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長電屋代線の記憶(昭和60年) [昔鉄スナップ]

先代N’exの入線や、2000系特急車引退と、気になる話題の多い長野電鉄ですが、屋代線の廃止というニュースまで発表されてしまいました。

photo.jpg いろんな方のブログでも、書かれていますね。

私が最後にこの線に乗ったのは、昭和60年の夏でした。

上田交通に乗った後、信越線で屋代へ・・・

(1)屋代駅に進入してくる信越線上り電車、冷房なしの115系3連。当時はまったく被写体にならないと思っていましたが、この色すら貴重になっているのですから時代は変わったものです。そもそもJR信越線では無くなってしまった・・・屋代JR時代R.jpg 一番右の線路から、かつては長電への渡り線がありましたが、撤去されてしまっています。上野から169系3連が湯田中まで直通していたなんて、お若いファンには信じられないでしょうね。

(2・3)当時の屋代線のヌシは、この1000形でした。いわゆる運輸省規格型電車で、一時期の日車標準スタイル。野暮ったいようなスマートなような感じで、ローカル私鉄にぴったりの電車です。同形車は富山地方鉄道にもいましたね。屋代01R.jpg屋代01R拡大.jpg ガイコツ形のテールライト、パタパタ式の方向板。貫通ほろとわたり板、自動連結器・・・どれも平凡ですが懐かしいパーツです。

(4)パンタ側は非貫通というのも、地方私鉄によくあるしつらえでした。平凡だけどまとまった顔つき・・・<美人じゃないが、しっかりもの>という感じでしょうか?屋代03R.jpg 木造ホーム上屋の柱に<やしろ、やしろ、やしろ・・・>こんなのも今見ると印象的です。木の柱に琺瑯の駅名表示、という組み合わせもめっきり減りました。

屋代04R.jpg屋代04R拡大.jpg(5・6)屋代線は信濃川の東側の山すそに沿って進んで、かつては飯山市の対岸木島まで伸びて、河東線とも呼ばれていました。沿線の明るい風景と、きれいに整備された1000形の姿が印象に残っています。

このときは屋代から沿線唯一の町、松代まで乗車し、真田雪村ゆかりの城跡などを見学したあと、バスで長野市内へ抜けました。

このときの私のルートが示すように、長野市を目指す交通の流れと、路線設定が合致していないのが、消えていく理由なのでしょう。

松代02R.jpg松代01R.jpg 松代駅に出入りする単行電車・・・ローカル線のムード満点でしたが、鉄の架線柱や広い構内など、インフラの立派さも目に付きました。

 


オマケの一枚。昭和51年須坂駅で撮った屋代線電車。小さな窓に大きなパンタ、むき出しの台枠にトラス棒・・・・元東武の400形、1000形も停車しています。長野72須坂鉄塔.jpg

 

当時でも単行で充分間に合っていたのですから、今までよくがんばってくれたというべきなのでしょうか・・・・

明るい善光寺平の片隅を走る小さな電車は、静かに消えていくのでしょう。

 


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manamana

ローカル私鉄の匂いがぷんぷんで、ぐっときますね。
一見鈍重な印象だったのですが、
よーく見ているうちに、魅力がわかってきました。
それにしても地方の公共交通には、
逆風が嵐のように吹きまくって止むことはないですね。
by manamana (2011-02-18 06:12) 

nexus6

日車標準型  単行・短編成電車ファンとしては、模型の題材としてもサイコーでありました。
by nexus6 (2011-02-18 08:23) 

はーさん

長野電鉄屋代線は信越本線から外れた千曲川の東側の松代、須坂、中野を信越線と結ぶために作られた河東鉄道、屋代~須坂~信州中野~木島間、の一部で、昭和の初めに、長野~須坂間の長野線が開通して、長野電鉄となってから、長野~須坂~信州中野~湯田中間が本線格になり
須坂~屋代間は閑散路線になってしまいました。
上野から湯田中までの直通急行がキハ57、165系、169系で運転されたときはそのルートになり、少しは脚光を浴びました。
弊HPに最近、直通急行「志賀」を取り上げました。
 http://6.fan-site.net/~haasan55/KyukouSiga.htm
これも昭和57年に廃止になってしまいました。
古くは400形、そして、この1000形、今は3500形ワンマンの単行で運行しておりますが、長野市の周辺部を廻っているので、乗客は極めて少なく、かなり前からよく持っているな?というのが実感でした。
1000形、1500形は戦後の日車標準形の代表的な存在で、原型はマルーン一色、非貫通で、行き先方向板も付けていないスタイルは引き締まっていて好きでした。ツートンカラー、貫通扉付、そして方向板を付けその姿は大きく変わってしまいましたね。
 原型の1000、1500形を弊HPに載せてありますので、一寸ご覧頂きたく思います。
 http://6.fan-site.net/~haasan55/Nagaden.htm

by はーさん (2011-02-18 12:34) 

tama

主人の里もローカル線が走っています。
なんか趣があり、生活の一部で良いものですよね。
by tama (2011-02-18 16:47) 

