SSブログ

2013-08-25 用賀界隈 [街景色・人・モノ]

先の日曜日はちょっとした用があって用賀(座布団とられちゃうか?@笑点)へ・・・用賀02.JPG(1)
旧大山街道沿いに、こんな素敵な酒屋さんがあり、堂々とした金看板を眺めるのが楽しみだったのです~

 

(2~4)歴史を感じる店構え、ホーロー看板なども軒先にいろいろありました。用賀01.JPG用賀旧道02.JPG

手前の床屋さんとのマッチングも絶妙で、風情ある情景でした。用賀03.JPG

ところが~
(5・6)

用賀007.JPG用賀008.JPG

日曜日に行って見たらシャッターが閉まり、あの素敵な看板は姿を消していました~先月で閉店してしまったとのことです。

大山街道がにぎわった頃には、行き交う人々におでんを振舞っていたこともあるという、由緒あるお店も、時代の流れという無礼者には逆らえなかったということですね。


玉電用賀電停(↓)が無くなってから40年以上経ちます、ここからすぐの場所で当時を偲ぶ建物が、またひとつ消えていきました。
用賀玉電04.JPG(7)
右下の停止位置表示も懐かしい~『連』はもちろん芋虫200形用です。

以下、昭和43年(玉電廃止の年)の用賀界隈⇔昨今の様子を今昔写でご覧戴きます。

(8・9)駅のあったあたり⇔駅があった頃
用賀04.JPG用賀玉電02.JPG
大山街道上を走る玉電も、用賀電停の前後は街道沿いの街並みを避け、専用軌道で抜けていました。
左手前に分岐していく線の終点には、現在は高層ビルSBS(世田谷ビジネススクエア)が聳えています。

(10・11)用賀電停の二子玉川側の今昔写真です。
用賀05.JPG用賀玉電03.JPG
36号の後ろのビルは、今写真にも写っていますね~

今写真、といっても、街並みはどんどん変わっていきます。

(12)2011年5月に撮ったここ~
用賀06.JPG
写真右手の門のあるお宅の庭にOゲージか1番ゲージの庭園鉄道があったのです!Cedarがその存在に気がついた頃は、すでに線路は錆び、草に覆われていて廃線状態でしたが、複線の堂々たるものでした。
いつかお訪ねして拝見しようと思っているうち、今風のワンルームマンションになってしまいました。

玉電の走っていた頃の(11)と同じ場所のアングル違い、道の片側に寄せて軌道が敷かれていました。150形の右に見えている生垣が『あのお宅』だと思います。用賀玉電05.JPG(13)
生垣越しに玉電を見ながら運転に興じるオーナーの姿が目に浮かびます。

ああ~やっぱり勇気出して見せてもらうんだった、と後悔してももう遅い!

(14)外から覗いていた記憶が鮮明なうちに、手描きの線路配置図をお目にかけます。
用賀GR.jpg
門の脇のダブルクロスの終点に、急行追い抜き線~どう見ても私鉄電車が走る風!ってのがCedar的には痺れます。

しかも、生垣越しに覗くポイントは鈍端式!だったのでした。(下は参考写真です)鈍端P.jpg
ちなみにCedarはガキの頃は切り替えるときに<どん・たん>という音がするから<鈍端>だと思ってました。こんなことから考えても、オーナーはめちゃくちゃマニアの方なんでしょうね~~。

ブログ読者の方で、この庭園鉄道についてご存知の方、いらっしゃいませんでしょうか?

 


[満月][満月]ノミクスとやらのせいなのか、街並みの変化が加速しているような気がします。用賀旧道.JPG(15)
歴史ある建物が消えたあと、薄っぺらい街並みに、チェーン店が立ち並ぶのって、景気上向きの姿には見えないのですが~。

