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1962年6月某日・北鎌倉 [1枚の写真から]

東京はすっかり梅雨もようですね・・・今日の画像は<せんべろツアー>から一転、ちょいとハイソな場所・・・・50年前の梅雨の晴れ間、横須賀線北鎌倉駅の1枚ショットです。

(1)北鎌倉02Rタイトル.jpg ・・といっても電車に乗って鎌倉に行ったのではなく、小学校のPTAが主催していた<文学散歩>なる日帰りバスツアーに両親と参加した折に、父が撮ったものです。鎌倉や芦花公園・深大寺といった文学にゆかり深い東京近郊各所に出かけて、古寺巡礼や文人の旧宅などを訪れるという、なかなか高尚な催し=せんべろツアーとは大違い!=でした。

そんなハイソ(?)なツアーに、単なる鉄ガキが必ずくっついて行った理由は、電車との出会いや景色の良い場所で食べる弁当、といった甚だ世俗的なモノでした。鎌倉に行くときは横浜の市電、京急、江ノ電が見所でしたね。

北鎌倉03R.jpg(2)当時の横須賀線は、言うまでも無く<スカ形>70系の天下でしたが、拡大してみると3両目に窓の小さな幕板の広い車両・・・形式はサロ85と思われます=もともと大船まで線路を共用していた湘南電車80系用の優等車(2等→1等、後のグリーン車)でしたが、セレブな住宅地鎌倉・逗子を通る横須賀線のサロ不足補完のために、編成美を乱す運用が行われました。塗装はスカ色でしたが出自の違いは明白でしたね。

北鎌倉04R.jpg (3)電車を降りたお客は、久里浜寄り先頭クハ76のすぐ前を踏切で横断し、出口へ向かいますが、鎌倉五山のひとつ円覚寺側にも臨時出口がありました。拡大してみると出入りしている人もいるようですね。

現在もこの出口はありますが、登校時の朝のみの使用になっているようです。当時は休日には使用したのでしょうが、今は?

線路と道の間に柵すらない・・当時はこれでも問題なかったようで、さすが線路に面してお屋敷の玄関のある江ノ電の走る町ですね。


 1枚写真だけではいささか物足りないので、最近のCedarらしく、日本映画の話に跳びます。

北鎌倉を舞台にした映画で印象に残っているのは、小津安二郎監督の1951年作品「麦秋」です。

(4・5)麦秋.jpg麦秋5.jpg  北鎌倉に住む、婚期を逸した()娘と父親(原節子と菅井一郎)の心の葛藤が、小津らしい抑制されたタッチで描かれています。鎌倉から東京に通勤するいわゆる<スカ線族>の家庭のお話。貧乏ではないが、つましい戦後日本の中流家庭(東京下町の鉄ガキが見ると、上流家庭)のドラマです。

(4)は東京に通勤する娘が、北鎌倉駅で上り電車を待つシーン。原節子の笑顔がなかなかいいですね。この映画は原節子の様々な表情がいちばんの見所です。(鉄には横須賀線や東京駅のシーンですが・・)

(6)コピー ~ 麦秋2 のコピー.jpg

(7)麦秋3 のコピー.jpg

婚期を逸した、といっても映画の原節子は28歳という設定!時代の差を感じますねえ


(8) 話を戻して、これがオリジナルの画像です。円覚寺参道踏切からの撮影と思われます。北鎌倉01R.jpg 

この駅の佇まいが当時から50年近く経た今も、そんなに変わらないのは奇跡的なことです。やはり開発規制の厳しい鎌倉ならでは、有名な寺に隣接している立地(この付近では、線路が円覚寺の敷地を通過している)も幸いしたのでしょう。

