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2009年と1973年の、青電・赤電(京成100周年塗装画像によせて) [今昔鉄写真]

GWも終わって、デジカメのSDカードをチェックしていたら、こんな画像が・・・・昨年、弟にカメラを貸したときに撮ったらしいのですが。(ちなみに弟も『軽く』鉄道ファンです)

京成復活塗装車.jpg (1)100周年記念事業の青電・赤電の復活塗装車ですね。昭和20~30年代の京成色は青電、都営地下鉄との直通車は赤電と呼ばれていました。赤電=カルダン車というわけではなく、青電にも新性能車は存在しました。

当ブログでも実物にあやかって(?)、昔の青砥駅での青電・赤電を見ていただきます。撮影は和48年、青砥駅立体化工事の初期です。当時の青砥駅は、上野線・押上線がそれぞれ別ホームになり、両線は高砂方で平面分岐していました。


まずは青電(地下鉄非乗り入れ車) 戦前からの吊り掛け車も車体新造が進み、非対称の京成タイプオリジナル車体は消滅していました。

(2)高砂から中川を渡って青砥駅上野線ホームに進入してくるモハ200形の編成。2両目は戦災復旧国電がルーツで、屋根側面のルーバーが特徴のクハ2000です。.s48青砥03,200青電.jpg

(3)モハ500も更新されていました。アンチクライマーや貫通幌、1435mmゲージなのもあって、どこか関西風のこの顔が結構好きでした。この電車は伝統的運転系統の押上⇔金町間の各停。青電も全金属車体なら押上の地下駅までは入線可能だったのです。川の向こうの架線鉄柱は金町~新小岩間の国鉄貨物線(通称新金線)のものです。s48青砥05,200青電金町行.jpg

(4)こちらは上野・押上方の情景。上野行きは急カーブで北西に進路をとります。最後部は戦後製のモハ600形でしょうか?手前は押上線下り線です。s48青砥06200青電廻送.jpg


お次は赤電。この頃は青電:赤電の比率は3:7の印象でした。押上線系統だけでなく上野方面にも赤電の姿が多くなってきました(赤電は基本的に地下鉄直通の押上線優先?)。

(5)都営1号線直通の3100形、所謂3000シリーズもバリエーションが増えました。オデコライト、埋め込み貫通幌のこの前面は、塗装も含め阪神赤胴車に似ている、という人もいました。たしかに関東では異色の雰囲気はありますね。s48青砥02、3000.jpg

(6)都営からは5000形が姿を見せます。オリジナルのこの色は、京成と打ち合せの結果なのでしょうか?貫通式に金太郎塗りというのが些か野暮ですね・・・・当時は青砥で折り返しが出来なくなっていたので、高砂・小岩まで行く電車が多かったのですが、そのせいで青砥~高砂の過密ダイヤが更に酷くなってしまいました。s48青砥01、都営5000.jpg

(7)上野方で捉えた3200形の急行です、3000シリーズの最多両数形式で、両開き扉や先頭台車にモーター無し、などが特徴でした。京成独特の行き先板、この形は上野行き・・s48青砥08,3200.jpg

(8)と、思ったら日暮里行きでした。上野駅の全面リニューアル工事のため、当初4連のみ上野行き・6連は日暮里止まり→のちに全面運休という処置だったと記憶しています。この時はどっちだったのでしょう?s48青砥0849,3200拡大.jpg

(9)青電・赤電に加えて当時の最新鋭、銀電(とは呼ばれなかったのですが)3500形です。3200形のデザインをそっけなくした顔つきは不人気でしたが、一部はリニューアル工事で、大分ましなデザインになりました。s48青砥07,3500.jpg


昭和48年の青砥から現代に戻ると、SDカードにはこんな画像も有りました。大手私鉄のキャラの中で唯一というべきキモさ!~でも一部には熱狂的人気=私も嫌いではない=の京成パンダ。ドアステッカーのようですね。

京成車内ステッカー.jpg(10)

