日暮里・諏訪神社 [昔鉄スナップ]
今回は小ネタで失礼します。私の生まれ育った所に近い、日暮里の山の上に諏訪神社があります。「お諏訪さま」と呼んで、子供の頃から時々遊びに行きました。その理由は、境内からすぐ下を走る電車の線路が見えたからでした。
なぜそんなことを思い出したのかというと、散歩好きの友人が、先日谷中・日暮里界隈の画像を送ってくれた中に、懐かしの諏訪神社から見た電車の画像があったからでした。
最近は全然行っていないので(JRで通過するだけです)、辺りに高層ビルが増えているのに改めてビックリしているうちに、諏訪神社から撮ったネガがあったのを思い出しました。撮影は昭和48年、梅雨の晴れ間のアツ~い日でした。
私のことですから国鉄ではなく、向こう側を走っていた京成電車です。(最近は知りませんが、当時、日暮里の乗り換え案内放送も<京成電車>でした。関東では珍しいことでしたね。) ごたごたした下町を貫く高架線が、諏訪神社の境内からよく見えました。まずは3200系赤電です。手前に今のJR(当時はもちろん国鉄です)の架線が見えています。電車がたくさん走っていたので、ビルの屋上に看板が多いです。大関、神鷹、長者盛・・清酒の看板が多いのは、いかなる理由でしょうか?
続いては青電。モハ210+クハ2100の更新車編成、青電といってもTMMTの4両固定編成で中間のモハ210はカルダン駆動になっていたセミ新車でした、例の暑苦しいオレンジ一色になって、かなりあとまで残っていました。この古い高架線は昭和初期の開通当時のもので、戦前は電車の位置に「道灌山通り」という駅があったそうです。
梅雨の晴れ間、西陽にギラリ輝くステンレス車体の3500形です。3200系の窓配置を踏襲したそっけないデザインの電車で、当時から好きでなかった形式ですが、こうしてみると・・・夜目・遠目・傘の内~というヤツですな。清酒の看板に混じって見えている「池信」は居酒屋ではなく「池之端信用金庫」~一時期、我が家もお世話になっていた地域密着の金融機関、中小企業や個人商店の強い味方でした~今でもあるのでしょうか?
お次は中間車のみがギラリです。青電の中の異端児、モハ700+クハ700の中間に元特急「開運」の機器流用のアルミカー1600形MTを挟んだ編成です、中間の1600形のTは運転台無しなのにクハでした。最後は京成名物「嵩高荷物専用車=行商おばさん専用車」の運用について、早々と姿を消してしまいました。なんだか薄幸な電車、という感じです。
こんな感じで国鉄が撮れます、という証拠写真・・・新幹線は影も形も無い当時の東北・高崎線の主力115系。角張った塗りわけの湘南色も、懐かしいですね。
・・・というわけで、昭和48年、梅雨の晴れ間の日暮里から、今日は失礼します。
友人のメールでは、今はこのアングルの写真はビルが林立して撮影不可能だそうです。
スカイアクセス開通後に今昔写真を、という私の密かな目論見はあっさり却下!
suzuran6様
あおたけ様
やまびこ3様
む~さん様
nexus6様
皆様、ご訪問&nice!ありがとうございました。
by Cedar (2010-06-25 14:10)
高い建物がほとんどありませんね。
昔の東京は空が広いですね。
by しおつ (2010-06-25 22:32)
その当時は、普通の景色と思っていましたが、確かにそうですね。所謂、都心以外の場所に、ぼこぼこ高い建物が建ってしまうのは如何なものと思っています。
by Cedar (2010-06-26 12:10)
keroro様
ご訪問&nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-06-26 12:11)
キャプテン・スキャバーズ様
ご訪問&nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-06-28 18:02)
manamana様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-07-18 08:58)