クハ76時代のスカ線には、東京人は独特のステータスを感じたものでした。そんな横須賀線を背景とした小津作品を<プチブル的>だという評もありましたね。

いまや総武線と直通し、高崎線ともつながって、便利になった反面で、すこし<格落ち>したなあと思うのは、小津映画を好む私の単なる懐古趣味、なのでしょうか。

(8=2009年の同じ場所) kitakamakura.jpg

~と、今日はこんなところで失礼します。


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コメント 22

のり

小津映画には、独特の「こだわり」を感じますね。映画の展開の中で、日常生活の風景を徹底的に追い求めて、「自然」な話の運び方を意識しておられるようで・・・。私も小津映画は大好きです。
by のり (2011-06-19 08:04) 

manamana

グリーン車にも子供連れがわぁーいと乗ってくる時代ですから・・・
by manamana (2011-06-19 08:27) 

nd502

東京からグリーン車に乗車すると次の鎌倉で料金が
上がるのでここで下車することが多いです。(笑)
by nd502 (2011-06-19 08:59) 

Cedar

■のり様
海外で評価の高い監督は小津と黒澤ですが、小津はヨーロッパ、黒澤はアメリカでの評価が高いのですね。おっしゃるように日常生活の風景の切り取りで話を紡いでいく手法はアメリカ人(NYの知識人とかは別として)には受けないようです。
私は黒澤の娯楽映画作家ぶりも大好きですが・・・日本に生まれた幸せですね。
■manamana様
グリーン車とか、すし屋のカウンターに子供がえらそーに座る用になったのはいつごろからでしょうか?言い換えると<大人になっての楽しみ>が今の子供には少ないってことですね。

by Cedar (2011-06-19 09:03) 

Cedar

■nd502様
そうそう!私も同じです。JR東って、運賃でもそういうせこい例が多いですね(笑)。
だいたい事前にグリーン券購入しないと割高ってのもせこい制度です。
by Cedar (2011-06-19 09:07) 

maipenrai

 松竹大船で北鎌倉が舞台の映画とは、ロケが近くっていいなぁ…などとくだらないツッコミはさておき、私と同年生まれの「麦秋」、若い頃に教養のつもり(笑)で見て小津映画の虜になりました。「プチブル的」って批評のは、当時の左翼の狭量さを感じていかにも…ですが。
 スカ線が<格落ち>…、総武線民の私が言うのもなんですが、言えてますね~。
by maipenrai (2011-06-19 13:49) 

Cedar

■maipenrai様
麦秋と同年でいらっしゃるのですね。小津映画って小市民的な描写の奥底に流れている無常観が沁みてくるのです。運命には逆らわない、みたいな。
松竹映画が横須賀線(戦前だと蒲田の京浜線)、東宝だと小田急線が良く出てきましたね。

by Cedar (2011-06-19 14:37) 

Cedar

★あおたけ様
★xml_xsl様
★UZ様
★denta60様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-06-19 14:39) 

うたに

北鎌倉は降りたことが無いのですが、今も大きく変わっていないことが分かりますね!
周りの木々の背丈が伸びているのが、時の流れを表しているようです。
いつも紫陽花の時期に鎌倉へ行ってみたいと思いつつ、混んでそうだなぁ〜とか、雨降ってるしなぁ…とかで挫けてしまっています(^^;;
by うたに (2011-06-19 15:23) 

hanamura

逗子の先はスカ線族になるのかなぁ?(笑)
by hanamura (2011-06-19 17:52) 

Cedar

■hanamura様
びみょーですね~~(笑)
by Cedar (2011-06-19 18:48) 

Soda

今年の正月、久方ぶりに山下、大滝の新春放談を聞いていたところ、大滝大御所が、小津映画のロケ地解明を友人たちと企画、かなりの部分を解明したと話していました。その中で一つ興味深い話があり、鉄道シーンだけは別のスタッフ(名前失念)にまかせていたらしいということでした。天下の小津監督も有機物の撮影は得意でも無機物の撮影は苦手だったのかもしれませんね。余談ですが大滝大御所は小津安二郎や成瀬巳喜男の大ファンとのことです。
by Soda (2011-06-19 19:20) 

なにわ

戦前からステータスはあったのではないでしょうか。横須賀の海軍もステータスだったでしょうし。
ここにサロ45とか関西国電軍団もいたわけで、結構編成美はぐちゃぐちゃだったのではないでしょうか。

