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木造単車とフジペット(昭和36年の横浜・麦田) [昔鉄スナップ]

 フジペット写真 その2 横浜市電の木造車です。横浜では単車が長く活躍しましたが、和30年代終わりには、木造単車が現役だったのです。s36麦田電停400サイド拡大.jpg

(1)撮影は親戚のあった麦田という場所です。お洒落な横浜の代名詞の元町から、山手の丘をトンネルでくぐった全くお洒落でないところです。右奥にトンネルが見えています、電車の後ろで車庫に行く線路が左に分岐していました。s36麦田電停400エンド.jpg  黒澤明の映画『天国と地獄』ではありませんが、山の上には洋館や大きな家が、谷底には小さな家が密集しているコントラストが鮮明でした。(~あの映画の設定は横浜ならでは、と思います。)  それにしても侘しい景色です。でもまあ昭和30年代って、こんなものだったのですね・・・・麦田拡大01.jpg(2)上の画像を拡大してみました。418号はここからの始発電車で発車待ち中、系統の<5補>の意味はよく知りません。増発か、区間運転かということでしょうか?トンネルの横には当時の電話ボックス~頭が赤く塗られていたので<丹頂鶴>と呼ばれていたとか・・・更に電車の左奥に踏切警報機が見えていたのに、今まで気付きませんでした。

s36麦田車庫内400.jpg (3)谷間の街並みの中に市電の麦田車庫があり、単車群がビューゲル上げっぱなし(!)で並んでいました。電車の後ろでは国鉄根岸線の工事が進んでいた頃です~随分昔ですねえ・・・ 

(4)横浜の単車は昭和36年にも何形式かありましたが、中でもこの400形は木造ダブルルーフ!東京ではとっくに姿を消したスタイルと乗り心地が、横浜には健在でした。

 麦田FP拡大01.jpg 偏ったビューゲルは横浜市電の特徴でしたが、単車でも偏っているのは不思議です。

 (5)ダルマになった廃車体もありました、番号もダルマの方が416、現役が402・・まあどちらが新しいとか言うことは無いでしょうが。こういう同居も珍しいものですね。ダルマの塗装は旧色で、私はこちらのほうが好きでした。

横浜麦田FP01.jpg

麦田の停留所の回りの町並みは至って地味な感じでした。その中に古本屋さんがあって、米兵がおいていったらしい、ザラ紙のアメリカンコミックが売られていたのが横浜ならでは、でしたね。私も父にせがんで何冊か買ってもらいました・・・横浜特有の、西部劇の街のような木造アーケードの中でアメコミを買う、ささやかな異国情緒でした。

s36麦田電停400サイド.jpg (6)木造車らしい彫りの深い顔立ちや窓回り、なんともクラシックなスタイルですね。後ろのタクシーの形も懐かしい・・・

横浜に行くたびに追い掛け回し、わざわざ乗ったりした木造400、買ってもらったばかりのフジペットで撮影後、まもなく消えてしまいました。


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コメント 14

manamana

雨上がりの濡れた路面が、わびしさを引き立てますね。
それにしても、貴重な木造車を記録できてよかったですね。
by manamana (2010-12-23 20:47) 

Cedar

■manamana様
木造車は東京ではとっくの昔に消えていたので、横浜の400形は貴重品でした。
麦田車庫には単車が多く配置されていましたが、こういう電車で元町や県庁近くのエキゾチックな町並みを走るのは楽しい体験でした。独特な揺れやジョイント音もよく憶えています。


by Cedar (2010-12-23 21:20) 

Cedar

★やまびこ3様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-12-23 23:51) 

はーさん

小学校低学年まで、横浜の神奈川区に居りましたが、市電に乗り、伊勢佐木町に行くのが楽しみでした。
しかし、六角橋や生麦から向う麦田、本牧、山元町、浦舟町などというところは未知の世界で、どんなところだろうと想像を膨らませておりました。
横浜市電の単車はエアーブレーキを備えておりましたね。
富山地鉄、富山市内線のデ2500、3500はハンドブレーキだけでしたので、さすが、横浜と思ったものです。
最後期の色は好きではありませんでした。ブルーとクリームのツートンカラーの市電の姿を留めようと、昭和35年にカラーで撮りました。
先にもご紹介したと思いますが、弊HPに載せてあります。
http://6.fan-site.net/~haasan55/Yokohama.htm
昭和36年には新塗色ばかりのようですが、急速に塗り替えが進んだようです。
  
by はーさん (2010-12-24 14:29) 

