映画の中の昭和20年代鉄風景=祇園の結界踏切 [映画・音楽]
しばらく関西ネタ/京阪ネタをいじっているうちに、京都祇園の花街を舞台にしたこんな映画を思い出しました。私が生まれる前に公開(昭和26年)された映画です。監督は吉村公三郎。(1・2) ~鴨川沿いの京阪電車が重要な役割で登場します。ほかに市電や国鉄もちらっと出ますよ。
舞台は名立たる花街、祇園です。鴨川と京阪の線路で周囲の近代化と隔絶された街があり、古い因習に満ちた男女の世界が繰り広げられ、その中でうごめく女達の生きざまを見せる。というのが脚本(先日亡くなった新藤謙人)の意図のようです。
この橋(=今の団栗橋でしょうか)と、鴨川畔にある京阪電車の踏切が印象的に登場します。後ろには南座、レストラン菊水の入った菊水ビル、その手前に京阪四条駅が見えていますね。
主人公はこの街のお茶屋の姉妹。
(3) 姉(京マチ子)は祇園の古い世界に絶望しつつ、男を手玉に取り稼ぎまくるやり手芸者。妹(藤田泰子)は芸者の世界を嫌って市役所勤めで、商売敵のお茶屋の息子(小林圭樹)と恋仲、というのはやや類型的ですがまあ仕方ない。
下はこの映画で重要な場所である踏切の2景。
外に出て普通の暮らしを夢見る妹と、踏切の内側で夜の世界を生きていく姉と、という対比もさりげなく表現されています。
(5=橋を歩いてお座敷に向かう姉、暗くて見にくいですが、奥に踏切標識が写っています)
この踏切のシーンがラストの事件の伏線になっているのは脚本の上手さですね~。
妹が自転車で出退勤するシーンではポール時代の市電も登場します。(6) 500形は昭和40年代までクラシックな姿のまま(↓)残っていましたね・・・
(7=昭和42年京都駅前で撮影)(8) 四条大橋をバックにした市電の風景も記憶しているCedarですから、京阪の架線柱もチラッと見えているこの場所は懐かしい・・後ろに見える東華菜館(中華料理レストランです)の凄い建物。右手にはレストラン菊水の入った菊水ビルがあります。共に大正15年の建築とか~市電も京阪も消えましたが中華料理屋さんは今でも健在です。
(9)昭和42年に撮っていた映画のカットとほぼ同じアングルです。こうしてみると映画で自転車が曲がっていく交叉点は、今年4月に自動車暴走事故の起こった場所でしょうか? 市電と京阪の交差の様子はこんなでした。画面左には南座があり、その裏手には映画の舞台となっていた祇園の街並みが広がっていました。
この映画の見所のひとつは祇園を初め、当時の京都の街並みが美しく撮られていることです。バブル期の街並み破壊によって、今ではこういう風景はとっくに消えていますが・・・・
(10)ただし、この映画は美しい家並みには封建的で男尊女卑なしきたりが残って、その中で生きる人たちも花街の古い因習から抜け出れない、ということを美しい映像で語っているのです。
祇園の世界も、今では変わったのでしょうか?なんて理屈は抜きにして、とにかくこの映画に見る京都の街並みは魅力的です。
(11・12)嬉しいことにCedarはとうとう間に合わなかったN電=北野線と西陣の家並みも登場します。今ならセットかCGでしかこんなシーンは撮れませんねえ~ 京都の風情が溢れるこのシーンも、主人公姉妹の母親が、自分の家を抵当に金を貸した昔の旦那(姉妹の父ですが母親も芸者だったので本妻ではない)の息子の家をわざわざ訪ねる、というシチュエーションです。
国鉄京都駅もチラッと出てきます、妹が友人親子を駅で迎えるシーンではC6233の牽く列車と京阪神緩行のクモハ73が写っています。(13・14)
後ろに見えるRTOという標識は進駐軍の時代のものですね~さて何の略称でしたっけ?
