初冬の京福福井、昭和47年(その2・東古市&京福大野) [昔鉄スナップ]
前回に続いて今から38年前の昭和47年、初冬の京福電鉄越前本線。 少しは越前盆地らしい風景をと思い、駅から離れた場所に移動しました。
<東古市付近>
近景の日本の農村風景と、ほんのり雪を冠った遠景の山・・・コントラストがいいですね。
(1)そんな景色を走る小さな電車(小さすぎて形がよくわかりませんが、前回、構内にいた電車と同形です)
当時のダイヤは、東古市で本線の上下列車(30分間隔)が交換し、それに1本おきに接続する形で永平寺線電車(1時間間隔)が運行されていました。バックの山並みの美しさに加えて、効率の良い撮影が出来たわけです。
(2・3)まずは福井行きの電車が走ってきます。いかにも地方私鉄らしいスタイルがいいですね。下回りは旧式でも、車体はバス窓やクロスシートを採用し、なかなかまとまったデザインでした~所謂日車標準車体というやつですね。
しばしの時間が過ぎるとタイホンが聞こえて、永平寺行きが登場~急いでそちらに移動します。
(4)越前本線列車に接続して、永平寺に向かって坂を駆け上がっていく永平寺線のシャトル列車(チョン行列車、というのは今や死語ですねえ)。1000形は戦後の所謂運輸省規格形です。
永平寺行きが吊り掛けモーターの音を響かせ視界から消え、カメラを右に振ると・・・
(5・6)折しも京福大野行き電車が走っていきました。小田急→相模鉄道と渡り歩いた古強者です。 拡大してみると、いかにも改造車らしい窓配置やHゴムの前面窓など、地方私鉄好き(Sodaさん!貴兄のことですよ!)には痺れるデザインでしょうね。
(7)生活臭の無い景色が好きではない私は、地方私鉄でもこういう里の風景を行くショットが好きなのです。遠くに見える雪山、軒の深い屋根と白壁の家並み・・・なんでもない景色ですけれど。
(8・9)しばらくすると、福井からの永平寺行き急行がカーブを曲がってきます。当時は永平寺詣での客のために直通急行も運転されていました。東古市の留置電車が遠くにみえていますね。 ホデハ300形は池上電鉄の生まれで、何故か急行に運用されていました。
かれこれ2時間くらいこの場所にいたでしょうか・・・そんなに寒くもなく、ピリッとした山の空気が気持ちよかった記憶があります(なにしろ若かったですから~今なら寒さにめげるでしょうねえ・・・)
(10)その間にも、1002の東古市~永平寺シャトルがのんびり往復していました。 (11)当時の越前本線は今の勝山止まりではなく、山間の城下町、大野まで線路が続いていました。勝山行きと京福大野行きが交互に運行していました。
駅に戻り、夕暮時に終点京福大野へ、この日は大野に泊まりました。
<今は無き終点・京福大野>
<京福電車>のサインを掲げ、バスやタクシーの乗り場も併設した良い感じのターミナルには、昨日も見かけた旧小田急(→相鉄)の電車がひっそりと乗客を待っていました。機回しの渡り線のある、地方私鉄の終点らしい線路配置でした。
この時は駅前通り(大野三番、という名前の道でした=京都のように、道筋が碁盤の目になっているのでした)のちいさな旅館に泊まりましたが、朝食は旅館の女将さん家族と一緒で、東京で学生生活している娘さんの話など聴いたりしたのも、なんだか懐かしい思い出です。
越前の小京都大野、落ち着いた良い街だったなあ・・
その後まもなく、勝山~京福大野間は廃止されてしまいました。
今年の夏乗ったのですが、
廃止された永平寺行きの線路跡のカーブが見えました。
クロスシートの電車や、急行運転など、
いろいろ健闘していたのですね。
あんな事故を起こさなければ・・・
by manamana (2010-12-17 06:29)
■manamana様
えちぜん鉄道になってからも、アテンダントを乗せたり、がんばっているようですね。
友人が勝山市の観光イベントプロデューサーをやっていたのですが、電車の資料館を作る話もあるとか無いとか・・・?