 京成も100周年、青電が消えてもう40年近くたちます~。と、今回はこんなところです。

(台湾ネタは、1回おやすみです。)


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やまびこ3

昭和45,6年まで立石駅最寄りのところに住んでおりました。
地平時代の青砥駅懐かしいです。押上方面ではそのころで、青電はかなり珍しい存在になっていましたが、本線ではまだかなり走っていたのですね。
by やまびこ3 (2010-05-11 07:51) 

はーさん

京成の青電は渋くて好ましいカラーでした。
京成初の本格的な高性能車3000形は当初この色でした。3000形の鉄道友の会、見学会に参加した時の画像がありましたが、モノクロでした。偶然、3000形ではありませんが青電のカラー写真がありましたので、弊HPに入れました。
 http://6.fan-site.net/~haasan55/Keisei.htm
京成の電車はなにか関西的なスタイルで、この色とマッチして、引きつけられるところがありましたね。
by はーさん (2010-05-11 10:17) 

あおたけ

へ〜・・・日暮里って行き先は初めて見ました。
工事の関係であった、イレギュラーな行き先なんですね。
青電の200形、京成ではほとんど乗る機会がありませんでしたが、
後に譲渡された新京成では、だいぶお世話になりました。
「軽く」鉄の弟さん、一本ずつしか無いリバイバルカラー同士の
並びを撮るなんて、すごいじゃありませんか(笑)。
by あおたけ (2010-05-11 14:45) 

♪写楽♪

こんにちわ~(^^

拙い♪写楽♪のブログへのコメントを戴きまして
ありがとうございま~す。

Cedarさんは近くに住んでいたんですか~
下町情緒たっぷりの所で育ったんですね~

私は埼玉山奥で育ち
都内へ流れて来ましたが住んでしまえば
何処も都ですねっ(笑)

電車と言えば
小学生の頃に油臭い東上線に乗ったのを
思い出します。



by ♪写楽♪ (2010-05-11 18:09) 

Cedar

■やまびこ3様
立石にお住まいだったのですね。あの駅の周りも依然ご覧に入れた八幡と同じで町と電車が近く、一度撮影したい場所でしたが、高架化工事が始まっているようですね。
■はーさん様
青電は車体の色使いも関西風と思っていました。3000系の色も阪神みたいで、当時は新鮮でしたね。色は関西風なのにスピードはやはり関東だったのが残念でしたが・・・この後オレンジ一色の暑苦しい色に統一された時はがっかりしました。
■あおたけ様
上野駅の使用停止は一年くらい続いたと思います。日暮里の上野寄りの、ちょうどJRのオーバークロスの上で、折り返していましたね。京成の旧型車は100型も含め新京成では随分活躍しました。様々な形式がぞろぞろ6連で走っていましたね。
■写楽様
ご訪問&コメントありがとうございます。自分は鉄に偏ったシャシンが多いですが、貴殿のように、様々な対象に目を向ける機会も増やしたいと思っております。どうぞよろしくおねがいいたします。
by Cedar (2010-05-12 08:25) 

む〜さん

青電・・・懐かしいですね~!カルダン車のハシリ、モハ750の何時も中間に挟まってたクハ2250(だったかな?)が好きでした。切妻貫通で、相模鉄道の旧6000みたいな顔でしたが、この頃、モハ750も含めて、クハ2250、居ましたでしょうか?
京成電車、新型空港特急参入で京成、ここで躍進が期待されますね。
by む〜さん (2010-05-12 08:53) 

Cedar

■む~さん様
クハ2250がお好きとはマニアックですね~。この写真の頃には廃車になっていたのではと思います(資料によれば昭和48年形式消滅となっています)。何でもブレーキの操作が他社と異なるので乗務員に嫌われたのが原因とか?
7月のスカイアクセス開通はちょっと楽しみです。160kmの試運転を弟は目撃したらしいです。問題は運賃?
by Cedar (2010-05-12 11:52) 

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