のためでしょうか?パンタを上げていました。 (13) (14)東武スタイルの電車の窓にはファンのお手製らしいこんな横断幕が・・・取り付け方も微笑ましいですね。
(15~16)停車している機関車のキャブに足をかけている人、覗き込む人・・・機関士さんも最後だからか、よく我慢していただきました。
↓ ↓
皆さんの興奮をよそに、電車屋の我々親子は機関車よりも電車の台車に注目!ちなみにこんな事してたのは我々だけでした・・・
(上から17~20)機関車寄りから順にTc+Mc+Tc+Mcの台車です。イコライザーつき鉄道省形と住友鋳鋼製台車、TR40に似たウィングバネ台車など、懐かしいスタイルが並んでいますね。台枠の見えている車体も、懐かしい東武の特徴です。
(17~18)程なく、ホイッスルで構内のファンを追い出しながら(我々もあわてて戻りました)定期貨物列車がED5071を先頭に到着して、新旧の2ショットにまたまたファンは大興奮!といっても罵声飛び交う、なんて事は無く、みなさん新旧の機関車を注視していました。 続いて到着した上り電車とも交換。SL+EL+電車の揃い踏み、上りの電車も加わっての交換・追い抜きを演出するとは、東武さんも憎いですね。
というような次第で、画像はここまでです。私の記憶では、葛生でも何かイベントらしきものがありましたが、記憶が曖昧だし写真も残っていません。この日は土曜日だったと思いますが、なんとこの1週間後に、ビートルズの武道館公演があったのです~~いやはやとにかく昔のお話です。
100年前のイギリスの鉄道をそのまま持ってきたような素晴らしいSLです。東武の貨物は国鉄ほど長編成ではなかったでしょうし、関東平野の中だけでしたから、このようなSLが長く使用されたのかと思います。
TT回転中も煙を上げているところにSL終焉の寂しさが伝わってきました。
by 京葉帝都 (2010-06-26 14:25)
当時はこのようなイベントがあっても至極のんびりした静かなものだったんですね。もう、ここ数十年、こうしたイベントには参加していないのですが、最近は賑やか過ぎるらしいですね。そう言った訳で敬遠しているのです。
1966年、シャープスチュアート製の40号機は館林だったんですね。1958年、東上線に居た40号機を下板橋に撮影に行った事を思い出します。
東武は蒸気機関車が消え、貨物輸送も無くなって、あれだけ居た電気機関車も同じく消えてゆきました。
電車の塗装もどちらかと言えば嫌いな色でしたが、今見てみると、妙に懐かしく感じられます。
今日は、ちょっと、しんみりしました。
by む〜さん (2010-06-26 20:26)
ピーコックが生きていた頃をナマでご欄になったのですね!!
この当時、小生はまだハナタレ小僧でありました。 台枠まる出しの電車、コイルと板バネの台車、お椀形ベンチレータ、写っている方々の服装 ... 全てのコマのスミズミに目を奪われてしまいます。
by nexus6 (2010-06-26 21:19)
あ、そうそう、40号機、東武動物公園駅に近い、宮代町役場に展示されています。大事にされているようです。(二年ほど行ってませんが・・・・)
by む〜さん (2010-06-27 09:06)
■京葉帝都様
国鉄SL終焉の大騒ぎとは違って、いたって静かに消えていったというkんじでした。でも東武としては演出に力が入っていたと思います、現場の方のSLに対しての愛着を感じました。
■む~さん様
さよならイベントって、殆ど行った事が無いのです。そのときだけ大騒ぎってのが嫌いで・・・この時は鉄道友の会から父に案内が来たのがきっかけでした。・・
通勤電車・長距離電車・そして貨物列車が入り乱れて走っていたのは東武ならではでしたね。私鉄らしい電気機関車っが好きでしたけど。
■nexus6様
今となっては参加して良かったのでしょうね。私もハナタレって程ではないものの小僧でした。
by Cedar (2010-06-27 12:00)
あおたけ様
suzuran6様
ご訪問&nice!ありがとうございました。
by Cedar (2010-06-27 18:45)
私鉄ガイドブックで見たような東武線の雰囲気そのままですね。
自分が小学生の頃は、こんな風景が見られたんだと思うと、
参加できなかった悔しさすら感じます。
機関車の前のgood bye がしゃれているのと、
電車の横の みなさん さよなら が対象的で面白いです。
by manamana (2010-07-18 08:13)
私が所謂<さよならイベント>に参加した唯一の記録です。あとは都電のさよなら電車くらいですかね・・
でもこのイベントは今のように大騒ぎも無く、平和なものでした。参加してよかったなあと思っています。
by Cedar (2010-07-18 08:57)