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ポール大行進!(インタアーバンは面白い・その3) [海外電車汽車、今昔]

好評(?)インタアーバンシリーズ第3回は、日本&アメリカ電車のカルチャーギャップ(?)をお話しします。cnsm149R.jpg(1)            たとえば、この電車、どこにでもある単行のポールカー、と見えるのですが・・・

cnsm149RR.jpg(2)  なんと6連で6本のポールを上げているのですね!軌道もポールカーの走る線路にしてはずいぶん立派ですし、架線柱も高圧線つき鉄柱で高速電車そのものの設備です。

この電車線はAmerica's Fastest Interurbanとして知られた通称ノースショア・ライン。アメリカ中部の大都市シカゴと、ビールの街ミルウォーキーを結ぶインタアーバンです。この写真の場所は1930年代に高速運転のために作られた新線(ちょうど軌道線から出発した京阪が、高速の別線として新京阪を作ったようなものですが、こちらは途中区間のみの建設でした)で、阪和・新京阪・参宮急行といった高速電車のモデルになったという話もあります。

別の写真で見ると、なんと架線は新幹線や関西の高速電車並みのコンパウンドカテナリーです。実際にこの区間では時速80マイル(約120Km)は出していたといいますからびっくりです。

(3)cnsm316R.jpg             おまけにこの電車、こんな高速運転するのにシカゴの高架鉄道乗り入れのため車体が小柄なのがいいですね!

(4)cnsm421R.jpg   エンドが大きく円になっているのも高架鉄道の急カーブをクリアするためです。

新京阪(→阪急京都線)の線路を、阪神の小形車がぞろぞろつながり、集電装置をポールに換えて全力で突っ走る!って感じでしょうか?

シカゴの市内は映画にもよく登場する有名なLoopと呼ばれる環状線に乗り入れていました。性能も構造もまったく違う電車の乗り入れは杓子定規な日本では考えられないです~小田急MSEの千代田線乗り入れに先駆けることほぼ1世紀前からの光景です。cnsm392R.jpg(5) 

(6)1941年に登場した流線型連接車も乗り入れていました。electroliner2.jpg

ごらんのようにシカゴ市内はポールを降ろしてサードレールからの集電でしたが、郊外に出るとポールに変わります。

驚くことにサードレール→ポール切換えは走行中に行っていたのだとか~6連で突っ走る電車の6本のポールが一斉に上がり、架線にはまっていく光景~見たかった!

ポールの上げ下げはハンドパワーですから、6連なら6人の係が乗っていたわけで、何でそこまでしてポールなの?って思います。

さらにびっくりするのは、コンパウンドカテナリーの新線区間だけでなく、路面電車の架線そのもののような区間でも同じような高速で走っていたことです。Shoreline拡大01R.jpg              (7・8)貧弱な架線と林立するポールの対比が強烈!こんな架線では日本ならせいぜい最高速度は60㎞ですね。Shoreline02R.jpg   この区間は(1~4)の新線に並行した元の本線です。この写真の時代には単線化されていますが、走る電車は6連!


こんなにすごい高速運転と連結両数なのに、なぜにそこまでポールにこだわってたのか??アメリカにパンタグラフが存在しない、なんてことないのは皆様ご存知のとおりです。

~日本では考えられないポール電車のお話はもう少し続きます。


場所は西海岸ロスアンジェルス周辺に巨大なネットワークを持ち、世界最大の電鉄だったPE(パシフィック・エレクトリック)も集電はすべてポール、ここでも長編成がポールを林立させて走っていました。

明朗な姿でファンにも人気のある木造車9505連で・・・

(9)pe040R.jpg

(10)サンフランシスコからやってきた車体長22m、幅3mもある鋼製車も5連5本のポールを上げた姿は迫力満点!pe451R.jpgpe460R.jpg(11)  さらにこんな大形車が5連で併用軌道まで走ってしまう~日本で言えば犬山橋か近鉄奈良か、という光景ですが、併用区間の長さは桁違いです。

(12)木造車体なのにカーブガラスのパノラミックウインドウ、京王5000系か国鉄113系みたいな顔つきのこんな電車が、ロスのダウンタウンを3両も繋がり名鉄徹明町ばりの街角の急カーブを走っていたかと思うと・・・pe574R.jpgpe448R.jpg(12)  阪堺モ161が設計の参考にした(と、Cedarが勝手に思っています)ハリウッドカーと呼ばれるサバーバン3連ですが、走っているのはなんとも広々とした複々線区間!こんな設備なのに架線は路面電車並なのも不思議です。