by Cedar (2010-12-17 20:31)
名指しされました地方鉄道好きのSodaでございます。小田急→相鉄のこの車両は1000形ですか。シルもヘッダーもないので印象がかなり違って見えますね。京福も出張で勝山へ行った時に平行する道路から車の窓越しに見たのが唯一の出会いです。国鉄のSLなど追いかけずに地方私鉄を追いかけていればと貴兄のブログを垣間見るたびにそう思います。ところで福井口の配線図が載っていませんね。終端駅や分岐駅、車両基地のある駅などの配線は、リクエストなしでシリーズ化して欲しいものです。へばよろしく。(たそがれ清兵衛風に、山田洋次監督の中では好きな作品です、って関係ないですか)
by Soda (2010-12-17 21:32)
いまはえちぜん鉄道になっていますが、えちぜん鉄道と福井鉄道の乗り入れ、将来のLRT化が少しずつ動き出したようですね。
なんとか、頑張って実現させてほしいところです。
by やまびこ3 (2010-12-18 05:39)
家が曹洞宗なもので、永平寺支線には永平寺参りの折時々乗りました。
途中駅、乗降客が居ないと判るとスピード落とすだけで通り過ぎたり。
写真にある分岐辺りは良い風景でした、のどかな鉄道でしたね。
by gop (2010-12-18 08:37)
味のあるローカル鉄道ですね。
忌まわしい連続事故は、ローカル鉄道の持つ厳しい経営状況をさらけ出す結果になったようですね。ローカル鉄道が生き残るために、企業・住民・自治体が一丸となって協力することが重要な時代になったと思います。
by のり (2010-12-18 08:38)
■Soda様
旧小田急は1000形です。相鉄時代にはドア位置変更、京福に移って車体更新という経緯だったようです。
線路配置・・・ついついサボりました。機会を見てなるはやでUpします。
しかし注文の多い料理店ならぬ注文の多いコメンテーターですな(笑)。
■やまびこ3様
この動きも友人の福井通(勝山市の観光プロデューサーをやってました)に言わせるとイマイチ盛り上がってないようです。要は不景気で投資に見合う需要に不安があるようです。なんとか実現して欲しいものですが・・・
■gop様
写真は撮ったものの、結局永平寺線には乗らずじまいでした(残念!)。近年バスで行きましたが、旧永平寺駅舎はそのときには残っていました。
■のり様
味のあるローカル鉄道~それが最近は少なくなりました。
味があるということは近代化されていないということで、そういうのは結局生き残れない。ファンの身勝手とジレンマですね。
by Cedar (2010-12-18 10:02)
貴重な写真有難うございます 大変楽しみました 母の実家があったので小学低学年まで大野に毎年行っていました 大野の駅はコンクリート造りで2Fに喫茶店の様な物がありそこへ行った記憶があります 駅が廃止になり遠くの国鉄大野まで東京に帰るため重い荷物を運んだ記憶があります
by 賀見山 (2012-09-09 16:20)
■賀見山様
コメントありがとうございます。この時、翌日は国鉄大野駅から越美北線に乗りましたが、ずいぶんと市内からは離れていたような・・荷物運び大変でしたね。
by Cedar (2012-09-09 18:10)
こんばんは。
私はえちぜん鉄道になってからしか乗ったことはないのですが、京福の時代には、今よりももっと印象的な、見ていて飽きない鉄道の風景があったのだろうと思います。お写真を拝見しまして、本当に魅力的だと感じました。
大野の駅は、私鉄の終着駅の趣たっぷりですね。鉄道会社の名のネオンサインが時代を感じさせますし、これもまた私鉄「らしさ」の一つです。
2回連続での事故は衝撃的なものでした。鉄道事故の中でもまず起きることのないもので、京福は既に鉄道を維持できる状況ではなかったものと思います。
環境要因を含め、鉄道の運営に行き詰まった事業者が出てきた場合に、資金面の支援をするだけにするのか、経営自体を切り離し新たに立ち上げるのか、判断は難しいものと思いますが、えちぜん鉄道を見ているとうまくいっているように思えます。
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by 風旅記 (2017-05-18 08:58)