年末年始合併号・小掃除の発掘物(その2&3) [アート・本]
申(さる)年が始まりましたね~2回目は週刊誌を真似て、小掃除発掘ネタ合併号!(1)
年末ギリに見つけた紙焼き&世田谷昔鉄風景続篇のダブルネタ~
喪中のため新年ご挨拶は無しで、ヘタレブログはへろへろと続きます。
まずは年末に見つけた 新年ブログに絶好な紙焼き!(2)
さて、このカッコイイ電車はなんじゃいな?
昭和3~40年代の東京の鉄ガキならきっと知ってるアレです。
ヒントは上端に見えてるモノ・・
そう、上野動物園、昭和の人気アトラクション『お猿の電車』です。
WIKIによれば
1948年9月23日に開通し、当初の運用は、バッテリー駆動の機関車を猿が運転する方式で乗客は子供、金額は3円であった。猿が運転するわけだから、気ままにバックしたり、止まったりすることがあり、それもうりの一つであった。
(以上抜粋引用)
その後は実際にお猿が運転するのではなく、写真のように先頭にちょこんと座っているだけになりました~とのこと。
Cedarが知ってるのはその頃の姿ですね。
で、写真全体はこうです。おサルさんは運転席(?)から飛び出ちゃってますね。
(3)
しかしこの写真はいつごろ誰が撮ったのかよくわかりません~回りの大人たちの服装からすると、昭和30年代後半の撮影でしょうか?車体のモデルは明らかに新幹線0系・・・実物に合わせて登場したとすればこの撮影も新幹線開業前後でしょう。
ちなみにこの塗装、新幹線開業前に万世橋の交通博物館にあった模型に似ているような・・・
でもガキの頃乗った記憶にあるのは新幹線形ではなかったのです、そもそも新幹線開業は昭和39年ですから小学校高学年~中坊のCedarが乗りに行くはずはないですし・・・
ではいったいこの紙焼きは、なぜ我が家にあるのか・・・?
わざわざコレだけ撮るために動物園に行ったのか?
パンダでも見に行った家族の誰かが撮ったのか?
謎は深まるばかりです~なんて・・
ま、考えてもわからんです・・・
せっかくですからあちこち昔の姿を探してみました。
(4)最初はこれ、ボンネット形DLのデザインがいかにもOccupied Japanの時代を思わせます。
UENOZOOのヘラルドがサンタフェそっくりなのに、NoがC583っていうのも笑えます=WIKIの記述に『バッテリー機関車を猿が運転した』とありますが、『かにくいざる機関士』がコントローラー握っていますね。
次はこちら・・機関車が日本形(国鉄形)になってますね。モデルはEF15でしょうか?
(5)
線路の横にサードレールも見えてますから、これはいわば大型模型=おサルさんは運転しない『お飾り』ですね。
う~~ん、Cedarの乗ったのはこれかなあ~
「お猿の電車」はいつの時代も人気者でしたが、1974年6月30日 『長時間猿をくくりつけておくのは動物虐待だ』という声を理由に廃止(外圧ではなく、動物園側の判断で)、23年の歴史に幕を閉じたのでした。~というわけで、これは1974年のさよなら運転のニュース画像です。
(6)
1974年といえばCedarが社会人になった年~
そんな頃まで走ってたんだ!と改めて『びっくりポン』。
車両の塗装が新幹線に合わせて変更されているし、運転室窓(?)周りも変わっています。
おサルさんが触る部分が手ずれてるのも痺れますね。
この絵でみると、確かに動物虐待っぽいなあ・・・
とかとか、申年ネタでご機嫌伺い~のあとは~
年越しになってしまった『ちょっと昔のせたがや』の紹介続篇。
Cedarの好きな昭和の日本映画の1シーンみたいです。
(10)菩提寺の墓参りでガキ時分から馴染みだったこの駅前風景は、複々線工事が始まるまで、雰囲気はあまり変わりませんでしたね。
(12)
ここも未舗装~郊外だなあ~
(13)開通時のマンサード屋根の駅舎が懐かしい喜多見。
このスタイルの駅舎は数えるほどしか残ってませんね。駅に繋がれた犬=喜多見のハチ公でしょうか?
これはオマケです~世田谷は農村地帯だった、ってことですね。
(16)これは南口通り、井の頭線ガードの道幅は今も変わらないですが、人々の服装や表情が時代を感じますね。
Cedarは『丹頂チック』に反応しました。
こういう駅舎もほぼ全滅しています。
(17)こちらは東京私鉄独特の島式ホームに乗っかった小さな駅舎~これも今残ってるのはTQ大井町線だけになりました。
ここからは京王線です。
最近は路線整理も進んでいますが、鉄道のフィーダーとして今も走るバスで世田谷の住宅地を行く=これもCedarの趣味のひとつ(なんと非生産的な!)です。
これは戦後間もない甲州街道を行く京王帝都バス。砂埃がすごいですがまさか未舗装ってことはないでしょうね。
二子玉川~岩崎学生寮間のバス、だそうですが余所者Cedarは知らない行き先です(どなたか教えてください)、この色は小田急バスですよね~
ラストの画像は昭和36年、道幅拡幅前の三軒茶屋交差点を通過する小田急バス、横っ腹の犬のエンブレムが眩しいですね~たまに見かけるとガキ鉄Cedarは素直にカッコイイと思いました~玉電の60形が右奥に見えてます。
なにしろ合併号ですから・・・・
ま、今年も前向き<後ろ向き、一般的<マニアックというのは変わらない(変われない・・)ですが、なにとぞよろしくお願いいたします。
本当にお猿が運転(操作)してたんですね!w
しかしたまりません!昔の写真!!
