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昭和38年、或る日の京急大師線 [昔鉄スナップ]

今年も押し詰まり、新しい年も目前ですね。

今日は川崎大師初詣でおなじみ、京急大師線で余生を送っていた頃のクハ140の姿をご覧戴きます。s38大師線03部分縮小.jpg  撮影は昭和38年、時期は記憶にありませんが、初詣とは関係ない季節だったと思います。

(1)川崎大師駅も、初詣の時期以外は閑散としていました。この時は、通常デハ230形に挟まれているクハ140が珍しく先頭に出ている姿をキャッチ出来ました。s38大師線04縮小.jpg  川崎行きの電車がホームを出て行きます。ホーム上の柵は初詣時期の整列乗車用です。黒く見えるのは実際は赤で品川行き直通急行用、奥に見える白い柵が川崎行き各停用でした。ダルマ大師にふさわしく、柵まで紅白でした。電車は今のような赤白塗りわけではありませんでしたが・・・

(2)上の画像を拡大してみました。味の素の工場に繫がる国鉄貨物線が右に分岐していくのが見えています、独特のポイントを見るのが楽しみでした。踏切り内に侵入してるシャツ姿のオッサンは鉄道関係者には思えないですね。ちいさな電車と対照的な立派な架線鉄柱、高圧線は京浜工業地帯の原動力って感じです。s38大師線04拡大.jpg 電車が2連で走っているのは工場が休みになる連休だったのでしょうか・・・おかげでクハ140のユニークなおを見る事ができました。

(3)サイドビューです。先頭になっていると運転台の狭さがわかります。カブリツキで見ている学生と運転士の区別がつきませんね・・・(笑)s38大師線05縮小.jpg クラシックなドア回り、木造車と見まがうフクザツな造形です。エンドビームが下がったブリルMCB台車やWHの密連も個性的でした。独特のスタイルで京浜間をポールをかざして疾走していた頃は<とんぼ電車>と呼ばれたとか・・・なんとなくわかる気がする愛称です。


ポールの電動車時代には高速走行(70~80kmは出たようです)になると、ポールのホイールが高速回転して、屋根がゴーッと共鳴したそうです~というのは父の子供時代の体験談。当時の姿は久里浜工場(今は京急ファインテックですか)で偲ぶ事が出来ますが、通常は非公開なのが残念です。


(4~6)この時は終点塩浜まで行きましたが、途中駅(小島新田でしたか・・?の留置線には、通常編成の3連がいました。走る電車からあわてて撮影・・・s38大師線03縮小.jpgs38大師線02縮小.jpg  デハ230とクハ140。或る時代の京浜電鉄(→京浜急行)を代表する電車同士の混結、究極のアンバランスの魅力でしたね。こうしてみると大きな窓は京急の伝統、という事がよくわかります(最近はどうしたことやら~?)。連結拡大縮小.jpg

デハ230は琴電に移籍して長く活躍しましたが、クハ140は大師線が最後の働き場所でした。木造のクハ120の更新車もいたことだし、このままの編成で琴電が引き取ってくれれば面白かったですが・・・

初詣直前に、京急大師線の昔画像でした。今日はこんな所で・・・・・


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コメント 23

はーさん

140のような全面5枚窓たまご形で電車は近鉄、南海などにも居りましたが、京浜のものは、おでこが上がっているのが特徴でした。
なにか、川崎大師にちなんで、宮形のようにも思いましたが、ここに、元は
方向幕があったようです。
1963年に福井鉄道を訪れた時、南越線と全面5枚窓たまご形の木造電車があり、場所柄、南海の車か?と思いましたが、京浜デ1の更新車と
友人がアドバイスしてくれました。おでこが上がっているので、京浜の車と
分かったようです。
http://6.fan-site.net/~haasan55/Fukui.htm
by はーさん (2010-12-26 10:28) 

manamana

側面窓は大きいのに、
ちいさな5枚の正面窓、
前が充分見えるのか心配になってしまいます。

by manamana (2010-12-26 11:29) 