というわけで、今回はポールでの長編成や高速運転をはじめ、日本の常識とは大いに異なるアメリカの電車テクノロジーをご覧いただきました、アメリカという国は最先端の合理性と信じられない非効率さが同居してるのが面白いですが、インタアーバンにもそういうところがありますね。

ちなみにこの両電鉄ともアメリカのインタアーバンとしては珍しく50~60年代まで残っていました。

(Dave's Electric Railroadsほかから~禁転載


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hanamura

探偵小説?ハードボイルド?みたいなぁ~!
あぁぁ!カッコイイ!!
by hanamura (2012-03-04 14:33) 

Cedar

■hanamur様
フィリップマーロウの時代にはロスにはPEが走っていました。
映画「ロジャーラビット」にも、この電車が出てきました。

シカゴと言えばギャングとアンタッチャブルですが、カポネの本拠地は別の線の沿線でした。

by Cedar (2012-03-04 17:26) 

猫ムササビ

 ノートの余白に濃い鉛筆でガシガシと描いていたCedar氏のインタアーバン群。もはや半世紀近く前のことですから一途さに驚かされます。古い、ゴツい、クドい…この圧倒的な存在感はにわかファンもズキュンであります。記事の雰囲気からエレクトロライナーの特集もあるのかな?
 (4)の写真の前面窓の陰ですが、スクリームっぽくありませんか。
by 猫ムササビ (2012-03-04 18:24) 

なにわ

途中で折り曲げたらシングルアームパンタグラフじゃないですか、
というわけにはいかないでしょうが、おそらく車間引き通しが存在しなかったからなんでしょう。

逆に、0系の16両編成が8基のパンタグラフを上げて時速200kmで疾走していたのもある意味すごいかもしれません。

それにしても、どうしてあの高速でポールは外れなかったのでしょうか。
by なにわ (2012-03-04 18:32) 

Junior

 
まいど!
初回はTadさんに先を越され、前回は旬を過ぎたのでパスすると言う悔しい(??)思いをしましたので・・・。

トロリー・ポールで高速運転と言えば、メリケンものの専売特許じゃないですよ〜。
お忘れですね。神戸姫路電気鉄道の1形。
http://www.geocities.jp/taku329/sanyou23.jpg
ノース・ショアの120km/hには及びませんが、話によるとこれが80km/h以上で走ってたそうです。
今でも山陽電気鉄道の明石から西の区間は高速仕様、しかもある区間(高砂辺りだったかな?)では制限速度105kmだか115kmのハズ。
それと、神戸姫路電気鉄道はトロリー・ポールで1500V DCっすよ!
台車はボールドウィン、電気機器はGEの、これこそ日本版アメリカン・インタアーバンだと思っています。
でも、完成後4年でお役御免とは勿体ない・・・・。

それと、アメリカの旅客列車には車掌が多く乗っています。
駅で集改札をするのではなく、出札は駅であっても集札は基本車内です。
なので、編成数と同数の車掌が乗っててもおかしくありません。
つまり、走行中のトロリー・ポールの操作も人件費のウチなのでしょう。

もひとつ。これはなにわさんへのアンサーかな?
トロリー・ポールと聞くと日本人は先端がウィール状のものを想像しがちですが、アメリカの高速インタアーバンのは溝のあるトロリー・シュー。
架線をしっかり張っておけば、分岐点でない限りそんなに外れるものではありませんから。(外れる事は外れるけど、頻度はずっと少ない)
それにシンプル・トロリー(つまり単架線)が写ってる写真を見て頂くと判りますが、架線の緊張度合いが路面電車のとは明らかに違います。
安定した架線の張り(とトロリー.シュー)があってこそのトロリー・ポールによる高速運転なのですね。

長々と失礼致しました。
by Junior (2012-03-04 20:25) 

manamana

ポールとかイコライザーとか、アメリカは意外なところが、
長生きしていましたね。
by manamana (2012-03-04 20:45) 

