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鞍馬山のデオ・昭和52年(その2、デオ300) [昔鉄写真]

1回お休みしちゃいましたが、Chitetsuさんの記事にインスパイアされた鞍馬山中の京福叡電、今回はデオ300の艶姿をどうそ。撮影は昭和52年正月でした。

(1=二の瀬~貴船口
s52えいでん04.JPG 
雪が残る山陰から現れたデオ300は、昭和36年に2両製造された日本唯一のカルダンポールカーでした。

当時の大手私鉄電車と遜色無い性能~(最高速度は100km!)~で、鴨東線開通後はこの形式で京阪乗り入れを検討していたらしいです。この性能も当時の運行では持て余し気味で、車体が長すぎて2連で運用できず、せっかくの埋め込み式貫通幌も宝の持ち腐れでした。

s52えいでん03.JPG(2) 
京津線の66.7には負けますが、神戸電鉄と同じ50.00‰の急勾配。鞍馬行きには電制つきの車両だけが使用されていました。

大カーブを行く単行のポールカー、ローカル私鉄のような風情ですが、コンクリート枕木を使ってしっかり整備された軌道は、さすが大都市近郊の電車を感じます。s52えいでん07.JPG(3)

何とかと煙りは~の例え通り(3)と同じ場所を俯瞰から撮っています。今よりも山も荒れてなく、風景をぶち壊す送電線や看板もありません~こういう風景を都心近くに持っているのは、京都ならでは、と思いましたが今はどうなっているのか?
s52えいでん10.JPG(4)

(5)ポールならではのカーブの架線の張り方、パンタ用とは異なっています、
えいでん架線.JPGハンガーを細かくして、トロリー線もカーブに沿わせていますね。こんなことが気になるのも、模型で架線に苦労してるせいです・・・
叡山線はこの翌年にパンタ化、日本最後のポール電車も消えていきました。

 



京の街に下りてきたモダン鞍馬天狗(?)の姿もお目に掛けておきます。

(6)八瀬遊園方面との分岐駅、宝ヶ池の出町柳行きえいでんs55宝が池03R.jpg

起点出町柳、正月ダイヤで増発されていたのか、3線全部に電車が入り、狭いホームに乗客が溢れています。

京福出町柳s4801R.jpg(7)~左からカルダン駆動車デオ300→前回ご紹介したデオ200→戦前からの叡電の顔デナ21の並びです。

(8・9)デオ300発車。ポールは別として、優しい顔つきや大きな側面窓など、どことなく関東風の雰囲気を持った電車でした。
s48えいでん02R.jpgs48えいでん05R.jpg
分岐→ダブルクロスでポールが外れないか?と思いましたが、車掌さんの職人技で無事通過、鞍馬山に向かって加速していきました~ポールっていろいろ大変ですね。




少数派であり、オーバースペックだったので、本領発揮せずに終わったデオ300〜

s52えいでん06.JPG(10)
でも、鞍馬の山肌に軽快なカルダンモーター音を響かせて走り去って行く姿は、関東鉄にはたまらなく魅力的でした。

この電車、実物の不遇にも拘わらず模型は出ていました、HOは勿論、最近流行の鉄コレでも・・・

(11)実はOゲージャーなのに1両持ってるんですs52えいでん18.JPGどうせならもう2~3
両ゲットして幻の京阪乗り入れをバーチャル再現!~なんて(やらないけど)・・・そもそも実物は2両しかない!

最後に、きっかけを与えて下さったChitetsuさん『おおきに~』。




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コメント 19

Chitetsu

Cedarさん
おはようございます。
こちらこそポール時代の懐かしい写真を拝見できて、『おおきに』です〜。
デオ300はちょっと頑張り過ぎてスベッてしまったようで、可哀相でしたね。
もう少し長生きできそうな電車なのに美人薄命的な人生でした。
連結出来ない理由が車体長が原因とは知りませんでした。
連結運転を見て見たかったです。
by Chitetsu (2013-10-18 07:01) 

狂電関人

Cedarさま

デオ300.電関人も何気に好きな車でした。
しかも、なんとS36生まれとは!!同い年。。。

唯一のピエールカルダン・ポールマッカトニーだったとは(なんのこっちゃ)
その言葉にも痺れドゥビレバァーです。
by 狂電関人 (2013-10-18 07:23) 

EF510-230

叡電はやっぱりポールがエイデン!現在、単行ワンマン車もありますから、うまく使えばデオ300も残っていたはずです。もったいなかったですね。
by EF510-230 (2013-10-18 09:26) 

きんぎょ/中澤

デオ300はポール1本の集電容量では2両連結には足りず、2両ともポールをあげるしかなく、となると貫通幌を繋げられず、各車に車掌乗務になる、とかいうことも聞きかじったような記憶があります。ともかくあの貫通幌を渡った人は誰もいない筈だとか。我が家にも某P社製キットが何十年前から棚の上に一箱(^^;
by きんぎょ/中澤 (2013-10-18 09:29) 

きんぎょ/中澤

でもパンタ化後も2連運用はなかったみたいですから、車体長も問題ではあったのでしょうね。足回りなどは後続ワンマン仕様車に転用されているのでしょうかね?
by きんぎょ/中澤 (2013-10-18 09:35) 

なにわ

88年の秋の深夜、修学院で300の2連を見た記憶があるのですが、あれは600だったのかもしれません。
>中澤さん
730の台車(電装品は忘れました)は京阪1800のものです。300からは籍しか引き継がれてません。
by なにわ (2013-10-18 17:44) 