なにわ

半袖ですから夏ですね。もしかしたらお盆かもしれません。
しかし、140って完全に中間車化してなかったんですか。

5枚窓というのが中央運転台の証です。

琴電が引き取らなかったのは重量の問題だったのでしょうか。
by なにわ (2010-12-26 13:27) 

む〜さん

クハ140は昭和28年、私が京浜急行に乗る機会が出来た頃、大活躍でした。二両のデハ230に挟まって本線での急行運用、デハ230やデハ290とペア、またはデハ~クハ~デハの三連で、大師線と、空港線というか、穴森線で働いており、御馴染みになりました。クハ120に間に合わなかったのが惜しかったです。
何と無くひょうきんなお顔、小さな窓が並ぶサイドもお気に入り。デハ230の大窓と並ぶと、なんともいえない魅力がありました。
デハ230に専ら乗ったんですが、たまにクハ140に乗り、独特の走行音とブリルMCBの乗り心地を楽しみました。
by む〜さん (2010-12-26 14:43) 

ShinKaitoku

ご訪問ありがとうございました。
京急にもこんな奇抜な顔をした車両がいたんですね。
by ShinKaitoku (2010-12-26 16:37) 

FTドルフィン

ん〜・・・
唸ってしまいます!!
by FTドルフィン (2010-12-26 16:43) 

Cedar

■はーさん様
京急140のオデコのカーブ、ルーツは一つ前のデ41(のちのクハ120)からのようです、おっしゃるように方向幕のスペースだったらしいですね。デ1の更新車やデ41はいろんな私鉄に行ったようですが、140は他社に転出したものはありません。時期的にこんな古い車輌の引き取り先は無かったのでしょうね。
■manamana様
はいはい、実際に運転台横から見ましたが、柱は多いものの視界は意外と良好でした。大きな丸形になっていたせいでしょうか?
■なにわ様
末期にはサハ化されたものもあったようですね。
琴電が引きとらなかったのはこの形式引退の頃には、もっと新しい中古車が各私鉄から出回っていたからではないでしょうか?何しろ大正時代の電車ですから・・・
■む~さん様
デハ230と組んでの急行運用は魅力的でした・・・といっても私の頃は正月の大師直通急行でしたが、100kmで走るMCBの乗り心地は経験しました。先輩の話では本線急行では120km出た事があったらしいですね。
クハ120は実物は知らないですが模型は作った事がありました。
■Shinkaitoku様
ご訪問&コメントありがとうございます。この奇抜な顔は一時期は京浜電車(京急の前身)を代表する顔でした。同様の5枚窓は京成・東武にも有りましたし、明治時代には国鉄の電車にも有りました。
■FTドルフィン様
唸って何を思うのでしょう・・・気になります。
by Cedar (2010-12-26 22:00) 

Cedar

★ひでほ様
★尚爺様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-12-26 22:01) 

Cedar

★gardenwalker様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-12-26 22:58) 

Junior

あらま、意外と全面のカーヴは浅かったんですね。
もっと深いカーヴを描いてると思ってた。

で、このドアの高さじゃ、今の若い人は頭を打ちそう。
元々ステップ付きだったから低いのは仕方ないですけど、ステップを廃止した時に切り上げなかったんですね。

ソレより何より、Brill MCB台車がカッコイイ!!
by Junior (2010-12-27 00:25) 

きんぎょ/中澤

う~ん!、疑問が氷解しました。って、デ51~クハ140の客室窓は2段でも、下段は下降落し窓だったのですね!西尾さんの写真集などで鎧戸が見えるものがあったのですが、上段窓の上に上げているわけはないし、下降窓だったのかなぁ?でも2段窓だし?、と思っていました。他にちょっと例のない窓ですね。どうも、扉とか窓とかに関心が・・・ 扉も、ステップを切り上げる以前、開き切ったときに下の端が側面裾からハミ出なかったのかなぁ?というのが、ずっと気になっているもう一つの疑問であります・・・
by きんぎょ/中澤 (2010-12-27 10:59) 

