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夏電車その4=昭和47年・一畑電鉄 [昔鉄スナップ]

好評(?)夏電車シリーズ。今回は昭和47年夏の出雲の国から・・・

夏電車その4~ばたでん1972

当時はディスカバージャパン真っ盛りのころ。SLブームもまだ続いていて、鉄クラブの夏合宿は山陰SLめぐりみたいなことに・・・

でも、電車派も少なからずおりましたので、1日を割いての一畑電鉄訪問。初参加の女子部員(!)も交えての電車めぐりとなりました。

一畑平田52C.jpg

(1=平田市)最初の写真はデハニ52。今年の5月に公開され、鉄道ファンにも人気を博した映画 <RAILWAYS>のシンボルカーとして登場した52でしたが、当時は普通に現役でした。

一畑52ポスター.jpg 映画チラシのイラストは、シールドビーム2灯になった現在の姿を忠実に描いていますが、その頃は普通のヘッドライトでした。

まずは車庫のある平田市駅、沿線随一の町らしく、改札ゲートがたくさんあります。時計と発車案内を見ると、ダイヤが乱れていたようですね。駅員さんもおじいさんも、今か今かと電車待ち・・(2)s4808一畑01.jpg 

クラブの合宿らしく、車庫の見学をさせていただきました。女子部員の霊験あらたかで、大変丁寧な対応をしていただきました。(3・4)s48一畑台車.jpg 平田車庫01.jpg 車庫の方に伺って判明したのは、クリームに青帯の電車は自動扉つき、(1)のオレンジに白帯は手動扉だということです。~と記してみたものの、ドアが自動じゃない電車があることすら、今の方々には理解できないのでしょうねえ。この時でさえ、「え~ウソ~!」というシティ育ちの女子部員は無礼な反応・・・、係りの方も苦笑いでした。


 

午後は、宍道湖畔を行く区間で撮影することになって、秋鹿町(あいかまち)付近に陣取りました。湖の反射がまぶしく、めちゃくちゃ暑かったのを思い出します。(5・6)一畑秋鹿町湖畔C.jpg 一畑秋鹿町湖畔02C.jpg 

 (7)急行に使われていたこの電車は元西武新宿線の電車です。吊り掛けモーターを唸らせ、全開の窓から風をはらんで、最高85kmで出雲平野をとばしていました。あいかまち急行.jpgs48一畑宍道湖畔01.jpg  (8)この場所の暑さは半端なし!山陰の夏をなめていた我々は、あまりの暑さに最寄り駅まで歩く元気も無く、同行者に女性がいたのを幸い、国道のクルマに便乗するというテイタラクでした。根性無しの都会っ子、午後はお楽に駅撮りとなりました。

 その後は出雲市方面を駆け足探訪。

 (9)出雲名物の屋敷林が点在する平野の真ん中にある大社支線の分岐駅、川跡(かわと)駅、真夏のホームの勤務は駅員さんも辛そう(?)でした。この駅では、本線と⇔大社線との接続が良いダイヤが組まれていて、列車到着のたびに、<かわと~かわと~、出雲大社前方面はお乗り換え~>という中年女性の案内放送(コレがなかなか名調子でした)が響いていたのが印象的でした。一畑かわと.jpg発車していくのは松江温泉行き急行。急行・特急には座席指定(指定料金はなんと30円!)もあリました。

 川跡から電鉄出雲市へ。宍道湖の対岸を走ってきた国鉄との接続駅です。

(10)デハ52の一党には同形の2扉車もありました、ほぼ全開の窓からクロスシートが見えています。クロスシートなのにオレンジ色の理由はドアが手動だったからです。~しつこいですが、この時代は地方私鉄の電車にはドアを手で開け閉めするものがあったのです。一畑出雲市.jpg

(11)一畑デパートが入っていたビルの一階にあったこの駅も、今は高架になっているようですね。国鉄駅構内の様子がいかにも昭和の感じです。出雲市01.jpg出雲市02.jpg (12)発車待ちする特急。先頭側の車輌の中間クロスシート部分が座席指定になっていました。

