2002年秋、イタリアの記憶(その1、コモ湖行きの吊り掛け電車) [海外出張+空き時間鉄]
10月も中旬を過ぎて、相変わらずのネタ枯れが続いています。そういう時は昔話~ 2002年10月にイタリアに行ったお話。滞在場所はミラノから近い国際的リゾート、コモ湖の由緒あるホテル。
こんなオサレでスノッブな場所に1週間も滞在したのは、人生最初で最後(たぶん)でしょう。
(1・2)
成田→ミラノのフライトは勿論ビジネスクラス、アリタリアのDC3で!
(その時配られたアメニティボックス、御洒落なんで捨てずにいたのです)
オマエの自慢話より鉄はどうした?!へいへい直ぐに~
当時の会社が急に外資となってしまい、慌てましたが、思わぬ余禄が転がり込んできました。ワールドワイド・コンファレンスがイタリアであるから行って来い!とタナボタなお達し!満足に英語も出来ないのにホイホイ参加しました。
で、鉄のお話です。
コモ湖にはイタリア国鉄のミラノ~スイス方面の幹線のほかに、北ミラノ鉄道(FERROVIE NORD MILANO)という私鉄が来ていて、コモ駅は私鉄の方が便利な場所なので、ミラノまでの利用者もそこそこあるようでした。
(3)
湖に面した広場にあるコモ駅降車口のファサード、屋根にFERROVIE NORD MILANOの文字が見えますね。
コモ湖でおコモり=様々な日程のなか、滞在中3回ミラノまで往復しましたが、Cedarは断然北ミラノ鉄道利用でした。
生来の私鉄贔屓に加えて~この頃はこんな電車が現役だったのですから。(4)
コモ駅の側線にて~落書きが酷いのは残念ですが、堂々たるヨーロッパデザイン、イタリア形というよりスイス・ドイツ形とも共通したテイストです。でも台車がイコライザー式なのが(実は南ヨーロッパには結構多い)、我々には親しみやすく感じます。
車体色とあいまって戦前の日本の電車にも共通した雰囲気ですね。
他の電車と同じ色に塗り替えたもの(?)も走っていました。こちらもべったり落書きが・・
(5・6)サイドビューと図面を並べてみます。(7)
バッファー+ピンリンク式カプラーとアメリカ風のイコライザー台車のミスマッチ・・・・電機品はGE製のようです。~ヨーロッパの中でも工業の発達が遅かった(失礼!)ので、精密=デリケートで保守が面倒な地元製を嫌った(かつての日本国鉄も同じでした)のか・・・
それともアメリカンマフィアのコネクションか?なんてアホなことを考えました。
ナポリやシチリアならソレもありそうですが、ここは北イタリア、路線図(※)を見ても分るように、かのブラウン・ヴォべリー社のお膝元、スイス国境はすぐそこなのにね~
そういえばミラノ市電にもアメリカンスタイルの電車が走っていましたね~(8)
北ミラノ鉄道のターミナルカルドナ駅前で。
与太話はさておき、旧形車はこんな3連を組んでいたようです=かまぼこ形の前面にヒサシ付きのTc+スイスの軽量客車みたいなT、そしてゴッツイMcという、編成美(?)に溢れた組み合わせですね。
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右奥に停まってるダブルデッカー(DD)が主力になりつつあった北ミラノ鉄道ですが、コモ線は旧形が多く走っていました。
(※)路線図です。なかなかの規模にびっくりします。ミラノのターミナル(Milano Nordと記されてますが、駅名はカルドナ駅です)から分岐駅サロンノまで、コモ(Como Lago)行きは急行運転で2駅くらいしか停まりません。
(10)
ミラノからの2度目の帰りに、旧形3連×2のコモ行きに運良く乗り合わせました。しかも電動車はオリジナル塗装でした。
(11・12)
始発駅のミラノ・カルドナ駅を出て、市内を掘割とトンネルで抜けると、複々線区間が延々と続きます。
本線とコモ線との分岐駅サロンノまで20分ほど~吊り掛けモーターを唸らせての疾走を満喫しました!
(13)
おまけに途中からは都心乗り入れの線も併走する3複線!日本の大手私鉄なんかより数段立派な施設です。DDとの競争に、仕事なんかすっかり忘れて手に汗握っちゃいました。
コモまでは約1時間の行程、複々線を疾走したあとは、一転して山裾の勾配を行く単線区間という落差も面白い~日本の大手私鉄=標軌だから近鉄?のイメージでしょうか。
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コモ駅の全景です。左手に旧形車、ホームにはDD、写真は撮れませんでしたがEL+客車のプッシュプルまで走っている、というバラエティ豊かな陣容でした。(15)
そんなこんなで、7日間の滞在期間中、ミラノまで3往復も利用したので、コモ駅の出札のおばちゃんに顔覚えられてしまいました。
ミラノに行く目的は?
