ほぼ非鉄旅の鉄シーン(その1、母に引かれて大聖寺参り) [今昔鉄写真]
ブログもモケーも放り出して、11月4日から3日間旅に出ました。
旅のスタートは新幹線上野駅~東京から乗らなかったのは、鬼越からくる母と京成上野駅で合流するためでした。
(1)
あ、Cedar親子が乗ったのはこれじゃあなく・・・・
快晴の車窓から撮った鉄風景・・
なぜか気になる上信電鉄
(4)
撮影名所の鏑川鉄橋が新幹線から見えるとは知らなんだ。
高崎駅の風景も必死こいて撮りました。
(5~7)
新車7000形(左側2列目)はじめ、いろいろなお電車が屯する後ろの本社?ビルが昭和38年に行った時と変わらないのはビックリでした。
(8)
当時の風景、完成直後で引っ越しの最中なのか、ビルの中がスカスカですね~
これは長野発車後だったかな・・?(9)
JRとなると、とたんに自信無いのは相変わらずで・・
次の日も朝早くに金沢駅へ~血膿色(爆)に塗られた国鉄形が出入りしてましたが~。
(11・12)
(13)Cedar親子は北陸線特急で西に向かったのでした。
(14・15)「しらさぎ」(↑)と「小さく前にならえしてる普通」(↓)を加賀温泉駅で乗り継ぎ~
(16)母と一緒にトコトコと・・・・
たどり着いたのは大聖寺駅でした。~ホームに下りたら・・・・
(17)ん?初めて降りたのに見覚えのある景色のような気がしたのはなぜ?
(18)これですこれです、これでんがな!
Cedarシニアが昭和41年に撮ったこの写真です。
今がらんと空いたスペースには、山中温泉に向かう北陸鉄道加南線の大聖寺駅があったのでした。
駅の外れの家並みが、旧加南線の軌道敷に沿って斜めに建ってるのが確認できます。
(19)かまぼこ屋根の工場建屋やコンクリ塀などは当時のまま。
(20)このあたりにあったホームで撮った写真がこちら(↓)です。
(21)貨物列車が止まっていた側線だけが残っていますね。
(22)乗ってきた電車は、特急通過待ち~
かつては乗換えでにぎわった構内は静まり返っていました。
加南線の昔の案内図にも某所で出会いました。
(23)地図というより「絵図面」と呼びたくなる鳥瞰図~
旧社名、温泉電軌に痺れます。
このあたりの温泉地が観光客で賑わってたころ、大聖寺、動橋、粟津の各駅に分かれていた乗り換えを集約するために、田んぼの真ん中に加賀温泉駅を作り特急停車駅にしたせいで、温泉行きの電車はバタバタと廃止に追い込まれたのでした。
とかとか〜
おいおい!こんな写真撮るために大聖寺に行ったのなら、
れっきとした鉄旅じゃあないのか?
いえいえ、ここに行った目的は鉄じゃなくコレ(↓)なんでした。
駅近くの某お寺に安置されてる、俳人松尾芭蕉の像です。(24~26)
この像を拝みに行きたいという母(齢90才!)のエスコート役が旅の目的でして・・・
ね!?まさしく非鉄旅でしょ?
ちっぽけなこの像のためになんでわざわざ?