今年も是非たくさん公開してください!!
by FTドルフィン (2016-01-03 10:36)
◼︎FTドルフィン様
〜今回のは自分の写真でないのがお恥ずかしいですが、お猿電車はCedarも懐かしいです。そういえば大学時代に女の子とパンダ見に行ってお猿電車を眺めた記憶が蘇りました。
by Cedar (2016-01-03 11:52)
遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
>岩崎学生寮…(どなたか教えてください)
wikiその他でいろいろ調べてみたところ、大体次のようであることがわかりました。
鹿児島県内の交通・観光産業を中心に展開している「岩崎産業」の創業者が、鹿児島県出身で都内・近県の大学に進学する、経済的に苦しいことなどで通学が困難な学生を支援するために、昭和26年に世田谷区烏山に開設した学生寮。
「岩崎学生寮」は現在も存続しており、千歳烏山駅と吉祥寺駅からバスが出ているようです。寮の場所は日本女子体育大の近くにあります。
「岩崎産業」は、現在では「いわさきコーポレーション」の中核企業で、(南薩鉄道→)鹿児島交通もグループに入っています。
…すると、あのバスには薩摩隼人の大集団が乗っていたのでしょうか…。
ボンネットバスは、昭和44年頃、芦花公園駅から蘆花恒春園まで行ったときに乗り合わせた記憶があります。上野のお猿電車は、かすかな記憶が残っているのですが、どんな格好の車両だったかは覚えていません…。三茶の斉藤呉服店は、少し奥に移って営業しているのですが、今度(16日)にボロ市に行く予定なのでこのときに確認してみます。
by 伊豆之国 (2016-01-03 13:26)
おさるの新幹線! 懐かしいですね。
私が子供の頃全盛期だったと思います。
しかしながら、それよりも帰りに喰った精養軒のカレーライスの方が、強く印象に残っています。
by シグ鉄 (2016-01-03 13:38)
◼︎伊豆之国様
岩崎学生寮の情報、ありがとうございます。
二子からのバスがなぜ走ったか謎ですね。
◼︎シグ鉄様
いわゆる『豆汽車』〜いまや絶滅危惧種ですね。小3の時初めて名古屋に行った時、親戚のおじさんに連れていってもらった東山動物園の豆汽車が架線集電だったのをうっすら記憶してます。
by Cedar (2016-01-03 16:06)
どの写真も衝撃的です。
特に祖師谷の商店街を行くボンネットバスは衝撃的です。
廻沢(めぐりさわ・・・今はなんというんだろう)の1Kの都営社宅のおばのうちには風呂がなくて、祖師谷の商店街はずれの風呂屋まで遠征していました。そのとき昭和40年ごろはバスは走っていたのか興味があります。
世田谷は農村地帯でしたね。
小学生時代、同級生で肥溜めに落ちたやつがいます。
お猿さんの汽車・・・記憶にないですが、廃止のニュースは覚えています。小生が越後屋付属に入学する年だったような。
本年もまた、わくわく記事UPよろしくお願いします。
by ひでほ (2016-01-03 17:09)
Cedar様
寒中見御舞い申し上げます。(早いかな?)
オレもガキの頃、上野動物園のお猿の電車にのりましたよ~。
検索してみたら「旅行者用外食券食堂」って昭和44年まで残っていたらしいですね。驚きです。
しかし、なんか豪徳寺も下北も一昔前の登戸界隈にしか見えない。
戦後の駅前のごちゃごちゃした(失礼)街並みってどこもにたゆなものだったんですかね?
by かわうそ (2016-01-03 19:56)
私の地元の関東バスも、野方とか沼袋の狭い道をすり抜けていました。成城学園前から祖師ヶ谷大蔵経由の芦花公園行きの系統は、恐らく小田急バスで最後のボンネットバスだろうと思います。
喜多見、狛江あたりは田舎でしたね。昭和40年くらいでもまだ北多摩郡でしたから。
by モハメイドペーパー (2016-01-03 20:47)
■ひでほ様
衝撃的写真=当時は普通の光景、
最近の薄っぺらな街並みよりは陰影が濃くってすきなんです。
私バスも都バスもどんどんコミュニティバスに移管されていくし・・・
肥溜めに落ちた同級生のお話、いいですネエ。
■かわうそ様
戦後のごちゃごちゃ街並みも今風の再開発の街並みも、時代が違ってもドコも似たようなものってことですか・・・ニホンには街創りが存在しないってこと?
