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でらべっぴん(※)!(名古屋市電昭和43年・その2) [昔鉄スナップ]

昭和43年の名古屋市電(その2)

連接車に続いては、街中を縦横に走っていたスタイリッシュな電車たちをカタログ風にご覧下さい。

初めは名古屋市電のデザインを確立した1400形(汚いネガでスイマセン!)大きな窓に張り上げ屋根の名古屋スタイルは、日本の路面電車の中でもトップクラスの出来だと思います。名古屋市電03拡大.jpg

名古屋市電03.jpg  広い直線道路に次々とやってくる電車たち。撮影場所は水主町(かこまち)の北辺りだったか?都電や横浜の路面区間しか見たことなかった私には、広い道と1067mmの路面軌道は違和感がありました。この環境なら市電が生き残る道もあったんじゃないか?と思うのは余所者だからでしょうか?

1400形に始まる名古屋スタイルはこの1800形まで受け継がれました。名古屋市電01拡大.jpg名古屋市電01.jpg  こちらの撮影場所は繁華街納屋橋です。 小学生の時に、始めて親戚を訪ねて名古屋に来た時に<都電の電車よりカッコいい!>と思ったのは彼らを見たからだと思います。

 

名古屋市電06.jpg 張り上げ屋根ではない一連の小形車群もなかなか魅力的な存在でした。前面と側面窓の、高さの違う部分の処理がウマイですね。これは名古屋市電のローカル線、日本のワンマン電車発祥の地だった下之一色線用の1600形。(元私鉄のこの線はとてもユニークな存在でした、訪問記はいずれ別稿でお目に掛けます)

名古屋きってのアバンギャルド電車が800形です。床下に吊ったモーターからシャフトを伸ばしてギヤで駆動するという、昨今の模型のようなユニークな駆動方式で超軽量化に挑戦した電車でした。名古屋駅前で仲間に囲まれた800形、手前はしばらく前まで豊橋にいた1300形、隣は1600形の原形1500形ですね~彼らの写真は何故か無いのです(恥)。名古屋市電05.jpg名古屋市電07.jpg 癖のあるデザインも大好きでしたが、トリックスターの常で早い時点で引退、あわれ伊勢湾に沈められて漁礁にされたりしました。

そして名古屋市電最後の優秀車は2000形。乗ってみて感心したのはその乗り心地!、都電では5500でしか味わえないスムーズさでした。伝統を受け継ぎつつ近代化されたデザインも素晴らしいと思います。名古屋市電04.jpg 名古屋2000.jpg 柳橋にて撮影

 

モノクロはワンマン化されてなく、季節も夏。昭和43年より以前の撮影のようです。名古屋市電08.jpg名古屋市電08拡大.jpg   <都電には、こういう良い電車がいないから廃止になるんだ!>と思っていましたが、名古屋もあれよあれよという間に市電全廃に・・・

当時の風潮や、クルマ社会が東京以上に進んだ町だから仕方無かったのか?世界最大の自動車メーカーもこの街近くですしねえ。タイヤメーカー+バス会社+石油メジャーが組んで電車を廃止に追いやった、というアメリカの或る街のお話(映画「ロジャーラビット」はこの話を下敷きにしていましたね)を、ふと思い出しました。

(※)でら、は名古屋弁の若者言葉で、「どえりゃあ」の変化形だそうです。 ちなみに<でらべっぴん>は名古屋地区で知る人ぞ知る<ある種の情報誌>のタイトルであります。


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コメント 15

Cedar

★キャプテンスキャバーズ様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-11-28 11:50) 

manamana

名古屋に住んで短いので、
納屋橋の欄干くらいしか見当がつきません。
路面電車を無くしたあと、専用レーンの基幹バスとか、
ガイドウェイバスとか、あくまで自動車にこだわっています。
by manamana (2010-11-28 14:17) 

Cedar

■manamana様
名古屋市電は立派な電車でした。地下鉄+バス+市電の有機的ネットワークが作れなかったものかと今も思います。
自動車に拘るのは解るんですが・・・
by Cedar (2010-11-28 23:38) 

Cedar

★やまびこ3様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-11-28 23:39) 