Cedar

■猫ムササビ様
あれを覚えてましたか!ちょうどあの頃ノースショアの本を初めて買って(今は無き銀座のイエナで!)毎日のように眺めてたのでした。あの絵はまさにこのイメージ~
でもあの絵はポールじやなく2丁パンタだったので、同じシカゴでもサウスショアのほうかな?
オトナになってアメリカに行った時には、インタアーバン時代は終わってました。
■なにわ様
アメリカ人はポールがお好き?ノースショアやPEのポールはホイールじゃなくスライダーだったのは知ってました。これだと確かに外れないようです~Vを見ると分岐でもスカスカ走っています。
因みに京福叡山線や京津線もスライダーを使っていました。
■Junior様
お待ちしてました!
神姫電鉄の話は無き父から聞いてました。「1500Vのポール集電だったから雨の日にポールコードを掴むとビリビリきたらしい」などと嬉しそうに話していたのを思い出します。
あの車体は近江鐵道に行ったんでしたっけ?
架線の話、ありがとうございます。張力が問題ってことですね。





by Cedar (2012-03-04 21:24) 

はーさん

すごい!すごい!また、Cederさんにノックアウトされてしまいました。
ポールで新線を120km/hで雪煙を上げて疾走するなんて、すごい!というしかありません。
トロリーホイールが超高速回転になり、大丈夫かと思いましたが、トロリー・シューかもしれないとのことで、納得出来ました。
電車6連と2連の電車が3、4両の客車を引っ張っているのでは?と思われる編成が見受けられました。どちらも有りでしょうか?
また、LOOPに乗り入れたとのことですが、90°に近いカーブには入らず
LOOPの一辺の直線区間を走りぬけたのではないでしょうか?
そして、通り過ぎたところにターミナルがあったりして!
これらのインターアーバンは日本の私鉄にも大きな影響を与えたと思いますが、参宮急行電鉄などは、急勾配を出来るだけ直線とし、ハイパワーの
電車で突っ走ったというのは、スイスのBLSをお手本に路線を作り、アメリカのインターアーバンも参考にして2200を作ったのかも知れません。平原を突っ走るアメリカのインターアーバンを超えたものとも思えます。


by はーさん (2012-03-04 21:47) 

Cedar

■manamana様
サンフランシスコのPCCは今もポールですし、イコライザーについては アメリカ最初の200km運転用の電車<メトロライナー>の台車にも使われてました。



by Cedar (2012-03-04 21:47) 

Cedar

■はーさん様
楽しんでいただけましたか?私がこの電車を始めて知ったのは小学生の頃、当時交友社から出ていた『世界の鉄道=アメリカ編』の中にシカゴループでの写真が2枚だけ出ていて、説明に『郊外ではポールを使って100キロを越す』と書かれていたのがが印象に残ったのでした。父にほんとか?と聞いたら、日本のポールとは違って先端がホイールでなくシューだから大丈夫だと聞かされました~父も京津線でシューが使われてるのを知らなかったのですね。
そのあと、高校生の頃に写真集を手に入れてそのすごさにノックアウトされ、今に至っています。

?へのお答えです。
ノースショアの電車はDinerなどごく一部のトレーラーを除いて電動車です、ここに上げた写真は昔の阪神電車よろしくオールMです。
ちなみにループでは例の急カーブを6連で曲がっていました!ターミナルはループの南側にあったようですが。
この鉄道のVHSヴィデオも我が家にあり、前回のサクラメントノーザンと同じ会社から出ていました。
by Cedar (2012-03-04 22:12) 

京阪快急3000

こんばんは。

いやはや自分は「驚き!!」の一言としか言い表せないと、この時代のアメリカの鉄道を見て思いました。

まあ、昔から我が国「日本」と文化が異なる「アメリカ」だからできた事なのでしょう。




by 京阪快急3000 (2012-03-04 22:48) 

Tad

パシフィック・エレクトリックの創始者であり社長だったヘンリィ・ハンティントンのプライヴェート・カー“アラバマ”は,シューではなくホィールでしたけど,1900年代後半の或る深夜,ロサンジェルスからロング・ビーチまでの20マイル(36キロ)を15分で走ったと云う記録があります。
平均時速が80マイル(128キロ)ですから,当然最高速度はそれ以上ですが,単行の非営業運転とは云えホィール式ポールでもそれが可能だったのを示してる話ですね。
アラバマの設計上での最高速度は120マイル(192キロ)ですが,実際には100マイル(160キロ)が限度だったと云われてます。
P.E.が電車のポールをシュー式にし始めたのは1936年ですから,それまでホィール式ので高速運転をしていたと考えると,ホィール式を侮るわけにはいかないですね。
by Tad (2012-03-05 00:17) 

