2005-3-28・岐阜の名鉄600V線訪問(その2) [昔の今日のスナップ]
経路は新岐阜駅前~徹明町~競輪場前~新岐阜という市内のみのルートです。午後から名古屋で仕事があり、終点の関まで行く時間が無かったのは残念でした。
お詫びの代わりにカットとして昭和42年の新関駅の520形、揖斐線直通急行転用前の姿です。
(1)新岐阜駅前からは520の後継者の揖斐線直通にちょこっと乗車、このとき気がついたのですが、忠節までの市内運行用の車両は既に全滅していたのでした。
(2)乗車風景、ターミナルにして安全地帯もないとは・・・路面電車の存続には道路管理者との協調が不可欠なのに・・・。存続させるつもりは無かったということですね。
(3)あれこれ考えながら徹明町へ。かつてのサバーバンジャンクションもいまや寂しい限りです。
右折信号待ち中の新岐阜行きをファインダー越しに見ていると、かつての光景が蘇ってきます
長良北町方面には金沢から来たモ550形が活躍していました。
(8)・・・現実に戻って見ると、美濃町線の電車が到着。
あいにくの雨ですがさすがに多くのお名残り乗車のお客さんです。この中に鉄仲間の姿も見えました。
(Mさん、雨の中ご苦労様でした!)
この電車に乗って、田神線との分岐駅競輪場前に移動しました。
(9)モ600形に変わって入線した連接車モ880形がT字路を曲がるところをキャッチ。手前の線路が徹明町方面です。
(10)競輪場前では上下電車の交換風景が見られます。この風景もあと4日限りです。
(11)電車専用信号も最後のご奉公に励んでおりました。
(12)この風景を見ていると、新車の投資をした甲斐なく消え去るのがもったいないと思えてなりません。そもそも田神線も新岐阜直通のために新設、同時に複電圧車の投入も行ったわけです。当時の積極作を思い出すと、時代の変化の速さ、無常さをしみじみと感じてしまいました。部分低床式のモ800形は2000年(平成12年)7月に運行を開始したばかりでした。
(13)美濃町線の発着する新岐阜駅7番ホーム、廃止を告げるたて看板が現実を伝えます。
(14)そんな気分と裏腹に、廃止記念グッズ売り場が出来て賑わっていました。
(15)いまや名鉄は岐阜の600V線区よりも中部国際空港輸送に大童!ノスタルジーでは飯は食えないのは分かっているのですが・・
この後は(12)の右に見えるパノラマスーパーに乗って名古屋の支社へ、(たった今東京から着いたような顔をして~)駆けつけました。
と言うわけで、今からちょうど5年前、廃止直前の名鉄600V線区のお話しは、終了といたします。
関あたりへの出張の際、岐阜市内からレンタカーで走っていると、なにやら赤い電車が‥札幌出身の私は一目で『お久しぶり』と独り言‥モ870併走は楽しかったです。
しかし、あっという間に廃線‥
‥という事は、意外と、同時期に岐阜近辺をうろついていたのですね。
by suzuran6 (2010-03-28 14:12)
suzuran6様
岐阜にはほんとによく通いました。どこかでニアミスしていたのかも・・・
札幌の電車が入った時も速攻駆けつけましたが、夏の熱い時期で大窓に容赦なく照りつける夕陽に閉口した記憶があります。結局窓の改造を余儀なくされてしまいましたね。
個性的な電車たちに会いに行く事が出来なくなって残念です。
by Cedar (2010-03-29 08:59)
岐阜の600V区間、再訪は叶わぬ夢と消えてしまいました。
本当に惜しいことをいたしました。大量の新車を導入したにもかかわらずの廃線でしたね。会社自体が存続に消極的だったようですので、致し方ない面もあるでしょう。思えば、訪問する機会がたくさんあったにもかかわらず、たった一度きりのものになってしまった30年前・・・。もっともっと乗っておけばよかったと後悔しきりです。
by のり (2010-03-30 21:39)
のり様
新車たちの登場は、やる気の現われではなかったのは残念なことでした。名鉄は多くのローカル線区を抱えていたので、或る程度は仕方ないとは思いましたが、三河線・八百津線・竹鼻線とかも廃止してしまいましたね。
広見線の末端部とかも、ウワサがあるようです。。
by Cedar (2010-03-31 11:09)