少し涼しくなって頭がスッキリしたら、そんなことを考えた週末でした。


nice!(16)  コメント(28)  トラックバック(0) 

nice! 16

コメント 28

EF510-230

町の酒屋が急減していますね。後継者がいないこととコンビニが酒を扱えるようになったからでしょう。昔は味噌や醤油、砂糖も量り売りをしていました。ビールやサイダー、ジュースも瓶がほとんどで回収していたエコな時代でした。玉電は桜新町から用賀にかけては軌道が道路の片側によっていて面白いところでした。そんなところに庭園鉄道があったなんて。もしかして3代鉄のSさん宅では?1度だけ夜にお邪魔したことがありますが、庭園鉄道には気がつきませんでした。機会あれば3代目に聞いてみます。
by EF510-230 (2013-08-28 09:56) 

Cedar

■EF510-230様
この御宅があったのは、用賀~瀬田間の玉電沿いでした。
もし情報あれば引き続きよろしくお願いします。
by Cedar (2013-08-28 10:16) 

狂電関人

Cedarさま

酒屋さん残念ですね。
それにしても玉電の写真はどれも素敵です。
買物カゴ下げたおばさんが大胆に線路を歩いているのが昭和です!
個人的には、無骨な36号が好きですね!
コルゲートを背負った150形も捨てがたいですが・・・。
その脇の生け垣の中、とても覗いてみたいです。
by 狂電関人 (2013-08-28 12:50) 

ひでほ

昔駒沢に住んでいたので、懐かしいです。
用賀まで乗車して、バスで千歳船橋のおばのうちによく行きました。
用賀には渡りがあって、道路のほうへも線路が伸びていて・・・
幼いながらもふしぎでした。
懐かしい写真ありがとうございました。
by ひでほ (2013-08-28 20:45) 

hanamura

うわぁ~カッケー!こういうのは座布団・・・超越?
田舎者、全く分かりませんがぁ・・・うわぁ~カッケー!
by hanamura (2013-08-28 21:41) 

Chitetsu

この酒屋さん、いい味出していたのに、閉店ですか〜。
残念です。
どこにでもあるチェーン店に埋め尽くされる街並みに辟易しますね。
文化を感じません。
庭園鉄道を敷かれた家、我が家の近くにもあって、隙間からチラチラ見えたのにドキドキした経験私もあります。
やはり、結局全貌見ぬままに改築されてしまいました。
by Chitetsu (2013-08-28 21:57) 

Cedar

■狂電関人様
玉電が消えてから約半世紀になります、ごっつい30.40形、まん丸な200形までバラエティに富んだ電車がのんびり走る時代は遠くなりました。
■ひでほ様
用賀は電停というより、まさに駅という感じでした。側線には砂利置場があって貨車もいたようです。
■hanamura様
ありがとうございます。玉電が走ってた頃の世田谷は、畑や雑木林が多く、沿道の街並みも田舎っぼかったのです。この酒屋さんはその名残でした。
■Chitetsu様
用賀や駒沢といった古い集落には、最近まで味のある商家か残っていましたが、どんどん消えています。こういうものを撮影するのも楽しいですね。

★gekkou様
★フジトモ様
★モボ様
★あるまーき様
★suzuran6様
★シュウチャン様
★あおたけ様
niceありがとうございます
by Cedar (2013-08-29 07:42) 

Cedar

■J-power様
■やまびこ3様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2013-08-29 12:06) 

Cedar

★nexus6様
niceありがとうございます

by Cedar (2013-08-29 14:48) 

なにわ

90年代以降、酒屋がコンビニになってゆきました。まだ免許が必要だったからです。
いまは、置き放題ですが、扱う品目など、ビールかチューハイぐらいしかありません。
まともな酒屋が扱うものは、量販店に持って行かれてます。
近所の酒屋も一軒を除いてコンビニを経て、そのコンビニすら閉めてしまいました。残る一軒は配達してることと、コンビニにできない住宅街の真ん中にあるからでしょう。

by なにわ (2013-08-29 18:03) 

Cedar

■なにわ様
酒屋、米屋、味噌屋、など昔の商店街にはいろんなお店がありましたが、今はコンビニ・スーパー・百均など画一化されてしまいました。
つまらないですね。
by Cedar (2013-08-29 18:11) 