Cedar

★COLE様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-03-05 00:17) 

京葉帝都

竿からの集電はシンプルでも大きなモーター音で豪快に走行していたのでしょう。どの写真も驚くばかりです。
私の想像になりますが、古い時代からの大陸で地盤が安定しているのも、ポール集電で高速運転が出来た要因かもしれません。

by 京葉帝都 (2012-03-05 01:02) 

うたに

トロリーポールというと、低速な路面電車…というイメージしかなかったのですが、雪煙を上げて爆走する写真を見てびっくり!こりゃすごい!
しかし、なんでそこまでしてトロリーポールにこだわっていたのでしょうかね。アメリカとは、不思議な国です(^^;;
by うたに (2012-03-05 14:44) 

Junior

 
Tadさんの説で僕の書いた事の信憑性が薄くなっていくのですが・・・ナハハ。
え〜、神戸姫路電気鉄道の1形、実は先端がウィールなんですが、あれで100km運転したそうです。表向きは最高速度80km/hですが、実はそれ以上出たらしいと言う、現場の話。
シューは離線し難いだけなんでしょうねぇ。やはり架線の状態かも・・・と、トーンダウン・・・。

どこかで読んだのですが、エレクトロライナーも時速100マイルで走れる(走った)そうです。

ノース・ショアの動画がYouTubeにあります。
興味がおありの方は、一度どうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=27GwxWis-2g&feature=related
by Junior (2012-03-05 15:04) 

EF510-230

架線の高さが日本と比べてかなり高いですね。これをパンタに変えたら巨大なパンタが必要となるんではないでしょうか。もしくは岡山電軌みたいにやぐらをかますとか。
by EF510-230 (2012-03-05 15:23) 

なにわ

叡電がスライダーだったのは知ってますが、ホイールでその速度ですか、ただただ脅威ですね。

車輌本題へ参りましょうか、(11)の光景、復活したLRTはいまもこういう感じじゃないですか。
5000の3連なんかはじめて見ました。改番後なんで戦後の写真ですね。
160両もいたので、700が950に改番されるはめになったのですが。
by なにわ (2012-03-05 21:26) 

Cedar

■京阪快急3000様
日本の電鉄はヨーロッパよりアメリカの技術で発展しました。
でも、パンタが多いのはヨーロッパ風です。
これが本当の「欧米か!」
■Tad様
ノースショアに較べPEは高速インタアーバンのイメージが薄いですね。鈍足のブリンプの印象が強いからでしょう。
アラバマのホイールは無事だったのでしょうか?昔フランスの331kmの記録の時、パンタのシューが溶解寸前だったのを思い出しました。
しかし、アメリカらしい大胆さです。
■京葉帝都様
ノースショアの電車は小さな車体の割に高出力だったようです。軌道の整備も格別だったそうで、小型車時代の阪神の軌道が、特甲線並に整備されたというのを思い出しました。
■うたに様
アメリカ電車のポール偏愛ぶりは私にも謎です。パンタより安あがりなのは間違いないですが。
■Junior様
いや~Tad&Juniorご両人の華麗なる競演?これぞ私の思惑通りの展開であります、いろんな情報ありがとうございま~す。
皆さん!画像見てインタアーバンファンになって下さいね。
■EF510-230様
アメリカの架線はたしかに日本より高いようですね。関連会社で日本でも有名なサウスショアは巨大なパンタグラフ装備で、これまたカッコいい!
■なにわ様
アメリカ資本主義は金のためなら利用者がいても電車廃止してしまいました。LRTは公的資金か多く投入されています。似て非なるモノと言えますね。









by Cedar (2012-03-06 00:04) 

Cedar

★gorosan5670様
★denta60様
★しまりす様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-03-06 01:27) 

のり

いや、本当に凄いですね。ポール電車が6連でポールを6本立てて高速運転・・・、日本では考えられませんね。少なくとも、私の弱い頭では理解できませんでした。本当に恐ろしい国です。でも、こんな電車から、日本の高速電車が生まれたのですね。不思議です。
by のり (2012-03-06 23:24) 

