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ぎりぎりですが、寒中お見舞い申し上げます~ [1枚の写真から]

立春も近いですが、お寒うございます~

少しでも暖まっていただこうと、今日はタンク車に燃料を積んでお届けします。asahikawa3kakudaiR.jpg(1)おやおや?このタンク車がいるのは道路の上?しかも隣に見えてるのは電車のようです~

asahikawa3R.jpg(2)            ここは昭和46年旭川。今はなき旭川電気軌道の<電車牽引タンカー>の珍しい姿です。この電車の沿線にはあちこちに石油や石炭のための側線があって、国鉄旭川まで伸びた貨物側線を通って国鉄のタキやトキが出入りしていたのです。

貨物輸送は結構盛んだった(?)のに、旭川電気軌道は機関車を持ってなかったので、電車が貨車を引っ張り、ゴロゴロ路上を行く姿が見られたのでした~とエラそーに言ってますが、この珍列車をキャッチしたのは全くの偶然でした。

大学の鉄仲間とSLブーム真っ只中の北海道に撮影に行ったものの、電車好きの私は一人OBして、憧れの日本最北電車を訪れたわけです。ろくに下調べなどもせず雑誌記事の記憶を頼りに、起点の旭川四条(あさひかわよじょう)にたどり着いたらいきなりこれがやってきたのでした。asahikawa3RRx.jpg(3)              タキを引っ張る102号は典型的な日車地方私鉄向けスタイルですが、腰の低さが印象的でした~クルマに向かって<待たせてスミマセン~>と謝りながら走っている感じもします(?)。背の高さも国鉄規格のタキより低く、お荷物の方が明らかに立派でした。

・・・・では、各部のディティールも見てください

台車は京王の2600形や都電にも見られた帯鋼材を組み立てたタイプです。ごつい自動連結器と開放てこが、腰の低さを強調しています。この電車はダイレクトコントロールですから連結器は貨車を引っ張るためのものでした。asahikawa3rrrr.jpg

屋根の上にはパンタとポールが1基ずつ、昔の自由形模型によくありましたが、本物をこのとき初めて見ました。ポールの先やフックがひん曲がっているのがわかります。asahikawa3RR.jpgいつも思うのですが、片方にしかないポールってバックするときにはどうやって使うのでしょうね?

お顔はなかなかハンサム。ですがそれよりも<いいね!>と思うのは、後ろの建物です~いかにも北海道らしい様式、煙突や屋根の形がいいですね。軍手をメインにしたお店が大通りにあるってのも時代を感じます。その隣の美容室<たまかは>は苗字なのでしょうか?asahikawa3RRR.jpg

日本最北の電車、旭川電気軌道は、この写真撮影のあと1年もたたないうちに廃止されてしまいました。


7~8年ほど前、仕事のついでに撮影場所に行ってみました。当然のことながら面影はなく、旭川四条駅の構内だったところは駐車場になっていました。電車は写真右奥のから左手前に向かってカーブしながら構内に入ってきました。今の駐車場の入口、植え込みが途切れている場所が線路が通っていたところですね~右に見える電飾看板の下辺りがカメラポジションでしょうか?P10503031.jpg

asahikawa3r=r.jpg

と、言うわけで、昭和46年の旭川からの寒中見舞い。

タキの燃料で少しは暖まっていただけたでしょうか?

写真はたったの1枚だし、文章もお寒いし・・・、かえって逆効果だったりして・・・(恥)

 

 

 

 


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コメント 31

EF510-230

これは大変珍しい写真ですね。私は旭川電軌に行ったのはちょうど廃止の日でした。ところで、私が釧網本線で撮った混合列車(タンク車がつながっている)の写真を西尾源太郎さんがご覧になられて、旅客車にタンク車をつなげることは違反でこんなのが公になると大変だと言っておられました。ですから、これはもぐり行為ではないかとも思います。
by EF510-230 (2012-02-02 10:07) 

Junior

 
お寒うございます。
一枚の写真から、ここまで話を引き出すのはさすが!(拍手)

この電車は客扱いはしてなくて、機関車代用ってワケですか。
しかし、道路上を走るタキって、タンクローリーみたいに「危」の札が付いてるでもなく、ブレーキランプが点灯するワケでもなくで、交通事故に遇ったらエライ事ですよね。

で、トロリー・ポールですが、ここは車庫内だけで使ってたそうですが、逆向きに走行しても下で紐を引っ張って案内してやるとちゃんと追従すると思います。長時間走るワケじゃないし。
アルゼンチンに行った元P.E.の機関車がそうやって走ってるYouTubeの動画を見た事があります。
 
by Junior (2012-02-02 14:34) 