現在?根岸線が入りこんできてるんじゃないかという雰囲気ですが。

で、私にとって小田急は「ケンちゃんシリーズ」のNSEです。

おまけ、おやじのお供で小学生の頃から寿司屋のカウンターに座ってました。いまは回らない所なんぞ行くこともないですが。
by なにわ (2011-06-19 19:37) 

む〜さん

サロ85、サロ46・・・・二等車、私の高校時代、昭和28年ごろ、眩しくて乗る事を考える事がはばかられる車種でありました。なにしろ、高校時代、二等車は、京浜東北のクロハ65しか体験がありません。新橋の出札口で、品川までの切符を買うときは、声が震えました。(笑)
(6)の原節子さんの表情も良いんですが、私は、三宅邦子さんが結構好きでありました。
by む〜さん (2011-06-19 20:15) 

Tosi

小津安二郎というと、ヴェンダースが1980年代の半ば頃に日本で撮影した記録映画を思い出します。なぜか横須賀線の記憶はないのですが、江ノ電が登場したことは確かです。それから、やはり小津の影響をうけた映画作家のひとりと思うのですが、カウリスマキの1996年の作品で効果的に用いられていたたヘルシンキの路面電車は非常に印象深いものでした。ここではいまでも比較的古い車両が使われているようですね。
by Tosi (2011-06-19 20:30) 

猫ムササビ

 洋間の古いソファのような分厚くてふかふかの座り心地は最近のグリーン車ではお目にかかれない重厚さがありました。スカ線あこがれの2等車は当時のハイソな乗り物だったのです。体験したのは湯檜曽から国境越えを目指した上越線の普通列車でしたが…。
by 猫ムササビ (2011-06-19 22:06) 

Cedar

■うたに様
鎌倉という町は、やはりいいですね。町が粗雑になっていないところが珍しいです。一度住んでみたいものだと思っていましたが、毎日通勤する自信がありません。
■Soda様
>大滝大御所は小津安二郎や成瀬巳喜男の大ファンとのことです。
さすが~分ってらっしゃる大滝先生ですね。またまた見直しちゃったなあ~。
情景や町のショットを別班が撮るのは小津に限らずの事です。ハリウッド映画の2nd.unitですね。
■なにわ様
横須賀線は海軍との関係を抜きにしては語れませんね。戦前は2等車も軍人優先だったのかも~
最近は線区ごとの個性やステータスが崩れてきてしまいました。便利と引き換えならば仕方ないですけど。関西に行っても、昔ほどの私鉄各社の個性が感じられません。
■む~さん様
京浜東北の2等車は格下げになった後で乗った記憶がかすかにあります。シート奥行きが違っていたような・・・・香港の通勤電車が頭等車を連結しているのには乗りましたが。
三宅邦子さん・・私はTVのドラマのイメージです。
■Tosi様
なかなかお詳しいですね。ヴェンダースの「東京画」は小津映画のオマージュでしたし、カウリスマキは小津や成瀬のファンでした。取り上げていらっしゃる「浮き雲」はタイトルからして成瀬の代表作と同じですね。
■猫ムササビ様
フィンランドに仕事で行ったときに乗った客車急行の1等車は、自由に移動できるソファが不規則に並べられているのに唸ったことがありますが、当時の2等車のムードはGREEN CARなるものとは別のものでしたね。
私のスカ線2等車のシート体験は、飯田線でした。
by Cedar (2011-06-19 23:20) 

Cedar

★ひでほ様
★gorosan5670様
★hanamura様
nice!ありがとうございます。


by Cedar (2011-06-19 23:22) 

Cedar

★J-power様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2011-06-20 22:17) 

Cedar

■gardenwalker様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2011-06-21 19:22) 

undo

円覚寺側の臨時改札口は出口だけでなく入場もできます。ただし券売機の類がないので乗車券やsuicaの類を持っていないと使えなかったと思います。

1枚目の写真を見て、走ってる列車は違えどそれ以外は大きく変わっていないのがすごいですね。
by undo (2011-06-25 13:19) 

Cedar

■undo様
これだけ昔の雰囲気が残ってる駅も珍しいですね。やはり場所柄規制が厳しいのでしょう。跨線橋なんか出来ちゃったらいやですねえ。
by Cedar (2011-06-26 08:41) 

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