Cedar

■Chitetsu様
美人薄命、トリックスターたり得ず消えてしまったカルダンポールカー。わずか2両ではねえ
■狂電関人様
原形は前面窓まわりもスッキリと、ポールが可愛い姿を雑誌で見て一目惚れしました。ピエールカルダンポールマッカートニー~座布団1枚!
■EF510-230様
こちらも座布団1枚!
■きんぎょ/中澤様
ノースショアなども貫通幌付きで運転してましたね、もっともあちらは6連なら6人車掌乗ってましたが。
叡電の2連はデナもポール2本上げてましたね。京津線みたいに出来なかったのかなあ?
by Cedar (2013-10-18 18:35) 

Cedar

★あるまーき様
★suzuran6様
★あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-10-18 18:37) 

のり

お写真、とっても素敵です。
確か、叡電は日本最後のポール集電の営業電車だったと記憶しています。叡電のポールはスライダーで、その数年前に滑車(ホイール)式ポール集電最後の営業電車である嵐電がパンタ化されています。共に日本最後のポール集電が、京福電車だったなんて、すごいことですね。
by のり (2013-10-18 19:01) 

Cedar

■のり様
ありがとうございます。
叡電をはじめ、京都にはポール電車が昭和40年代前半に3線も残っていたのはすごいことです。それも連結運転や急行運転、併用軌道に平面交差、勾配での電制などユニークな線区ばかりだったのは、関東から見ると涎が出るほど羨ましかったです。

★yam様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-10-18 21:12) 

きんぎょ/中澤

デナは1、21、121も500も2連の場合、ポールは後の1両しか上げていなかった筈です。屋根上のジャンパ栓で母線をつないでいました。
by きんぎょ/中澤 (2013-10-18 21:30) 

Cedar

■なにわ様
デオ300はいろんな雑誌などに『一度も貫通幌を使わずに終わった』と書かれてます。
深夜、車庫の最寄駅、というシチュエーションだと、回送などというのもあったのでしょうか?

by Cedar (2013-10-19 01:45) 

なにわ

調べなおしてみました。
2両運転時には2本上げていたが1972年以降、火祭りの時以外はポールは1本で済んでいた。
屋根上のジャンパカプラーなんて初耳です。だとしたら撤去するのが手間です。パンタグラフへの換装すら一斉切り替えに手間取るので1978年まで嫌がった叡電がするとは思えません。
730の台車は京阪1800、モーターは1900、制御器は260の捻出品、ブレーキも21や710,720に合わせたSME(300はAMA)にと、やはり引き継いだのは車籍だけといってもいいぐらいです。
やはり出町で連結器間16m以上の2両は無理があったようで、30年近い歴史の中で300の連結運転を行ったのは2回だけとのことです。ポール時代は2本上げたら幌が使えないとかの問題も生じたそうですし。
京阪出町延長後のダイヤを見てみても、2連は19時代に全て入庫してしまう、730の営業開始が88年12月15日ということからすると、600の見間違いよりも、最後に300の連結運転をやってみたかったのを見たのほうが夢があるような気がするのですが。



by なにわ (2013-10-19 10:47) 

Cedar

■なにわ様
■きんぎょ/中澤様
やはりポールカーと貫通幌は日本ではミスマッチということですね。
デオ300は張り切りすぎてスベッちゃったと言うChitetsuさんの言葉で〆ましょう。
屋根のジャンパーはデナで見たことがあるような気がします。

★ねじまき鳥様
★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-10-19 13:31) 

ハwk

Cedarさん。初めまして。chitetuさんから訪問しました。
小生、ポール時代の叡電が大好きで、ポール末期の叡電16番でそろえています。
小生が、子供の頃、友人の父親が叡電の運転手をされておりその関係でデオ300の入線直後の2両編成で二ノ瀬の鉄橋を渡っている写真パネルを譲り受けました。
その写真を見る限り、ポールは後車のみあげているようで、貫通幌は定かではないですが、つなげてあるのではと推測します
鉄コレのデオ300も持っており、パンタをポールに置き換えて楽しんでいます
by ハwk (2013-10-20 21:46) 

京葉帝都

カーブの架線の張り方がR付で美しく見えました。ポール集電方式を維持してくのは大変だったことでしょう。
デオ300が京阪線を走る姿を見たかったです。
by 京葉帝都 (2013-10-26 13:05) 

Cedar

■ハwk様
ご返事がたいへん遅れて申しわけありません。
叡電ポール時代は京都に行くたび必ず訪問しました。
デオは200も300も単行しか見たことがなく、
デオ300重連のお写真、見たいものですね。
最後になりましたが、今後共宜しくお願いいたします。
■京葉帝都様
ポールはパンタに比べて架線のメンテが面倒そうです、パンタとポールでは架線の位置も異なるということは、模型で苦労しております。

★oomori様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-10-26 14:20) 

京阪快急3000

これらが、昭和52年のパンタ集電になる前の叡電の光景なのですね。

素晴らしいですね。

さて、この記事で気が付いたことは・・・。

(1)デオ300形は「国内唯一のカルダンポールカー」で、最高時速が100㎞。

(2)鞍馬線は、50パーミルの急勾配区間なのに、線路はコンクリート枕木。

・・・といったところでしょうか。

宝ヶ池駅構内や出町柳駅の写真を拝見させていただきましたが、現在とほとんど変わっていませんよ。
by 京阪快急3000 (2013-11-03 20:05) 

Cedar

■京阪快急3000様
叡山電鉄は沿線や施設より車両の変化が激しいですね。
私はやはりこの時代の電車が好きです。
by Cedar (2013-11-03 20:44) 

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