(15) 東京から来た主人公の友人が(8・9)に写っている東華菜館の屋上から見える祇園の街並みについて「戦災は免れたけど、瓦屋根と一緒に封建的な生活も残してしまった」と語るシーンにも、近代と過去を線引きするように京阪の線路が見えていますね。
金と情けの色模様、男女の取ったり取られたりが美しい瓦屋根の下に展開する祇園~(16)
そんな因習に満ちた祇園で或る事件が起こります。その舞台は団栗橋につながる、あの踏切。この映画のクライマックスです。
会社の金を使い込んで首になり、出刃包丁を手にしたかつての馴染み客に追われる姉が、祇園の街並みを踏切まで逃げたものの、電車が接近し遮断機が降りて・・・というシーン。
ちなみに京マチ子の行く手を阻んで通過していくのは、1200形を先頭にした三条行き急行のようです・・
(18~20) 遮断棒にすがりつき、崩れ落ちていく姿が印象的でした。踏切はまさに結界として描かれていましたね。
この映画を観たことがなかった昭和48年、映画の舞台の近くで撮影した京阪電車。祇園の内から外を見るというアングル、ということになりますが。白昼だったせいもあって、特に変わった雰囲気は感じなかった気がします。ただただ絵になる場所だなあ~と思っていただけで・・・
(21)デビューして数年の3000形、1700に始まる京阪スタイルの最終形とでもいえるデザインですね。何より冷房つきは大人気で、夏の三条や淀屋橋では1900の特急をやり過ごして、この電車を待つ乗客が多かったとか。そんな人気者も残った1編成の引退の時期が迫っています。(22)こちらは2000形スーパーカー、グリーン濃淡の普通車塗装もこの風景にはよく似合っていました~
ふたたび映画の世界にもどります。
ラストにも件の踏切が登場します。恋人とこの町を出て行く決心した妹が、傷の癒えた姉と母を祇園に残して、「結界の踏切」を渡って行く・・(25)宇治線からの乗り入れと思われる木造200形2連が走り抜けていきます。姉のときとは違い遮断機は2人を通せんぼしません。
団栗橋を渡る2人は、1度も過去の街を振り返ることなく、去っていくのです。(26)
数ある日本映画の中で、踏切をこれほど上手くドラマの舞台にしたものはありません・・。
映画の時代から20年が過ぎても、鴨川両岸の街並みはあまり変わらないようでした。映画のラストに登場した宇治線直通は、木造200形2連からスーパーカー4連に成長していました。(27)丸みのある車体とグリーンの塗装がよく似合って、関東の通勤電車とは全く違う雰囲気が好きでした。当時は阪急<オートカー>、近鉄<ラビットカー>、阪神<ジェットカー>・・・それぞれ元気に活躍していて、関西詣での楽しみでした。
そしてこの風景の裏側には、ガキは知る由もない祇園の奥深い色模様も残っていたのでしょうね?
というわけで、今日は昭和20年代の京阪電車と京都の街並みが印象に残る映画のお話でした。
RTO=RAILWAY TRANSPORTATION OFFICE
by Tad (2012-11-28 12:17)
■Tad様
ご教授ありがとうございます。しかし思いっきりド直球な名称ですな。
★あるまーき様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-11-28 17:34)
今回も大作ですね、花街と市電ですか。
やっぱ京都は「舞妓は〜ん」ですな、また行こ。
http://987.blog.so-net.ne.jp/2010-08-22
by gop (2012-11-28 20:16)
■gop様
ついに京都で芸者遊びしないで終わりそうな私の人生(涙)・・・
羨まし~。
★いっぷく様
★hanamura様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-11-28 21:08)
とてもよいものを拝見させていただきました。ありがとうございます。
鴨川縁の京阪、本当に良い光景でしたね。地下を行く京阪が未だにしっくりこないのは歳のせいでしょうか。
スーパーカー2000の生き残り2600も凛々しかった前パンではなくなりましたので、少々間が抜けたスタイルになっています。
旧3000特急車、お顔だけですが、往時の姿を取り戻しました。また、車内に座席番号が復活しております。引退前にぜひお越しください。きっと懐かしさに溢れることでしょう。
by のり (2012-11-28 23:06)
踏切と橋が結界の象徴、というのは、世界的にあるテーマかもしれませんね。
それにしても車も人も少ないですねぇ。ママチャリというより、配達チャリで妙齢の女優さんが軌道を横断、も、当時はとてもかっこよかった、あるいは、何かの象徴シーンだったのかも、と、思いました。
by U (2012-11-28 23:20)
市電と京阪の平面交差、鴨川べりの京阪電車、みな京都らしいいい光景が無くなってしまったことはとても残念です。
by EF510-230 (2012-11-28 23:41)
地上時代の京阪は高校時代に乗り、鴨川沿いの車窓に心を打たれました。
by nd502 (2012-11-28 23:41)
戦禍をまぬがれた戦後の京都の風景、拝見したカットだけでも空気感が伝わってきますね。
ドロドロした男女の色模様とスッキリした京阪電車の色彩が印象的ですね。
by Chitetsu (2012-11-29 07:15)
先日ダンボール箱の中から「京阪」とだけ小さく書いたカセットテープが出てきました。記憶にはあまり無かったのですが、聞いてみると京阪淀屋橋~三条京阪までの急行電車の車内音声でした。(途中は抜けています)日時は解らないのですが、私がよく大阪に出張していたのは1986年~1988年位で「国鉄線乗換の案内」が入っていますので、1986年頃の物の様です。
まだ、加茂川沿いを走っていた頃、踏切の音なども入っていました。
近いうち(笑)にアップ予定です。
