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昭和43年春・親子で行った名古屋~関西私鉄その2(4月1日・桑名から奈良へ) [昔の今日のスナップ]

昭和43年春。関西撮影行の2日目です。前夜、親戚の家の法事に顔を出し、桑名の旅館で一泊した朝は、あまり下調べも無いまま桑名駅周辺で撮影しました。まずは旧三重交通→近鉄のナローラインとなった北勢線から・・時間の関係で乗るのはあきらめました。

昔の今日のスナップ

(1)湯ノ山線の改軌にともない、北勢線に入っていた有名な3連接車モ200形が西桑名駅を出て行くところをキャッチs43桑名北勢200出発サイドビュー.jpg

(2)近鉄マルーンより、旧三重交通色が似合そうですね。もっとも私は旧色は見ていないのですが・・s43桑名北勢200出発正面.jpg右にチラッと写っている貨車も今や気になりますねえ。当時は興味無かったのか、カメラを向けていないのです。

貨車の止まっている線路が手前に延長されて、現在の駅はその辺りにあるようです。

(3)3連接車の堂々たるサイドビュー!といいたいところですが、手前に線路がいっぱい。一番手前は近鉄(1435mm)、次が国鉄関西線(1067mm)、電車のすぐ手前は北勢線のホッパー線(762mm)と3種のゲージが並んでいます。遠近法が強調されますね。s43桑名北勢サイドビュー.jpg

(4)通常の2連がオーバークロスに向かいます。デニ220は長く主力として活躍した形式です。s43北勢線西桑名02.jpg


当時は経費節約のせいかカラーは最小限。(4)のカメラポジションあたりから、行きかう近鉄の電車をモノクロで撮りました。

(5)今見ても斬新な先頭デザインのビスタカー、北勢線の貧弱なガーダーをくぐります。

s43桑名近鉄新ビスタ01.jpg

当時の名古屋線は特急車・通勤車のほか、旧関急・旧伊勢電・旧大鉄・そして旧参急とバラエティに富んだ電車が行きかっていました。

(6)関急の緑の弾丸。モ6301形の急行、側窓のつくりが独特ですね。

s43桑名近鉄6300.jpg

(7)伊勢電独特のスタイルを残すクニ6481

s43桑名近鉄クニ6400.jpg

(8)吉野鉄道→大鉄の全鋼製車、ク6501

s43桑名近鉄旧吉野.jpg

(9)参急のスター2200形(新)、あまりにも有名な電車ですね。s43桑名近鉄2200新.jpg

(10)そして、再び懐かしい10100形ビスタカーです。s43桑名近鉄新ビスタ.jpg

(11)伊勢特急用のエースカー10400形、Tcを2両つないだ編成が特徴です。s43桑名近鉄エースカー.jpg

(12)普通用の吊り掛け車にはこんな電車も・・一見新型、実は旧型車というモ6440s43桑名近鉄6440.jpg

この後大阪行きの名阪乙特急ビスタカーに乗車。幸か不幸か(?)中間の階下席でした。

大和八木で橿原線に乗換え、本日の目的地、奈良に向かったのでした。

お目当ては西大寺の構内配線と奈良市内の併用軌道でした・・・一枚ずつご覧ください。

(13)西大寺のポイント群と木造車モ260形の更新車モ460s43西大寺.jpg発着線競合を避けるための贅沢なポイントの使いっぷりが関東には見られないものでした。信号機の向こうには奈良に向かうモ820形が見えています。

(14)併用軌道と旧奈良電改造の京都線特急モ680形+奈良線特急の8000形のすれ違い。S43関西002.jpgこの併用軌道は全長800mの踏み切り、という扱いだったそうです。


 この日は京都に宿泊、桜の京都でポール電車(しばらく前にご覧戴きましたね)、大阪では阪堺線、更に一泊し、和歌山で野上電鉄他を撮影して帰京という、慌しくも充実した4日間の旅でした。

