ざんげの値打ちもない~小田急1100形のこと。 [昔鉄写真]
前回の『銀座カンカン娘』では、Cedar大滑りしてしまいましたァ~!
まずは最も原形を残していた熊本電鉄。おかげで小田急が買い戻し、復元・保存することができました。
そして、まとまった両数が活躍していた日立電鉄
最後はオマケ、元小田急車ではないですが、とてもよく似た電車が、関東から遠く離れた西鉄宮地嶽線に見られました。昭和45年の姿です。
(1)タイトル明けのこのシーン。 (2)
(↑)の小田急1100を、旧南武100形(↑)と思い込んじゃいまして…
皆様から『違うんじゃね?』と訂正コメの嵐~ああ、恥ずかしい。
『サブロクの関東私鉄には疎くって』~などと言い訳してもダメダメですね。
てなわけで、よくわからないタイトルの今日のお話は・・・・
たしかによ~く見れば3ドアだし、前面窓も3枚同じ大きさだし、車体長も長い…(いずれも皆様のコメから)
まさしくざんげの値打ちもない間違いのお詫びに、地方私鉄でCedarが出逢った元小田急1100を集めてみました。
電車の話ですが、戦後は半数がお隣の相模鉄道に移り(なにわ様のご教授による)、さらに各地の地方私鉄に譲渡された1100、Cedarがあちこちを巡ってた昭和40代は元気に活躍してました。
小田急にも、荷電(後に配送)に改造された仲間は、かなり遅くまで残ってたのですが、Cedarは撮影していません。
まずは最も原形を残していた熊本電鉄。おかげで小田急が買い戻し、復元・保存することができました。
京福電鉄福井支社(→今はえちぜん鉄道)の元1100は、改造された姿ながら地方私鉄らしい雰囲気で活躍してました。訪問は昭和47年でしたか・・?
2両ともノーシルノーヘッダながら、かたや二段窓、かたや下降式のまま。こんなところもいかにも地方私鉄仕様ですね。
(7)
いかにも改造車らしい窓配置やHゴムの前面窓など、地方私鉄好きには痺れるデザインでしょうね。
(7)
いかにも改造車らしい窓配置やHゴムの前面窓など、地方私鉄好きには痺れるデザインでしょうね。
東古市付近の山あいの集落を行く姿(↑)も
一夜明けた今はなき京福大野駅での姿(↓)も、なかなか絵になってました。
一夜明けた今はなき京福大野駅での姿(↓)も、なかなか絵になってました。
この時は駅前通り(大野三番、という名前の道でした=京都のように、道筋が碁盤の目になっているのでした)のちいさな旅館に泊まりましたが、朝食は旅館の女将さん家族と一緒で、東京で学生生活している娘さんの話など聴いたりしたのも、なんだか懐かしい思い出です。
越前の小京都大野、落ち着いた良い街だったなあ・・
その後まもなく、勝山~京福大野間は廃止されてしまい、この電車も消えていったのでは、と思います・・・。
そして、まとまった両数が活躍していた日立電鉄
昭和55年の訪問時は車体更新されたものも多く、一見別形式に見えました。
ユニークだったのは相鉄時代に荷電に改造されたのをわざわざ旅客用に戻したこれ。
広い両開き扉の片方は開かずの扉(!)でした。
3輌編成もあった元小田急1100でしたが、営団銀座線の電車などに追われて消えたようです。
最後はオマケ、元小田急車ではないですが、とてもよく似た電車が、関東から遠く離れた西鉄宮地嶽線に見られました。昭和45年の姿です。
(12)
香椎花園前、後ろに見えてる今なら<金返せ~>と言われてしまいそうな、ささやかな観覧車が良いですね。
と、元小田急1100(似た電車も)には、あちこちで出逢っているのに・・・・、
なんで映画の電車を1100と思わなかったのか?
香椎花園前、後ろに見えてる今なら<金返せ~>と言われてしまいそうな、ささやかな観覧車が良いですね。
<こちらは、現在廃止となっている区間=古賀ゴルフ場前付近です。>(13)
よく見ると真ん中の窓が広いです、もともとは小田急1100と同じ3扉車だったはずです。
博多湾鉄道時代のオリジナル~まあ、メーカーの日本車輌が私鉄標準形(?)として売り込んだのでしょう。
と、元小田急1100(似た電車も)には、あちこちで出逢っているのに・・・・、
なんで映画の電車を1100と思わなかったのか?
一度、熊本から里帰りして復元された姿を拝みに行きたいものですね。(最近はなかなか公開されないようですが・・・)
2014-02-01 21:21
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コメント(18)
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あぁぁ!って、何も言えないけど、あっぁぁ!って
昔はヨカッタでは括れない、イイモノがあります。
by hanamura (2014-02-02 00:47)
小田急1100の地方活躍シーン、懐かしいですね。
特に京福大野のシーンがよろしいですね。
旅館で家族と一緒の朝食、自分も経験あります。
なんか、懐かしくなりました〜。
by Chitesu (2014-02-02 03:15)
元小田急の1100形の写真集、楽しませていただきました。
いろいろあって、面白かったです。
京福大野の旅館の一コマ、良き想い出だったと思いますよ。
by 京阪快急3000 (2014-02-02 06:46)
■hanamura様
いつものhanamuraさん流お褒め?の言葉。ありがとうございます。
昔がなんでも良かった、って思ってるわけではないのですが。
■Chitetsu様
最近は所謂『商人宿』が無くなって、みんなビジネスホテルですから。鉄道よりも街や人の記憶が鮮やかなことは、結構多いですね。
■京阪快急3000様
小田急1100は、大きさも地方私鉄向きだったのでしょう。
最近は地方私鉄も20m車ですから。
★あるまーき様
★gardenwalker様
★たじまーる様
★あおたけ様
★素人写真様
★フジトモ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-02-02 10:22)
ワタシ、見ちゃったんです!
