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昭和の京成沿線案内図(その2)+京成昭和写真 [街景色・人・モノ]

1回お休みしましたが、昭和30年代に続いて、昭和の京成沿線案内図をもとに、当時の思い出話をくどくど展開します。今回は昭和42年版です。京成s35沿線案内昭和45年01.JPG(1)昭和42年といえば、Cedarも高校生になり、いっぱしの鉄道ファン気取りでした。写真も少しは撮っていたはずですが・・・・(今回は関連ある鉄写真もご覧にいれます)

時代は東京オリンピックと大阪万博との間、高度成長も板につき、運輸事業者も競うように事業拡大に精出していた頃でした。その勢いは京成も同じで、沿線案内図にも関係会社や地域外の観光事業への進出を誇らしげに表示しています。京成s35沿線案内昭和45年拡大02.JPG(2)

京成の地域外進出も、水上や那須くらいまでなら良かったのに、東北地区などでの投機的な開発(=あの南部縦貫鉄道に投資!したり・・・)が後に経営破たん寸前まで行く引き金になってしまうとは・・・・

京成s35沿線案内昭和45年拡大03.JPG(3)新京成と並んで有力な関連鉄道会社だった関東鉄道は全駅を掲載しています。筑波線と鉾田線の駅名もいまや懐かしいですねえ。新橋~日立間を走った常磐急行バスにも、ご注目。

 

(4)関東鉄道の写真を探してみましたら、ずいぶん年代が下がってから水海道で撮った元小田急クハ1650⇒キクハ1しかありませんでした。電車屋の悲しい性ですね。関東鉄道.JPG

(5)気になるのは大田郷⇔常総関本間の支線(?)の存在です。実は今回初めて存在を知ったのですが、皆様とっくにご存知でした?s43京成沿線案内拡大03.JPGWikiってみると線名は鬼怒川支線=【廃止】1964年(昭和39年)1月16日となっているのに、なぜか昭和42年の路線図に乗っています~親会社京成の単なるミスでしょうか?

(6)次に都心方面を見てみましょう。都営地下鉄1号線は大門まで開通していて、京成との相互乗り入れも津田沼まで拡大していました。新橋⇔大門間はたしか単線で開業していたはずです。s43京成沿線案内拡大01.JPG

この辺で当時の京成風景をご覧ください~都営地下鉄が大門開通の昭和39年、改築前の京成津田沼で撮影した当時の新鋭車3200形です。なんともおんぼろな(失礼!)駅に似つかわしくない新車が、大門行きの方向板を掲げてホームに入ってきます。上屋の案内にも大門をはじめ、都営線の駅が多く書き加えられています。S38津田沼3200大門行き.jpg(7)当時の津田沼駅は上野側で千葉線と成田線が平面交差で分岐していました。電車が入ってくる3番線は千葉線の上り線。上屋にぶら下がった電照式の発車案内や、高圧線の架線鉄柱も私鉄らしい風情ですね。


 
昭和42年は鉄小僧Cedarにとっては、かねて憧れの関西私鉄めぐりに初めて出かけた記念すべき年、 京成の赤電に似てる!と思っていた阪神電車の急行用(赤胴車)車にも初対面。・・・西宮駅で撮ったなつかしの西大阪線特急(西九条⇔三宮間=通称N特)です。s42西宮.JPG(8)東の赤電、西の赤胴~確かに顔つきや塗装は似ていましたが、走りっぷりは大違いでした・・・・(分っていたけどやはりがっかり)。でも関西詣でのあとでは、関東では少数派1435mmの京成や京急に嵌っていったのも事実です。


 

阪神顔(?)の赤電は着々と勢力を拡大し、ついに京成の看板列車にも大きな変化が起きたのも昭和42年でした。

(9)唯一の座席指定特急開運号が赤電に・3扉クロスシートの3190形に変ってしまったのでした。「これに料金払うのかよ~」と生意気盛りの高校生は思ったものでした。開運s42.JPGs38青砥06・開運.jpg(10)京成唯一のロマンスカー1600形は駆動装置は吊り掛けながら回転式&簡易リクライニングシートでしたから、やはりサービスダウン?