Cedar

■のり様
日本人から見ると非常識なアメリカのこれらの電鉄~おっしゃるように日本の私鉄に大いに影響を与えています。関東なら京急、関西なら京阪はPEに技師を派遣したようです。
by Cedar (2012-03-07 00:05) 

Junior

 
シカゴとLA、実は大統領と関係があるって、知ってました?
シカゴの市街電車のある運転手さん、冬場にアチコチから運転台に入り込む隙間風から体調不良に。
そこで家族共々LAに移住し、そこでもトロリー(恐らくP.E.)の運転手をやって生計を立てました(後に転職)。
そのトロリー運転手の息子こそが、後の大統領ロバート・ニクソンなんです。
シカゴのトロリー・カーの密閉度が高かったら、LAにP.E.が走ってなかったら、ロバート・ニクソンは大統領になれなかったかも知れませんね。
 
by Junior (2012-03-07 12:02) 

Cedar

Junior様
この話、さすがの博識に感服です。
たしかにWindy Cityより、温暖なLAに仕事があればそっちに行きますね。なんたって天使の街、ですものね。
ニクソンが最後にすんだサンクレメンテなんて、ホントに良いところです。
by Cedar (2012-03-07 23:10) 

Tad

かの“水門”大統領の名前はリチャードでっせ!
ウィキペディアによれば,父親のFrancis A. Nixonはオハイオ州コロンバスでモーターマンをやってて,カリフォルニアのヨーバ・リンダに移住とあります。彼が生まれたのはウィティアー。
一時P.E.でもモーターマンをやってた時の写真が「Ride the Big Red Cars」てぇ本に出てますが,父親似じゃないですね。
ヨーバ・リンダもウィティアーも,P.E.の4線区間のスロゥソン・ジャンクションから南東に分岐した路線上(サザン・ディストリクト)にありますし,1913年生まれですから大合併後のP.E.のお世話になったことでしょう。
赤電車に乗る若き日のニクソン氏,なんて写真があったら見てみたいナァ。
by Tad (2012-03-08 02:43) 

Junior

ワハハ、リチャードでした! でも、働いてたのはオハイオでしたか。
読んだ本ではシカゴになってましたから、文献が大間違いしでかしてますね。
父親はその後油田で働いたらしいので、幼いニクソン氏が父親の運転するトロリーに乗ったかどうかは疑問ですが、典型的なブルーカラー家庭ですから、移動は絶対にP.E.ですね!

と、話がインタアーバンのトロリー・ポールと違う方向に行っちゃいましたね。
by Junior (2012-03-08 12:52) 

紅玉国光(富山市)

ノース・ショアーのエレクトロライナーがシカゴループ(L)に乗り入れて走る写真は初見でした!!有難うございました!!
しかし、我が国で言えば山手線に、食堂付の豪華中距離電車が乗り入れていた訳で、Lの満員電車に詰め込まれた通勤客は何と思っていたやら……。(←貧乏人根性丸出しですみません;)

あと、冒頭のノース・ショアーの普通鋼製車ですが、良く見ると、腰板を塗装でアルミorステンレス・スティールのコルゲーションっぽく見せている様ですね~。
エレクトロライナーが好評であったけれども、そう増備も出来ず、苦肉の策で旧性能車を塗装でごまかし(←失礼)……と云う、当時のインターアーバンの置かれていた苦境が伺える様でTT:(血涙)
by 紅玉国光(富山市) (2012-03-09 01:12) 

Cedar

■Tad&Junior様
おいおい!勝手にコンビにするなよ!て(笑)
だって博識のお2人のやり取りは読んでいて楽しいですから。
サンシャインボーイズかエンタツ・アチャコか?
>話がインタアーバンのトロリー・ポールと違う方向に行っちゃいましたね。
全然OKです!暴走脱線異線進入大歓迎の拙鉄ブログなんで・・・
■紅玉国光(富山市)様
インタアーバンは市内は路面電車に乗り入れるのが普通ですが、ノースショアだけはLに乗り入れていましたね。似たような例はフィラデルフィアの高速郊外線(現存)にリーハイヴァレイ・トランジットというインタアーバンが乗り入れていたことがあります。
冒頭の電車は通称シルバーライナーといって、エレクトロライナー登場後、内装や換気装置を近代化した改造車です。
出来た理由はお察しのとおりです~この中にはM+TD+Mの3連でエレクトロライナーが検修時の代走に使われたものもありまして、この模型を所有しています。
by Cedar (2012-03-09 19:15) 