小田急デハじゃないですよ。
北原ミレイ(爆)。
尾崎紀世彦と一緒に(爆爆)!
しかもあろうことか高槻市民会館で(核爆)!
しかも帰りの電車はP-6(劇爆)!
カンケーなくてスミマセン・・・・
by その時犬は木に上った (2014-02-02 11:03)
■その時犬は木に上った様
カンケー無いどころか!すげー体験話ありがとうございます。
北原、尾崎のカップリングも帰りのP6(高槻からなら急行ですかね?)も。
なにより宇能さん風の文体がエロ良いです。
by Cedar (2014-02-02 11:20)
★モリガメ様
ご訪問&nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-02-02 11:31)
小田急の(先代)1000番台の車両は、物心がついた頃には(1800系を除いて)既に引退したか、4000系に変身したり荷物車に改造されたりしていて、どうやら乗ったのはもとより、見たという記憶もほとんどないみたいです…。
熊本電鉄に行った元小田急1100は、無事に戻ることにできてよかったですねぇ~。今も現役の「青蛙」、間違っても闘Qに返してはいけませんよ~!
越前大野は、以前にも書き込んだ「(福井ではまさに今頃が旬の)水羊羹が見つからなかった」十数年前のその夏の旅で訪れています。大野市唯一の鉄道となって久しいJR越美北線は、本数が少なすぎて私が福井駅に降りたその時間帯には都合のよい列車がなく、行きは結局バスで大野に向かい、帰りも待ち時間が長くてレストランで時間を潰し、福井市街のホテルに着いたのは夜9時を回った頃でした。大野市は「越前の小京都」の異名を持つ古い町並みや、「お清水(しょうず)」と呼ぶ綺麗な湧き水があって、気候のよい時期にじっくり歩いてみたい町です。
by 伊豆之国 (2014-02-02 13:12)
■伊豆之国様
熊本電鉄も青蛙はTQに返さず、動態保存料取って預かりというカタチに出来ればいいですね。
昭和の地方私鉄巡りのもう一つのたのしみだったのは、電車の沿線や終点の小都市の商人宿に泊まることでした。
大野、揖斐、笹津、大津、桑名、堺などでそんなことしましたね。
当時はビジネスホテルなど、あまり普及していなかった…。
★nexus6様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-02-02 15:59)
★takechan様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-02-02 16:27)
荷電から客車に戻した車両、元祖広幅扉っていう感じですね。
小田急2000を思い起こすというとこじ付けでしょうか。
by サットン (2014-02-02 17:06)
京福の271はこれがもと小田急のデハ1100かと考えさせられるくらいの変わりようですね。なお、前回の映画の場所は昔の地図で確認してはるか後ろに立つ高圧線鉄塔から世田谷代田-梅ヶ丘間に間違いなさそうです。
by EF510-230 (2014-02-02 18:24)
京福のノーシル・ノーヘッダー、その実は小田急か相模での事故復旧車のはずです。だから窓は二段窓。
日立に行った同族最初の6両+1両は相模での更新もあり、中間電動車からワンマン運転用の両運転台復元車まで多士済々。
さらに70年代末にきたのはご存知荷物電車改造車。片方の運転台を撤去して17m国電更新車と手を組んで走ってましたが、相模に残された17m電動車、こちらは両運転台改造され、牽引車として近年までいたはずです。
面倒くさい改造とは、日立が17mをいやがったのやら。
by なにわ (2014-02-02 18:26)
■サットン様
日立の元荷電は、両開きでなく片方の扉は固定されていたのです。
元祖広幅扉は見た目だけでした。
再改造する金が勿体無かったのかな?
■EF510-230様
映画のロケ場所同定、ありがとうございます。
Tadさん、結論出ました!
■なにわ様
色々ご教授ありがとうございます。
京福や日立での改造ではなかったのですね。琴電とかを考えてしまいました。
★やまびこ3様
★モボ様
★とーる様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-02-02 20:05)
★oomori様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-02-02 23:17)
ロケ地が判って一安心。MOTOさんの地元ですね。
さすが,識者の方が多く読んでるブログだけのことはあります。
てことは,志ん生師匠は日暮里から新宿に出て小田急に乗り換えて現場に行ってたんですかね。それとも撮影所からお迎えの車が出てたのかな?
ところで,この時代はもう「世田谷中原」から「世田谷代田」に改称されてたんでしたっけ?
by Tad (2014-02-03 01:07)
■Tad様
皆様のおかげでロケ場所判明。毎度のことながらブログの楽しみですね。あと世田谷中原から世田谷代田への駅名変更は1946年らしいです。
志ん生師匠と小田急、なんか似合わないですね。
同じクルマでも人偏つきならお似合いですが、いくらなんでも遠すぎます。
うちの祖母は、『今日は池之端から20番で志ん生と一緒に帰って来た』と、嬉しそうに話してたことがあります。
by Cedar (2014-02-03 06:26)
★シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2014-02-04 07:23)