おまけの一枚は阪和快速色70系です。

(15)東和歌山(現和歌山)S43関西018.jpg

こんな旅をしたのも、もう42年も前になるのですねえ。


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コメント 8

はーさん

懐かしく、好きな電車をたくさん拝見しました。
湯の山線の垂直カルダン、3連接の4400系が北勢線で活躍していた姿を撮られていたのですね。垂直カルダンは余り良くなかったのか?後年、電装解除されていたようですね。
近鉄ビスターカーの中では、10100系が白眉でした。
これが走りはじめたのが昭和34年12月で、初めて、ピクトリアルでその姿を見た時、欧州のどこかの電車と思いました
流線型のヘッドで、初期は前面2枚窓のそれぞれに端の方に1本桟が入っていましたのを覚えていらっしゃいますでしょうか?
曲面ガラスの製造が出来なかったのかもしれませんが、これも、ちょっと、粋な感じにもなっていました。
2200系はやはり大阪線にいてこそ!ですね。
改軌して名古屋線に入りましたが、大阪線の堂々とした走りに比べ、初めは路盤も悪かったのでしょう?揺れが大きくなったように覚えています。
by はーさん (2010-04-02 11:33) 

Cedar

ビスタカーの初期の縦桟、おぼえております。我が家に昔ビスタカーのHOモデルがありましたが、それは縦桟入りでした、日東科学というメーカーの製品でしたね・・・懐かしい(涙)。
2200は残念ながら名古屋線に移ってからしか乗っておりません。平坦区間の名古屋線では電制も殺していたのではなかったでしょうか?でも立派な電車だと思いました、運転台の速度計の目盛りが140Kmまであったのが印象に残っています。
by Cedar (2010-04-02 17:01) 

む〜さん

 たっぷり近鉄電車を見せてくださって有難う御座居ました。北勢線の連接車は私が訪問したときには、すでにトレーラーになって居りました。近鉄ナローは、やっぱりデニ220!この頃も良かったんですが、三重交通じだいの、草色にクリーム(・・・・だったかな?)が、如何にも軽快で好きでした。
 特急車は高校時代に見た、2200に2250が好きでした。そして、新婚旅行で初めて乗った二代目ビスタカー。
 他にも好きな形式は上げていったらキリがありません。いいなあ、近鉄。
by む〜さん (2010-04-02 19:05) 

Cedar

む~さん様 この頃の近鉄ってホントに面白かったです。各線に個性的な電車が新旧入り混じり、特急車もバラエティ豊富でした。2200、6300、旧奈良線の小形車400・600も好きでした。
最近の電車もいいのですが、やはり旧型車が捨てがたいです。
by Cedar (2010-04-02 19:25) 

のり

素晴らしい近鉄の電車たち、本当にありがとうございます。
新ビスタカー(10100系)は、今見ても古さが全くないですね。こんな鉄道車輌は、今後現れる可能性は低いような気がいたします。
旧性能車も個性的なものばかり・・・、いい時代でしたね。
by のり (2010-04-02 21:15) 

Cedar

のり様
関東の電車ファンにとって、近鉄はまさに別格の存在でした。なんといっても名古屋から大阪まで一つの会社の電車で行けるのは凄いことです。規模が大きくても国鉄とは全く違う<電鉄>であることも良いですね。関東の某私鉄は<ミニ国鉄>でしたから。
アーバンライナーもいい電車ですが、10100系ビスタカーには負けていますね。
父が電車ファンだったおかげで高校時代にこんな旅が出来ました。豊橋の電車も楽しんでいただけたでしょうか?
by Cedar (2010-04-02 22:23) 

はーさん

先のコメントで忘れてしまいましたが、近鉄奈良線の併用軌道のカラー写真貴重です。モ8000も併用軌道を走っていたのですね。
阪和の快速色も良く色が出ています。この色は何となく、印象的ですね。
昭和40年ごろから、カラーフィルムが手の届く存在になりました。今回の写真はポジカラーでしょうか?

by はーさん (2010-04-03 14:28) 

Cedar

はーさん様
追加コメントありがとうございます。このブログでご覧戴いているのは、ネガカラーです。今回の写真もネガがそろそろ危ないので、スキャンを急がなくてはいけません。
この当時はカラーフィルムもまだ高かったし何よりDP代が一枚70円くらいしたのではないでしょうか?父親と一緒でなければカラーは無理でした。
by Cedar (2010-04-03 23:55) 

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