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昭和42年、再び福島交通(その4・沿線篇②=運転台横から見た沿線風景) [昔鉄写真]

昭和42年11月、父の撮った福島交通のディティール画像、今日は<運転室展望?画像>です。

起点はここ掛田。この電車に乗って福島方面を目指し、運転台横からの画像をご覧に入れます掛田s4202.jpg掛田s4201.jpg

<掛田→保原>かけた01.jpg 掛田から保原方面に向かって出発です。田舎道に真新しいGSが店開きしているのがなにやら暗示的?

福島ディティール画像運転台から04.jpg 貨車を牽いてこんな砂利道を行く混合列車(電車だから混合電車ですか) 砂埃のなかでクルマとすれ違う。掛田と保原の間はちょっとした山越えだったらしいです。(~残念ながら、私はこの区間は乗っていない!) 路肩軌道区間なので右側通行ですれ違い・・・

保原の町に入って、低い町並みを走ります。道は狭く、先ほどとは逆に左側通行でクルマとすれ違い(トラックが必死にハンドル切っていますね)。梁川方面からの線路と合流して保原駅に到着します。前回見ていただいたアーチは、実は運転台からの撮影でした。保原市内s42.jpg保原アーチ.jpg

<保原→長岡分岐点>

この区間は私も乗りました。集落や田んぼの中をほぼ一直線に進む区間でした。家並みギリギリに下りと交換する風景は印象的です(父の話しでは対向電車待ちのあいだ、運手士に話しかけられたが、お国訛りが半分くらいしか聞き取れなかったとか・・・)。やがて阿武隈川にかかる伊達橋を渡って、程なく長岡分岐点に到着です。そうです、<パチンコ・ハイル>のあった、あそこですね。福島ディティール画像運転台から02.jpg福島ディティール画像運転台から01.jpg この情景はすごいですね。しばらく前にTVで見たベトナムの田舎の風景にソックリです。

<長岡分岐点>

父はここで飯坂温泉方面の電車に乗り換たようです。右に曲がる急カーブが保原方面、手前が福島方面です。折り返し接続する飯坂温泉方面からの電車が到着したところですね。長岡s4201モノクロ.jpg

福島s4210聖光学園.jpg このあと、車庫のあった聖光学園前(写真はその構内風景です=奥が飯坂温泉方面)を経て、飯坂温泉に電車で行き仲間と合流したようです。→例によってネガの最後は温泉旅館の宴会風景!で終わっていました・・・

一旅でニ度美味しい、とはこういうことでしょうか?

何回か見ていただきました福島交通、一応今回で打ち止めといたします~ありがとうございました。


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コメント 9

のり

実に楽しい写真ですね。
タイムスリップして電車に載っている錯覚に陥ってしまいました。
本当に凄い風景です。こんな時代があったのが嘘のような日本になってしまいました。
by のり (2010-11-30 23:29) 

manamana

ベトナムはハノイの橋を思い出しました。
こんな風景でした。
http://manamana0066.blog.so-net.ne.jp/2009-08-02-2
by manamana (2010-11-30 23:59) 

なしももりんご

こんにちは、福島市に住んでいますなしももりんごです。
福島交通の路面電車最終回ですか?涙が出るほど懐かしく4回?5回?拝見させて頂きました。
今も変わりないところがたくさんありますね。
保原駅も有ると思います。
阿武隈川にかかる鉄橋も現在は、歩行者専用橋として健在です。
本当に、宝の写真ありがとうございました。
by なしももりんご (2010-12-01 08:35) 

Junior

パチパチパチ。いやいや、興味深いシリーズでした。

で、今更気付いたのですけど、架線がシンプル・カテナリーじゃないですかっ!!
銚子電鉄がいまだにシンプル・トロリーなのに、このヘロヘロ軌道(失礼)の方が架線の格が上!

未舗装の併用軌道、昔の能勢電を思い出しました。
後ろの砂埃から、このセドリック、相当スポードを出してたみたいですねぇ。アブネェ、アブネェ・・・

それと、軌道/道路併用橋。これ、今作ってるレイアウトでやりますからね!(たったの90mmですし、木橋ですけど)
そうかぁ、道路側だけ舗装してもイイなぁ・・・ウシシ。

で最後。
架線と架線柱、レールのコラボレーションこそ電気軌道の魅力っす!!
いやいや、貴重な資料、そしてモデリングのヒントを与えて頂き、有り難うございました。
m(_ _)m
 
by Junior (2010-12-01 13:13) 

む〜さん

 懐かしくも(見てもいないのに)、貴重な資料が一杯詰まった福島交通のアルバムを見せてくださって有難う御座居ました。少年時代につながるあの電車や風景は、胸にど~んと来るものでした。
 私は、ブログはなにか一過性のメディアではないかと思うのです。こういう貴重な、電車、道路、街の風景の記録は、どちらかと言うと、ホームページの方が資料として利用し易いのではないかと・・・・。トップかtらツリー構造で作成出来、検索も、目録が作りやすいので利用者にとって便利。そう思っています。
 Cedar様、ここはひとつホームページの立ち上げについてご検討いただいたら如何でしょうか?
by む〜さん (2010-12-02 06:38) 

Cedar

皆様。嬉しいコメントありがとうございます。今年9月に他界した撮影者の父も喜んでいる事と思います。
■のり様
日本の変化はホントに激しい。狭い国土なのにこんなに変えちゃって大丈夫かなっておもいます。
■manamana様
そうそう!まさにこの感じでした!今もこのままなんじゃないでしょうか?
■なしももりんご様
地元野方に喜んでもらって何よりでした。保原駅や、阿武隈川の橋はみたいなあ・・・ありがとうございました。
■Junior様
巨匠からの拍手!恐縮至極です。この感じは昔の外国の電車っぽく感じます。ドイツの田舎あたりのサバーバンだと思えば、シンプルカテナリーも似合ってるでしょう?
■む~さん様
資料的にまとめてご覧いただく構成にしましたが、お楽しみいただけましたか?
HP作成・・・・?何しろPCの扱いが得意でないのです。そのうちにということにいたしましょう。

by Cedar (2010-12-02 15:25) 

京葉帝都

軌道、電車、人、道路、自転車、クルマが馴染み合った姿に驚くばかりです。橋の写真には卒倒しました。国道だったのかしら。


by 京葉帝都 (2010-12-03 02:39) 

katsu

次々と福島交通軌道線の街の風景はすごいですね。
毎回、父上が撮る視点には圧倒されます。
どれも楽しい場面ばかり、特に長岡分岐点の人々は印象的です。
先日、ちょうど私も梁川~湯野町など連載追加したところです。
by katsu (2010-12-04 10:45) 

Cedar

■京葉帝都様
伊達橋から保原に向かう元の電車道は現在は国道399号となっていますね。当時は道路専用橋はまだ無かったので、電車の走る橋が国道だった可能性はあります。
■Katsu様
お久しぶりでございます。父の写真はどちらかと言うと車輛中心のが多かったですが、福島の写真は違っていました、それだけ沿線や街の印象が強烈だったのでしょうね・・
ブログ早速拝見いたしました、素晴らしい写真の連続に唸っています。

by Cedar (2010-12-04 18:35) 

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