★hanamura様
★AKI様
★UZ様
★あるまーき様
★モボ様
★やまびこ3様
★nd502様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-01-03 20:57)
■モハメイドペーパー様
本年もよろしくお願いいたします。
東京西部のきりきりバス路線もずいぶん整理されちゃいましたね。
TQバスの五反田~渋谷線など、用も無いのに時々乗ってみたくなります。
by Cedar (2016-01-03 21:09)
★シュウチャン様
★ gardenwalker様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-01-03 23:17)
★nandenkanden様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-01-04 07:52)
上野動物園のお猿の電車、今思えば今の園の何処らへんにあったんだろう ..。
年末年始と休みない宿直シフト勤務稼業、暖かくなったら、上野公園に出かけてみたくなりました。本年も楽しませて下さい。
by KEY坊 (2016-01-04 10:12)
■KEY坊様
年末年始お疲れ様でした~
お猿電車は広小路のほうから入って、左奥のほうだったような気が・・・でも曖昧ですね。
今年も妄想力で何とかします、よろしくお願いします。
by Cedar (2016-01-04 11:08)
『僕は特急の機関士で』の替え歌に『ボクはお猿の機関士で』という曲があります。
音源はこちら↓です。
https://www.youtube.com/watch?v=sKj74V_diM8
お猿電車は一度も乗らないうちに乗れないような歳になり廃止されました。
by 三等急電 (2016-01-04 19:53)
お猿電車、幼稚園の頃に乗りました。
小学1年が新幹線開通の年ですので
この0系もどきの物の前の物に乗ったのかもしれません。
by 八犬伝 (2016-01-04 20:10)
■三等急電様
楽しい情報ありがとうございます。Cedarも一度しか乗ってないと思います。
■八犬伝様
新幹線開業の何年か前に0系もどきになったようです~微妙なタイミングですねえ。
★triguraf様
★ぷっぷく様
★sonic様
★あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-01-05 00:12)
後半の写真、まるで映画のシーンのようですね。
「めし」が見たくなってきました。
by のり (2016-01-05 06:52)
■のり様
世田谷には東宝撮影所があり『めし』や『浮雲』といった成瀬の名作が撮られました、成城や祖師谷には映画関係者が集まる店もあったようです。
~なんかトンチンカンなコメントスミマセン。
by Cedar (2016-01-05 11:05)
(10)の画像の豪徳寺=山下の街はだれもがよく知っている場所ですが、この写真は、斜め奥からの午後の光と長く伸びた影のコントラスト、湾曲した通りの独特の奥行き、中景で通りと立体交差する鉄橋を通過しつつある電車、手前に向って歩く女性(?)とシルエット以外はほとんど識別困難な後ろ向きの人物の配置等によって、日常的な要素のみで構成されているにもかかわらず非日常的でウンハイムリッヒな情景として切り取られ記録された瞬間に立ち会うことを見る者に許していると言うことができます。
by Tosi (2016-01-05 21:01)
◼︎Tosi様
豪徳寺や下北沢の写真〜奥行きに電車を配置した映画的構図はCedarも優れていると思います。
〜あのー、ウンハイムリッヒってなんですかぁ?
by Cedar (2016-01-06 00:31)
★ライト様
★Ujiki-oO様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-01-06 00:33)
今年の干支「申」の記事の最高傑作です。ひらパーにもモンキーランドがあったりして当時は猿と人間の距離が近かったのかもしれません。
豪徳寺駅のカーブの高架では初めて世田谷線から小田急線に乗り換えた時に坂を駆け上がってきたロマンスカーが印象に残っています。鉄道どうしの高架クロス地点は偶然の列車の出会いが見られてどこも脳裏に焼き付いています。京阪では城東貨物線のSL、東海道線の山科や京都駅手前から見えた特急カラーや緑二色など。
山の手エリアのバス網は放射状にある鉄道駅どうしを結んでいるようなイメージがありますが、世田谷区内では淡島通り線のように渋谷駅を起点に環八へ向かっていて地元の便利な足となっている路線もありますね。
by 京葉帝都 (2016-01-06 15:20)
■京葉帝都様
過分なお言葉ありがとうございます。
最近はイルカのショーですら虐待云々となるご時勢ですからね~
後半の写真集は長らく見つからずにいて、やっと紹介できました。苦の広報物にしてはなかなかマニアックです。
by Cedar (2016-01-06 22:52)
4年間過ごした下北沢ではないですカー。踏切を渡って一番街の蜂屋によく行きました。6年前に25年ぶりに再訪した時も、街はきれいな店が並んでいましたが、道幅と井の頭線のガードは当時のままでした。
店は奥でも・・・の豪徳寺も懐かしいなあ。
by 福フチ (2016-01-07 23:41)
◼︎福フチ様
道筋が昔のままだった下北沢も、小田急が地下に潜って、駅前広場や新道といった小役人根性丸出しの計画が進んでいます。没個性な詰まらない街にならないで欲しいなぁ。
by Cedar (2016-01-08 09:02)