はーさん

電車がタンク車を牽いて、町中を走ると言うのは信じられない光景ですね。
郊外電車のスタイルですが、ダイレクトコントローラとのこと。多分、出力は市電並みと思いますが、大きなタキを牽くと言うのはすごい!
旭川電軌は訪れておりませんが、こんな写真を拝見すると行っておいたら!と残念な気持ちになります。
地方私鉄では電車が貨車を牽くというのは良く見られましたね。
長野電鉄の山ノ内線で、有蓋貨車を前に付けて、走っていた電車に乗ったおぼろげな記憶があります。写真はありませんが!
40パーミルの急勾配ですので、貨車は常に湯田中方に付けたのでは?
と思います。下記の弊HP「長野電鉄」のページ
  http://6.fan-site.net/~haasan55/Nagaden.htm
の巻末に湯田中駅構内で無蓋貨車の入れ替えを行っているシーンが
ありますが、この貨車も営業電車の湯田中方に連結して、押し上げだのだと思います。 一寸、蛇足ですが!
by はーさん (2012-02-02 15:29) 

maipenrai

これは凄い! 剣呑な感じのするタンク車を、のどかな表情の電車が牽いているのも凄いけど、それが街中の併用軌道を走っているんだから更に凄い! それにこの電車、ドア窓に縦の桟が入ってる! なんだか興奮してしまいます。
by maipenrai (2012-02-02 17:43) 

nexus6

今の世で、辛うじてコレに近いモノが見られるのは上毛電鉄くらいでしょうか... でも、アチラはホッパー車ですし普通の軌道ですものね。 皆様仰せの通り、併用軌道上でおタキさんをゴロゴロとひっぱる姿はインパクト大ですね  
こういった電車+貨車とか、キハ+ワムという姿が堪らなくスキです!! ミキスト なんてコトバはもう死語ですかね。
by nexus6 (2012-02-02 19:20) 

む〜さん

実に良いタイミングの撮影ですね!電車のお隣の自動車、スバルじゃあないかと思いますが如何でしょうか?
まあ、なんという長閑な眺めでしょう!良い時代でしたね。

2007年9月、家族旅行で、旭川へ行ったんですが、JR駅近くに、「旭川電気軌道㈱営業所」と看板を掲げた店がありました。「お!社名、生きてる!」と嬉しく思いました。保存車両があるらしいとは、聞いては居りましたが、複数の連れが居り、探索はしませんでした。
by む〜さん (2012-02-02 20:37) 

京阪快急3000

こんばんは。

こちら関西は、今年一番の寒さでした。

これはまた、「珍しい」というか「すごい」お写真ですね。

「タンク車を電車が牽引している」というのは、本当に驚きました。

現在は廃止になった北海道の鉄道(旭川電気軌道)の、昭和46年にこのような光景があったと若いファン(自分も若いですが・・・)に見てもらっても「合成写真じゃないの?」と勘違いされるかもしれませんね(失礼)。
by 京阪快急3000 (2012-02-02 20:42) 

hanamura

っこの写真から、ドキュメンタリー番組1本制作できますよね!
っんはぁ~いいもん見たなぁ!明日の雪?凍結?どんと来い!
by hanamura (2012-02-02 20:59) 

manamana

タンク車がものすごく大きく見えますね。
貴重な風景、なんか微笑ましい風景です。
by manamana (2012-02-02 22:38) 

プント

昔は本当に色々な町に鉄道があったのですね~
広島にも呉・尾道・福山の鞆にあったらしいですが、
いずれも今は面影も無いようです。
しかし、元車好きとしては、隣に映っている
ブルーバードとスバル1000が気になる・・
by プント (2012-02-02 22:39) 

のり

これはまた貴重なお写真ですね。旭川の電車は、書籍などで知るのみで、しかも遠い昔に消えてしまったため、人々の記憶からも忘れ去られているようです。しかし、こんなにもすごい活動をしていたのですね。電車もいい味です。
by のり (2012-02-02 23:50) 

nd502

併用軌道を走る貨車は魅力的です。萌えますねぇ~

by nd502 (2012-02-03 00:13) 

Cedar

■ EF510-230様
もぐりという割には堂々としてましたが・・・なにしろ機関車持ってないんですから~仕方ないんでないかい!(笑)
■Junior様
>一枚の写真から、ここまで話を引き出すのはさすが!(拍手)~って馬鹿にしてるんでしょ(笑)