Cedar

■Junior様
このMCB、カワイ製は華奢すぎて、つぼみ製の感じでしたね。我が家のジャンク箱には、エンドビームがこのカタチになったつぼみ製MCBがあります。模型化にトライしたってことですね。
by Cedar (2010-12-27 11:11) 

Cedar

■きんぎょ/中澤様
疑問解消のお役に立ててよかったです。厳密に模型化すると面倒な構造です。
扉のほうも謎ですね、ひょっとしてドアの開く仕様で模型化の予定ありですか?~ウシシシ・・・・
by Cedar (2010-12-27 17:03) 

京葉帝都

1枚目の写真、先頭部を真横から撮られていますが、こういうアングルは記録として重要だと思います。それにしてもクハ140の宮形付で5連窓のお面は「走る仏壇」のようで畏敬の念が伝わってくるようです。正面のスタイルが、3連窓、5連窓(奇数)と、2連窓、4連窓(偶数)ではかなり印象が違います。
by 京葉帝都 (2010-12-27 17:48) 

gop

駅構内は今も昔も大きく変わっていない様ですが。
しかし車両の方は大変魅力的で。これも赤白だったのでしょうか?
by gop (2010-12-28 12:09) 

Cedar

■京葉帝都様
コメントありがとうございます。いわゆる七三のアングルで撮ってないのが幸いしました。走る仏壇~言いえて妙という感じです。
■gop様
川崎大師の駅はおっしゃるようにあまり変わっていませんね、例の柵が無くなったくらいですか・・・車両の塗装は赤と黄色のツートン、しばらく前に旧1000形がこの塗装で走りました。
by Cedar (2010-12-28 13:46) 

schnitzer

この時代は京急川崎を出てすぐのカーブを過ぎたところに駅があったのでしょうか。
貴重な写真をありがとうございます!
by schnitzer (2010-12-30 23:49) 

Cedar

■schnitzer 様
この時代は京浜川崎(まだ京急川崎ではありませんでした)の次は港町・鈴木町・川崎大師の順で、今と同じではないでしょうか?その昔は六郷橋の近くにも駅があったようですね。

by Cedar (2010-12-31 11:34) 

Cedar

★キャプテン・スキャバーズ様
★やまびこ3様
★SpeedBird様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-12-31 11:37) 

いっぷく

うーんと小さい頃、母がベビーカーに私を乗せて
「穴守線」を走る5枚窓電車を「京浜蒲田」まで見に行った……
と最近になって教えてくれました。
そういえばみたような気がします……って、調子よすぎですね
by いっぷく (2012-11-06 01:36) 

Cedar

■いっぷく様
穴守線は大師線ともども、5枚窓電車の最後のすみかでした。ベビーカーに乗っての記憶はたしかにあやふやですね。
by Cedar (2012-11-06 15:45) 

こがね丸

クハ140形がデハ230形に挟まれて本線の急行や各停に快走していた頃、よく乗りましたが。美しく磨きこまれた車内のニス塗り、凝った車内灯が夏には青電球と青い笠に変わる面白さ、そして何よりも乗り心地の良さに感服していました。ブリルのMCB台車は当時の空気バネ台車よりも乗り心地が優れていて、座席に座っていると揺り籠のような気分になって、ついとろとろとまどろんだものでした。今だからこそ記せますが、連結していた名車・230形の乗り心地はゴリゴリしていて決して心地良いものではなかったので、ある時期以降は140形をねらって乗車していました。木造の120形の台車はテーラーでしたが、乗り心地は一段落ちていました。いずれも昔のことになってしまいました。
by こがね丸 (2014-06-10 17:20) 

Cedar

◼︎こがね丸様
MCBのふわふわした乗り心地は、当時ガキだったCedarも記憶しています。正月のダルマ急行は超満員でクハ140の運転台まで客が一杯でした。120は京急での記憶は無く、琴電の簡易鋼体化された姿が初対面でしたが。
by Cedar (2014-06-10 17:54) 

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