伊豆之国

町の酒屋さん、やはり皆さんがおっしゃるとおり、どんどん減ってきていますねぇ。我が家の近所でも、1軒は廃業していったんはコンビニに衣替えもこれまた店じまいして今は住宅機材?の展示コーナーに、もう1軒もコンビニに変身してだいぶ経ち、片隅で細々とアルコールの販売を続けています…。
ひでほさんと同様、私が少年時代を過ごした駒澤界隈には先月に行きましたが、近所にあった酒屋さんはやはりとうの昔に消えていたようです。二子玉川園の入り口近くの角には、「大正蔵」という酒屋の土蔵があって、目印になっていた建物だったのですが、再開発で跡形もなく消えてしまいました。西太子堂の駅前には、今も「唐木屋」という酒屋があり、盛業中のようですが、正面の造りは「今」風に変わっています。
「用賀」という地名は、この地にある寺院の山号「瑜伽(ようが)山」に由来しているようで、あの「ヨガ」と同じ語源だそうです。用賀駅には、砧公園にある世田谷美術館に行くときに何度か降りたことがあるのですが、美術館への道筋の歩道の石畳をよく見ると、和歌が彫られているのに気づきます。

by 伊豆之国 (2013-08-29 21:06) 

Cedar

■伊豆之国様
世田谷もご当地某鉄道企業の専横がやまず、再開発という名の街壊しが続いています~それに区までが便乗してるのは許しがたいですが・・・・

二子玉川の再開発には税金が70億も投入されてるんですから、何おかいわんやです。

★yogawa隼様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-29 21:55) 

犬山街道

じぇじぇ!
この酒屋、ついこないだちゃんとやってたように思うけど!?
マジですか・・・
用賀のここの商店街、ホント、どんどんぱっとしなくなっていきますね・・・
残念・・・・
by 犬山街道 (2013-08-30 13:18) 

Cedar

■大山街道様
コメントありがとうございます。
ほんとに、じぇじぇ!でした。
軒先の看板はきっと欲しがる人が買いにきたんだね、と家人と話してました。
by Cedar (2013-08-30 13:41) 

犬山街道

犬山街道と申しますっ(爆)!
by 犬山街道 (2013-08-30 19:17) 

Cedar

■犬山街道様!
失礼しました!最近老眼が進み、細かい字が見えなくて~だからOゲージなんだす。
いつもと違うマジコメ(?)だったし、別の人かと思いました。

by Cedar (2013-08-30 19:26) 

Tad

> ポイントは鈍端式!

分岐器を通常ポイントと呼ぶのでこう書かれたんでしょうが,レイアウトに鈍端式を取り入れる者とすると一言申し上げたい…。

ポイントはセンタン軌条を動かして分岐方向を決めるわけですが,このセンタンは先端ではなく尖端の方ですね。つまり先の尖ったレール(point blade)によるので尖端式分岐器。これに対し尖端軌条部分がスパッと断ち切った形になっていて尖ったレールのないのが鈍端式,stub turnout/stub switch。Stubは「切り株」の意味ですけど,先を断ち落とした形状からそう呼ばれるようになったでしょう。
尖端式が一般に使われるようになって,あえて「尖端式」なんて云わずに分岐器全般をポイントと呼ぶようになったわけで,英国で分岐器をpointsと云うのはそれゆえと理解してます。米国ではturnoutとかswitchですね。
と云うことで,尖端(ポイント)部分がない鈍端式(スタブ)をポイントと呼ぶのには抵抗があります。小煩いことを云うようですが,鈍端式の場合は「鈍端式分岐器」「鈍端式スイッチ」或いは単に「鈍端式」か「スタブ(スイッチ)」とするのがよろしいかと…。

日本で最初の鈍端式採用鉄道は北海道初でもある幌内鉄道。米国の技術で作られたからですが,3way stubを含めwye(デルタ線)での列車の方向転換やgallows(絞首台)型ターンテーブルなど,写真を見るとコロラドのナローかと思うほどで,好き者には堪えられません。

件の庭園鉄道が鈍端式だったのは,尖端軌条を削る手間(レールが太くなるとこれがかなり大変!)を省いたからとも思えますが,うがった見方でしょうか?
by Tad (2013-08-31 04:24) 

railtruck

参考写真の鈍端式は珍しいですね。可動側が枝分かれしているのは初めて見ました。
by railtruck (2013-08-31 07:50) 