実は我が家と芭蕉とはいろいろ由縁がございまして・・・・
そのへんは次回に・・・
ではまた
今や温泉や観光地へはバスで行くのが当たり前。下手すりゃ大阪からも一気にバスで来るので、JRもうかうかしていられませんね。
by モハメイドペーパー (2016-11-07 20:27)
■モハメイドペーパー様
加賀の温泉もだいぶ寂れていましたね~バスも閑古鳥で、山中温泉から乗った金沢行きの特急バスは我々以外に1組しか乗客が無く、山代・片山津からの乗車もゼロでした~。母も「こりゃ商売上がったりだね~」とため息でした。金沢の観光地はそれなりに賑わってましたが・・・
by Cedar (2016-11-07 21:02)
★hideta‐o様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-11-07 21:05)
加賀温泉駅には、20数年前と10数年前の2度、山中温泉に行ったときに降りたことがありましたが、電車から降りた観光客が居並ぶ旅館の送迎バスに向かって一目散、と言ったような感じで、駅前には土産物屋が何軒かあるくらいで殺風景な印象でした。
加賀温泉郷は、不景気で倒産・廃業に追い込まれた旅館(ゴジラ松井と同郷の元宰相のお気に入りだった「百万石」もそうだとか)が続出し、いまや熱海・鬼怒川・水上と並ぶ悪名高き「廃墟銀座」とも呼ばれて、「廃墟探検隊」の格好の標的にされているような「名所」もあるようです(有名だったという片山津温泉の巨大観光ホテルは取り壊されたようですが)。
大井川で冷たい仕打ちに遭った元山中線の急行電車、一方は鉄屑と消えましたが、アルミ製の「しらさぎ」は生まれ故郷に引き取られて静かに余生を過ごしているということは、以前に書き込んでいたかもしれませんが。
最初の山中宿泊のとき、タクシーを飛ばし、粟津線の沿線にあった「那谷寺(なたでら)」という古刹にお参りしたことがあり、境内に「岩山巡り」のようなものがあった面白かったことを覚えています。
by 伊豆之国 (2016-11-07 21:52)
■伊豆之国様
廃墟めぐりなんていうのは悪趣味ですが、今回金沢行き特急バス車内から出来てしまいました~
ビル旅館にしなかった(出来なかった)ところが今では情緒ある宿として生き残ってるような気もします。
by Cedar (2016-11-07 22:26)
泣けてきました。
中2の時でしたか・・父母と北陸旅行をしました。
亡父に山中温泉の宿は取ってあるから、後は鉄道好きのお前が全て手配しろと言われ、なるべくバスを使わず鉄道で回れるように考えました。
従って、山中温泉へは大聖寺からはクタクタの北陸鉄道往復。
大聖寺 ああ大聖寺 大聖寺
by シグ鉄 (2016-11-07 23:20)
■シグ鉄様
山中温泉にそんな思い出がおありなんですね。
大聖寺のお寺からタクシーで山中温泉に行きましたが、電車の痕跡は大聖寺駅と、スーパーになってる山中駅跡以外は不明でした。
加南線の写真を見るたび「乗りたかった!」と思います。
★AKI様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-11-08 00:49)
ウチの母は、三峰山と武蔵国御岳山に、行きたがっています。
足が悪いのに、なぜ山なんだ???私もがんばります!
by hanamura (2016-11-08 05:52)
■hanamura様
日頃の親不孝の罪滅ぼししてきました。
何しろ90歳ですから、出来るうちにいろいろと・・・・
by Cedar (2016-11-08 08:10)
おはようございます。
ご旅行おつかれさまでした。
俳人松尾芭蕉の像が見たいなんて、さすがCedarさんのお母様、立派です。
親孝行で泣けてきます。
うちなんて、母はどっこも行きたくないっていいます。
某大学の本屋に勤務していたころ、毎シーズン、本屋で大名旅行に招待され、ほとんど日本じゅう行ってないところはないみたい。
大学なんで、お高い書籍、教科書がばんばん売れて、儲かっていたみたいですが、いまは撤退しちゃったみたいです。駒〇〇店。
by ひでほ (2016-11-08 09:50)
■ひでほ様
母も俳句やってますし、記事中にもちらっと書いたように芭蕉と我が家の縁もあって遠征となりました。
非鉄の旅といっても免許なしのナビなんで、新幹線やバスが足です。母にとっても(老々介護のCedarにも)いい運動?
