オキニちゃんからヴァージンひろみちゃんへ [今昔鉄写真]
犬山は犬山線・小牧線・広見線が集まるジャンクションで名古屋方の線路配置は結構プチ鬼ですが、時間の都合で撮影出来ずでした。なので、昭和60年の構内写真でお目汚し~(3)線路は軌道が貧弱だけどほぼ同じ、ですが車輌は大違いですね。(4)戦前派と新車が共存してたこのころがいちばん面白かったかも(5)WH風ELまで屯ってたし~(6)広見線にも、旧形車機器利用のHL車が走ってたし(この時は乗らず終い)
・・・ちなみに現在の線路配置はこうです、下に向かうのが広見線、新可児寄りに検車区も出来ました。
(Wikiより)
・・・ちなみに現在の線路配置はこうです、下に向かうのが広見線、新可児寄りに検車区も出来ました。
(Wikiより)
新可児まではかなり昔に複線化されていて、そこそこ人家もあるのですが利用は低迷してるらしいです。
ワクワクするはずのヴァージン区間なのに、ぼ~っとしてしまいカブリツキ写真は無し・・・
河和からのオキニ電とのお付き合いに疲れてしまったのかも?
齢ィとるとヴァージンよりオキニがいい(爆)!
クダラン言い訳してるうちにJR太多線(↓)をオーバークロスして新可児着。(7)太多線多治見~広見(→可児)~御嵩が東美鉄道って私鉄だったなんてこと、JR東海の気動車は知らないでしょうね。
河和からのオキニ電とのお付き合いに疲れてしまったのかも?
齢ィとるとヴァージンよりオキニがいい(爆)!
クダラン言い訳してるうちにJR太多線(↓)をオーバークロスして新可児着。(7)太多線多治見~広見(→可児)~御嵩が東美鉄道って私鉄だったなんてこと、JR東海の気動車は知らないでしょうね。
ここで御嵩行きに乗り換えです。(8・9)昔は新名古屋から御嵩まで直通電車もあったのに・・無情にも中間改札に隔てられ完全に系統分離~同じく6000系ワンマン仕様車が走る蒲郡線ともども、次の廃線候補らしいです。
そんな仕打ちにもめげず、住み慣れた都会から遠く離れ、健気に生きる下膨れちゃんがいとおしい・・(10)なので突然ですが
・・・「ひろみちゃん」と呼ぶことにしました(爆)。
そんな仕打ちにもめげず、住み慣れた都会から遠く離れ、健気に生きる下膨れちゃんがいとおしい・・(10)なので突然ですが
・・・「ひろみちゃん」と呼ぶことにしました(爆)。
次の明智が八百津支線の元分岐駅です、ホームなどはほぼ昔のままですね~
(14)
ここでまた昭和60年の写真を=ひろみちゃん、ゴメンネ
(15)当時はこんな高級車(?)も、たぶん名古屋方面からの直通急行だったと思います。
(16)LEカーも御嵩方面に行ってたらしい・・・
(14)
ここでまた昭和60年の写真を=ひろみちゃん、ゴメンネ
(15)当時はこんな高級車(?)も、たぶん名古屋方面からの直通急行だったと思います。
(16)LEカーも御嵩方面に行ってたらしい・・・
電車やCedarがなぜ気動車目当てにやってきたのか?名鉄でなく太多線経由で出入りしたのか?自分でも謎です~
でも、そのおかげで、乗る機会の無いままになったかもしれないひろみちゃんに乗ってるんですから、まあ良いか。
(17)八百津支線の痕跡を左に見て、明智出発~あ、ここからがひろみちゃんでイク!ヴァージン区間~
でも、そのおかげで、乗る機会の無いままになったかもしれないひろみちゃんに乗ってるんですから、まあ良いか。
(17)八百津支線の痕跡を左に見て、明智出発~あ、ここからがひろみちゃんでイク!ヴァージン区間~
(18)ひろみちゃんのワンマン設備はドア横ではなく運転台後ろにあって、乗客にとっては面倒な動きを強いられますが、そんなことで文句言う輩はいないんでしょうね。立客が一杯だったら大変~と思いましたがそういうことも無さそうです。(19)車内の感じこそスマホいじりなど今風ですが~
(20)沿線風景は学生時代に乗った地方私鉄の雰囲気です。
終点御嵩着。(21)この駅も昔よくあった地方私鉄電車の終点そのもの=国鉄ローカル線のとは違うんですよね。
(22)なのでヴァージン区間なのに、前に来たことあるような気がしたほどでした。(23)慌しく折り返すのも「うんうん、そうだったそうだった」って感じです。
(20)沿線風景は学生時代に乗った地方私鉄の雰囲気です。
終点御嵩着。(21)この駅も昔よくあった地方私鉄電車の終点そのもの=国鉄ローカル線のとは違うんですよね。
(22)なのでヴァージン区間なのに、前に来たことあるような気がしたほどでした。(23)慌しく折り返すのも「うんうん、そうだったそうだった」って感じです。
で、目的地はひでほさんも撮影されたという御嵩寄りの鉄橋~寒風吹きすさぶ河原で、アングルなんぞ探してると昔に還った気分です。
(26)わたります~
(27・28)行きました~
しばし余韻に浸ってましたが・・・・すぐにひろみちゃんが折り返してくるのにハタと気がつき、急いで駅に戻りました。
(29)
ひろみちゃんのお顔と駅の絡みは~イマイチでした。
(27・28)行きました~
しばし余韻に浸ってましたが・・・・すぐにひろみちゃんが折り返してくるのにハタと気がつき、急いで駅に戻りました。
(29)
ひろみちゃんのお顔と駅の絡みは~イマイチでした。
とかとか・・・
12月30日後半戦のロストヴァージンは今昔まだら模様でした
12月30日後半戦のロストヴァージンは今昔まだら模様でした
ではまた。
2018-01-05 00:22
nice!(17)
コメント(16)
考えられること、国鉄の周遊券で行かれたのでは?