確かにこの電車客扱いはしていなかったように思います、でも機関車代用にしてもいろいろ怖い列車であります。
トロリーポールの逆走は模型でやったことがありますが、本物でもあるんですね。
■はーさん様
旭川電気軌道って、いろんな意味で日本離れした電車でした。線路の荒廃ぶりのものすごさ、10kmくらいカーブのない一直線の線路、運転指令は無線機でやっていたり・・まさに「間に合ってよかった」と思う線区のひとつです。
■maipenrai様
凄いでしょう、ホントにコレは凄かったと今でも思います。今ならこんな運転は絶対に認可下りないでしょうね
■nexus6様
電車のミキストは花巻電鉄、福島電鉄、銚子電鉄、流山でも見たことがあります。でもさすがにタンク車は他になかったですね。
■む~さん様
電車の横のクルマは、ブント様のコメントにもあるようにスバル1000ですね。旭川電気軌道は廃止40年以上他っても社名も社紋も当時のままという珍しい会社です。
■京阪快急3000様
合成写真かあ~確かに今の若い人には、信じられない鉄道風景はCGで造った画像に見えるかも知れませんね~それほど<ありえない>風景ではありました。
■hanamura様
どーんと来い!なんていって風邪などひかれませんように・・・
■manamana様
ナローゲージの電車が標準軌間の貨車を引く~ヨーロッパの電車のようですね。
■ブント様
旭川には郊外線の旭川電気軌道のほかに旭川市街軌道という純粋市内路面電車もあったのです。今にして思えば何でここに?というような電車はたくさんありましたね
■のり様
旭川電気軌道はハンサムな電車が揃っていました。モハ1000などはまさに鄙にはまれな電車でした。

by Cedar (2012-02-03 00:32) 

Cedar

★nd502様
★Reirei様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます

by Cedar (2012-02-03 00:34) 

Cedar

■nd502様
今の日本ではこういう光景は過去の物になりました。
ヨーロッパにはまだあるかも?
アメリカのストリートランニング風景はスケールでか過ぎですけど。
by Cedar (2012-02-03 07:34) 

Cedar

★ひもブレーキ様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2012-02-03 19:38) 

利きゅう

旭川電気軌道に旭川市街軌道とあったのはやはり軍都だったからでしょうか
旭川電気軌道はモハ101とモハ1001が今も保存されているようですが、路面電車なのに高床式の電車で途中駅もホームで乗降していたようですから日本離れした光景だったのでしょうね。

鉄道ピクトリアルのバックナンバーで1950年代のカラー写真を見たことがありますが前回の記事のアメリカのインターアーバンのような赤い塗装で四輪単車が木造Wルーフのボギー客車を牽引して路面上を走る姿でした。
by 利きゅう (2012-02-04 01:08) 

Tosi

このお写真によって切り取られた当時の旭川市街のこの一角にも、異なった時代の諸要素が、夢の中でのように自然な異様さで並存していると思えます。併用軌道上の電車とタンク車の組み合わせの不思議さはいうまでもありませんが。そして、曇り空の下、濡れた路面とレールの上で、ワイパーが拭っているガラス越しに識別不能な表情がかろうじてみえる電車の運転士と輪郭さえはっきりしない自動車の運転者たちのきわめて微弱な存在は、むしろ全体に無人の光景という印象を与えています。この無人感のせいなのか、軍手を販売する小商店とその看板などに、ウジェーヌ・アジェが撮影した小商店や看板が醸し出すそれに近い雰囲気を感じます。
むーさん様が例外的な事例について証言されていますが、わずか三十数年後の同じ場所に当時の町並みを想起させる手がかりがほとんど残っておらず、景観における歴史的連続性が完全に切断されているのは、日本の大部分の都市の大部分の街区に共通することですが、文化的損失とさえいえることだと考えます。こんなことがいつまで繰り返されるのでしょうか?
by Tosi (2012-02-04 02:20) 

UZ

市街地をタンク車が路面電車の線路を走っている写真は初めて拝見しました。
今では考えられない牧歌的な光景ですね。

by UZ (2012-02-04 02:22) 

Tad

お父上とお二人でTMSに連載されたトロリー巡りシリーズの第一回目がここでしたね。
記事はクリアファイルにまとめてあり、今でも時々紐解いていますが、やはりこの写真は衝撃的で、決して忘れることのできない一枚です。
by Tad (2012-02-04 04:49) 