★あるまーき様
★ あおたけ様
★シルフ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-11-08 13:17)
★myossy様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-11-08 16:25)
90歳!お元気で何よりです。
4年ほど前、芦原温泉から大聖寺辺りへ足をのばしたことがありますが、その時は米原からしらさぎで行きました。
芦原温泉も駅前は閑散としていて、かつては皇族が利用したこともあるという泊まった宿はつぶれちゃいましたし、いまひとつ活気が無かったことを思い出しました。
by きゅぴ (2016-11-09 10:01)
■きゅぴ様
芦原、山中、山代、片山津・・・
どこも客の流れが変わって活気がないようですね。
久々に国内旅行すると、そんなことばかりが気になります。
★シュウチャン様
★SpeedBird様
★arail206様
★やまびこ3様
★ねじまき鳥様
★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-11-09 14:24)
いくつになっても親孝行いいですね。見習わねばいけません!
by 福 (2016-11-09 22:22)
■福様
孝行をしたいときにはなんとやら~、って諺もありますので・・・
こんな旅行もたまにはいいものでした。
★ぷっぷく様
★nd502様
★八犬伝様
★gardenwalker様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-11-10 00:28)
何年か前に山代温泉に泊まりましたが、何とも寂しい雰囲気の温泉街でした。
それにしても、大聖寺は線路剥いだ以外風景変わっていないとはビックリしました。
by Chitetsu (2016-11-10 09:14)
■Chitetsu様
大聖寺のホームに降りたとたん「おお!」と思いましたね。父の写真そのままの景色にびっくりでした~。
山中温泉で昼食のあと、金沢行き特急バスで戻りましたがお客は我々含みたった5人、山代、片山津でも乗車ゼロでした。北陸新幹線開業の陰で温泉は厳しいのですね。
by Cedar (2016-11-10 09:48)
加南線といっても、大聖寺からの山中線、新動橋からの山代線、動橋からの片山津線、粟津からの粟津線がありました。本線格は山中線で、ここに、くたに号、しらさぎ号が登場しました。ちょっと、小粋な電車でしたね。
弊HPでその姿をご覧ください!
http://6.fan-site.net/~haasan55/Kanansen.htm
ところで、動橋はなんて読むのでしょう?
Cederさんはお分かりと思いますが??
by はーさん (2016-11-10 17:40)
■はーさん様
しらさぎ号はスクラップ業者大井川鉄道から救い出されて道の駅に保存されたとか。
動橋は「どうきょう」って読むんですよ~~(爆)
by Cedar (2016-11-10 19:07)
動橋は「どうきょう」ですか?
では、富山県の石動駅は「いしどう」と読むんですね??
動橋 「いぶりはし」、石動 「いするぎ」なんて読める人はこの地方の人しかいませんよね!!
by はーさん (2016-11-11 11:14)
■はーさん様
「いぶりはし」はTMSだったかの「温泉電軌のりかえ」という記事でしりました。
「いするぎ」は前の会社に「いしどう」さんという人がいて、先祖は「いするぎ」という姓だったという話を聞いたことがあります。
by Cedar (2016-11-11 11:51)
★UZ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-11-12 01:53)
お母様、お元気で何よりです。
北陸新幹線は既に何度も利用しましたが、車窓で注視しているのは、車両基地です。長野では、茶釜+カシオペアが留置されていたりしました。熊谷のセメント工場脇の貨車群も気になっています。
私も大聖寺駅では「しらさぎ号」を見ました。加賀温泉郷は記憶にあるのは動橋経由で山代温泉に連れていってもらったくらいです。加賀温泉駅ができる前の作見駅では、雪が降り積もる無音のような静寂の中に停車中の客車普通列車がガッチャンという音と共に発車したシーンが思い出されました。
by 京葉帝都 (2016-11-12 11:26)
■京葉帝都様
根っからの私鉄派なんで車窓でも私鉄が・・・北陸新幹線だと秩父→上信→上田→長電→地鉄、電車が見えたのは上信だけでした。
加賀温泉郷の電車たちの時代に行ってみたかったなあ~
by Cedar (2016-11-12 11:55)
★ネオ・アッキー様
★schnitzer様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-11-14 01:49)