なにわ

これでしなの鉄道と離れてしまうんですね。

政府が身勝手なものだから・・・。
by なにわ (2011-02-18 20:17) 

Cedar

■manamana様
こういう電車ってパッと見はいかにも地味で、じっくり見てもやはり地味だなあと思う(笑)・・・。今の時代でこういう存在の電車って何なのでしょう?
■nexus6様
現代の日車標準形に当たるのはJR+東急車輛コンビの一連、日立のASカー(でしたっけ)、日車にも京成や名鉄にいる標準車体がありますね。
でも模型の題材としては昔の方がいいですかね。
■はーさん様
河東線という呼び名は地元の年配の方が使ってらっしゃいました。河東鉄道のことだったのですね。私も昭和51年に湯田中直通の159系で屋代線を走りました。
■tama様
ご主人のご実家はどのへんでしょうか?台湾にもローカル線はいくつかあります。捷運淡水線も、かつてはディーゼルカーの走るローカル線だったのです。
■なにわ様
新幹線開通や道路偏重の交通行政が続く限り、鉄道の衰退は続きますね。
確かに他線との接続駅が無くなるのですねえ。
by Cedar (2011-02-18 23:08) 

Cedar

★sonic様
ご訪問&nice!ありがとうございます。神保町はこっそり覗かせていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。
by Cedar (2011-02-18 23:11) 

京葉帝都

7年前に別所温泉(当然別所線を利用)へ行った帰りに屋代〜須坂〜長野と乗車しました。沿線はそこそこ人家があるのに日中の本数の少なさに驚きました。松代駅のカーブの写真を見ると北陸鉄道石川線鶴来駅の加賀一宮側を思い起こします。すでに無い木島線にも学生時代に乗車しました。大きな川の両岸を走る鉄道の片方が崩れるのは確かに淋しいです。
by 京葉帝都 (2011-02-19 02:53) 

maipenrai

 貫通扉のある側の顔、なんとなく懐かしくどっかで見た顔だなぁと思ったら、京成の600形に似ているような…。京成は確か帝国車両製。運輸省規格型とか日車標準型とかよく分からないんですが…だいいち扉の数が違うし(電車音痴暴露!)戦後の一時期を代表する「顔つき」なんでしょうか。
 屋代線にはキハ57~165系だけじゃなく、スキーシーズンには国鉄の客車も乗り入れていましたよね。
by maipenrai (2011-02-19 08:05) 

gardenwalker

こんにちは
とうとう廃止の決定が下されたということですね
長野電鉄もついに長野と湯田中だけの路線になってしまうんですね~
社会人なりたての頃、志賀へスキーに行った帰りは
屋代線沿いの一般道をよく走りましたが林檎畑があちこちにありました
by gardenwalker (2011-02-19 11:33) 

のり

ローカル私鉄の生き残りは、本当に難しいのでしょうね。高速道路無料化・値下げ・・・は、省エネ(車から鉄道へのシフト)という世の中の流れに逆行するようで、どうにも納得が行きません。フル規格新幹線建設の変わりに、並行する在来線を切り離し・・・という施策にも???に感じます。
by のり (2011-02-19 21:20) 

Cedar

■京葉帝都様
木島線もだいぶ前になくなりましたが、景色のいい路線でした。松代は落ち着いたいい町でした。鉄道が無くなってしまっても今は関係ないのでしょうか・・
■maipenrai様
京成タイプはそもそも日車型に似ていますね。600形は戦後生まれですから影響受けているのかも?
長電と国鉄の乗り入れの歴史は長いようで、客車時代は長野駅から乗り入れたという話を聞いたことがあります。
■gardenwalker様
そうなんです、単なる一本線になってしまうのです。何とか末永くがんばってほしい長野電鉄です。
■のり様
地方の時代とかいわれて久しいのに、地方の交通網は破壊されていきますね。高速道路と新幹線、地方では今でも待望論が主流なのが不思議です。
by Cedar (2011-02-20 01:16) 

Cedar

★FTドルフィン様
★あおたけ様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2011-02-20 01:17) 

Cedar

★shinkaitoku様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2011-02-21 01:45) 

む〜さん

木島線が消えた・・・・と思ったら今度は、屋代~須坂、寂しいお話です。先年、湯田中へ行きましたが、帰りは、屋代へでて、上田から新幹線で帰って来ました。屋代駅の跨線橋の古さが素晴らしく、印象に残りました。
by む〜さん (2011-02-21 20:42) 

Cedar

■む~さん様
東京から湯田中へ・・・スキーに温泉に出かける人は多かったのだと思います。直通急行の時代が懐かしいですね。新幹線で早く行っても乗り換えが増えているのはいかがなものか?と思うのです。
屋代駅のたたずまいは長電もJR(おっと、今やしなの鉄道ですか)もなかなかよかったですね。
by Cedar (2011-02-21 23:17) 

ドラもん

貴重な記録、長電の勉強になりました。
by ドラもん (2011-02-28 13:57) 

Cedar

■ドラもん様
長電ネタはもう少しあります。季節に合わせてみていただくつもりです。新型特急デビュー記念!とかで?
by Cedar (2011-03-01 00:54) 

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