by suzuran6 (2012-11-29 14:48)
溝口健二の「祇園の姉妹」(1936)への新藤兼人のオマージュですからね。
橋を渡ってお座敷に?芸者というのは営業範囲が決まっていて、祇園(祗園甲部、祇園東、宮川町)、先斗町、上七軒から外へは出ないはずなんですけれどね。と、すると、宮川町の芸者かもしれませんね。もちろん、団栗通を東に進めば、甲部歌舞練場もあるのですが。
ということで、妹が曲がる交差点は、大和大路通、4月の一件の場所です。実際、東大路まで南北の通りは大和大路通、花見小路通、その東側の通り(かつて京都交通のバスが出入りしていた)の3本しかありません。
光線からすると朝9時ぐらいの撮影なんで、退勤のイメージはなく、出勤だと方向が反対なんですよ。
確かにバブルの頃にかなり地上げを食らいましたが、表通りの高層化は70年代です。全廃直前の78年の写真を見ていると、今と同じような建物が並んでいますから。
そして花街の建物は、この頃より美しいはずです。理由はくすんでないからです。炊事の煙がないですからね。
N電が走ってるのは、西洞院通(特に四条西洞院)かと思いましたが、背景の仁丹の看板に「千」と見えますので、千本中立売なんでしょうね。西陣どまんなかですわ。
最後に踏切を渡る前の電車、貫通路が有りそうですし、500じゃないでしょうか。200だともっと妻が丸く突き出ているような気がしますが。
by なにわ (2012-11-29 20:41)
■のり様
そうです、歳のせいです(笑)なんて・・・
実際に地下しか知らない若いファンも多いようで・・・
3000系や2600系が現役農地に行きたいと思いつつ・・なかなか腰が上がらない。
■U様
線路を超えると街の雰囲気ががらりと変わる、と言うのは実際によくあることですね。線路の向こうは危ないから行かないで、なんて親に言われた記憶があります。どこの場所かは言えませんが。
■EF510-230様
いい風景はどんどん消えてしまいますね。日本の街開発はホントに街を殺していきます。
■nd502様
鴨川沿いの京阪電車の記憶もどんどん遠くなって行きますね。お若いファンには想像も出来ないでしょう。
■Chitetsu様
戦争で焼け残った(残した)街並みを惜しげもなく破壊するのが日本の近代化です。京都が世界遺産になれないのは日本人の責任ですね。
古い京都の色町を縁取るように走っていた京阪、あのロケーションは絶妙でした。映画の舞台にしてみたくなる気持ちも分ります。
■suzuran6様
カセットテープの京阪車内の録音、とっても聴いてみたいですね。ブログにUPよろしくお願いします~
■なにわ様
いつものように大変詳しく補筆戴きありがとうございます。芸者の営業範囲なんて全く知りませんでした(笑)・・・
妹の曲がる交叉点はやはりあの場所でしたか・・・
ラストの電車は確かに更新前の500かも知れませんね。私は更新後の姿しか知らないのですが。
★あおたけ様
★やまびこ3様
★nexus6様
★denta60様
★フジトモ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-11-29 21:13)
Cedarさま
私もこの地上時代のこの場所がとても好きでした。
こんなに素晴らしい映画があるなんて・・・。今度ゆっくり鑑賞したいものです。
で実はこの場所での写真、電関人は露出アンダーの写真が1枚あるのみ。
今度リベンジと思っている矢先に数年たってそのまま地下になってしまいました。
by 狂電関人 (2012-11-29 21:54)
■狂電関人様
この映画は遠い昔、Cedarが大学生の頃にやっていた「日本映画名作劇場 」というTVで見たのだったと思います。白井佳男さんという映画評論家が作品解説をしていた、なかなかいい番組でした。
このDVDは我が家にあるのでお貸しできますよ~
by Cedar (2012-11-29 22:01)
西陣の町屋の軒先をかすめるN電の光景はもうたまりません。
「民営鉄道の歴史がある景観(1)」(佐藤博之•浅香勝輔著、古今書院1986)の“鴨川べり(京阪)”の項目で、この映画が紹介されていました。踏切の事件のシーンのシナリオが抜粋されていて、場面の設定が[歌舞練場の表〜宮川町通り〜松原の橋の袂]となっていて、実際の現場は団栗橋の一つ川下の松原橋だったようでした。
1200形は戦時形の面影を残しつつ戦後の京阪スタイルのデザインの源流があるように見受けられました。昭和40年代前半まではこのような両運タイプの車両が5〜6両編成に組み込まれている列車がそこそこ走っていて、それが京阪の魅力でもありました。
スーパーカー、ジェットカー、ラビットカー、オートカーの他に、南海高野線大運転用のズームカーというのもありましたね。
by 京葉帝都 (2012-11-30 02:22)
■京葉帝都様
貴コメント中の浅香勝輔さんに反応してしまいました。
昔の鉄ピクの私鉄特集号に、映画や文学、歴史の視点とご自分の体験をまじえた独特の魅力ある私鉄論を書かれていた方ですね。京阪や京成の特集号の文章は素晴らしかった。
この映画の事も、まさにピクの京阪特集号の浅香さんの文で知ったのでした。
浅香さんの本、早速探してみます。
それから、橋の名前はやはり松原橋ですね。調べてみたら団栗橋はこの映画ロケ時には無かったようです。
京阪の1200あたりが雑多に繋がった編成は面白かったですね。口の悪いファンからはチンドコ編成と呼ばれていました。
by Cedar (2012-11-30 13:54)
★ねじまき鳥様
★UZ様
★suzuran6様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-11-30 17:35)
■シュウチャン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-12-01 17:14)