Cedar

■Tad様
■railtruck様
鈍端式に関しての記述、ありがとうございます。
確かにポイント=尖端ですから、スイッチですね。
鈍端式は使用中のものなんぞ見たことが無く、交通博物館で見た(ような)記憶があるだけです。
くだんの庭園鉄道のレールは鉄製のかなり太いものだったようでした。なにしろ生垣の隙間から覗いただけですからはっきりとは確認できませんが、
『TMSのものです』とか言って見学申し込めば良かった・・(笑)。

★ぷっぷく様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-31 08:21) 

Cedar

★adatara様
ご訪問&nice!ありがとうございます
by Cedar (2013-08-31 08:22) 

Tosi

私は上用賀で生まれたそうです。といってもそれは千歳船橋からのほうがむしろ近いような病院の所在地のことで、用賀については玉電廃止後の1970年代はじめ頃くらいまでしか記憶をさかのぼれません。それでも、近年用賀を訪れるさいには、新玉川線開通前の街並みの記憶を現状を手がかりによみがえらせることはますます難しくなっていると感じます。用賀プロムナードは吉阪隆正の流れをくむ象設計集団によるものですが、新玉川線開通以降の用賀駅周辺の再開発は、街並み景観の時間的連続性の断絶を回復不可能な形でもたらしているように思われ、ビジネススクエアに対してだけでなく、強い違和感をおぼえます。


by Tosi (2013-08-31 09:33) 

Cedar

■Tosi様
上用賀の病院というと〇東〇央病院ですね。
うちの家人もあそこ生まれの上用賀育ちです。
玉電廃止の頃の用賀は駅周辺以外は畑と空き地が広がり、のどかな場所でした。その頃私は高校生で、桜新町に住んでいた友人の家から自転車でこの辺りも徘徊していました。

>街並み景観の時間的連続性の断絶を回復不可能な形でもたらしている
上記の部分は用賀に限らないですね、日本中いたるところで起きていることです。
再開発=破壊から始まるのはヨーロッパのやり方と根本から違いますね。
by Cedar (2013-08-31 10:50) 

京阪快急3000

玉電は、自分が生まれた時代には廃止されてしまいましたが、子供の頃、市内の図書館で玉電関連の本があり、その存在を知りました。

さて、「手描きの線路配置図」ですが、そこまでされるとは、頭が下がる思いです・・・。
by 京阪快急3000 (2013-09-06 07:43) 

Cedar

■京阪快急3000様
玉電を知っている人は50歳以上ですね。
私もその1人ですが~
そんな爺ですから線路図はPCでは作れないのです。
by Cedar (2013-09-06 16:49) 

あなぐら

写真の酒屋さんの閉店はご主人が急逝したのが原因と聞いています。

Oゲージがある庭の主は、ある玉電関係の写真集の末尾に対談でお名前が出ています。小さいころからの鉄道ファンだったようです。横を通るたびに気にしながらも、庭を模型が走る姿を目にすることはついにできませんでした。
by あなぐら (2015-03-20 14:38) 

Cedar

◼︎あなぐら様
貴重な情報ありがとうございます。
玉電関係の写真集〜結構たくさんありますが、末尾目当てに立ち読みいたします。
今後もよろしくお願いいたします。
by Cedar (2015-03-21 01:03) 

用賀老爺

Cedar様
前略、モハメイドペーパーつながりの傘寿の年寄りです。
初めて書き込みをさせていただきます。(1948年~用賀在住)
貴殿のブログに記載の、玉電沿いの邸宅の庭に敷設されていた
庭園鉄道のDVD(カラー16分)などを邸宅の持主(故人)から
縁あって約5年前に頂戴し、大切に所有しています。
六日の菖蒲、十日の菊ですが、ご興味をお持ちならご一報ください。
なお、私は老齢で歩行困難のため外出ができません。


by 用賀老爺 (2018-07-27 18:59) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。