高砂s42.JPG(11)一方でこんな電車もまだ走っていました。高砂で撮った<京成のロクサン>ことモハ210+クハ507+モハ512の3連。〔荷〕のヘッドマークをつけていますが乗せているのは人間=沿線の農家から都内へ野菜を売りにくるオバサンたちです。3連はここで上野方面と押上方面に分割。最後尾の210は、地下の押上駅に入るため全金車体化されていました。

京成ならではの「嵩高荷物専用車」も、今では朝の普通電車の1両だけになってしまっています。


再び昭和42年の沿線案内に戻ります。

s42.JPG(12)一方の起点上野周辺で気になるのは、今は休止されてしまった博物館動物園駅とともに、京成上野と国鉄上野の間に描かれたビルのイラスト。昭和初期、上野地下駅開業時に作られた駅ビル『京成聚楽』です。

(13)こちらが解体直前の実物。国電ホームに向かい合う、カーブした窓が印象的な建物でした。44db3b92e5738a58eebc2303586b754c.jpg都内初の私鉄地下線として昭和8年12月日暮里~上野公園(現 京成上野)間が開業。その2年後に駅ビル(京成上野公園駅 本屋)としてできたもので、各階に飲食店が入り<駅ビル>のはしりでした。京成電鉄の本社だったり、昭和44年からしばらくは上野京成ホテルだったりしましたが、今は建替えられてヨドバシカメラになっています。

(14)こちらは休止後の博物館動物園駅の地上出口。建築意匠に開業時の意気込みを感じましたが、休止直前の構内はなかなかスリリング(?)な雰囲気でしたね。博動.jpg

(15)成田・千葉方面の拡大です。目立つのは九十九里鉄道がついに姿を消したことです。京成s35沿線案内昭和45年拡大01.JPG         昭和30年代には船橋辺りから先は海水浴場や潮干狩りで賑わったのですが、埋め立てや海の汚染で次第に九十九里浜方面のバス連絡にシフトしたのがこの図からも分りますね。海水浴臨電も<九十九里号>が主力となっていきました。(千葉線沿線は昭和42年は未だ海水浴のマークが付いていますが汚染はかなり進んでいました)。

全体的にはイラストでの観光地紹介というより<地図>の要素が強くなって、少し無機質になってきたのも時代の気分、ってことでしょうか。××C.C.の表記が目立ってきたのもこの時代。

観光地(青丸)とともに自社関連のホテルや商業施設(赤丸)が目立ちます~これらの多くは後の経営危機の時に整理されてしまうのですが・・・考えてみればこの時代は、昭和の京成が一番元気だった頃なのかもしれませんね。

というようなわけで、今回の昭和42年沿線案内図のお話は、自前の鉄写真も入れて、クロニクル的要素も盛り込んでみました。

 


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あるまーき

こんにちは。
さて、触れられていた「筑波常総鉄道鬼怒川線」についてですが、今年5月に関鉄のイベントでいただいた資料によると、大田郷駅に関して、「起点0キロポストが駅構内に残っています」と書かれていました。昭和39年の廃止ですから、廃線跡を探すのも難しそうですが、痕跡は残っているようですね。



by あるまーき (2012-09-18 11:27) 

maipenrai

昭和42年というと、悪夢の経営危機まではまだだいぶ間がありますが、「結果論」からこの地図をみると、京成電鉄の周辺事業って、けっこう行き当たりばったりに見えますね。下館に(茨城県下唯一の)京成ストア、って!?
 よく言われることですが、沿線外への投資に熱心だった割に、他の民鉄のように沿線の宅地開発に熱心ではなかった(公津の杜くらい)のも、京成の不思議なところです。
by maipenrai (2012-09-18 19:01) 

サットン

京成もご多分に漏れず多角化に熱心だったんですね。しかし、ホテルにしても流通にしても中途半端なものが多いように思います。まあ、リブレ京成にはお世話になりましたが。

先日、当ブログにいただいたコメントですが、後半が飛んでしまっているようですのでご確認いただければ幸いです。
by サットン (2012-09-18 19:17) 

Chitetsu

昔の沿線案内って自社中心の地形無視の地図で見ていて楽しいですね。京成電車に乗るお客さんに鉾田や筑波の路線図は縁がなさそうなのに書いちゃうところがこの種の地図の面白いところかと。
博物館動物園、薄暗いホームと次々電車が通過していつまでも乗れなさそうで、何かお化け屋敷みたいで子供の頃怖かったです。
by Chitetsu (2012-09-18 19:54) 

nexus6

S36年生まれの洟タレ小僧にとりましても何とも懐かしい画像なのであります。
とは言うものの、例えば(10)などは高砂か青砥かの判別もできず、記憶はかなり怪しいです。 地上駅時代の青砥眺めは大スキだったのですが...
そうだ! 赤電のクロスシート車は幼心にもガッカリした覚えがありますぞ
by nexus6 (2012-09-18 21:23) 