(13)出雲大社にほど近い出雲大社前のスナップです。1両のオレンジ色の電車、ドアは手動ですが、片側3箇所あるので、車掌さんは大変ですね。(走行中の安全のために、発車する時に車掌さんが外からドアをロックするのです。)出雲大社前01.jpg

この日は松江市内に宿泊(~女子もいるので駅前旅館とはいきません)。


翌朝は一人別行動で、松江市内の起点松江温泉駅へ。ここでも目に付くのは電車に貼られた廃止反対のビラでした。(14~16)松江温泉02.jpg松江温泉03.jpg松江温泉01.jpg このビラが功を奏したわけではないでしょうが、今も健在なのは嬉しい限りです。

夏電車その4は、こんなところで・・・しかしこの時も暑かった。

皆様、撮影の時は熱中症にくれぐれもご注意を!


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コメント 8

む〜さん

鳥取、島根は未踏の地。そんなわけで、一畑は未体験なのです。52は、なかなか魅力的な形の電車ですね。
by む〜さん (2010-08-15 22:16) 

やまびこ3

一畑電鉄に指定席があったんですか~。
急行料金や特急料金をとる地方鉄道はあちこちにありますが、国鉄乗り入れ以外で指定席というのは珍しいですねえ。
(10)の小窓がずらりと並んだ電車の編成がかっこいいです。
by やまびこ3 (2010-08-15 23:31) 

京葉帝都

デハ二52は窓とドアの位置関係からして良いプロポーションしています。
手動の開閉と言えば、かつて小田急の箱根登山線の区間で2両分しか乗降できない駅があって殆ど手動状態で開閉していたシーンを思い出しました。
映画は観ました。車両工場を紹介してたりして楽しめました。


by 京葉帝都 (2010-08-16 01:38) 

manamana

魅力が溢れていますね。
ドアが手動というのが、女子部員ならずとも信じられません。
この10年くらい後に乗っているはずなんですが、
のんびりしたムードの記憶しかありません。
どっかに写真があるはずなんですが。
by manamana (2010-08-16 06:05) 

あおたけ

バタデン、いいですね〜!原灯のデハニがカッコいいです。
車両の色の違いはドアの手動・自動だったのですね。
てっきり白いのは急行色だと思っていました。
それにしても、鉄サークルに女子部員とは・・・
元祖・鉄子ですね(笑)。
by あおたけ (2010-08-16 09:34) 

のり

素敵なお写真ありがとうございます。鉄研に女子部員、見学会ではさぞ珍しがられたことでしょう。
ずらりと並んだ落し窓が全開!、たまらない魅力ですね。当時は「機械扉」という言葉、すでに死語だったんでしょうか・・・。
by のり (2010-08-16 10:49) 

Cedar

■む~さん様
一畑電鉄は地方私鉄の中では車両、施設ともにレベルが高かったのではないでしょうか?52の一党は開業時からの古強者ですが、綺麗に整備されていました。52が大社線で85km出したのには驚きでした。
■やまびこ3様
指定料金30円には泣けました!特急料金は無しでしたから、どの程度増収になったのでしょう?
■京葉帝都様
手動ドアの電車。全国的にきえてしまいましたね(半自動は別ですが)。
箱根登山線の小田急の扱いはユニークでした。両開きドアを手で開けていました。
RAILWAYSは制作が<ALWAYS三丁目の夕日>と同じ会社、社長=プロデューサーは結構な鉄なんです。
■manamana様
手動ドアってこの頃は地方私鉄には残っていました。一番びっくりしたのは名鉄瀬戸線、大都会名古屋の郊外電車なのに、この頃はまだ手動ドアでした。
■あおたけ様
当時のディスカバージャパンキャンペーンで、女子の鉄道旅行ブームが加熱し、勢い余って鉄研にもちらほら入部してきたのです。K大鉄研の部長が女子だったりする今とは大違いです。
当時は持てない男子の代表だった鉄研ですから、みんな舞い上がっていましたね。
■のり様
機械扉という言葉、懐かしいですね。当時の表記は自動扉でした。
阪堺(当時は南海大阪軌道線)のモ161には、かなり後年まで<機械扉>というプレートが付いていましたよね。
by Cedar (2010-08-17 14:36) 

Cedar

★Schnizer様
★nexus6様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-08-17 14:38) 

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