Cedar


★マチャ様
★SORI様
★hideta-o様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-03-09 19:16) 

Junior

> ノースショアだけはLに乗り入れていましたね。

他かにもありまっせぇ〜。
てか、シカゴと言えば、イキナリ破産し、破産した日の午前中で歴史を終えた、ほらぁ、これもありますがな!

http://chuckmanchicagonostalgia.files.wordpress.com/2010/10/photo-chicago-train-chicago-aurora-and-elgin-on-elevated-structure-early.jpg?w=510&h=409

ここもループ内にターミナルがあったハズ。
by Junior (2012-03-09 21:25) 

Cedar

■Junior様
でしたでした!インスルの電車たちは路面で都心乗り入れしなかったのは先見の明ですかね。
by Cedar (2012-03-09 21:37) 

Junior

シカゴ郊外のOak Park(フランク・ロイド・ライトのアトリエが残されており、彼の作品の邸宅も多数ある町)と言う所に行くのに使ったCTAの路線の終点がかつてのChicago Aurora & Elginの実質的な終点なんですね。
ああ、この線路の上をあの細面のインタアーバンが走ってたんだ、な~んて感傷的になったりして・・・。

で、このCA&Eの電車はNorth Shoreの車両とよく似てるのに、もひとつ垢抜けしないのは、前面窓の高さが原因でしょう。
North Shoreの電車みたいに天地の寸法が大きくないからでしょうね。

インスルの息の掛かった電鉄ですが、South Shoreは路線の性格からしてIllinois Centralの路線をウマく使えたし、最初はAC6600Vだったから市内のトロリーへの乗り入れは技術的な壁もあったでしょう、それとシカゴの市内のトロリーの列車(?)密度から言って、とてもじゃないけど市街地でのノロノロ運転はいくら「都心に直行!」であってもサービスとして適切じゃないと判断したのかもしれません。
が、これはインスルの手柄じゃなく、彼が経営に参加した時、既に各社は行ってたわけで、地方都市ではなく、大都会のインタアーバンならこその運行形態だったのでしょう。

by Junior (2012-03-10 01:07) 

なにわ

ニクソンの話って、「トラクションブック」に載っていたんじゃなかったでしょうか。

ノースショアーのコルゲートもどき塗装、これが出てくるということは、廃止間際なんでしょうか、その割に写真(8)では先頭車以外全てシルバーライナーなんですが。
ノースショアーの食堂車軍団も、何度か座席車に改造された
(とれいん81年10月号に2ページの模型の記事があります)ようですが、
http://www.northshoreline.com/cars.html
を見てますと、パーラーカーのまま残った電車、食堂車のまま残った電車、トレーラーの食堂車が何両か残っていたようです。
by なにわ (2012-03-10 18:27) 

なにわ

書き忘れ

シルバーライナーというたら、フィラデルフィアのSEPTA(元はPRR)のステンレス電車のほうを思い出しますね。
by なにわ (2012-03-10 18:33) 

紅玉国光(富山市)

なにわ(工機じゃないんですよね)様へ

SEPTAのステンレスカー、元はペンシーの本線用長尺車も迫力あって良いですが、紅玉はどうしても、第三軌条区間用の小型車つまり、東急7000系のプロトタイプの方が……。

ニクソン元大統領の話は結構有名なエピソードらしく、後にはまるで金持ち代表の如く(些か不当なまでに)批判されたニクソンも、本当はこんな庶民派出身だった、と云う文脈で語られる事が多い様です……。
by 紅玉国光(富山市) (2012-03-11 10:19) 

Cedar

■Junior様
するってえと、LAは大都市じゃないってことですね~確かに町の構造がシカゴとは違います・・・あのだたっ広さ。
■なにわ様
ノースショアのシルバーライナーは戦後の作ではなかったでしょうか?
(8)の写真は1960年くらいだと思いますが2両目以外は最後の標準塗装です。パーラーカーのサービスは戦前に廃止されましたが、食堂車は軽食車として残っていたようです。
■紅玉国光(富山市)様
フィラデルフィアはノースショア廃止後エレクトロライナーが郊外線にやってきましたね。
ニクソンの出自は割と有名で、成金大統領と揶揄する人もいたとか?ま、アメリカ=成金の国ですけど。
by Cedar (2012-03-11 23:06) 