Tosi

はじめまして
持続可能な都市計画という言葉から多くのひとが思い浮かべるのは、低床トラムが行き交うコンパクトシティーでしょう。それに対し、整然と立ち並ぶ(超)高層建築が地表を覆い尽くすような光景は欧州で「栄光の三十年間」と呼び慣わされている戦後の長い経済成長やモータリゼーションの時代に対応して構想されていた都市計画ではないでしょうか。もしそうだとすると、こんにちの日本では(二子玉川東地区を含めて)むしろ時代錯誤的といえることがまだいたるところで推進されているように思えます。この意味で、旧名古屋中郵(これは小坂秀雄作品ではないかもしれませんが当時の郵政省建築部らしいよい建物だと思います)を背景に走る名古屋市電800系のお写真はこんにちの私たちにいろいろなことを考えさせてくれます。日本は新興国でも若い国でもないのだから、「停滞や閉塞の打破」というような無理なことは考えずに、低成長や高齢化を前提にそれらと折り合いをつけながら、持続的な経済や社会、持続的な都市や交通インフラを実現することを目指すべきなのではないでしょうか。アイルランド危機のさなかに「成熟した欧州を見本に」などというと笑われるかもしれませんが。
by Tosi (2010-11-29 21:46) 

NO NAME

すみません。終わりのほうで「持続可能な」と書くべきところを、「持続的な」と二度繰り返してしまいました。訂正します。
by NO NAME (2010-11-29 22:11) 

Cedar

■Tosi様
ご訪問ありがとうございます。
ご意見には同感するところが多いです、このブログをきっかけに漫然と撮りためていた写真を見直してみると、昭和40年代前半の街の姿、は私達が失ったものが何か?を考えさせられるものがあります。そろそろギヤチェンジというかスピードを適正にしないといけないと思います。ヨーロッパにしてもユーロ統合は大国にはメリットがあったでしょうが、ギリシャ・ポルトガル・アイルランド(イタリアも?)といった小国には物価上昇等のデメリットの方が多かった気がします。
by Cedar (2010-11-29 22:12) 

Cedar

★あおたけ様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-11-30 22:16) 

む〜さん

名古屋市電は数駆る日本の路面電車の中で最高のデザインだったと思っています。その究極が2000だと・・・・。800もそのユニークは発想が当時の少年む~さんには驚天動地の新アイディアに思えましたっけ・・・。
いい写真を見せて頂き有難う御座居ました。
by む〜さん (2010-12-02 06:25) 

Cedar

■む~さん様
名古屋市電のデザインは、一貫性があるのが素晴らしいです。路面電車らしい塗装もよかった、ワンマン化後の赤帯も似合っていましたね。
地下鉄の黄色より、数倍おしゃれでした。
by Cedar (2010-12-02 15:32) 

巽孝一郎

5枚目の画像は下之一色にあった市電の車庫です、
by 巽孝一郎 (2010-12-17 10:45) 

Cedar

■巽孝一郎様
ご訪問ありがうございます。そのとおりですね。この線は単線・専用軌道で湿地帯を行く面白い線区でした。そのうち記事にまとめてUPいたします。その節は宜しくお願いいたします。
by Cedar (2010-12-17 20:23) 

松桐坊主

懐かしい写真ありがとうございます。
大生まれてから学卒業まで名古屋暮らしでしたので、出かける際は必ず市電でした。(昭和43年ですと、小学校2~3年生でした。)
このページに掲載された形式の電車にはすべて乗りました。
ただし、私が住んでいた地域には2000形は投入されず、その1つ前の1900形の天下でした。めったに来なかった800形の軽快な走りが印象に残っています。
親戚を訪問するために、田圃の中を走る下之一色線にも良く乗りました。
by 松桐坊主 (2010-12-19 22:32) 

Cedar

■松桐坊主 様
ご訪問ありがとうございます。名古屋の市電は日本で一番デザインが優れていると思いますが、全く残っていないのが残念ですね。
私は東京在住ですが、母方の親戚が名古屋市内・郊外に多くあったので、それらの家を拠点に、名鉄や名古屋市電の電車撮影に出かけておりました。
下之一色線の画像もいずれご覧に入れますのでお楽しみに。
by Cedar (2010-12-19 22:56) 

巽孝一郎

7枚目の画像は名古屋駅前の近くにあるのは専用軌道のものです、
by 巽孝一郎 (2010-12-24 09:21) 

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