EF510-230

京成上野って、西武新宿同様滅多に行きませんね。3153とかいう新しいビルが出来たそうですから、今度行って見ましょう。
by EF510-230 (2012-09-18 22:34) 

Cedar

■あるまーき様
鬼怒川線についての情報、ありがとうございます。西武の安比奈線とかと同じ河原の砂利採り線だったようですが旅客営業していたのがめずらしいですね。
■maipenrai様
京成の関連事業は戦前からいろいろ手がけていたようです、母親に聞いたら「京成シミトール」(!)という染み抜きが売られていたことがあるとか?阪急や東急みたいに自社の沿線に新しい街と文化を創る、というような発想は無かったんでしょうね・・残念なような、やっぱり、と納得してしまうような・・・市川辺りで住宅開発はやっていなかったのでしょうか?
■サットン様
京成は東北での投機的開発失敗や、流通での失敗などで一時は電車廃業まで検討したとか。
そんな大手私鉄は京成だけでしょうね。
貴ブログへのコメンと、大変失礼致しました。大阪にも高層ビルが多く出来ていることへの爺の心配事を記しましたが、たいした事はありません。
■Chitetsu様
博物館動物園は最後は各停でも6連は通過したりして、ミステリーゾーンみたいな駅でした。薄暗い階段を下りると、木製の改札口があるのが映画のセットみたいでした。
■nexus6様
懐かしんでいただきましたか?ちなみに(10)は青砥駅です。
あのクロスシートはピッチこそ広かったものの、掛け心地は当時の国鉄急行車並みでした。
■EF510-230様
3153(さいごーさん)はし西郷さんの真下の崖沿いに出来たあれですね。
私も京成上野には2年前に1度行ったきりです。

by Cedar (2012-09-18 23:45) 

Cedar


★nexus6様
★hanamura様
★フジトモ様
★モボ様
★maipenrai様
★きゅんぱち様
★ひもブレーキ様
★Reirei様
★プント様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-09-18 23:49) 

nd502

「開運号」懐かしいですね。AE車登場後は聞かなくなりました。
by nd502 (2012-09-19 00:40) 

Cedar

■nd502様
開運号、護摩電、瑞光・・・
かっての京成のネームドトレインは、抹香臭いのが多かったですね。
それも今は懐かしいですね。
夏の臨急には、金波号、銀波号、なんていうのも有りました。

★シュウチャン様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2012-09-19 11:18) 

Cedar

★yakitorimitbier様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2012-09-19 21:16) 

Cedar

★あおたけ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-09-20 14:38) 

狂電関人

Cedarさま

確かに、赤胴と赤電はクリソツですね!

博物館動物園駅のの休止前に一度通りましたが、此処だけは
異空間でした。話によると戦時中には国鉄の蒸機を空襲から守るための
防空壕にも活用したとかで天井などが当時ままに煤けていたのが今でも
印象に残っています。
ところで防空壕の際には、1067㎜の線路を敷いたんでしょうね!?
by 狂電関人 (2012-09-20 22:31) 

Cedar

■狂電関人様
上野のトンネルには、優等客車が疎開したとか。
当然サブロク用の線路が敷かれて、トンネルに客車を牽くSLの煙がこもったのでしょう。

★undo様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-09-21 00:37) 

Cedar

■suzuran6様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-09-21 22:09) 

Cedar

★triguraf様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-09-22 10:23) 

とーる

懐かしいですね~。
博物館動物園駅の薄暗いホームを、今でも覚えていますw
by とーる (2012-09-22 21:49) 

Cedar

■とーる様
あの駅を知っている方も少なくなってきましたね。お散歩ブーム、昭和ブームの昨今ですから、ミステリーツアーとかやったら人が集まる気も致します。
by Cedar (2012-09-23 08:20) 

Cedar

★COLE様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-09-23 22:26) 

オコッペ

常磐急行バス、懐かしいです。
当時茨城とか行くのに運賃が安いので良く使いました。
最初の頃は車掌が乗ってましたがお客さんが5人程度と、よくやってるなという不思議なバスでした。
手元に当時の時刻表が有りますが、時間通り着かないバスでした。
by オコッペ (2016-04-11 13:28) 

Cedar

■オコッペ様
古い記事にレスありがとうございます。常磐急行バスにのられたんですね。高速が無い時代の長距離バスってどんなだったのか、興味深いですね。
by Cedar (2016-04-11 18:44) 

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