Junior 

 
なにわ様

> ニクソンの話って、「トラクションブック」に載っていたんじゃなかったでしょうか。

もしかしたら、"The Time of The Trolley"って本だったかも知れませんが、トロリー関連の本を含め、鉄道関連の本の多くを10年以上前に売ったり処分したので今となってはどの本(雑誌)だったのか・・・・複数であった可能性もありますし。
「シカゴの市街電車の~」は僕の記憶違いかも知れません。
 
by Junior  (2012-03-12 00:14) 

hideta-o

 CSS&MやPEがパンタ化しなかったのは、経済的な理由が大きかったのでは。
 ご存知のようにポール集電とパンタ集電では、単に車体に搭載する集電装置が異なるだけでなく、地上設備である架線の張り方も大きく違ってきます。
 パンタ化するためには、かなりの区間で架線を張りかえる必要が生じてきますが、既に斜陽産業であったインターアーバンには、そのような過大な負担は無理だったように思われます。
 その上、現にポール集電で、特に問題を生じることなく高速運転ができていた訳ですから、敢えてパンタ化する必要を感じていなかったのかもしれませんね。
by hideta-o (2012-03-27 09:32) 

Cedar

■hideta-o様
久しぶりでございます!
おっしゃるとおりだと思います。車体の補強や架線の張替え(位置修正やフログ撤去など)も必要ですしね。
by Cedar (2012-03-27 11:07) 

みぃにゃん

一部区間の立体化/新線付け替え。
京阪(旧)本線と、新京阪線ではなく、京阪本線自体も、大阪野江~土井守口駅大阪方まで、戦前に高架複々線化しています。
似たような話は、色々あるみたいです。
京王帝都は、丁度その名前になって暫くの後、新宿駅を西寄りに移して、併用軌道をかなり減らしています。
でも、何れもパンタグラフ化してからですね。
なんでポールだったのでしょう?
謎です。

by みぃにゃん (2013-03-05 03:06) 

Cedar

■みぃにゃん様
ようこそいらっしゃいませ。インタアーバンネタに興味を持って戴けるのは嬉しいです。
京阪、京急、阪神、京王といった軌道線から高速電車に成長した電鉄が好きなのも、アメリカンインタアーバンと共通点が多いからですね。
アメリカはポール集電がサンフランシスコやフィラデルフィアなどで最近まで残ってました。パンタ化は金がかかるからというのが本音⁈

by Cedar (2013-03-05 23:07) 

あかいでんしゃ

遥か昔に自分に鉄道の事柄を日本をはじめとして特に米国の電気鉄道の事を沢山教えてくれた年配の方がおりました。この人の1920年代の話の中で、赤い電車も創業時からポール集電をしていたが、ポールの先端部はホイール(車輪形)部が、運用に伴う走行距離が伸びて、だんだんホイールの軸の部分がすぐに擦り減ってしまうと会社の修理人が、この人が学生の時に話をしたそうです。そしてこの人は、電車が大好きな会社の車両部長(車庫長)にこの話をしたそうです。この当時車両部長は会社の専務クラスで、自費でアメリカへ横浜から船で出かけたそうです。専務は、部品を購入していた関係で技術書は見ることが出来情報はたくさん持っていたそうです。(自分も70年後にこの技術書を沢山見ました)特に車両や線形が似ているノースショア―電鉄を中心に見学したそうです。ノースショア―電鉄はまだ旧線を使用していたそうですが、ポールの先端はシュー式でした、この人はすぐにスケッチをして日本で組み立てて赤い電車に取り付けて1往復テスト(川崎工場~品川~横浜~川崎工場)をして帰って来たらシューの部分は摩擦熱で溶けて砲金の塊となっていたそうです。専務は、この当時学生だった年配の方に聞いたそうです。年配の方はすぐに技術書を読み返しホルダーの溝の一部分にカーボンをいれればよいと教えたそうです。もちろん成功しましたが、のちに湘南電鉄と新橋地下鉄道乗り入れの関係ですぐにパンタグラフの採用となってしまったとの事です。自分は年配の方に聞きました、専務は米国視察でP’Eを見たのですか。線路が路面電車みたいで赤い電車の会社と違う。経営状態や付帯設備等は参考になったらしいが運用が路面電車みたいな無ダイヤ状態で、車両は鋼鉄車が赤い電車の会社と変わらないといっていました。ところで赤い色はP'Eのまねですか。昔の塗料は顔料が鉛を主成分としたもので赤色の発色がとてもよく安かったので大量に必要な鉄道車両には一番使いやすい色だったので使っただけ、マネはしてないよ。あとね小田急SE車がエレクトライナーをマネしていると書いているのを見るけど、自分は終戦後すぐに米国へ視察に行ったのだがシカゴの高架鉄道を視察を終えて帰る寸前にエレクトライナーがホームに入って来たんだ。残念ながら、大陸横断列車の時間のために乗る事が出来なかったが似ているところはないよと話していました。よく本などにロクに勉強しないで書いている人がいるけど本当の事を知らないで勝手に書いて無責任だね。と昔に教えてもらいました。
by あかいでんしゃ (2014-11-26 16:37) 