ぽんた

メリークリスマス☆☆☆
これが横浜ですか~。 のどかですね。
木造の市電なんてステキですね。
年の瀬で気忙しいですが
ステキなクリスマスをお過ごしください。

by ぽんた (2010-12-24 16:09) 

Cedar

■はーさん様
伊勢佐木町・元町までは都会、麦田から本牧までは田舎って言う感じでした。横浜の単車は一応低床式・エアブレーキ付でした。鋼製の600や500はな立派な電車でした。
塗装の記憶ですが、この頃に一気に塗り替えたのではないでしょうか?1500や1600は断然旧色が良かったですね!
■ぽんた様
メリクリコメント、ありがとうございます。
そうです、当時の横浜はのどかというか地味というか・・・元町から山1つ越えただけでこんな場末感一杯になってしまうのでした。ウチの親戚はこの電車の車庫の裏にあって、ほんとに下町ムード一杯でした。
by Cedar (2010-12-24 20:11) 

む〜さん

懐かしいヨコハマの木造・二重屋根単車400・・・・しかも昭和36年。懐かしすぎて、嬉しさで涙です。じつは、私、この昭和36年に結婚し、神奈川区六角橋に新居を構えました。というか、4畳半一間の風呂なし四軒長屋の住人になりました。最寄の電停が、終点の六角橋。まだまだブルーにクリームの電車が居て、然も、しかも単車の山でした。遊びに行く、横浜駅西口や伊勢佐木町、山下公園・・・みんな市電で行くのです。
昭和38年にヨコハマを離れ、子供たちは結婚して出て行き、再び二人きりの生活。ときどき、横浜に行きますが、市電の見えない街!寂しいなあと思います。
探せば、横浜特有のアーケードというか、自家製の庇・・・・現役さんもたくさん見かけることができます。
by む〜さん (2010-12-25 19:46) 

Cedar

■む~さん様
懐かしさに浸っていただけましたでしょうか・・
この年私はまだ小学生でした。横浜の親戚に行く時は国電→京急→市電というルートで電車好きのガキにはうれしいお出かけでした。根岸線もまだ無く、みなとみらい線なんて想像も出来無かった頃は、市電が主役でした。
by Cedar (2010-12-25 21:59) 

Cedar

★gardenwalker様
nice!ありがとうございます。
by Cedar (2010-12-25 22:00) 

nexus6

これまたナント魅力的な車両でありましょうか。
モノは違いますが、過日函館で単車(ハイカラ号)に乗った際、ボギー車とは全く異なる揺れがとても刺激的でした。 
by nexus6 (2010-12-26 06:46) 

Cedar

■nexus6様
昭和30年代最後には木造車は各地に残っていました。関東では他に新京成に頑張っていましたが、ラッシュに車体がきしんで団地自治会からクレームが付き、消えてしまいました。
単車の乗り心地は独特ですね、スピード出すと舟のように揺れます。私は香港に行く度に楽しんできます
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-02-12
by Cedar (2010-12-26 08:34) 

なにわ

もう少し年上だったら、本牧のライブハウスでむこうのサウンドを聞かれていたのでしょうか。
横須賀から来る連中もいましたし、根岸の競馬場跡にいたかもしれません。

震災復興で大正末に大量に投入した木造単車の名残ですね。横浜市には昭和初期の1000まで全て単車でしたから。
さて、横浜市独特の「補」、区間系統ではないでしょうか。このころの5系統は三渓園か間門まで走ってるはずですから。
by なにわ (2010-12-26 13:13) 

FTドルフィン

うわぁ、これまたスゴいお写真!!
by FTドルフィン (2010-12-26 16:40) 

Cedar

■なにわ様
この写真から7~8年くらい後、本牧の<ゴールデンカップ>や<リンディ>には出入りしていました。でもこの頃はモテたい一心でバンドやったりしていた頃で、横浜の電車がどうなっていたのか記憶にありません(汗)。電車で本牧に行った事は無かったような・・・気が付いてみたら横浜市電はほぼ絶滅状態でした・・
■FTドルフィン様
今見ると、スゴイ!ですが当時はああまた単車が来た・・みたいな感じでした。横浜では他に700形というのも木造単車でした。
by Cedar (2010-12-26 22:09) 

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