昭和44年の都電32・27系統 [都電のいる風景]
皆様は王電をご存知でしょうか?玉電ではなく王電・・・・今の荒川線の前身は王子電気軌道=略して<おうでん>という私鉄だったのです。私が高校の頃は、王電と呼ぶお年寄りも多かったです(JR線を省線という人がいた時代です。~笑)
ちなみにうちの父も王電と呼びたがっていましたね。
都電のいる風景
今の近代化された荒川線とは違って、当時は古い時代の面影が残っておりました。
(1)<戦後のにおい>一杯の情景ですね。戦後になって高田馬場駅まで都電が伸びたときに出来た面影橋の分岐です。どこが道路か線路か?併用軌道か専用軌道かよく分からないですね。後ろに見えるアパートは当時流行った<四畳半フォ~クソング>の舞台になりそうな佇まいです。そういえばここは、神田川のすぐ近くです。当時は早稲田~王子駅~荒川車庫間の32系統がここを走っておりました。7000形は車体乗せ替えで今も荒川線に残っているのはご存知のとおりです。
左に見える15系統の電車は元杉並線(1067mm軌間)の2000形です。後継者2500形とともに荒川車庫所属だった時期もありました。
(2)面影橋から学習院下を経て豊島台地に登ったところが鬼子母神前、わたしの高校の最寄り電停でした。土曜日など此処から電車に乗って大塚や巣鴨の映画館に行ったものです。骨だけの上屋(の残骸)は王電時代からのものでしょう。
電車は都電廃止を見越して登場した経済車8000形です。乗り心地や騒音で人気無かったですが、私は好きな電車でした。
(3)向原~大塚駅前間も不思議な場所でした。軌道の左右は広いのに線路はくねくね曲がって坂を下ります。父曰く『王電の頃はSカーブの左右に家がびっしり建っていた、坂を下る電車はホイッスルを鳴らしっぱなしだった』とか・・・空襲で焼けた跡を整備したが線路はそのまま~ということだったようです。
坂を下る電車は7500形、こちらも更新され残っていますが、今年中に新車に置き換えられるとか・・
(4)王子駅から荒川車庫のあたりは、郊外電車のような高圧線が線路上にありました。この辺りが私鉄買収線=郊外電車の香りでしょうか?この写真は他より古い昭和39年くらいの撮影です。写っている電車は旧王電からの買収車150形です。
(5)京成と接続する町屋駅前も、王電の面影というより、戦後の闇市のような街並みが残っておりました。電車は27系統です。赤羽~王子駅~三ノ輪橋間を走っていました。
(6)終点三ノ輪橋の情景です。明治通り沿いには旧王電ビル(ひょっとして建物は今も健在?)が残っていて、このホームに抜ける通路の上に『王電入口(元)』という看板がずいぶん長く(この頃にはまだあった!)掲げられていました。
近代化された荒川線も良いですが、昭和40年代はこんなだったのです。昭和は遠くなりにけり~
(2)とか(4)は、まさに郊外電車ですね。(4)の門形高圧線鉄塔は、何時の間にか無くなってしまいました。せんだって、よくよく見たら、鉄塔の上半分を切り取って、妙に太目の鉄塔として、継続使用されておりました。
150形は都電の中でも好きな形式でした。
専用軌道であったため残った線区「荒川線」は、いまでも、昭和30年ごろの雰囲気を感じます。大塚駅前前後の急勾配区間とか、雑司が谷~鬼子母神前~面影橋あたりなど、写しに行きたい場所です。
三ノ輪の「王電入口」の表示は、なくなっちゃったのは惜しかったですね。
by む〜さん (2010-03-15 09:19)
む~さん様
先日、とげぬき地蔵の縁日に行った帰りに(2)の鬼子母神前で副都心線に乗り換えましたが、あたりの様子が一変していてびっくりしました。
広い道路が出来てしまい、昭和の香りは一掃されてしまっておりました。
電車の更新やバリアフリー化は歓迎ですが、町の優しさ、気さくさまで薄まらないでほしいものです。
by Cedar (2010-03-15 12:52)
いい写真ばかりですね。
私は東京育ちではないので、当時のことはよくわかりませんが、大塚駅周辺のカーブが以前から不思議でした。
でも、(3)の説明を見て、成る程と納得しました。
by 素人写真 (2010-12-20 23:38)