赤いでんしゃ

遥か昔に自分に鉄道の事柄を日本を始めとして特に米国の電気鉄道の事を沢山教えてくれた年配の方がおりました。この人が1920年代の話をしてくれた中で、赤い電車は創業時からポール集電をしていたが、ポールの先端部はホイール(車輪形)部が、運用に伴う走行距離が伸びて、だんだんホイールの軸の部分がすぐに擦り減ってしまうと会社の現場の修理職人が、この年配の方が学生の時に車庫見学時に話をしてくれたそうです。そしてこの年配の方は、電車が大好きな会社の車庫長(当時の車両部長)にこの話をしたそうです。この当時車両部長は会社の専務クラスで、自費でアメリカへ横浜から船で出掛けたそうです。専務は、部品を当時は、米国から購入していた関係で米国の技術書は見ることが出来、情報はたくさん持っていたそうです。(自分も7~80年後にこの技術書を沢山見ました)特に車両や線形が似ているノースショア―電鉄を中心に見学したそうです。ノースショア―電鉄はまだ旧線を使用していたそうですが、ポールの先端はシュー式でした、この人はすぐにスケッチをして日本で組み立てて赤い電車に取り付けて1往復テスト(川崎工場~品川~横浜~川崎工場)をして帰って来たらシューの部分は摩擦熱で溶けて砲金の塊となっていたそうです。専務は、この当時学生だった年配の方に事の顛末を話したそうです。年配の方はすぐに技術書を読み返し「ホルダーの溝の一部分にカーボンをいれればよい」と教えたそうです。もちろん成功しましたが、のちに湘南電鉄と新橋地下鉄道乗り入れの関係ですぐにパンタグラフの採用となってしまったとの事です。自分はこの話をしてくれた時に年配の方に聞きました、この専務は米国視察で当時のP’Eを見たのですか。「線路が路面電車みたいで赤い電車の会社と違う。経営状態や付帯設備等は参考になったらしいが運用が路面電車みたいな無ダイヤ状態で、車両は鋼鉄車が赤い電車の会社と変わらない」と言っていました。ところで赤い色はP'Eのまねですか。「昔の塗料は顔料が鉛を主成分としたもので赤色の発色がとてもよく安かったので大量に必要な鉄道車両には一番使いやすい色だったので使っただけ、マネはしてないよ。あとね小田急SE車がエレクトライナーをマネしていると書いているのを見るけど、自分は終戦後すぐに米国へ視察に行ったのだがシカゴの高架鉄道を視察を終えて帰る寸前にエレクトライナーがシカゴの高架ホームに入って来たんだ。残念ながら、西海岸に行く大陸横断列車の出発時間の関係でに乗る事が出来なかったが似ているところはないよと話していました。よく本などにロクに勉強しないで書いている人がいるけど本当の事を知らないで勝手に書いて無責任だね」と昔に教えてもらいました。それからロスアンゼルスに着いてからの話をしてもらい「P'Eを昔本で読んでいてとても見たくてすぐにメインステーションに着いたら、1年前ぐらいに会社が変わり線路もロングビーチへ行くのしかなくがっかりしたよ。キーシステムは車両は素晴らしかったが、やはり路面電車だね。自分が米国に行った時は、すでに戦争が終わり輸送形態が急速に自動車に代わって仕舞いあまり参考にならなかった」と話してくれた事を思い出し書かせてもらいました。
by 赤いでんしゃ (2014-12-21 23:57) 

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