ブランド物の買出し?セリエAの試合見物?ダビンチの『最後の晩餐』?
全く違います、トラム撮影と、単なる乗り歩き(!)・・・
って説明しても、おばちゃんには解るまい=そもそもイタリア語できないし・・・
コモ湖でおコモり=北ミラノ鉄道、コモ線の画像はここまで~
次回はミラノのターミナル、カルドナ駅の画像をご覧に入れます。(16)
★やまびこ3様
早速のnice!ありがとうございます
by Cedar (2013-10-25 22:13)
こんなに落書きされたら写欲がまったく失せますね。図面を見ているほうが落ち着きます。
by EF510-230 (2013-10-25 22:50)
はじめまして
何時か北ミラノ鉄道の紹介が来るだろうと、私鉄電車好きな私はずっと待ってました!
なんとなしに小田急を目指してるけど垢抜けない…伊勢崎線のような感じもするし。
HPだとイタリアには珍しく?落書き(破壊活動!)への啓蒙があったり。
続編、お待ちしてます。
by いずのすけ (2013-10-26 00:59)
はじめまして、 元・いきもの部長と申します。
写欲のなくなる落書というと、思い出すのは70年代の国鉄。
奴が現れると、「何のために待っていたのか!」という気になったものです。
あの時俺は若かった
by 元・いきもの部長 (2013-10-26 02:14)
■EF510-230様
写欲は薄れるけど乗ったら最高!
吊り掛けサウンド響かせて3複線を突っ走るのは痺れました。図面は所詮図面ですから。
■いずのすけ様
ようこそお越し下さいました。
私鉄電車好きとは嬉しいですね。
コモとミラノも国鉄のほうが時間も速いし、スイスからのICなら落書きも無いしアコモも立派なんですが、やはり私鉄電車には敵いません。
■元・いきもの部長様
ようこそお越し下さいました。犬さんの所でお名前拝見しています。
国鉄の落書きは職員が書いてたのですから最悪でした。もともと国鉄より私鉄電車好きだったのですが、あの頃から車両はつまらなくなるし、モラルも低下した国鉄には愛想が尽きました。
by Cedar (2013-10-26 06:43)
イタリア映画の名作「鉄道員」を思い出します。
鉄道という仕事に誇りを持つ男と、そんな父が誇りの息子と、バラバラなった家族と…。ごく日常の風景が映画になった名作だと思います。
終末期の国鉄を、通学のためとはいえ毎日利用していました。並行する私鉄の粛然とした勤務態度(当たり前のことなのですが…)などなど。私の趣味対象から、国鉄が消えて行きました。今でも当時の国鉄やJRには、触手が動きません。かつての思いがトラウマになって、今も引きずっています。
by のり (2013-10-26 08:44)
■のり様
国鉄末期のトラウマ~全く同感です。
自分たちの職場を汚すことは、労働者の権利とは別の行為に見えました。
鉄道員~実はこのあと記事にするつもりでした!
by Cedar (2013-10-26 10:02)
★モボ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-10-26 10:03)
写真(4)の旧型電車、EF53電気機関車のような風貌で、正面に後付けされた、バッファー、ピンリング、ホース、庇、ライト、梯子、小型の貫通扉幌など小物もぬかりなくデザインされてようで痺れました。
イタリアの車両は現在でも標準化は程々にして個性を重視しているのでしょうか。
by 京葉帝都 (2013-10-26 13:18)
■京葉帝都様
北ミラノ鉄道の旧形車はおっしゃるように日本のELのようですね。編成の姿は東武3210のようでもありました。これが複々線区間を80~90kmで突っ走るのは嬉しかったです。
今はおそらく営業からは引退してるようで、イタリアも欧州標準の昆虫系に席巻されてるようです。
by Cedar (2013-10-26 14:25)
ミラノの旧型電車、痺れますね〜。
こんな電車が複々線区間を疾走する光景、たまりませんね。
似たようなスタイルの電車、お隣のスイスで見たことがあります。
by Chitetsu (2013-10-26 14:26)
■Chitetsu様
落書きは乗ってしまえば見えませんから~走りっぷりは爽快そのものでしたよ!図面に書かれていた最高速度一杯で走りましたね。
by Cedar (2013-10-26 17:50)
★素人写真様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-10-26 23:34)
往年の京福福井地区かと思ってましたが、ミラノ北~サロンノで20分ってことは、休止線を含んでも相当濃密な路線網じゃないでしょうか。
by なにわ (2013-10-27 17:21)
■なにわ様
Cedarの訪問後、都心乗り入れ線を経由して国鉄と直通するなど、ミラノの都市交通ネットワークに組み込まれてるようです~
立派な大手私鉄ですね。
by Cedar (2013-10-27 18:25)