Cedar

■利きゅう様
北海道の風土が日本離れしているのと同様にこの電車もアメリカの田舎電車(もちろんそんなもの見た事はないのですが・・)のように感じたものです。路肩を走る一直線の線路を貨車やトレーラーを牽いてゆっくり走る電車のすがたを今も思い出します。
■Tosi様
旭川のような町でも東京と同じような都市化=画一化が進んでしまうのは、つまらないことだと思います。どこの駅も怪しい英語的造語の駅ビルが建ち、ぺデストリアンデッキで日照は奪われ排気ガスが立ち込める駅前広場・・・行政の創造力のなさは如何ともし難いです。
■UZ様
牧歌的というか、大胆というか、今でも環7をタンクローリーが突っ走ってるのを見るたび、このときの光景を思い出します
■Tad様
その節はお世話になりました。父も今はこの世になく、この写真を見せたとき、目を輝かせていたのを思い出します。
by Cedar (2012-02-04 09:28) 

Cedar

★undo様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-02-04 09:29) 

Junior

 
バカになんかしてないですよ〜。
よくそこまで観察眼が行き届いてるなぁと感心してるのであります。
この写真に限らず、です。
 
で、この電車が入換えもするとなると、当然荷主さんの構内も電化されてたてコトですよね。
どんな風景だったんだろ?
 
by Junior (2012-02-05 13:16) 

Cedar

★シュウチャン様
★しまりす様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2012-02-05 16:02) 

Cedar

■junior様
観察っていうより妄想だったりして。
入換え風景は見られませんでしたが、路肩に側線が突然あって、トキやトムが停まってました。ほんとに本で見たアメリカのルーラルなトロリーラインのようでした。
by Cedar (2012-02-05 16:10) 

bireitor

旭川電軌は軌道法でしたが、
車輌が普通の電車というのが面白いです。
高床が併用軌道を走るのは、
当地江ノ電と、朝夕の福井、京阪大津線ぐらいですね。

電車が貨車引く風景、さすがに併用軌道ではもう見かけませんが、
近江鉄道で保線用貨車を220(つりかけ)が牽引していました。


by bireitor (2012-02-06 08:07) 

line

このような写真を見ると、もう少し早く生まれてればなーと思えてなりません。
初めて旭川を訪れたのが、昭和49年でしたから既に無くなってしまってますよね。最も最後の国鉄蒸気ばかり追っかけてたので、ここまで目が届かなかったかもしれませんけど。
by line (2012-02-07 20:40) 

Cedar

■bireitor様
この線の雰囲気は、北陸鉄道の金石線や羽後交通雄勝線といった鉄道と軌道の中間的な感じでした。今では考えられないですが貨物のおかげで生き残っていたのではないでしょうか?
■line様
昭和49年には道内の電車はかなり縮小されていたのでしょうね?札幌市電もオリンピックで路線縮小、定山渓鉄道も消えていたかも?
当時はSLブームの真っ盛りで北海道にファンの姿は多かったですが、電車にカメラを向ける人は見かけませんでした。
by Cedar (2012-02-07 21:53) 

ころぽっくる

小1の時に沿線に引っ越し、小6の冬休みに廃止でした。
懐かしいですね、この写真。
この貨物、タキ9900+タサ5700なんて編成も有りましたし、
【1001】の定期にセキがぶら下がったりしていました。
【貨物のおかげで生き残っていた】と言うのは正解で、平行する
宗谷線の高架工事で貨物連絡線が維持できなくなることが止めを
刺したようです。
by ころぽっくる (2012-09-04 22:14) 

Cedar

■ころぽっくる様
コメントありがとうございます。沿線にお住まいだったとは!
東京人は、路面を行くタンク車にはビックリしましたが日常的な光景だったのですね。
旭川追分から一直線の路肩軌道を、車体をゆさゆさ揺らしながら走る1001も印象的でした。
by Cedar (2012-09-05 22:16) 

鶴見線横ナハT19編成

ずいぶん貴重な写真ですね。旭川電気軌道を初めて知ったのは故宮脇俊三氏の「鉄道廃線跡を歩くⅢ」の中に掲載されていて国鉄とかなり関わりが深い路線だったんだなと思います。102号は残念ながら現存してませんが101号や1001号は大切に保存されているとのことなので、早く実物を見に行きたいと思っています。
写真の貨車はタンクの形状から見てタキ9900辺りですかね。それにしても道路を走るなんてどこかの国みたいで正直驚いています。
by 鶴見線横ナハT19編成 (2013-12-10 21:44) 

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