太多線から入ることは前の行程次第であり得ますが、帰りに名鉄を回避する理由が思いつきません。
名古屋、岐阜どちらに出るのも名鉄の方が圧倒的に便利ですから・・
by シグ鉄 (2018-01-05 10:00)
■シグ鉄様
ご推察ありがとうございます。老化進んでいろいろ記憶がぼけぼけでして・・・なんとなくそんな気もします、太多線全区間乗りたい、とか思ったのかも知れませんし・・・昭和60年に周遊券ってまだありましたっけ?
★ワンモア様
★あおたけ様
★モボ様
★@ミック様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-05 10:42)
昔は名古屋直通の特急もあったけど、、HL車でモタモタと走っていました。沿線の風景を見ても、鉄道が成り立つ環境ではないのがわかります。
by モハメイドペーパー (2018-01-05 11:00)
■モハメイドペーパー様
新名古屋で3700系4連の八百津・御嵩行き特急を見てびっくりした記憶が確かにあります。電車はボロでしたが支線区の隅々に名古屋から直通列車があったころの名鉄が好きでした。
★鉄腕原子様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-05 12:45)
★keizzo様
★myossy様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-05 23:29)
支線区でも新名古屋から直通の優等列車が設定されていましたね。それ故、新名古屋駅の乗り場案内が複雑怪奇で(笑)。
名鉄で乗り残した区間が…
玉ノ井線
大江・東名古屋港間
黒野・本揖斐間
三河線山線区
そして
八百津線
です。
そのほとんどが「鬼籍」に入ってしまいました。
新名古屋からの直通で御嵩まで行ったことを思い出しました。あの時八百津まで行っておけば…と思うと残念でなりません。
本揖斐もそうでした。谷汲線完乗時になぜ寄らなかったのか…と。なぜもう一度行かなかったのか……と。
by のり (2018-01-06 06:59)
■のり様
支線区直通がどんどん無くなってしまい車輌も名鉄らしさが無くなって・・
八百津支線に乗ってたのに御嵩まで行ってなかったので行って見ました。ああいう線区が残ってるのも名鉄ならではですね。
★はじドラ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-06 09:09)
御嵩側は乗っておいて良かったですね。ある日突然悲報があるかもしれないので。私も乗車した時は系統も切符も分離されていました。八百津線は既にありませんでした。(16)の写真は吉良吉田駅の三河海線ホーム、くりはら田園鉄道の交換駅のような寂寥感が漂っています。
佐屋~吉良吉田(かつては津島~蒲郡もあったらしい)のような優等列車の運用は、名鉄にとっても合理的だったような気がします。
by 京葉帝都 (2018-01-06 11:39)
■京葉帝都様
支線直通の優等列車が入り乱れて発着する新名古屋はボーっといて楽しい駅でした、支線直通が無くなったから寂れたのか、客が減ったから直通しないのか・・・・厳しい状況は続きそうです。
★hideta-o様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-06 16:15)
名鉄広見線には、22年前の春の連休に、810型のお別れ運転で犬山~新可児間を往復で乗っており、行きは810に、帰りは併結されていた3400に乗り、それぞれの吊り掛け音を堪能してきています。
沿線の「日本ライン今渡」は、昔は木曽川「ライン下り」の観光船の乗り場として賑わっていたと言うのでしたが、そのときはもう既にだいぶ寂れていて、とても観光地の玄関と言う状態ではないような駅になっていて、観光船も今では運行取りやめになって久しいようです。唯一、「西可児」駅だけが、周りが大規模に宅地開発されてある程度賑わいがあったようでしたが、「トヨタ」王国の近所だけに今では電車に乗る人も少ないのでしょうか。
御嵩町を含む一帯は、「亜炭」という品質の悪い石炭が採れ、燃料事情の悪かった戦時中から戦後まもなくの間に大量採掘されて、地中に巨大な空洞ができ、海外から安い石油が大量に入ってくると見向きもされなくなって採掘業者はほとんど廃業・倒産、陥没事故が起きて人命や住宅に被害が出ても相手がいないため損害賠償を請求することもできず、ようやく補助金が下りて役場と学校の真下の穴だけを埋めることができたとのことですが、全部埋め戻すには数千億円もかかるとの計算もあり、地元でもほとんどあきらめ顔になっているようです(TV番組で知りました)。もし、新可児~御嵩間の線路敷でこのような陥没事故が起きたら、「復旧せずそのまま廃線」の理由付けになりそうな気がします。
ところで「広見・新広見」駅が市名にあわせて「可児・新可児」になったのに、いまだに路線名が昔の名前で出ているのは何なのでしょうか?どうせ駅名を変えるときにお金もかかるのだから、同時に路線名も変えなかったのか、いまいちわかりません…。
by 伊豆之国 (2018-01-06 19:49)
■伊豆之国様
広見線の凋落振りは、まさに「時間の問題」という気がしました。
亜炭の話は初耳でした。のどかな農村地帯なのかと思っていましたがそんな場所だったのですね。
★ぷっぷく様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-06 20:18)
★nexus6様
★まめうさ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-06 23:21)
★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-07 09:28)
★SpeedBird様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-07 16:46)
★nd502様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-09 21:09)
★taharas様
★ありさ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2018-01-13 01:10)